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 貴族の隠し子。こっちの世界では珍しくもない。

 とはいえ厳格なアレク兄上は女遊びするタイプでもなく、老若男女に優しいリュシアン兄さんにそんなことは無縁。俺はモテない童貞。
 
 珍しくもないが、うちとは関係のない話だ。
 それでも母子家庭の支援なんてないこの世界で、認知されなかった母子がどうなるか知らないほど世間知らずじゃない。

「母は子守歌として、いつも竪琴を弾いて歌ってくれていました。母が使っていたのは、銀の竪琴です」

 ノアが銀色の髪を指に絡ませた。

「僕の髪色と同じだと、いつも言ってくれました。僕もあの竪琴が好きだった。貧しい僕と母にとって、唯一の贅沢品です。温かな母の歌と竪琴の音色を聞くと、寒さも空腹も忘れられました」

 ノアがワインを口にした。
 反射したノアの顔がグラスに映り込む。

「ある日、僕が高熱を出したんです。薬なんて買える金もなく、母が懸命に看病してくれましたが熱は下がりませんでした。でも母が突然姿を消し、戻ってきたときには薬と栄養のある食事を摂らせてくれたんです。僕は深く考えもせずに薬を飲み、食事をし、すっかり元気になりました。母が竪琴を売って金を作ってくれたと知ったのは、しばらく後のことです」

 アメジストの瞳が深く沈んだ。

 子供の頃から夢を追いかけて芸事の道に進んだ人間など、こちらの世界に何人いるんだろうか。
 ほとんどの場合は、何か事情があってやらざるを得ないだけだ。ノアにもきっと何かあるのだろうと思わなくはなかったが、考えないようにしていた。

 パトロンになると言いながら、彼の見たい部分しか見ようとしていなかった。

「お母さんは、今……」
「10年以上前になりますか、無理がたたって母は倒れました。僕はまだ子供で物乞い程度しかできず、薬を買えなかったんです。薬屋に懇願しても追い返され、最終手段で盗みに入りましたがすぐに見つかり酷い暴行を受けました。ようやく解放されて家に帰ったときには、もう……」

 辛い話を思い出させてしまった。
 謝ろうとしたが、ノアは緩く首を振った。
 
「僕は、母の竪琴を買い戻したいんです。母の形見と言えばそれくらいしかありませんから。それで、各地を旅して銀の竪琴を捜しているんです。一体いくらになっているのかわからないので、お金は少しでも貯めておきたくて。もしかすると遠い異国に売り飛ばされて、見つかることはないかもしれませんが……」
「見つかるよ、きっと」

 何の根拠もない言葉だ。無責任にも程がある。
 それでも言わずにはいられなかった。

 兄さんが俺を励ましてくれたのも、こんな気持ちだったのかもしれない。
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