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第五章 さけび

(終) 『ブレス』

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 事前に全員で話し合って決まったこの名前は、ここ一か月の間に思ったことや感じたことをたくさん詰め込んだものになっている。
 少しずつ前に踏み出しながら、わたしはそれらを瞬時に振り返った。

 最初に菫さんと会った時、彼女から、音が合ってない、と厳しく指摘された。
 確かに、音がずれているアカペラバンドなんて酷いものだろう。

 だから、まずはみんなで何かを成し遂げるという課題を貰い、椿の神社にてみんなで奉仕活動を行った。
 そこで偶然出会った妊婦さんとの縁で、病院でのミニコンサートもやった。

 その後、思わぬことに出産の現場にも立ち会った。
 生まれてきた赤ちゃんは本当に可愛かったし、お母さんに見つめられて、とても幸せそうだな、と思った。

 思えばたった一月の間に、本当に色々なことがあった。
 そのどれもがわたしたちにとって貴重な財産になり、結果として、一致団結して息を合わせることができた。

 だから、そうした経験の集積を、一つの単語に込めて口に出す。
 それを聞くなり、菫さんはそのまま聞き返した。


「……ブレス?」


 わたしは菫さんの瞳をじっと見据えると、堂々とその理由を説明した。

「この一か月間を通して、みんなで色々なことと向き合って、そして考えてきました。
 まずは、アカペラを始める上で一番基本となる、『息を揃える』こと。こんな当たり前のことが、わたしたちはあまりできてなかった。だから、神社の掃除をしたりして、一緒に何かすることの大切さを学びました。
 当然だけど、アカペラは一人ではできない。みんなで息を揃えて、一つの音楽を紡いでいくことが何より大事。そのことを絶対に忘れないように、息や、息継ぎを意味する『Breath』をはじめに考えました」

「……ふーん」

「そして、この言葉に似た音で、別の意味の言葉があります。それは、祝福の『Bless』です。
 病院でミニコンサートをした後、一人の赤ちゃんが生まれて、その子のお母さんが言ってくれたんです。『貴女たちの音楽に祝福されて、こうして生きていてくれてる』って。
 考えてみれば、凄いことだと思うんです。わたしたちの演奏で、一人のこれから生きていく女の子を精一杯祝福できるって。今までは何となくだったけど、こんな風に言ってもらって、ここにいる全員に歌う理由ができました。
 もっと、聴いている人を幸せにしたい。祝福の音楽を、これから届けたい。そう強く実感しました。だから、そうした意味もこの名前に込めてみました」

 菫さんは、わたしの言葉をゆっくりと噛み締めるように聞いている。
 そして最後に一言、「ソゥ、クール!」と叫んで、バンドの名前を絶賛してくれた。

 それに合わせて、みんなも安心したように口々に喋り始めた。



 しばらくみんなで喜んでいると、菫さんが、「でも、これってどう書くの?」と素朴な疑問をぶつけてきた。

 そこまでは考えていなかったので、わたしはメモ帳から一枚紙をちぎると、「Breath」と「Bless」の二つをさらさらと記す。
 そして、早百合がペンをさっと取った。

「取りあえず、合わせてみよっか」

 二つの単語の下に「Bleth」という文字列が記される。

 それから何も案が出ないでいると、菫さんが「やっぱり、コンテストに出るなら、インパクトって大事だと思うの」と言い始め、全ての言葉に上からバツ印を付ける。
 そして、一番下に新しくある文字列を書き加えた。

「ちょっと、イタくないですか?」 と、椿が首をかしげながら呟く横で、
「……いい、凄くいいぞ」 と、野薔薇が目を光らせながら感動していたのが個人的に面白かった。


 結局それ以外は何も意見が出ず、菫さんと野薔薇によって半ば強引にグループ名の表記が決められた。

 いい感じに落ち着いてほっとできたのやら、果たしてこれで本当によかったのやら、よくわからない感情のままで苦笑いを浮かべていると、突如部屋中に高らかな叫び声が響いた。

「よーし、貴女たち! やっとグループ名も決まったことだし、これから合宿をするわよ!」

「……は?」

 その宣言を、みんなただ唖然とした顔で聞いている。
 もちろん、わたしだってそうだ。

 全員が戸惑っていることもつゆ知らず、菫さんは声のトーンを一切落とすことなく言った。

「私、幸運なことに、しばらくの間お休みをとっているの。だから、一週間くらいなら面倒を見られるわよ。
 折角の機会なんだから、ビシバシいくわ。みんな、覚悟してなさい!」

「あのー、お姉ちゃん。そもそも、どこでやるの?」

 早百合の問い掛けにも、全く問題ないと言わんばかりに大げさに手を振って返す菫さん。

「もちろん、ここでよ。いい所使ってるじゃない。さっきお手洗いに行ったついでに管理人さんに会ったから、一週間連続で貸して欲しい、って頼んだの。そしたら、成人の保護者が同伴することと、後日それぞれの学校に報告することを条件に、快くOKしてくれたわ。
 だから、私がいれば問題なし、ってね」

 さっき少しだけいなくなっていた何分かの間に、そんな大事なことを決めていたとは。
 最早何も言えなくなったわたしたちを、菫さんは声を上げて急かし始める。

「ほらほら。そうと決まれば、善は急げ。さっさと家に帰って準備して。二時間後には集合だからね。全員揃ったらまずはトレーニングよ。歌の基本は体幹作りから。さあ、走った走った」

 ぶつくさ言うみんなをせっせと追い立てる菫さん。
 わたしはヤレヤレといった具合にため息をつきながら、床に置きっ放しにしていたメモ紙を手に取った。

 その中には、バッテンがついた単語たちの下に混じって、大きな丸で囲まれた『Bleθ』(ブレス)という文字列が記されている。

 その紙を畳んでそっとポーチにしまうと、みんなの後を追ってわたしも部屋を離れた。


第五章 さけび   終

第六章につづく…



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Shooterです。
第五章までお読みいただきありがとうございました!
菫さんからの厳しい課題を乗り越え、アカペラグループとして成長し、
さらには『Bleθ』(ブレス)というグループ名まで決まりました。
順風満帆に見えた六人の活動ですが、次章では最大のピンチが襲いかかり……?
後半戦も、最後まで是非お楽しみください!
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