17 / 23
13-1.さようなら
しおりを挟む
3月30日。
「冷蔵庫に数日分のご飯作ってありますから、温めて食べてくださいね」
バイトは辞めて、荷造りするものもないから、最終日は部屋の掃除とご飯の作り置きに専念した。
碧さんのアフレコは午前中だけ、午後はバイトを休んで掃除を手伝ってくれた。
「ゴミの日と分別方法はここに書いて貼っておきました。難しい掃除はしなくていいんで、とにかく使ったら片付けるようにしてください。あと、これ電子レンジで作れるレシピです。自炊が無理だとしても、せめてお惣菜を買うとかパックのご飯を……」
「わかったわかった。大丈夫だよ」
碧さんが呆れたように片手を振る。
「母親にもそこまで言われたことないよ。綾介くんは心配性だな」
「またすぐゴミ屋敷でお菓子食べる生活に戻らないか心配してるんですよ」
息子の一人暮らしを心配する母のような心境だ。未来でも碧さんが大病をしたと聞いたことはないから、きっと大丈夫ではあるはずだが。
彼女でもできれば安心だけど、でも誰かが作った料理を食べる碧さんを想像すると、ほんの少しだけ苦しくなる。
「そういえば、実家って東北だっけ? もう東京にも戻ってこないの?」
「そう、ですね。向こうで就職しようかと思いまして」
「じゃあ、しばらく会えないね」
2023年の俺はまだ就活も始めていない大学生で、就職するにしても地元に帰る予定はない。
けど、俺が13年後に帰ってしまえば碧さんと連絡を取ることはできなくなる。しばらく東京にはいないことにした方がいいいだろう。時が経てばそのうち、俺のことなんて忘れてしまう。
「寂しくなるね」
「ははっ、本当ですか~?」
「本当だよ」
冗談で流そうとしたのに、碧さんの顔は真剣だった。
「俺、一人でいて寂しいとか思わないタイプだからさ。なんであの日綾介くんを家に誘ったりしたのか、自分でもわかんなかった。でも俺のことなんて誰も見てないんじゃないかって、いつもどこかで思ってて。だから綾介くんが俺のことを知っててくれたの、嬉しかったんだと思う」
「碧さんにはファンの人たちがいるじゃないですか」
「腐女子の子たちはね。でも、あんまり実感ないっていうか。少なくとも男のファンは綾介くんが第一号だと思う」
ファン第一号。
そんな称号、しかも本人公認で……!
「綾介くんがいなかったら、Silk Road落ちたときホントに事務所辞めてたかもしれない。ブルームーンのオーディションも受けなかっただろうしね。ホント、キミには運命を変えられちゃったよ」
「いや、そんなことはないです! 俺が居ようが居まいが何も変わりませんよ」
「そんなことないよ」
静かに、碧さんの落ち着いた声が耳に、胸にじんわりと届いた。
碧さんの人生にほんの一瞬だけ通り過ぎることができたのなら、こんなに嬉しいことはない。
寂しいなんて言ってくれるのは今だけだ。
これから碧さんは大勢の人と出会って関わって、大勢の人に応援される。寂しくないように傍にいてくれる彼女だって、きっとすぐにできる。
♪~~
碧さんの着メロが鳴った。不安気な表情で俺を見る碧さんに、大丈夫だと頷いた。
小さく息を吸い込んで、二つ折りのガラケーを開く。
「お疲れさまです、君島です。……はい、はい」
大丈夫だとわかっているのに、自分のことのように心臓がバクバクする。胃が冷たくなってくる。
「はい……わかりました。ありがとうございます。また後程」
ピッと碧さんが通話ボタンを切った。
「どう、でした?」
つ……と碧さんの目尻から涙が零れ落ちた。
「碧さん!?」
「……合格だって」
はらはらと零れる涙を碧さんが袖で拭う。その両手を思わず掴んだ。握りしめた両手はとても冷たかった。
「おめでとうございます! よかったですね! ブルームーンですよね?」
「うん、ブルームーンだって。ありがとう」
泣き笑いする碧さんの三日月のような瞳から、まだとめどなく涙が溢れていた。自然と、碧さんの金色の髪を撫でてしまう。
「頑張りましたね」
「ううん……これからだよ。ここから頑張らないと」
子供のように泣きながら、碧さんは俺よりずっと大人だった。
役を掴み取ったとはいえ、スタートラインに立つ権利を与えられただけ。ここからブルームーンと共に歩んでいかなくてはならない。
その涙が喜びだけでないのは、彼がプロの声優だからだ。
「合格祝いにオムライス作ります! いっぱい食べてください」
泣き腫らして頬を真っ赤にさせながら、碧さんが笑った。
「冷蔵庫に数日分のご飯作ってありますから、温めて食べてくださいね」
