20 / 23
第三章 天青と藍晶は闇夜に輝く
青の妖魔
しおりを挟む
今日の夜は昨晩よりも暗闇に支配された夜だった。暗灰色の分厚い雲が空を覆い、星はおろか月の光さえも届かない。どこからか湿った風が吹いてきていて、肌をぬるりと撫でていく。このまま行くと雨になりそうだと先ほど酒場にいた男が嘆いていたのを思い出した。
パチパチと松明の燃える音を聞きながら、昨日と同じ道を歩く。今日は用があるから行けなくてごめんね、と言って宿の主人は来なかった。昨日も見送りは門までだったが、それでも一人でいるよりかは幾分心強かった。 明かりがひとつもない真っ暗闇の道を一人で歩くと、心細さに気力が削られていくような気がする。どんどん不安になっていく自分をいさめながら、リリスは昨日と同じ場所にたどり着いた。
「……本当に今日も来るのかしら?」
一抹の不安に駆られたが、今のあてはスノードロップの主人しか居ない。彼が自分に与えてくれた情報が正しいのを祈りながら、リリスは男が現れるのを待った。
昨日と同じようにあたりの空気が変わったのは、ずいぶんとたってからだった。冷たくなり張り詰める空気、ざわざわと不安げに枯れ草を大きく揺らしていく風。ゆらりと大きく揺れて炎をかき消される松明──すべて昨日と同じだったが、リリスはそこに違和感を覚えた。何かが違う。 昨日と同じなのに、どうしてこんなにも違和感があるのだろう。それに気付いたときには、すでにこの空気を変えた人物が湿原の端に現れていた。
「昨日より魔力がかなり大きい……」
あたりに満ちる魔力の大きさは昨日とは比べ物にならないほど大きく、リリスを圧倒する。魔力の正体は同じものなのに、開放する量を変えただけでこんなにも違うなど思いもしなかった。だが違和感の正体はそれだけではない。昨日のようにリリスを萎縮させる威圧感も、自分に近寄るなと言う拒絶も違う。もうひとつ、それらの中にあるものを見つけてリリスは愕然とした。
自分に向けられた途方もない魔力。それは紛れもなく殺気を含んでいた。
「忠告を破った私を殺しに来たの……?」
震える声でたずねる言葉は、リリスから遠く離れている男には届かない。ぬかるみだらけの湿原をまったく苦にせず、闇の中に光る二つの青い瞳は滑るように自分のほうへと向かってくる。だが風に乗って流れてきた言葉に、リリスは目を見開いた。
『──人間が持つにしては分不相応な魔力を持つ娘よ。その魔力、我がいただく』
ねっとりと肌をなでるような声。生理的嫌悪と同時に恐怖心も抱かせるその声は、リリスの記憶にある声とは違っていた。
「あの人じゃない……あなた、誰なの……?!」
「はて『あの人』などというやつのことは知らん。そなたも魔力を持つものの端くれならよく知っているはずだ。我は今、魔法使いの中ではかなり有名人だろう」
くつくつと笑う男は身動きできずにいる間に近くまで来ていた。リリスは近くで男を見て、更なる違いに気付く。 闇に光る瞳は空色ではなかった。たとえるならば、藍晶石と呼ばれる魔石のように透き通った薄い藍色。 その魔石を持つと闇の力に引きずり込まれる──そう魔法使いたちの間では恐れられながらも、力の大きさから手に入れたいと望む者は絶えない魔石だった。
「藍色の瞳? 空色じゃないけど、青い……もしかして、あなたがあの少年を殺した『青の妖魔』なの?!」
「そのとおり。我は魔力を食らう妖魔。瞳が青いことからその名で呼ばれている」
「あの人じゃなかったんだ……!!」
正解とばかりに頷く男の答えに、リリスはなぜか安堵していた。昨日再会した彼が妖魔なのは、たぶん本当なのだろう。それでも先だって少年を殺した『青の妖魔』が彼でなかったことはとても嬉しかった。
「……さて、獲物とこんなに長い時間おしゃべりしたのは初めてだ。久しぶりに人と話せてなかなか楽しかったぞ、娘よ。 もうおしゃべりの時間は終わりだ。我は腹が空いているのでな」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「そなたに選択権はない。ああ、うまそうな魔力の匂いだ」
一方的に会話を切り上げられ、男が自分の魔力を食いに来たと言っていたことを思い出す。そのときにはすでに、男はリリスの近くに来すぎていた。身を翻して逃げ出そうとしたが、あっという間に行く手を阻まれる。片方の手で手早くリリスの手首を掴んだ男は、喉へと手を滑らせた。つーっと愛でるかのように尖った爪でうなじや首筋をなぞられ、ざわりと鳥肌が立つ。
「いや……やめて……!」
狂気を孕んだ藍の目がこちらを見る。抵抗すらも楽しむ男に、リリスは本気で殺されると恐怖した。嗤う男の口腔から鋭利な犬歯がのぞく。生暖かい息が喉元へとかかった。もうだめだ──そう覚悟して目をつぶったとき。
地を引き裂くような轟音と閃光とともに、リリスの体へ衝撃が走った。
