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第五章 さけび
(8) 祝福
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手術室のランプが、真っ赤に点灯している。
その紅色をじっと眺めていると、どうしても目の前がぼやけて滲んでしまう。
あれからどのくらい時間が経ったのか、もうわからない。
演奏の時昂った感情は、既に跡形もなくどこかへと消え去ってしまった。
医学知識も何もない、無力なわたしたちに今できるのは、ただひたすら手を組んで祈ることだけだった。
突然、傍らで梢が泣きながら自分を責め始める。
「……わたし、わたしのせいだ。ミニコンサートをしたい、なんて病院に言わなければ。ロビーで、歌わなければよかったんだ!」
言い終わらないうちに、誰かが彼女の胸倉を掴む。
瞼を拭いて見上げると、椿だった。
「馬鹿か! 梢だけのせいなわけないでしょ。これは、みんなで決めて、みんなで歌った結果じゃん。
だから、そんなふざけたこと、二度と言わないでよ!」
叫びながら、彼女の頬にも涙の線がたくさん伸びていた。
梢は、ごめんなさい、と一言だけ言ってから、へなへなと椅子に座り込む。
その後も、鼻をすする音が至る所から聞こえてきた。
しばらくの間、わたしたちはむせび泣いたり、目を閉じて俯いたりしていた。
やっていることは全員バラバラだけど、両手を固く組んだポーズだけは、みな一緒だった。
わたしも強く手に力を込めながら、ナナ様に向けて祈りをこめる。
さっきまで確かにいた彼女は、気づいたらいなくなっていた。
ねえ、こんな時に、一体どこにいるの。
どうかお願いだから、お母さんを、赤ちゃんを、助けてあげて。
突如あの赤いランプが消えた。
みんなの視線が、一斉に無機質なドアに集まる。
その刹那、ドアは両側一杯に開かれた。
そして、中から勢いよく飛び込んできたのは、まるで聞く人の心臓に直接何かを訴えかけるような、叫びにも似た元気な赤ちゃんの泣き声だった。
先程からドアの周りをせわしなく動き回っていた男性が、泣きそうになりながら急いで中へと入っていく。
きっと、その子のお父さんに違いない。
やがて、お医者さんが廊下に出て、わたしたちを見るなり無言で首を縦に振った。
無我夢中で、わたしはみんなと手を合わせた。
数日後。
午前中に珍しく梢からの招集で病院に集まったわたしたちは、そのまま二階のとある病室に入った。
そこには、あの女性がベッドに横になって休んでいた。
その傍らでは赤ちゃんがすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
それを見て思わず「かわいい!」と叫びそうになったものの、その子が起きたら大変なので、小声でお母さんに挨拶した。
その人はわたしたちに気づいて身体を少し起こすと、笑顔で手を振ってくれた。
後から聞いた話では、生まれてきた子は女の子で、突然の出産だったために最初は命が危ぶまれたものの、手術は無事成功し、今や母子共に健康だそうだ。
まずはそのことに改めて一安心する。
ここで後ろから早百合が謝り始めた。
「すみません。きっと私たちの演奏のせいですよね。こんな危険なことになってしまったのは」
その言葉を聞いて、思わず全員が黙り込んでしまう。
しかし、意外にも女性はすぐ笑い飛ばしてくれた。
「……えー、どうして? そんなわけないじゃない。この子が生まれるタイミングは、神様だけが決められるのよ。絶対に、貴女たちが気に病むことなんてないんだからね。
それに、むしろ貴女たちには感謝しているくらいなの。この子が生まれる前に、私は素晴らしい演奏を聴くことができた。それも、とびきり心がワクワクするような、そんな歌声をね。きっとこの子も、お腹の中で同じように思ったはずよ。
今私はね、強く実感しているの。この子は、島の神様に守られて生まれてきてくれた。そして貴女たちの音楽に祝福されて、こうして生きているって。だから、この子はきっと、これから何十年先もずっと幸せでいることができる。
これも全て、貴女たちのおかげよ。本当にありがとね」
そう言って、彼女は目を閉じたままの赤ちゃんの手に、そっと触れる。
小さな掌が、ゆっくりと人差し指を包み込んだ。
わたしは、溢れてくる涙を抑えられないまま尋ねた。
「名前は、もう決めているんですか?」
女性は優しい表情でみんなの顔を見回すと、小さな声でそっと囁いた。
「さっき主人と決めたんだけど、みのり。幸せに祝うで『幸祝』っていうの。いい名前でしょ?」
女性はとても嬉しそうにニコッとはにかんだ。
彼女がその名前を口にした瞬間、隣の赤ちゃんが一瞬だけ笑ったような気がした。
今は相変わらず気持ちよさそうに寝ているから、きっと見間違いだろうけど、強引にでもそう思うようにした。
だって、こんなに素晴らしい名前を付けてもらえたこの子が、嬉しくないわけなんて、きっとないだろうから。
その紅色をじっと眺めていると、どうしても目の前がぼやけて滲んでしまう。
あれからどのくらい時間が経ったのか、もうわからない。
演奏の時昂った感情は、既に跡形もなくどこかへと消え去ってしまった。
医学知識も何もない、無力なわたしたちに今できるのは、ただひたすら手を組んで祈ることだけだった。
突然、傍らで梢が泣きながら自分を責め始める。
「……わたし、わたしのせいだ。ミニコンサートをしたい、なんて病院に言わなければ。ロビーで、歌わなければよかったんだ!」
言い終わらないうちに、誰かが彼女の胸倉を掴む。
瞼を拭いて見上げると、椿だった。
「馬鹿か! 梢だけのせいなわけないでしょ。これは、みんなで決めて、みんなで歌った結果じゃん。
だから、そんなふざけたこと、二度と言わないでよ!」
叫びながら、彼女の頬にも涙の線がたくさん伸びていた。
梢は、ごめんなさい、と一言だけ言ってから、へなへなと椅子に座り込む。
その後も、鼻をすする音が至る所から聞こえてきた。
しばらくの間、わたしたちはむせび泣いたり、目を閉じて俯いたりしていた。
やっていることは全員バラバラだけど、両手を固く組んだポーズだけは、みな一緒だった。
わたしも強く手に力を込めながら、ナナ様に向けて祈りをこめる。
さっきまで確かにいた彼女は、気づいたらいなくなっていた。
ねえ、こんな時に、一体どこにいるの。
どうかお願いだから、お母さんを、赤ちゃんを、助けてあげて。
突如あの赤いランプが消えた。
みんなの視線が、一斉に無機質なドアに集まる。
その刹那、ドアは両側一杯に開かれた。
そして、中から勢いよく飛び込んできたのは、まるで聞く人の心臓に直接何かを訴えかけるような、叫びにも似た元気な赤ちゃんの泣き声だった。
先程からドアの周りをせわしなく動き回っていた男性が、泣きそうになりながら急いで中へと入っていく。
きっと、その子のお父さんに違いない。
やがて、お医者さんが廊下に出て、わたしたちを見るなり無言で首を縦に振った。
無我夢中で、わたしはみんなと手を合わせた。
数日後。
午前中に珍しく梢からの招集で病院に集まったわたしたちは、そのまま二階のとある病室に入った。
そこには、あの女性がベッドに横になって休んでいた。
その傍らでは赤ちゃんがすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
それを見て思わず「かわいい!」と叫びそうになったものの、その子が起きたら大変なので、小声でお母さんに挨拶した。
その人はわたしたちに気づいて身体を少し起こすと、笑顔で手を振ってくれた。
後から聞いた話では、生まれてきた子は女の子で、突然の出産だったために最初は命が危ぶまれたものの、手術は無事成功し、今や母子共に健康だそうだ。
まずはそのことに改めて一安心する。
ここで後ろから早百合が謝り始めた。
「すみません。きっと私たちの演奏のせいですよね。こんな危険なことになってしまったのは」
その言葉を聞いて、思わず全員が黙り込んでしまう。
しかし、意外にも女性はすぐ笑い飛ばしてくれた。
「……えー、どうして? そんなわけないじゃない。この子が生まれるタイミングは、神様だけが決められるのよ。絶対に、貴女たちが気に病むことなんてないんだからね。
それに、むしろ貴女たちには感謝しているくらいなの。この子が生まれる前に、私は素晴らしい演奏を聴くことができた。それも、とびきり心がワクワクするような、そんな歌声をね。きっとこの子も、お腹の中で同じように思ったはずよ。
今私はね、強く実感しているの。この子は、島の神様に守られて生まれてきてくれた。そして貴女たちの音楽に祝福されて、こうして生きているって。だから、この子はきっと、これから何十年先もずっと幸せでいることができる。
これも全て、貴女たちのおかげよ。本当にありがとね」
そう言って、彼女は目を閉じたままの赤ちゃんの手に、そっと触れる。
小さな掌が、ゆっくりと人差し指を包み込んだ。
わたしは、溢れてくる涙を抑えられないまま尋ねた。
「名前は、もう決めているんですか?」
女性は優しい表情でみんなの顔を見回すと、小さな声でそっと囁いた。
「さっき主人と決めたんだけど、みのり。幸せに祝うで『幸祝』っていうの。いい名前でしょ?」
女性はとても嬉しそうにニコッとはにかんだ。
彼女がその名前を口にした瞬間、隣の赤ちゃんが一瞬だけ笑ったような気がした。
今は相変わらず気持ちよさそうに寝ているから、きっと見間違いだろうけど、強引にでもそう思うようにした。
だって、こんなに素晴らしい名前を付けてもらえたこの子が、嬉しくないわけなんて、きっとないだろうから。
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