バイトは辞めて、荷造りするものもないから、最終日は部屋の掃除とご飯の作り置きに専念した。
碧さんのアフレコは午前中だけ、午後はバイトを休んで掃除を手伝ってくれた。
「ゴミの日と分別方法はここに書いて貼っておきました。難しい掃除はしなくていいんで、とにかく使ったら片付けるようにしてください。あと、これ電子レンジで作れるレシピです。自炊が無理だとしても、せめてお惣菜を買うとかパックのご飯を……」
「わかったわかった。大丈夫だよ」
碧さんが呆れたように片手を振る。
「母親にもそこまで言われたことないよ。綾介くんは心配性だな」
「またすぐゴミ屋敷でお菓子食べる生活に戻らないか心配してるんですよ」
息子の一人暮らしを心配する母のような心境だ。未来でも碧さんが大病をしたと聞いたことはないから、きっと大丈夫ではあるはずだが。
彼女でもできれば安心だけど、でも誰かが作った料理を食べる碧さんを想像すると、ほんの少しだけ苦しくなる。
「そういえば、実家って東北だっけ? もう東京にも戻ってこないの?」
「そう、ですね。向こうで就職しようかと思いまして」
「じゃあ、しばらく会えないね」
2023年の俺はまだ就活も始めていない大学生で、就職するにしても地元に帰る予定はない。
けど、俺が13年後に帰ってしまえば碧さんと連絡を取ることはできなくなる。しばらく東京にはいないことにした方がいいいだろう。時が経てばそのうち、俺のことなんて忘れてしまう。
「寂しくなるね」
「ははっ、本当ですか~?」
「本当だよ」
冗談で流そうとしたのに、碧さんの顔は真剣だった。
「俺、一人でいて寂しいとか思わないタイプだからさ。なんであの日綾介くんを家に誘ったりしたのか、自分でもわかんなかった。でも俺のことなんて誰も見てないんじゃないかって、いつもどこかで思ってて。だから綾介くんが俺のことを知っててくれたの、嬉しかったんだと思う」
「碧さんにはファンの人たちがいるじゃないですか」
「腐女子の子たちはね。でも、あんまり実感ないっていうか。少なくとも男のファンは綾介くんが第一号だと思う」
ファン第一号。
そんな称号、しかも本人公認で……!
「綾介くんがいなかったら、Silk Road落ちたときホントに事務所辞めてたかもしれない。ブルームーンのオーディションも受けなかっただろうしね。ホント、キミには運命を変えられちゃったよ」
「いや、そんなことはないです! 俺が居ようが居まいが何も変わりませんよ」
「そんなことないよ」
静かに、碧さんの落ち着いた声が耳に、胸にじんわりと届いた。
碧さんの人生にほんの一瞬だけ通り過ぎることができたのなら、こんなに嬉しいことはない。
寂しいなんて言ってくれるのは今だけだ。
これから碧さんは大勢の人と出会って関わって、大勢の人に応援される。寂しくないように傍にいてくれる彼女だって、きっとすぐにできる。
♪~~
碧さんの着メロが鳴った。不安気な表情で俺を見る碧さんに、大丈夫だと頷いた。
小さく息を吸い込んで、二つ折りのガラケーを開く。
「お疲れさまです、君島です。……はい、はい」
大丈夫だとわかっているのに、自分のことのように心臓がバクバクする。胃が冷たくなってくる。
「はい……わかりました。ありがとうございます。また後程」
ピッと碧さんが通話ボタンを切った。
「どう、でした?」
つ……と碧さんの目尻から涙が零れ落ちた。
「碧さん!?」
「……合格だって」
はらはらと零れる涙を碧さんが袖で拭う。その両手を思わず掴んだ。握りしめた両手はとても冷たかった。
「おめでとうございます! よかったですね! ブルームーンですよね?」
「うん、ブルームーンだって。ありがとう」
泣き笑いする碧さんの三日月のような瞳から、まだとめどなく涙が溢れていた。自然と、碧さんの金色の髪を撫でてしまう。
「頑張りましたね」
「ううん……これからだよ。ここから頑張らないと」
子供のように泣きながら、碧さんは俺よりずっと大人だった。
役を掴み取ったとはいえ、スタートラインに立つ権利を与えられただけ。ここからブルームーンと共に歩んでいかなくてはならない。
その涙が喜びだけでないのは、彼がプロの声優だからだ。
「合格祝いにオムライス作ります! いっぱい食べてください」
泣き腫らして頬を真っ赤にさせながら、碧さんが笑った。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
3
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる