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 帰宅してからも、咲子の頭からは猫のことが離れなかった。あのガリガリの体からして、なかなか餌にありつけないのだろう。参拝客からもらう機会は、ないのだろうか。
(野良猫に餌やりしてるとこ見られたら、うるさく言われるんやろか)
 確かに、無責任な餌やりは問題だ、と聞いたこともある。でもそれでは、猫があまりにかわいそうだ。
(猫かて、生き物なんやで……)
 咲子は思わず、台所に駆け込むと、冷蔵庫を開けた。ちくわが少し余っている。咲子は、それをタッパーに詰めると、家を出た。
(自分で決めた夕方の参拝に行くだけ、それだけや。でも、もしまたあの猫がおったら……)
 また会いたいという期待と、餌をやっているのを見とがめられたらどうしよう、という思いが交錯する。複雑な心境で神社を訪れた咲子は、まず境内をぐるっと見回した。猫の姿は、見当たらない。
(猫って、夜行性やなかったっけ。あ、ほんならよそをうろうろしてんのか?)
 気もそぞろに手を合わせ、境内を後にする。その時、カサ、と小さな音が聞こえた。
 咲子は、パッと後ろを振り向いた。すると、大木の陰から、あの猫が顔をのぞかせているではないか。じっと、咲子の方を見つめている。
(また会えた……)
 何やら、運命すら感じる。咲子は、きょろきょろと周囲を見回した。幸い朝同様、人っ子一人いない。ちくわをやるなら、今がチャンスだった。とはいえ、近くへ行けばまた逃げられるかもしれない。咲子は、猫の動向に注意しながら、素早くタッパーを開けた。届け、と祈りを込めて、猫に向かってちくわを放り投げる。すると猫は、すごい勢いで走って逃げた。数メートル先離れた所から、じっとちくわを見つめている。
 ああ、と咲子はため息をついた。攻撃しているのではない、ただ食事をやりたいだけなのに。猫の警戒ぶりには、悲しいものがあった。
(どうしよう。ちくわ、放置するわけにはいかんわな。持って帰らんと……)
 だが、近づけばまた猫を怯えさせるのではないか。逡巡していると、猫に動きが見えた。おそるおそるといった様子で、徐々にちくわへ近づいていく。
(食べてくれるか……?)
 お願いや、と咲子は心の中で懇願した。猫は、ついにちくわの傍までやって来ると、それをくわえた。咲子は、思わず胸をなで下ろした。だがそれも束の間で、猫は次の瞬間、目にも止まらぬ速さでどこかへ走り去ってしまった。
(この場では、食べてくれへんのか)
 やや落胆したものの、取りあえずは餌を与えられたことに、咲子は安堵した。同時に、咲子は決めていた。明日は、もっと良いものを持ってきてやろう、と。

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