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第三章 危機

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 結局その日、客はほとんど訪れなかった。早番のミカが先に帰った後、真凜は黙々と後片付けをした。大量に売れ残った商品を廃棄するのは気が引けるが、店のルール上いたしかたない。
『マリン、お疲れ様』
 エヴァがやって来た。手には箱を持っている。
『よかったら、持って帰らない? 打ち合わせ用に作った試作品よ』
 エヴァは、疲れたような笑みを浮かべた。ああは言っていたが、やはり中傷がこたえているのだろう。真凜は思わず言った。
『あの、僕にできることはありませんか?』
『ありがとう、大丈夫よ。サイトに抗議文は送ったし……』
 そこでエヴァは、ふと言葉を切った。視線は、店の外に向いている。振り返って、真凜は驚いた。麻生が立っていたのだ。
『遅くに申し訳ありません』
 店に入って来ると、麻生はエヴァに向かって頭を下げた。
『そして、今日のキャンセルについても……。実は、その件でお話があります。今から少しだけ、お時間いただけませんか』
『ええ、構わないわ』
 うなずいた後、エヴァは真凜をチラと見た。
『マリンはどうする?』
 同席させてください、と真凜は即座に答えた。
 控え室で三人になると、麻生はもう一度頭を下げた。
『本日は、約束を守れず本当に申し訳ございませんでした。実は、社の方でトラブルがありました。『ドン・ラヴニール』に関する情報サイトの投稿が、問題になったんです。率直に申して、上の者は『中世ヨーロッパ展』への出店を取り止める意向です』
 真凜は息をのんだ。ミカの予想が当たっていたとは。
『でも、僕はそれには反対です』
 麻生は、きっぱりと告げた。 
『僕が無理を申し上げて出店していただいた、ということもありますが。エヴァさんの作られるお菓子ほど、中世ヨーロッパのイメージにマッチするものは他にありません。ですから、どうしても出店していただきたいんです。他のお店ではダメなんです』
 エヴァは、無言で聞いていた。
『口コミは、悪質な嫌がらせです。風評被害を打ち消し、本来の評判を取り戻せるよう、僕が対処します。その議論を上司としていたため、本日約束に伺えなかったんです。……エヴァさん、いかがでしょう。引き続きご協力くださるおつもりは、ありますか?』
 エヴァはしばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。
『当たり前じゃない』
『エヴァさん……!』
 真凜と麻生は、同時に叫んでいた。
『そうしていただかないと、困るわよ。このエクスポジシォンの準備に、どれだけ時間を費やしたと思っているの? その間に、店に並べる新作を何種類作れたと思っているのよ? 是非とも、私のお菓子でエクスポジシォンを締めくくっていただかないとね』
 そう言うとエヴァは、身軽に立ち上がった。
『間に合ってよかったわ。出来たてではないけれど、召し上がる? 今日の打ち合わせ用に作った試作品よ。マリンに持たせようかと思っていたのだけれど……』
『もちろん、いただきます!』
 麻生が顔をほころばせる。エヴァは、先ほどの箱を持ってきた。真凜も手伝って、皿に並べる。麻生は、神妙な顔で一つ一つ口にし始めた。
『――うん、素晴らしい。完璧です』
 全てを食べ終えると、麻生は大きくうなずいた。真凜は、詰めていた息を吐いた。
『これで行きましょう。口コミの件は、僕に任せてください。この手のトラブルに強い弁護士が知り合いにいますので、相談します。だからエヴァさんたちは、今まで通り準備にだけ集中してください。――頑張りましょうね』
 麻生は、エヴァを、真凜を見て言い切った。真凜は、大きくうなずいた。彼と一緒なら、何でも乗り切れる気がした。     
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