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第一章 さかな

(12) 早百合の自白

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 早百合ちゃんの突然の自白に、思わず身体が固まってしまった。
 最悪な予想を全くしていなかったわけではないけど、いざ本当にそう聞かされると、胸の中の動揺は抑え込められそうになかった。

 そして、そうこうしているうちに、わたしの目の前ではさらに驚くような恐ろしいことが起きた。

 突然、早百合ちゃんの身体から漆黒のもやのようなものがうねうね渦を巻きながら発生し、辺り一面を包み込んでいったのだ。

 目をこすっても、そのもやが取れることはない。
 そんな中、当の本人は全く気付く様子もなく、虚ろな目を遠くに向けながら静かに真相を語り始めた。


「桜良ちゃんが言ったことは、大体合ってる。私はバトンを盗むことで、リレーそのものを中止させたかった。でもね、その理由は少し違うの。
 確かに、今の合唱部は部長派と副部長派に分かれていて、リレー中に副部長派が部長派の誰かを傷つけようとしていた。
 でも私は決して、その傷つけられる誰かさんを助けたかったわけじゃない。むしろ逆。
 このことを利用して、合唱部の存在意義を否定しようとしたの」

 静かな海辺に、早百合ちゃんの低い声がじんじんと響く。
 今まで一度も聞いたことないようなトーンだ。

 まるで言葉を少しずつ絞り出すかのように重苦しい口調で、なおも独白は続く。

「私は高校に入ってから、迷わず合唱部に入部した。今思えばもう少し考えてからでもよかったんだろうけど、どのみち合唱以外に興味ない私に、他の部という選択肢はないも同然だったから。
 でもそれで入った部活は、もう最悪な場所だった。
 まず部員全員にやる気がない。楽譜も読めない。発声もしない。元より練習に来ない。個人の抱負もなければ全体の目標もないから、そもそも部として成り立っていなかったの。
 彼女たちが心から興味あることといったら、おしゃれ、彼氏、そして内輪の対立だけ。それでも最初のうちは、なんとか部をまとめようと頑張ったし、部長にもはっきり意見を言った。だけど部長は、決して悪い人じゃなかったけど行動力が全然なくて、結局何にも変わらなかった。
 そしてそのうち秋になって、私に目をつけた人が現れた。それは副部長だった。彼女は部長に異常なくらい対抗心を持っててさ、いつも物申している私を自分たちの仲間に引き入れようとしたの。
 そして、今度の部活対抗リレーでアンカーをやる部長の一つ前を走って、バトンを渡す時にわざと激しく当たって転ばせろ、って指示してきた。あくまで事故でぶつかったみたいにしろ、ってね」

「……それで、早百合ちゃんは脅されて無理やり実行犯をやらされたんだ。それがイヤだったから、リレー自体を中止にして」

「惜しいけど、違う。別に副部長は、何としても私にそれをさせたかったわけじゃないと思う。私が断固拒否すれば、すぐ諦めて他の適当な子にやらせる感じだったし。
 でも、私はあえて自分からそれに乗っかったの。押し付けられる子が気の毒と思ったのも多少はあるけど、何より前からこんな部活、早く潰れてしまえ、って思ってたし。
 だから副部長の提案に乗っかるふりして、心の中ではリレーを中止にして部に全責任をなすり付けようと考えた」

 だんだんと雄弁になる話し方に呼応するように、周りの靄も色濃くなっていく。
 その闇にただただ圧倒され、わたしは声を絞り出すことさえできなかった。

「で、本番の日。学年対抗リレーが終わったらすぐ備品置き場に行って、バトンの束をこっそり持ち出す。誰も私の方は見てなかったし、仮に見られたとしても、役員の人だと思って気にも留めなかっただろうね。
 バトンの束はしばらく部室棟の近くに隠しておいて、片付けの時間になったらあらかじめ取っておいた副部長の鍵と一緒に部室に置いておく。そして誰かに見つけてもらう。たった、これだけのことなんだ。
 でもこれだけのことがうまくいって、合唱部は一ヶ月の活動禁止の処分が下ったんだよね。呼び出されて先生たちから質問攻めされる部長や副部長たちをドアの外から眺めてたら、なんか凄くせいせいしたなぁ」

 やがてすくっと立ち上がると、わたしに背を向けて早百合ちゃんはボソッと吐き捨てる。

「これで終わり。軽蔑したでしょ。久々に会った幼馴染がこんなイヤな感じになっていてさ。でもね、私は自分が間違ったことをしたなんて思わない。
 私がやりたかったのは、中学の時見たあの合唱なの。心の震えるようなそんなハーモニーを仲間と奏でたかったの。あんな所にいたって自分のやりたいことなんてできっこないし、彼女たちの態度は合唱に対する冒とくだと思う。
 だから私のやったことは正しかった。ね、何も問題ないでしょ?」

 今の早百合ちゃんに、久々に再会した時のおしとやかな雰囲気は最早見る影もなかった。
 そのまま砂浜の方へゆっくりと歩いていく。どんどん、距離は開いていく……。

「もうわかったでしょ。私ってね、実はこんな人間なの。だから桜良ちゃんはもう私なんかに構わなくていい。
 もう昔の頃の自分になんて、戻れないから」

 桟橋の軋む音が痛いほど耳を刺激する。
 去り行く彼女の背中をじっと見つめながら、そこに向けて投げ掛けられる言葉は何にもなかった……。
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