聖女と呼ばれた嫌われ令嬢

笹マル驚地

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10.食事と制約

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 マリスは琥珀色のスープを口に運びながら、はたしてこの小さな幸せを守るためにどれほどの人間の不幸を捧げれば割に合うだろうかと考えていた。カリオスとアメリーの二人でほんの少し天秤が動けば御の字、ヴィスキーを入れてもはたして動くかどうか、それくらいにマリスにとってこの平和は価値ある重いものだった。

 マリスはこの場にいる誰よりもフェルリード家でなく貴族たちについても知識を有している。誰が何家の人間で、誰が誰の家と特別癒着しているか、そういった後ろ汚い事情をよく理解しているからこそ、特別彼らの不幸を強く願っている自覚があった。シオンはきっと喜びも悲しみもしないし、そも興味の欠片も無いのだろうが、彼らは十分に彼女を土台に作り上げた虚像の栄華を堪能したように思う。であれば、そろそろ身の程を知るべきだろうという親切心がマリスの心には燻っていた。

 誰にも許されず、地位にしがみ付いて、精々醜く終わってしまえば、あるいは微々たるものでもシオンの心も動いてくれるかもしれないと、諦め交じりの希望を捨てられなかった。

 そも、どうして貴族間の知識があるのかと言えば、マリスは彼ら浅ましき血筋の人間だからである。
 クロウサージュという王族に媚びへつらって地位を得た家に生まれ落ちたマリスは、生憎と彼の家自体は二年ほど前に地位を失い王宮への立ち入りなどできなくなっていた。これからあっという間に今まで通りの平穏を保てなくなるだろう荒波に吞まれないで済んだのは悪運だろうか。まこと、腹立たしいことである。

「そういえば、今更なんだけど」

 焼かれた肉に齧りつき頬を緩めていたビスティが顔を上げて口を開いたのに、マリスはハッと意識を取り戻す。
 気付けば自分のために用意されたスープは綺麗さっぱり無くなっていて、自分の許容量がそこまで多くない腹が僅かに暖かいことを自覚した。スープだけでこれだけ腹が膨れるのだから、その低燃費ぶりにはほとほと感謝するばかりである。ちなみに、少しでも食べられる量を増やすようにと、スープのほかに小ぶりなオムライスも用意されているため、マリスは気怠げに手を伸ばすのだった。

「此処追い出されたりしないよな?」

 カチャ、と手に持っていたスプーンを取り落としたのはマリスだけではなかった。エスタは食器につく前にその動体視力と反射神経に物を言わせて音を立てることこそ阻止していたが、その顔は虚をつかれたような顔をしている。

「話を聞いていなかったのですか?」
「し、仕方ないだろ皆わけわかんないことばっか言ってたんだから……」

 リネの咎めているわけでもないあくまでも確認しているような声に、ビスティは居心地悪そうに尻尾を下げる。その声の震えをどう思ったのか、シオンは優しく微笑みながら言った。

「リネは責めているわけではないですよ。当時はビスティも色々勉強中でしたから、分からなくても仕方ありません」
「アルメも詳しくは分かっていません。恥ずかしがることはありません」
「う、お、おう……」

 見かねたのか、アルメもデザートを飲み込んでから慰めるように言って隣に座るビスティの背を撫でた。恥じらいが無いわけではないビスティはアルメに対し赤くなった顔を複雑そうに歪めながらも、リネが心なしか申し訳なさそうにしているのに気付いて慌てたようにふるふると首を振った。いやでも理解できてない俺にも問題はあるし、リネは何も悪くないし、アルメが悪いわけではないんだけど、と言えば言うほど、場は不可思議な気まずさが生まれるようだった。

「シオン様が一緒に居てくれるってことしか分かってなくて……」
「ハハッ!」

 そうしてどうしようもなくなったビスティが押し殺すような声で漏らした言葉に、ただ黙って食事を取っていたジーヌはたまらなくなってしまったようにビスティの頭を撫で回す。やめろ~! というビスティの声ががくがくと震えていて、シオンは笑っていた。

 マリスは食器に落としてしまったスプーンを拾って、ジーヌとリネに叱られないのをラッキーと感じながら、取り敢えずどう伝えたものかと頭を動かしながら口を開くことにした。

「元々、アメリーがシオン様の立場を追いやったのは、幼馴染である自分こそカリオスのそばに相応しいと考えたからだ。見慣れない、奇跡としか言いようのない力をシオン様が持ってるとなると、たとえシオン様が、あーくそ、蔑まれていても、相応の地位に据えざるをえなくなるでしょ」
「ん、んん……」
「私は気にしていませんから、続けてください」

 そもそも食事の場でするような話では。エスタの苦言を、シオンは何事も無いように「どうしてです?」と返す。彼女にとって、ビスティが少しでも不安に思っていることがあるのであればそれを晴らすのはいつであっても良いことだろうという考えがあった。それは別にビスティに限らず、この場にいる誰においても同じ事を考え、同じことをするだろうと思えた。

 シオンが言うのであればと、エスタは黙って食事を続ける。ジーヌは辛気臭い雰囲気で食べる飯など断固として許せない男ではあったが、そのジーヌが何も言ってこない内は自分が口を出すことでもないと判断したのだろう。

