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四章

11☆

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 食堂にて、目の前に並べられた昼食を見る。ベーコンとほうれん草のキッシュに、野菜がたっぷり入ったコンソメスープ。すぐさま持ち帰りを断念した。

「どうぞお食べになってください」

「ああ」

 サンドイッチでもあれば良かったが……。いや、いつも食堂で完食しているのに、突然“書斎で食べる”とねだったとしてもどうなる。

 キッシュをナイフで切り分けながら視界の端に従者を捉える。

 きっと受け入れはされても横から離れず完食を見守られるだけだ。どうやっても魔女に与えることは叶わない。やはり狙い目は食後のデザートか。

美味うまい」

 味わいながら思考を回し、何故かピクリとも動かない従者を不思議に思った。通常なら一言二言ひとことふたこと、声掛けがあるはずだ。顔を上げて見ればこめかみに人差し指を当て、窓を見ていた。

「イーライ?」

 呼べばこちらを向いたが、眉間にシワを寄せ瞳孔を収縮させている。様子がおかしい。指摘しようとすると従者が黒瞳を瞬かせ、いつもの無に戻った。

「どうしたんだ?」

「……ご心配をおかけしまいと伏せておりましたが、王城での一件以来お屋敷全体が監視されているようです。相手は国の偵察隊ですね。愉快なものではありませんので、いい加減追い払いました」

 外したメガネを胸ポケットへ仕舞う従者の言葉に、驚きを隠せない。

「偵察隊? いや、その前にそんなことをしたら印象が最悪に……」

「追い払ったのは監視用の自動人形です。枝をつけ、アルトス様が正しく自宅待機している姿を植え付けました。暫く別の場所で待機した後、その記録を主の元へ持ち帰るでしょう。実際と結果は変わりませんので反逆には当たりません」

 さも涼しげに、とんでもない演算処理をおこなっていたことを告げられる。

「す、凄いな、そんなこともできるのか。でもなんで監視なんか……」

「そうですね。今あるだけの材料で理由を推測するとすれば」

 こめかみを叩きながら、赤瞳が瞬いて見つめてきた。

「この国で“魔女”という存在に対し好意的、もしくは同情的であろう我々が“厄災の魔女”を匿っている可能性を考えたのが一つ」

「――っ!」

 スープを吹き出しそうになり咳き込む。そしてテーブルナプキンを口元に当て、さり気なく表情を隠した。

「グエン王女と謁見した際、ゴードンに魔女を探している旨を遠回しに伝えておりました。そのことを報告されていればこの対応になりえますね」

「あ、確かに……」

 勘付かれてはいない……、か?

「もう一つは一件に関わった騎士全員の動向を監視している可能性です。これは確認しに行けば簡単にわかることなのですが……」

 従者はこめかみを叩くのを止め、眉をハの字に下げると少しだけ躊躇い、言葉を続けた。

「今の私にはお屋敷を――アルトス様のおそばを離れてまで確認しに行く、という選択がありません。御身をお護りすることが私の最優先事項ですので。そのため、どうしても気になると仰るのなら“命令”をお使いください」

 これは実質の拒否だ。

「そんなことで命令なんかしない」

 そう言うと従者は乏しいなりに嬉しそうに微笑んだ。だからこそ胸中は穏やかではない。平静を取り繕って同じように微笑みを返す。

 何か用事を与えて屋敷から離す、ということを考えなかったわけではない。だが、俺がイーライの気持ちを無視してまでするはずがないのだ。これはそれをわかっている。他意はないだろうが、痛い先手を打たれた。

「該当する騎士への待機命令は一週間だ。解除されたらダッドに聞いてみるよ」

「ありがとうございます」

 あいつの無事が気になる。早く書斎へ戻るため、食事を再開した。

 魔女が言っていた“豚”とは確実に偵察隊のことだ。これが従者の示した可能性の一つ、騎士一律の対応ならまだいい。だが盗聴遠見防止が施されたこの屋敷に魔女を匿っていると思われたのなら――。

 食べ終えると皿にナイフとフォークを揃え、終わりを示す。そして何となく襟元に手を添え、すっかり乾いた服を撫でた。

「喉元過ぎれば何とやらだな」

 国と従者から魔女を匿いつつ、堕落のいざないを躱し続ける日々が始まる。やめておけばいいのに、何がそうさせるのか。とんだ試練を己に課したものだと、力なく笑うことしかできなかった。

