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休題
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――ごめんなさい。
※※※
その日、一人の女医が黒い書類鞄を片手に、男の屋敷を訪ねた。
「自分の心身状態の確認ですか?」
「そう、これは王命です。君だけでなく、他の騎士たちにも抜き打ちで行う検査です。だからこのことは誰にも漏らさないように」
案内された居間で、腰まで届く黒髪と豊満な肉体を兼ね備えた女医は、王家の紋章が印刷された書類と名刺を差し出す。そしてわざとらしく椅子の音を立てて、見せ付けるように黒ストッキングの脚を――ゆっくり艶めかしく男の目の前で組み替える。
男は目を逸らして注意した。
「先生、見えますよ。女性なんですから、お気をつけて。後……、距離が近くないですか?」
何故か広いテーブルは役割を果たさせてもらえず、部屋の隅、足先が触れ合いそうな距離でお互い向き合っていた。
「こうすることで君の瞳がよく見える。状態確認に必要な措置だ。要望通り設置してくださった従者様に感謝を」
女医は見上げ、赤瞳の美丈夫へ挑発的に笑いかける。従者は一言も発さず一礼するのみに留めた。
「は、はぁ。そう、なんですか……」
男は多分、納得した。
「さあ、今から診察を始める。二人きりにしてもらえるかな?」
首を傾げた男は従者に書類と名刺を渡して、部屋の外で待機するよう指示し、従者は素直に従う。
「ありがとう。それでは診察を始める」
女医は立ち上がると椅子に腰掛けたままの男に跨り、頭を抱き締めた。
「は、はぁ!?」
素っ頓狂な声が上がる。
「診察中です。そのままじっとしていること」
そんな男を黙らせるように胸を押し付けて、女医はそれっぽく手の中の砂時計をひっくり返した。豊満なそれに口を塞がれた男の眉間にシワが寄るが、諦めたようだ。目を閉じてお互いに奇妙な時間を過ごす。
そして砂が落ちきった三分後、立ち上がって女医が覗き込んだ男の目元は――少しだけ柔らかく綻んでいた。
「あ……」
「うん、今日の診察は終わりです。明日はまた違うシチュエーションで、少し診察時間を伸ばすからよろしく」
女医は徐々に、あれこれ理由をつけて男との接触時間を増やしていった。胸に顔を埋めさせるという奇妙な診察が続き、遂には三日月の夜、ベッドで添い寝診察を許諾されるまでにじり寄った。
――男は寝間着姿で女医の腰に手を回し、胸に顔を寄せて眠っている。
「イチゴのケーキ美味しかったね」
女医は白衣姿のまま、男の髪を優しく撫でると独りごちた。
「これならいけるかな? 私、勝てるかな……?」
するとその言葉に反応するように、男が呟く。
「……母さん……」
「うわーお。……だよねぇ……、女としては見てないよねぇ……。彼女に似せたのが不味かったか……、家族のカテゴリじゃ絶対に勝てない……」
回された手をそっと腰から外し、女医は気合を入れた。
「仕方ない。やるか」
※※※
下半身だけ剥かれた仰向けに寝ている男の股間に、頭を埋める女医が一人。顔を青ざめさせていた。
「な、なんでぇ……。勃ちはするのに射精しない……」
モノから口を離し頭を抱える。
「私のテクニック不足? いやいやそんなはず無いでしょ、流石にこれは異常でしょ。いや、もしかして寝てるから? 睡眠だけ解除しようかなぁ……」
恨めしそうに股から男を見上げ、もう一度モノを咥えてから指を鳴らす。
「……ん?」
男は目覚め、異変に気付いたようだ。
「先生……、何やってるんですか……。後なんで身体が動かない……」
とんでもなく冷えた声音に女医は焦る。刺激しているのに男の反応が変わることがないからだ。口を離して当然の疑問をぶつけた。
「き、君、気持ちよくないの……? ナニをどうやっても射精しないんだけど……」
「俺は貴女にそんなものを望んでいません。ヘイゼル先生、貴女は誰ですか」
女医の動きが止まる。
「イーライに調べさせました。確かに実在する人物でしたが、貴女は俺の過去の事件をご存知無いようだ。こんな風に俺に接触を図ってくる人間は、貴族なら当然、誰もいない」
男はため息をついて、眉間にシワを寄せた。
「王家の紋章を使ったあの偽造書類、罪に問われますよ。イーライが検分しなければ気付けないほど、精巧を極めていたそうですが」
「最初から気付いていたというの? 私がヘイゼルじゃないって」
「……貴女を犯罪者にしたくない。こんなレイプ紛いなことは止めて、早く立ち去ってください。……楽しかったです。ありがとう」
女医は歯を食いしばった。
「……そうやってまた、自分が満足したら突き放すんだ」
「え?」
「ふざけないで! 絶対に君をイかせてやる!!」
そうして女医は口端を吊り上げると、さも愉しそうに太ももの付け根を撫で回す。
「知ってる? 男の人でもさ、女みたいに感じられる気持ちいい場所があるらしいよ」
何故かその撫で回す手のひらが、男の急な発熱を感じ取った。合わせて震えも感じる。
「やめて」
「心当たりあるの? 興味でもあった?」
「――やめて、やめて」
涼やかだった男の感情が徐々に剥き出しになっていく。その様子に女医は悦びを感じてしまった。卑しく笑いながら、硬く閉じられたそこをそっと撫でる。
すると突然。
「いやだあああああああっ!!!」
男は急に人が変わったように目を見開き、ブレる瞳で中空を見つめ叫んだ。プツンと糸が切れたように。
「え? ちょっと落ち着いて! 怖くないよ! すぐ気持ちよくしてあげるから!!」
女医は宥めるため膝裏を撫でながら、その指に力を込める。
「やだ! やめて! 許してぇ!! ごめんなさいぃ!! うわああああああ!!」
「アルトス!? アルトス大丈夫だよ!!」
一層狂乱して髪を振り乱す。泣き叫ぶ。そんな男が発した言葉。
「“たすけてぇっ!! たすけていーらあああああああああいっ!!!”」
瞳孔が収縮し絶叫し終わると、男の身体から力が抜けた。気を失ったようだった。あまりの出来事に女医が言葉を失っていると、凄まじい音と共に――寝室が半壊した。
気付けば部屋半分、天井が抉り取られている。
「え?」
次に、間抜けヅラの女医が壁に勢いよく叩きつけられ、唾液を撒き散らした。
「――ガハッ!!!」
そして混乱したまま、瓦礫が落ちてくる天井を見上げた。そこには外壁から屋根にかけて、跨り張り付く何かがいる。夜闇に溶けてハッキリと目視出来ない。糸のように細い三日月によって、辛うじて存在を縁取っていた。
それは人の形を成していない。
獣のような唸り声が辺りに響く。そしてどこかで見たことがある赤瞳がギョロリと女医を睨んだ。憤怒を込めて。
理解し、女医は堪らず泣き出す。
「ご、ごめんなさい……、ごめんなさい! こんな事になるなんて、思わなかったの……! あんなに嫌がるなんて……! あの人に喜んで貰いたくて、私、わたしぃ……!!」
かける情けなどない。それが振るった何かが、女医がいた場所を抉る。間一髪で脱兎の如く逃げ出した女医は叫んだ。
「わたし、あの人をきずつけたぁ!!」
大粒の涙を撒き散らし、黒衣を纏って飛ぶ。
「うぅぅぅ! うう、ぐぅぅう!」
服の裾を噛み、込み上げる嗚咽を耐える。
「ぐぅ、ぐうううううっ!」
涙が止まることはない。肩越しに振り返ると暗闇の中、爛々と輝く赤瞳は追いかけてくる様子は無さそうだ。
「お願いよアルトスぅ、私を見てよぉっ! わたしを、見てぇ……、アルトスぅ、アルトスぅっ!! うぅ、ううう! うわあああああん!!」
女医は両手で顔を覆い、号泣した。わんわん泣いた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