「シオン様の力を自分にあるものだとアメリーは嘘を吐いて、聖女としてカリオスと結婚を控えていた。神よ! なんて大げさに祈るもんだから、神官どもも神の愛し子だと崇めているような現状で、実は偽物で本物が居ましたがその本物はつい最近出て行ったので所在地は分かりませんなんて、間違っても言えないわけだ」
「うん」
「だから、どんだけ厄ネタでも所在地が分かる以上離宮にこもってもらえる方が向こうも色々とやりやすい。神官どもは特に信神深い連中の集まりだから、アメリーが長らく神の名を使い騙していたこと、そんな女を聖女と讃えていたなんて言いたくないだろうし。今頃必死に、シオンの存在を隠しながらどうにかできないかと慌てているんじゃない?」
「じゃあ俺たちは此処にいられる?」
「下手な情報漏洩を怖がって、要監視扱いにはなりそうだけどね」

 そのくらい、今の俺たちはこわ~い存在だってこと。だから安心して此処にいられるわけよ。
 実際は自分たちと、この国どころか他国でも活動しているほど力のある神官たちがさぞ怖いわけだが、神官たちのことを全く知らないビスティに深く説明することではなかった。神様というのがいてね、という部分から始めなければならない説明など彼も聞きたくないだろうから。

 ビスティは途中途中首を傾げながらも、以前よりは内容を理解できたようで、

「要監視って、誰かに見られるってことか。気持ち悪いな」

と心の底から嫌そうにこぼした。特に人の気配に敏感にならざるをえない獣人であるので、そのげんなり具合には同情を抱く。
 そんなビスティを慰めるように、シオンは小さいながらはっきりとした声で言うのだった。

「それでも、私たちには一切の関係が無いものです」

 監視がつこうがつきまいが、彼女にとってすべてがどうでも良いこと。聖女が偽物であったことを隠すのならばそんな手段があるのであれば好きにすれば良いし、そうやってアメリーたちが幸せに生きていくのであればそれはそれで構わない。煩わしいと使用人たちが思うのであればそれは申し訳がないけれど、それも半年間のことだ。

「責務を放棄した以上離宮の敷地から出るなという制約にこそ従いますが、貴方たちは今までと変わらず自由に過ごしてください。しかし、分かっているとは思いますがくれぐれも聖女のことは口外せぬように」

 幾分か感情の抜けた言葉に各々が色々な感情を込めながらも「はい」と返す。正直なところ、彼らも監視についてはそこまで重要視してはいなかった。彼女が関係が無いと言う以上それ以上でも以下でもなく、不快感はあれど彼女と共に過ごせるのであればどうでも良い第三者など気にするだけ損というものである。

 ビスティが小さく「ごめんな変な話して」と謝罪したことでこれ以上その話題は続くことなく、また日常らしい食卓へと戻っていくのを、マリスは一人何も言わぬまま眺めていた。とうに食べ終わっているシオンとマリスがこうして彼らの終わりを待つのは、ルールでもなんでもなくただそうしていたいからそうしているだけだ。
 元々食べるものを食べたら即座に自室に戻るか自分のしたいことをしようと席を立っていたマリスがこんなにも丸くなったのも、彼らと過ごした時間のおかげだ。それを幸せに思えるのも。

 アルメは一口が小さく嚥下までに時間がかかる割に食事量が多く、リネはそもそもシオン第一に食事の手伝いを欠かさないために皆よりも数倍時間がかかってしまう。たまに他の従者が自分がやると名乗りを上げても、彼女はなかなかその立場を譲ろうとはしなかった。シオンも幾らかは自分一人でできるようになったとはいえ、見えない食事を綺麗に摂ろうというのは少し難しいのだった。

 順々に、ジーヌ、エスタ、ビスティ、リネ、アルメと食事が終わっていくのを、誰も急かさず急かされず。個人が食べきれなかったものを他の者が食べたりなどして、今日の分の食事も無事全て無くなったと肩を下ろしたのはビスティだ。食事が余るのはどうしても苦手なのだ。

「……ん、お腹いっぱい、です。アルメはケーキがとても美味しかったと思います」
「俺が三日三晩考えたレシピだ、当たり前だろ?」

 それが、本日の昼食の終わりの合図だった。
 アルメが手を合わせて、ごちそうさまでしたと鈴のような可愛らしい声で告げる。それを聞いた皆も手を合わせて同じように。ついでのように、やれ何が美味かっただの、これが好きだっただの、やいやいと言い合いながら席を立っていく。同じように席を立とうとしたシオンの手を当たり前のように取ったのはエスタで、若干棘のある瞳をリネに向けながら唇を尖らせていた。リネは呆れたように肩をすくめただけだった。

「今日は食器誰が洗うんだっけ」
「俺とマリスだよ。そうだよな?」
「あぁ、うん……ま、流石にサボったりしないよ。安心しなって」
「今当たり前のように出て行こうとしただろ」

 刺々しく指摘してくるジーヌの瞳に笑みを返しながら、マリスは食堂を後にしようとするシオンに慌てて駆け寄る。

「これから、自室で休むんですよね」
「そうですね。少しの間休んだ後は、庭先でアルメと花に水をやる約束をしていますよ」
「なんだ、お付きは俺が居るから要らないぞ」
「んー、いや、そうじゃなくて」

 マリスはちょっとだけ言葉に躊躇った。言って良かろうかという気持ちと、この言い方で良いんだろうかという考えが拭えない。けれど足止めがしたいわけでもない。がりがりと後頭部を搔きながら、マリスは努めてへらりと笑うのだった。

「嫌な奴の相手はさ、俺らがやるから。本当に何も気にしないで、休んでくださいね」

 もう嫌で怖い思い、しませんからね。それは口に出せなかったけれど、祈りにも似たマリスの言葉をどう受け取ったのだか、黒き聖女は白濁色の瞳を優しく細めて、マリスに微笑んでくれた。言葉は無かったが、マリスにはそれだけで十分だった。
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