※※※

「すまない、収穫は無しだ。だから甘味を作ってもらっている。ここへ持ってくるよう頼んだから、それを食べてくれないか」

 書斎にて、机の下に話しかけながら椅子に座る。魔女の返事を待つが、不安になるくらい気配がない。

「……なぁ、お前の好物はなんだ?」

 覗き込む勇気も出ないため、何となく机に伏せる。泣かせてしまったこともあり、大変気まずいのだ。寄り添ったら傷つけた。正解がわからない。

「まだ元気でないか……?」

 やはり返事はない。こういうとき、他の人はどうするのだろう。

 机に置いておいた本を適当に捲り、斜めに読み流す。参考になりそうなシーンを探して手を動かしていると、机の下から衣擦れの音が聞こえてきた。

「……アルトス、私を見て……」

「え?」

「お願いだから……、私を見てよ……」

 太ももに添えられる、柔らかな手。やっと返ってきた返事だが、意味がわからない。その手を掴み、椅子を後ろへ引いて軽く引っ張る。

「見てって言われても、認識阻害で顔を隠しているのはお前だろ? それで“私は誰だ”って、こっちの立場になって考えてみろよ。俺は謎の女にただただ性的な悪戯を繰り返されて、ほとんどヒント無し。怒っている理由も隠されたままだ」

「だって言えないんだもん……!」

「なんでだよ……」

 机の下から出てきた魔女は恐る恐るこちらを見上げた。更に引っ張って膝に座るよう誘導する。少しは心を開いてくれたのか、素直に従ってくれた。だから白い足を机の上に乗せたことは何とか許そう。

「建設的な話をしないか?」

 もたれる魔女の頬に手を添える。

「建設的な話……?」

 何となく唇を見つめ、親指でなぞる。

「俺は感覚共有の呪いを解いて、平穏な日常を取り戻したい。そしてお前を国から逃してやりたい。この感じだといずれ見つかる」

 ふにふにと感触を楽しむ。

「お前に“厄災”なんて呼び名は似合わない。もう理由は聞かないから、怪我が治るまでに何をすれば満足して、どうすれば俺を解放してくれるか教えてくれないか? なるべく協力するから。それで王族への恨みも忘れろ」

 人差し指で頬も撫でてやる。

「はわっ、ふわぁ! やだ、だめ!」

 あやすための親指を軽く噛まれ、咥えられた。何が駄目なのだろう。

「こういうことが好きなんじゃないのか?」

 好条件を掲げかなり折れているつもりなのに、何故かイジメている気分だ。眉間にシワが寄ってしまう。

「うーん」

 少しだけ逡巡し、小鳥を思い出しながら抱き締める。

「俺はお前のペットになれないし、ならない。だが、人肌恋しいのならこれぐらいはしてやれる。だから頼むよ、どうしたら許してくれるか教えて欲しい」

 魔女の頭に顎を乗せ、密着するよう体勢を僅かに変えた。やはり接触面積が増えれば増えるほど喜ばれるようだ。魔女の身体が震え、大変大人しくなる。諸刃の剣だが。

 軽く息を止めて、湧き上がる欲にそっと蓋をした。

「……じゃあ私のお願いを聞いて」

「お願いときたか。意外だな」

 魔女は机から足を下ろすと、するりと腕から抜け出し立ち上がった。振り返った魔女の一言。

「君の唾液か精液、どちらでもいい。毎日欠かさず摂取させて。それで許してあげる」

 ん? え?

「唾液か精液……?」

「そう、唾液か精液」

 聞き間違い、発音間違いでもなさそうだ。いや、でも、は?

「はぁ??」

 空いた口が塞がらない。

「それも一種の栄養だから。早く治癒させたいでしょ? 食料と合わせてそっちも頂戴」

 いやいやいやいや。

「いや、わからない、納得できるはずがない。その二つにそれほど栄養が含まれているとは考えにくい」

「私が必要だと言うものを疑うのか? これが君の求めた答えだ。それとも有無を言わさず搾り取られたい? せっかく自主性を尊重したのに」

「し、搾り……!?」

 誕生日の悪夢が蘇り、血の気が引く。

 言葉に詰まっていると、魔女が膝上に腰掛けてきた。そして人差し指で胸元をクルクルと弄られ始め、またも身体が動かなくなっていることに気付く。

 ――こ、こんなの、どう手綱を握れば!

 力関係が均衡を保っていると勘違いしやすいが、結局こいつの手のひらの上なのだ。機嫌を損ねればすぐに身体の自由を奪われ、性的に弄ばれる。そして行き着く先は――。

 “私の勝ち”

 醜態を思い出し、ぞっとした。

「いや、待て、わかった、いやわからない!」

「わからないんだ?」

 首筋を吸われ、走る刺激。

「んんっ、わかった! だから待てって!」

「私のお願いきいてくれる?」

 込み上げるものを我慢し、何とか頷く。だが魔女は行為を止めず第二、第三ボタンを外してシャツの中に両手を突っ込んできた。手付きから胸の頂きを目指していることがわかり、慌てて声を上げる。

「わかった、わかったから! これから毎日! 唾液か精液をお前に提供する!!」

「嫌々?」

 いや、なん、こいつ……!! う、ううぅっ!