パチパチと松明の燃える音を聞きながら、昨日と同じ道を歩く。今日は用があるから行けなくてごめんね、と言って宿の主人は来なかった。昨日も見送りは門までだったが、それでも一人でいるよりかは幾分心強かった。 明かりがひとつもない真っ暗闇の道を一人で歩くと、心細さに気力が削られていくような気がする。どんどん不安になっていく自分をいさめながら、リリスは昨日と同じ場所にたどり着いた。
「……本当に今日も来るのかしら?」
一抹の不安に駆られたが、今のあてはスノードロップの主人しか居ない。彼が自分に与えてくれた情報が正しいのを祈りながら、リリスは男が現れるのを待った。
昨日と同じようにあたりの空気が変わったのは、ずいぶんとたってからだった。冷たくなり張り詰める空気、ざわざわと不安げに枯れ草を大きく揺らしていく風。ゆらりと大きく揺れて炎をかき消される松明──すべて昨日と同じだったが、リリスはそこに違和感を覚えた。何かが違う。 昨日と同じなのに、どうしてこんなにも違和感があるのだろう。それに気付いたときには、すでにこの空気を変えた人物が湿原の端に現れていた。
「昨日より魔力がかなり大きい……」
あたりに満ちる魔力の大きさは昨日とは比べ物にならないほど大きく、リリスを圧倒する。魔力の正体は同じものなのに、開放する量を変えただけでこんなにも違うなど思いもしなかった。だが違和感の正体はそれだけではない。昨日のようにリリスを萎縮させる威圧感も、自分に近寄るなと言う拒絶も違う。もうひとつ、それらの中にあるものを見つけてリリスは愕然とした。
自分に向けられた途方もない魔力。それは紛れもなく殺気を含んでいた。
「忠告を破った私を殺しに来たの……?」
震える声でたずねる言葉は、リリスから遠く離れている男には届かない。ぬかるみだらけの湿原をまったく苦にせず、闇の中に光る二つの青い瞳は滑るように自分のほうへと向かってくる。だが風に乗って流れてきた言葉に、リリスは目を見開いた。
『──人間が持つにしては分不相応な魔力を持つ娘よ。その魔力、我がいただく』
ねっとりと肌をなでるような声。生理的嫌悪と同時に恐怖心も抱かせるその声は、リリスの記憶にある声とは違っていた。
「あの人じゃない……あなた、誰なの……?!」
「はて『あの人』などというやつのことは知らん。そなたも魔力を持つものの端くれならよく知っているはずだ。我は今、魔法使いの中ではかなり有名人だろう」
くつくつと笑う男は身動きできずにいる間に近くまで来ていた。リリスは近くで男を見て、更なる違いに気付く。 闇に光る瞳は空色ではなかった。たとえるならば、藍晶石と呼ばれる魔石のように透き通った薄い藍色。 その魔石を持つと闇の力に引きずり込まれる──そう魔法使いたちの間では恐れられながらも、力の大きさから手に入れたいと望む者は絶えない魔石だった。
「藍色の瞳? 空色じゃないけど、青い……もしかして、あなたがあの少年を殺した『青の妖魔』なの?!」
「そのとおり。我は魔力を食らう妖魔。瞳が青いことからその名で呼ばれている」
「あの人じゃなかったんだ……!!」
正解とばかりに頷く男の答えに、リリスはなぜか安堵していた。昨日再会した彼が妖魔なのは、たぶん本当なのだろう。それでも先だって少年を殺した『青の妖魔』が彼でなかったことはとても嬉しかった。
「……さて、獲物とこんなに長い時間おしゃべりしたのは初めてだ。久しぶりに人と話せてなかなか楽しかったぞ、娘よ。 もうおしゃべりの時間は終わりだ。我は腹が空いているのでな」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「そなたに選択権はない。ああ、うまそうな魔力の匂いだ」
一方的に会話を切り上げられ、男が自分の魔力を食いに来たと言っていたことを思い出す。そのときにはすでに、男はリリスの近くに来すぎていた。身を翻して逃げ出そうとしたが、あっという間に行く手を阻まれる。片方の手で手早くリリスの手首を掴んだ男は、喉へと手を滑らせた。つーっと愛でるかのように尖った爪でうなじや首筋をなぞられ、ざわりと鳥肌が立つ。
「いや……やめて……!」
狂気を孕んだ藍の目がこちらを見る。抵抗すらも楽しむ男に、リリスは本気で殺されると恐怖した。嗤う男の口腔から鋭利な犬歯がのぞく。生暖かい息が喉元へとかかった。もうだめだ──そう覚悟して目をつぶったとき。
地を引き裂くような轟音と閃光とともに、リリスの体へ衝撃が走った。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
どうぞお好きになさってください
みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。
婚約者の第一王子殿下は言った。
「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」
公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。
「好きになさればよろしいわ」
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる