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第9話 お二人さんと入学式 3

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「はっ!!」

 結構寝てた気がする。というのも先ほどまで夕方くらいでまだ太陽が出ていたのに対し今はもう外が真っ暗だった。
 時計を見れば六時を少し過ぎたくらいだ、良かった寝過ごしたわけではなさそうだ。

「炊飯器の保温切らないと……」

 というか茉莉はどうした……? そう思ったのだが、疑問は一瞬で解決する。
 肩に感じる重みに気付いたからだ。

「すぅ~」

 体重の半分をこちら側に預けている。つまり、今俺が動き出せば彼女はそのままソファの座面へと引き寄せられ……。そこから先は考えないで置こう。
 さすがの俺もそこまで非道じゃない。だからもう少しだけこのままにしておこう。

 ……という考えを持つ俺に対し世界は優しくない。

 寝起きで頭がまだボーっとしている俺の隣ですぅすぅと寝息を立てている茉莉。無防備だなこいつは……とか思っていると。いきなりリビングのドアが開き「ただいま~!!」と春奈さんと父さんが帰ってくる。

 多分そのぼーっとした頭のせいで俺は父さんたちがドアを開けた音に気付かなかったのだ。
 そこからは世界がスローモーションのように感じた……とだけ言っておく。

 まず俺は驚きのあまり後ろを振り返る。
 そしてその俺の姿を確認し「ただいま」という父さん。

「あれ? 茉莉は?」

 と春奈さん。そして、その足は俺らの居るソファの方に向かってきて……。やばい……と思った時にはもう遅かった。

「お邪魔だったかしら!」

 ニヤニヤととても楽しそうな笑みを浮かべた春奈さんがそこにいた。

 そして、人の気配に気付いたのか隣で俺の気も知らず、すぅすぅと寝息を立てていた彼女の瞳がパチリと開く。最初の少しの間は俺と同じように何があったか分からないといった様子でポカンとしていたが、気配に気付きゆっくりと後ろに視線をずらす。そこにあった春奈さんの笑みをみてようやく今までの自分の行動に理解したのだろう。

「――――――っ!!!!!!!!」

 だが待って欲しい、その反応を真っ先にしたいのは俺のほうだ!!!!


 
「一生の不覚……」

 から揚げの温度調整をしている俺の横で今も尚、照れや恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。
 ただ、勘違いされてる側として一つだけ情報を正したい。俺は何もしていない。無実だ。

 起きた時に紛れもなく近くで寝ていたのは彼女だし、俺は茉莉を起こさないために優しさを見せていただけだ。

「まあ、もう今更何を言っても変わんないし」
「ちょっとは恥ずかしがりなさいよ!!」
「恥ずかしいわ!!」

 とんだ風評被害だ。いつから俺が恥ずかしくないと錯覚していた。

「二人とも~! 仲良いね!」

 本当に春奈さんは……。

 もう、何も言うまい。

 無事から揚げを作り終え、本日の全メニュー完成。
 頑張ったなー自分……とか素直に思ってみる。

「できたよー」
「はーい!」

 元気のいい春奈さんにつられるように父さんに茉莉もテーブルへとやってくる。

「ほんとにすごいね絆君……」
「いやー、楽しみだ!」

 茉莉は無言だった。まだ彼女の傷口は塞がっては居ないようだ。

「「「「いただきます」」」」

 各々自分が食べたい順に手をつける。

「おいしー!!!!」

 一番に感想をくれたのは春奈さんだ。

「本当に美味しい! 絆君すごいねこれ!」

 ここまで喜んでもらえるなら作った甲斐があるってものだ。

「……うん、おいしい」

 それに続くように父さんも。
 普段から褒められる機会なんてそうそう無いだけに感情をどこに向ければいいのか分からない。

 それでもなんだか、家族の食事ってこういうもんなのかな。
 隣の仏頂面の茉莉もご飯が進んでいるようだ。

「茉莉はないの? 感想!!」
「んー、まあまあ……嘘、美味しい……」

 この天邪鬼め!!
 器のご飯がなくなっていることには気付かない振りをしておいてやろう。



 夕飯も終わり、テレビ前でだらだらと過ごす。

 今日は入学式だったものの、実際の登校日はまだ先だった。
 正直、茉莉とは基本的に学部が同じだしほとんど同じような日程を今後とも過ごすことになるのだろう。

 もちろんだが学科は違うため最低限受けなければいけない授業はお互い別で入ってくる。
 まあ、こういうことは授業が本格的に始まってから考えればいいか。

「お風呂上がったよー」

 先に女性陣が風呂に入り次が男性陣という風に決まった。
 俺は割かし長風呂なため、父さんに先に入ってもらうことにした。

 茉莉は部屋でなんかやっている。だから今現在このリビングには俺と春奈さんの二人だけだ。先ほどあんなことがあった手前どういう風に接したらいいのか分からない。

「絆君、今ちょっと良い?」
「え? あ、はい」
「ごめんね急に今日は押しかけてご飯とかご馳走になったりで、大変だったでしょう」
「いえ、むしろ普段には無い賑やかさでとても楽しかったです。少しは疲れちゃいましたけど」

 そういうと、「ふふっ」と笑ってくれる。
 先ほどまでの明るい印象とは対照的にどこか大人の表情というか親というものを感じる。

 父さんが時たまそういう表情というか空気を出すことがあるのでまさにそれに近い感じ。

「私ね、まあ当たり前かもしれないけど二人の急な同棲には不安だったの。勘違いしないでね! 絆君がどうのこうのってことじゃなくてどちらかというと茉莉のほうに心配があったの」
「茉莉のほうに……ですか」
「あの子ね、元々はすごく明るかったんだけどあの子の父親が亡くなってから周りに対して距離をとるようになっちゃってね」

 どこかで聞いたような話だな……と思った。誰のことだかは分かっているけど。

「でも、ここ一日のあの子の表情とか態度を見てて、絆君がいい影響を与えてくれているんだなって思って」
「いえいえ! 俺なんて何も!」
「知らず知らずのうちにあの子の深いところに触れてくれてるんだと思う。だからね、ありがとう絆君。それとこれからもあの子のこと見ていてあげて」
「はい、わかりました」
「絆君さえ良ければあの子と本当に恋人になってくれてもいいんだよ?」

 これはどちらかと言うとさっきまでの春奈さんに近い言葉遣いだったと思う。
 さすがに恋人なんて、まだたった一ヶ月程度の付き合いでそんなのは早い……。
 それに……、俺にはまだ……。

「茉莉にそんな気は無いですよ!!」
「わかんないわよ~? あんなに美味しい料理が作れるなんて相当ポイント高いわよ! 私だったら絶対好きになっちゃう!」
「それは、ありがとうございます」
「だから――まあ、この話はもういいか! とりあえず絆君にありがとうって伝えておきたかったの!」
「いえ、俺も少なからず茉莉には感謝していますので」
「やっぱり二人はお似合いね!」
「またその話ですか!」

 ふふふと春奈さんは笑う。

「それじゃあ、私は明日早いしそろそろ布団に入っておこうかしら、おやすみ絆君!」
「あ、はい! おやすみなさい」

 そのままリビングを出て行く。
 この場に残された俺は、春奈さんのとある言葉について考えていた。

「恋人……か」

 俺の中にある申し訳ない記憶。それがふと蘇ってくる。
 俺にはまだ、中学の時にしてしまった申し訳の無い思いが心の奥底に眠っているのだ。

 そう、あれは母が亡くなって少ししか経っていない中学の夏の頃の記憶だ――。
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