「ほ、本当にそれがお前のためになるのなら、よ……、喜んで……」

「ふうん?」

 手の登頂が止まった。この返しがお気に召したようだ。ほぼ脅しに近いやり方で引き出した言葉に、何故満足できるのか。そんな抗議を飲み込んで魔女に乞う。

「だからもう、それ、やめてくれ……」

 シャツの中、肌を撫でる感覚がどうしてもくすぐったい。血が巡って浅くなりそうな呼吸。祈りながら大きく息を吸って――、吐き出した。願いを聞き入れてくれたのか、魔女はシャツから手を抜き立ち上がる。

「ふふ、しょうがないなぁ。アルトスのえっち」

「ぁ……!」

 悔しい。せっかく気を逸らし続けてきた半身に指を這わされ、声を漏らしてしまった。こんなもの求めてなんかない。抑え込んできた努力をいとも簡単に無駄にされる。

「お前が……! 何で四六時中、こんなこと、ばっかり……!」

「さぁ? なんでだろうね」

「ぁ、んっ……!」

 余韻を残すようにそこを何度か引っかいて、魔女は机の下へ後退っていった。すると拘束が解け身体が自由になる。

「もう、もう! このっ……!」

 頭に血が上り衝動的に魔女を追いかけようとして、ノック音が響いた。

「アルトス様、失礼いたします」

「あ……!」

 視線を下げ慌てる。はだけたシャツのボタンを留め直し、他に不味いものはないか見回しながら椅子を引いた。足先に魔女が当たる感触。適当に開いた本を手に持ち平静を装っていると、視界の端、従者がワゴンと共に入ってきた。

「食後のデザートをお持ちいたしました」

「ありがとう」

 机の前まで来た従者を見上げると、黒瞳が瞬く。

「? アルトス様。少し頬が赤いようですが」

 自覚なしの火照りに内心焦る。嘘をつかず、どう誤魔化すか。素早く持っていた本のタイトルを見、掲げ、努めて笑った。

「少し熱くなりすぎたみたいだ」

「“英雄ミラエウスの冒険譚”ですか」

 微笑みを返す従者に胸の内を溢す。

「らしくないよな。こんなことで感情を乱すなんて」

「いいえ。それがアルトス様の本当のお姿なのだと私は考えます。申し上げますが、貴方様は我慢をしすぎなのです。どうかこのお屋敷の中だけでも、のびのびとお過ごしください」

「のびのびと……」

 その心遣いが辛い。我慢しないといけないんだよ、今は。

「そしてこちらはお誕生日にと用意していたものです」

「あ、イチゴのケーキ……」

 目の前に置かれたのはカットされた生クリームケーキだった。上に乗っているイチゴが艶々と光る理由は、水飴によるコーティングだろう。

「おかわりもございますので、お気軽にお申し付けください」

「多分すぐに追加を頼むと思う」

 年甲斐もなく嬉しくなってしまう。早速赤い宝石にフォークを刺そうと、動きを止めた。

「アルトス様?」

 紅茶のカップを置いた従者が不思議そうに声をかけてくる。それもそうだろう、イチゴを食べてからケーキに手を付けるのが普段の食べ方なのだ。これを口に入れない限り始まらない。でも、今は。

 思考を回す。

「……イーライ、この屋敷に飴なんてあったか?」

「ございます。アルトス様への甘味作りに、いくつかご用意が」

「最近口が寂しくなるんだ。気が向いたときにすぐ食べたいから、小瓶に何種類か用意してくれないか」

「かしこまりました、お持ちいたします」

 紅茶を注ぎ終わって一礼をした従者は、メガネを掛けると書斎を出て行った。十秒ほど数えて。

「おい、早く出てこい」

「はいはーい」

 椅子を後ろに引くと魔女が転がり出てくる。この生活を楽しみ始めたのか。

「口開けて」

「あー」

 膝立ちの魔女に自分が食べるはずだったイチゴを躊躇なく与える。魔女も遠慮なく咀嚼し嬉しそうに飲み込んだ。

「美味しーい!」

「だろうな。……そうしていたら可愛いのに」

 思わず漏れた言葉。

「ふふ、わかってきた? 私の魅力」

「知るか。イーライが来たら教えてくれ」

 ケーキを一口大に切って、与える。その餌付けの間、ふと心によぎる何かを口にしてみた。

「俺、お前とのこういう関係なら別にいいと思っているんだ。お前とのやり取りは滅茶苦茶で理解できないことも多いけど……。俺も貴族や君主貴族に疎まれてきたから、お前と境遇が重なるっていうか。だから、だからもう性的なのは無しにして――」

 俺とくだらない、思い出せば笑ってしまうような話し相手に、友人のような関係に。

「……いや、なんでもない。お前は俺の言うことなんか聞かないもんな」

 あり得ない未来を想像して、自嘲気味に笑う。魔女は何も言わず、黙々とケーキを最後まで食べきった。
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