まぼろしの伯父

花房ジュリー

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 採用は、あっさり決まった。もっとも、最初はやや苦戦した。現住所が東京、という一桜里のプロフィールを見て、塾長は困惑顔をしたのだ。
「えーと。何でまた、ここでバイトを?」
 事情を説明すると、彼はますます眉を寄せた。
「うちに通ってるのは、地元の高校生なんだよね。彼らの補習がメインだから、地元の学校の事情に詳しくないと、正直困るわけ」
「で、でもあたし、自信あります! つい最近まで、受験勉強してましたし」
  塾のバイトでは、大学一年生が優遇されると聞いた。必死でアピールすると、塾長も心を動かされたようだった。 
「それなら、お願いしようかな。後からもう一人、地元出身の子が来る予定だから、二人で一緒にやってもらおうか。辻村つじむらくんて男の子なんだ」
 一桜里は、ほっとした。
「やってもらうのは、夏期講習の課題の採点。高一レベル。来週から頼みたいんだけど、いけそう?」
「大丈夫です!」
 一桜里は、にっこり笑って、胸を張った。
「よかった。じゃあ頼むね。教科は現代文」
  一桜里の笑顔は、固まった。
 
 ――ああ、どうしよう。
 来るバイト初日、答案の山を前に、一桜里は頭を抱えていた。国語は、一番苦手な科目なのだ。とはいえ、あの段階になって断る、とは言いづらかった。解答付きなら何とかなるかと思い、引き受けたが、その考えは甘かったようだ。記号で選ぶ設問はいいとして、記述式問題の採点をどうすればいいのかが、さっぱりわからないのだ。解答を参照しても、果たして合っているのかどうか、判定できないのである。
 ――そういや、受験生の頃も、これに苦戦したよなあ。
 過去の嫌な思い出がよみがえる。その上、地元出身の男子大学生、辻村とやらは、帰省が遅れるそうなのだ。一人で赤ペンを手に、四苦八苦していると、塾長がやって来た。
「桐嶋さん、まだ?」
「……はあ。これ、持ち帰って採点してもいいですか?」
 すると塾長は、かぶりを振った。
「いや、個人情報のことがあるからね。持ち帰りはダメなんだ。今日残るか、明日早く来るかして、ここでやってもらえる? 翌日返却しないといけないから、明日の授業前までには終わらせてほしいんだよね」
 どうやら、手伝ってくれる気はないようだ。一桜里は仕方なく、残ります、と答えた。
「それじゃ、こことここだけ、施錠して帰ってね。お疲れ~」
 自分の役目は終わったとばかりに、軽やかに塾長が帰っていく。一桜里はひとつため息をつくと、再び採点に取りかかった。
『問三、傍線部③のように主人公が心情を変化させた理由を八十字以内で説明しなさい』
 思わず、一桜里は口に出して愚痴っていた。
「あー、もう! こういうの、一番苦手なんだけど!」
「どうしたの?」
 その時、背後から男性の声がした。はっと振り向くと、いつの間にか一人の青年が、教室に入って来ていた。
 ――誰?
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