ここはチルアウトゾーン

闇河白夜

文字の大きさ
18 / 21

十七、走馬灯

しおりを挟む
 母親になる、などと、全くバカなことを言ったもんだ。息子に気に入られようと肉体改造する母親なんぞいるかっ。

 桃香はさんざん走ったあと後ろを振りむいたが、閑古鳥が鳴く街路に、数枚の黄色い落ち葉が風でひらひら舞っているだけだった。ハイヒールなら捕まえてもらえたろうが、パンプスだったので、まけてしまった。足が以前の数倍も長いのに、かまわず全力疾走したせいもある。この体になる前は、その体型のせいで、疾走は習慣だった。どこへ行くにも、つい小走りになっていた。運動会が大きらいだったことを思いだした。

 一樹は、たんに追ってこれなかっただけだが、桃香は振りむいて待っても、いつまでも来ないので、追ってくれなかったように思えて、悲しかった。そしてイライラしてきた。
 ドラッグストアの魔法使いの店員は、二十四時間で魔法が切れて元どおりになると言い、飲めばまたこの体になれるという薬のビンをくれた。この姿をもし気に入られたら、効き目が切れそうになるたびにそれを飲んで持たせようと思ったのだが、とんだ誤算だった。
 ポケットから取り出して、いまいましく見つめる。
(こんなもん、もういらんわ!)
 投げたろうかと思ったが、やめた。そんな元気はない。

 またポケットにしまうと、とぼとぼあてもなく歩きだした。ホテルにはガキの姿でなきゃ戻りたくない。これをまた見られるのはいやだ。
 疲れて、路肩にあった低い塀に腰をおろす。汚れても、どうでもよかった。一樹が気に入らない自分なんて。

 しかし事前に「あなたがグラマー好きだったら、魔法でそうしてもらうから」などと相談できたはずもないから、こうなったのはしかたのないことだ。いや、しかたなくないな。この胸もお尻も顔も、みんな一樹をうたがって、ためそうとした結果だから。
「私のこと、ほんとうに好きなの? 仕事と私と、どっちが大事なの?」みたいなセリフが、ドラマやマンガで出てくるたび、うっとおしい女だと思っていたが、今は、そうやって男を責めたくなる気持ちが痛いほど分かる。


 一樹は、たぐいまれな容姿と経験をしているが、中身はいたってふつうの男だ。女心に対して、じつに鈍感である。お互いに好き好き言いあって、キスやエロいことさえしていれば、それでオッケーだと思っている、たぶん。もしほんとうに好きなのかと聞いたら、ドラマの男のように、「もちろんだ。俺を信じろ」と笑うだけで、こっちがどんなに不安で心細いかを、考えもしないだろう。
 しかし、あれだけの悲惨な過去を積んで、人生について悩みぬいてきた人間なら、もう少し相手の気持ちに気づく繊細さがあってもいいんじゃなかろうか。

 いや、これは性別のちがいだろう。求めるほうは自分の欲望についてゆるぎないが、求められるほうは、いつ相手の気が変わって捨てられるか、という恐怖につねにおびえなくてはならない。
 そう思うと、自然に口がとがった。
(なんで、こっちがこうも損しなきゃいけないんだ)
 だんだん、めんどくさくなってきた。もういいや。こんな異世界にいるからって、一人で生きていけないわけじゃなし、別れたって。生活なら、いろんな町で英雄やれば食えるし、私にだって出来るもん。

 考えたら、よくもまぁ、あんなめんどくさい男の母親になろう、なんて思ったもんだ。そういえば、一樹は最初からめんどくさかった。そりゃ虐待されてきたんだから人間不信や対人恐怖もしかたないが、なかなか心をひらいてくれず、捕獲した野生動物のえさの量を少しずつ増やしてやっと信用を得るがごとく、ちょっと甘えさせるのにもひと苦労だった。この世界がこうも快適じゃなかったら、果たしてこんなに上手く彼を「落とせた」か、疑問だ。もしも悲惨な環境だったら……いや、そのほうがむしろ依存しあうから、くっつくのも早かったか。
(しかし、だな……)
 桃香は顔をあげ、夕日に赤くそまる雲の海を、ぼうっとながめた。
 私、ほんとうに一樹のことが、好きだったんだろうか。

 さいしょは離れられないから一緒にいただけで、ぐちや泣き言も聞いてやって。そのうちにあいつが英雄になったのをいいことに、そのままずるずる――。
 そりゃ、財布をとったのは悪いよ。
(あれ、なんで私、財布なんかとったんだろ……)

 そういえば、あの財布は、どこにやったんだっけ。身につけてないし、たぶんカバンに入れっぱなしか、もうなくして、どこにもないか――。

 いきなり涙がぶわっと出て、とまらなくなった。胸がはり裂けんばかりに痛くて熱くなり、一樹の顔が、特に笑顔ばかりが頭の中をぐるぐるした。
 一樹といた多くの時間。ストレートタウンで、クリーヤで、ジャポンで、そして、ここエスクリックで。初めは、なさけなくて、たよりなくて、泣いてばっかで、赤子をあやすような思いで彼を抱いていたが、時を経るにつれて、どんどんたくましく強くなっていった。気づけば、ふつうの草食系男子くらいの力と存在感を持って、隣に立っていた。そんな記憶が、次々に走馬灯のようによみがえった。
(私、しあわせだったよね……)
 ふと、口もとがゆるんだ。
 鉛のように重く苦しかった胸が、一気に軽くなるのを感じた。

「走馬灯なんて」
 立ち上がり、スカートをはたく。
「まだまだ、何十年も生きるのにね」
 そうだ、そんなもん見てちゃいけない。一樹が待ってる。行こう。

 だが、歩き出そうとした背に、とつぜんドス低い男の声が掛かった。
「いいや、あんたはもう、死ぬんだよ」
 とたん頭に衝撃を受け、すべてが闇になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

処理中です...