――それでも、その想いは誰にも届かない。女医は独り、闇に溶けて消えるしか出来なかった。
※※※
その日、一人の女医が黒い書類鞄を片手に、男の屋敷を訪ねた。
「自分の心身状態の確認ですか?」
「そう、これは王命です。君だけでなく、他の騎士たちにも抜き打ちで行う検査です。だからこのことは誰にも漏らさないように」
案内された居間で、腰まで届く黒髪と豊満な肉体を兼ね備えた女医は、王家の紋章が印刷された書類と名刺を差し出す。そしてわざとらしく椅子の音を立てて、見せ付けるように黒ストッキングの脚を――ゆっくり艶めかしく男の目の前で組み替える。
男は目を逸らして注意した。
「先生、見えますよ。女性なんですから、お気をつけて。後……、距離が近くないですか?」
何故か広いテーブルは役割を果たさせてもらえず、部屋の隅、足先が触れ合いそうな距離でお互い向き合っていた。
「こうすることで君の瞳がよく見える。状態確認に必要な措置だ。要望通り設置してくださった従者様に感謝を」
女医は見上げ、赤瞳の美丈夫へ挑発的に笑いかける。従者は一言も発さず一礼するのみに留めた。
「は、はぁ。そう、なんですか……」
男は多分、納得した。
「さあ、今から診察を始める。二人きりにしてもらえるかな?」
首を傾げた男は従者に書類と名刺を渡して、部屋の外で待機するよう指示し、従者は素直に従う。
「ありがとう。それでは診察を始める」
女医は立ち上がると椅子に腰掛けたままの男に跨り、頭を抱き締めた。
「は、はぁ!?」
素っ頓狂な声が上がる。
「診察中です。そのままじっとしていること」
そんな男を黙らせるように胸を押し付けて、女医はそれっぽく手の中の砂時計をひっくり返した。豊満なそれに口を塞がれた男の眉間にシワが寄るが、諦めたようだ。目を閉じてお互いに奇妙な時間を過ごす。
そして砂が落ちきった三分後、立ち上がって女医が覗き込んだ男の目元は――少しだけ柔らかく綻んでいた。
「あ……」
「うん、今日の診察は終わりです。明日はまた違うシチュエーションで、少し診察時間を伸ばすからよろしく」
女医は徐々に、あれこれ理由をつけて男との接触時間を増やしていった。胸に顔を埋めさせるという奇妙な診察が続き、遂には三日月の夜、ベッドで添い寝診察を許諾されるまでにじり寄った。
――男は寝間着姿で女医の腰に手を回し、胸に顔を寄せて眠っている。
「イチゴのケーキ美味しかったね」
女医は白衣姿のまま、男の髪を優しく撫でると独りごちた。
「これならいけるかな? 私、勝てるかな……?」
するとその言葉に反応するように、男が呟く。
「……母さん……」
「うわーお。……だよねぇ……、女としては見てないよねぇ……。彼女に似せたのが不味かったか……、家族のカテゴリじゃ絶対に勝てない……」
回された手をそっと腰から外し、女医は気合を入れた。
「仕方ない。やるか」
※※※
下半身だけ剥かれた仰向けに寝ている男の股間に、頭を埋める女医が一人。顔を青ざめさせていた。
「な、なんでぇ……。勃ちはするのに射精しない……」
モノから口を離し頭を抱える。
「私のテクニック不足? いやいやそんなはず無いでしょ、流石にこれは異常でしょ。いや、もしかして寝てるから? 睡眠だけ解除しようかなぁ……」
恨めしそうに股から男を見上げ、もう一度モノを咥えてから指を鳴らす。
「……ん?」
男は目覚め、異変に気付いたようだ。
「先生……、何やってるんですか……。後なんで身体が動かない……」
とんでもなく冷えた声音に女医は焦る。刺激しているのに男の反応が変わることがないからだ。口を離して当然の疑問をぶつけた。
「き、君、気持ちよくないの……? ナニをどうやっても射精しないんだけど……」
「俺は貴女にそんなものを望んでいません。ヘイゼル先生、貴女は誰ですか」
女医の動きが止まる。
「イーライに調べさせました。確かに実在する人物でしたが、貴女は俺の過去の事件をご存知無いようだ。こんな風に俺に接触を図ってくる人間は、貴族なら当然、誰もいない」
男はため息をついて、眉間にシワを寄せた。
「王家の紋章を使ったあの偽造書類、罪に問われますよ。イーライが検分しなければ気付けないほど、精巧を極めていたそうですが」
「最初から気付いていたというの? 私がヘイゼルじゃないって」
「……貴女を犯罪者にしたくない。こんなレイプ紛いなことは止めて、早く立ち去ってください。……楽しかったです。ありがとう」
女医は歯を食いしばった。
「……そうやってまた、自分が満足したら突き放すんだ」
「え?」
「ふざけないで! 絶対に君をイかせてやる!!」
そうして女医は口端を吊り上げると、さも愉しそうに太ももの付け根を撫で回す。
「知ってる? 男の人でもさ、女みたいに感じられる気持ちいい場所があるらしいよ」
何故かその撫で回す手のひらが、男の急な発熱を感じ取った。合わせて震えも感じる。
「やめて」
「心当たりあるの? 興味でもあった?」
「――やめて、やめて」
涼やかだった男の感情が徐々に剥き出しになっていく。その様子に女医は悦びを感じてしまった。卑しく笑いながら、硬く閉じられたそこをそっと撫でる。
すると突然。
「いやだあああああああっ!!!」
男は急に人が変わったように目を見開き、ブレる瞳で中空を見つめ叫んだ。プツンと糸が切れたように。
「え? ちょっと落ち着いて! 怖くないよ! すぐ気持ちよくしてあげるから!!」
女医は宥めるため膝裏を撫でながら、その指に力を込める。
「やだ! やめて! 許してぇ!! ごめんなさいぃ!! うわああああああ!!」
「アルトス!? アルトス大丈夫だよ!!」
一層狂乱して髪を振り乱す。泣き叫ぶ。そんな男が発した言葉。
「“たすけてぇっ!! たすけていーらあああああああああいっ!!!”」
瞳孔が収縮し絶叫し終わると、男の身体から力が抜けた。気を失ったようだった。あまりの出来事に女医が言葉を失っていると、凄まじい音と共に――寝室が半壊した。
気付けば部屋半分、天井が抉り取られている。
「え?」
次に、間抜けヅラの女医が壁に勢いよく叩きつけられ、唾液を撒き散らした。
「――ガハッ!!!」
そして混乱したまま、瓦礫が落ちてくる天井を見上げた。そこには外壁から屋根にかけて、跨り張り付く何かがいる。夜闇に溶けてハッキリと目視出来ない。糸のように細い三日月によって、辛うじて存在を縁取っていた。
それは人の形を成していない。
獣のような唸り声が辺りに響く。そしてどこかで見たことがある赤瞳がギョロリと女医を睨んだ。憤怒を込めて。
理解し、女医は堪らず泣き出す。
「ご、ごめんなさい……、ごめんなさい! こんな事になるなんて、思わなかったの……! あんなに嫌がるなんて……! あの人に喜んで貰いたくて、私、わたしぃ……!!」
かける情けなどない。それが振るった何かが、女医がいた場所を抉る。間一髪で脱兎の如く逃げ出した女医は叫んだ。
「わたし、あの人をきずつけたぁ!!」
大粒の涙を撒き散らし、黒衣を纏って飛ぶ。
「うぅぅぅ! うう、ぐぅぅう!」
服の裾を噛み、込み上げる嗚咽を耐える。
「ぐぅ、ぐうううううっ!」
涙が止まることはない。肩越しに振り返ると暗闇の中、爛々と輝く赤瞳は追いかけてくる様子は無さそうだ。
「お願いよアルトスぅ、私を見てよぉっ! わたしを、見てぇ……、アルトスぅ、アルトスぅっ!! うぅ、ううう! うわあああああん!!」
女医は両手で顔を覆い、号泣した。わんわん泣いた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
――それでも、その想いは誰にも届かない。女医は独り、闇に溶けて消えるしか出来なかった。
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