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ユーキタス邸を辞した後、二人は西域騎士団の兵営へと戻った。
そのまま、仕事に取り掛かる為に、王都から騎士服を着用して来たのだ。
これまでと異なるのは、エディスの騎士服の左胸に、十種の刺繍が施されている事だろう。
ジェレマイアの勧めで、サラに教わった女性用の下着も着用している。
何かサラに耳打ちされているな、と思ったら、にこやかに、
「晒しなんて不安定なものでは、心許なさ過ぎる。何かの拍子に外れたらどうするんだ」
と言われてしまった。
ここ十年以上、そんな事は起きてない、と言っても、過去にないからと言って未来に起きないとは限らない、と頑として譲らない為、エディスが折れた。
確かに安定感があるが、体のラインが余り見えない騎士服では、外見の違いはさして感じられない。
更に、ナナに教わった通り、訓練で汗を掻いても見苦しくない程度の薄化粧もしていた。
騎獣や魔獣を不要に興奮させてはいけないので、香料を使っていないものだ。
見る人が見れば判る程度の違いでも、自分の中で、何かがはっきりと違う。
己の中の乙女を、エディスが受け入れたからだろう。
例え、誰に否定され批判されようと、ジェレマイアは、そんなエディスがいい、と言ってくれたのだから。
「お帰りなさいませ!」
ポチとヴァージルを厩舎に入れ、世話をしていると、ジェレマイアの従騎士であるリックが、迎えに来た。
「イネス様とウォルト様は、現在、鍛錬場で騎士に指導して下さっています」
「そうか。ならば、帰還の挨拶をまず、しに行くとしよう」
ジェレマイアはリックに答えると、自然に、エディスの背に手を添える。
「エディス、行こうか」
「はい」
夜会ではずっと寄り添っていたから、違和感なく受け入れてしまったエディスは、ジェレマイアの行動に目を丸くするリックに気づいて、小声で注意した。
「…ジェレマイア。仕事場ではお控え下さい」
「ん?あぁ…そうか、そうだな。目に毒か」
「…そう言うわけでは、ないですけど。公私混同はいかがなものかと」
「公私混同…に、なるのか。難しいな…」
ジェレマイアは、肩を竦めて歩き出す。
その一歩後ろを歩くエディスが苦笑する顔と、何処か不機嫌なジェレマイアの顔を見遣って、リックは首を傾げたのだった。
「エディース!」
鍛錬場に入ると、ウォルトが模擬刀をぶんぶん大きく振りながら、目敏くエディスの名を呼ぶ。
流石の視力だ。
「お帰り、エディス、ジェレマイア」
イネスも、にこにこと笑いながら、二人を出迎えた。
「ただいま、イネス兄さん、ウォルト兄さん」
「イネス殿、ウォルト殿、留守中の監督を有難うございました」
ジェレマイアが礼を言うと、イネスは緩く首を振る。
「いや、こちらこそ、感謝する。父とエディスが世話になった」
「エディス、王宮はどうだった?楽しかったか?」
ウォルトは、エディスの頭を満面の笑みで撫で回すと、
「む?」
と言って、じっと彼女の顔を見た。
「エディス…何だか、いつもよりも可愛いぞ?いや、いつも可愛いけどな!何だ?何が違うんだ?髪を結ぶ位置か?いや、変わってねぇよな。兄ちゃんの目は確かだからな!やっぱり、幸せオーラが出てるのか?そうかそうか、婚約が嬉しかったか!」
考えている事が全て口に出るウォルトの言葉に、鍛錬場にいた団員達の注目が集まる。
「え、エディス様、婚約したの?!」
「…何だろう、俺もウォルト様に影響されてるのかな…今日のエディス様、何だか凄く、可愛く見えるんだが…?」
「何かが滲み出てるよな…?あれ?俺、目がおかしい…?」
「あの左胸の刺繍…勲章を授与されたと言う事か?あんなにたくさん?!」
小声であっても、聞こえる人には聞こえている。
ましてや、風魔法が得意なジェレマイアが聞き逃す筈もなく。
「見るな、減る」
小声で呟かれた言葉に、イネスが吹き出し、ウォルトが大笑いする。
「ジェレマイアは、随分と心が狭いんだな!」
「…自分でも、初めて知りましたよ。こんなに狭量では、エディスに呆れられてしまう」
溜息を吐くジェレマイアに、エディスは、
「呆れはしませんけど…」
と小さく返す。
「ですが、貴方は副団長です。くれぐれも、けじめはつけて下さい。後進の為にも」
「…判ってる。公の場では、控える」
そう言いながらも、厳しい顔でこちらに注目している団員達を睥睨するジェレマイアに、イネスの笑いが止まらない。
「公にして、箍が外れたか?ベタ惚れだな」
「牽制位は、しても構わないでしょう?」
「あぁ、そうだな。頼んだぞ」
はっきりと会話は聞こえないものの、何だか周囲を警戒しているジェレマイアと笑顔のラングリード兄弟、頬を染めるエディスに、団員達の頭上には、大きな疑問符が浮かんでいた。
「大切な報告がある」
夜番を除いた団員は、その夜、大食堂に集められた。
食事の前に、ジェレマイアが、団員の前で立ち上がる。
食堂の最奥にあるテーブルには、副団長であるジェレマイア、補佐のエディス、そして、団長代理、副団長代理として派遣されたイネスとウォルトのラングリード兄弟がいる。
「俺の婚姻が決まった。王都の夜会で、陛下のお許しを頂いて来た。書類が整い次第、成立する事となる」
団員の結婚は、重要事項だ。
騎士である以上、魔獣から領地を防衛する事が最重要なのは当然だが、そうは言っても、共に戦う仲間としての情がある。
新婚時代なら、出来るだけ休暇の融通をしてやりたいし、子供でも生まれようものなら、可能な限り、立ち会わせてやりたい。
だからこそ、騎士の結婚は、大々的に団内に公表されるものだった。
おぉ、と、歓喜の声が上がる。
団員は皆、ジェレマイアが縁談攻勢にうんざりし、結婚への忌避感を抱いていた事を知っている。
「副団長も婚約なさったのですね!エディス様が婚約された事は、ちらりと小耳に挟みましたが」
傍に控えていたリックが、興奮から頬を紅潮させて意気込んで問うと、ジェレマイアは当然の顔をして頷いた。
「それはそうだろう。俺の婚約者は、エディスだからな」
途端。
しん…と、大食堂が静まり返る。
副団長、とうとうカミングアウト…?!
慄くような空気の中、エディスは予想通りの彼等の反応に苦笑いし、イネスとウォルトは表情を消した。
ただでさえ魔除けの置物顔が、より、凶悪になる。
彼等も、これまでの経験から、エディスが周囲にどう見られているのか、知ってはいる。ただ、理解出来ないだけで。
妹はこんなにも可愛いのに、あいつらの目は節穴なのか、と、本気で思っている。
ジェレマイアは、団員の反応を見て、エディスの言葉が大袈裟ではなかった事を、初めて理解した。
彼等は疑う事なく、エディスを男性だと思っているのだ。
「…副団長…まさか…」
他の団員達から、「お前、聞けよ!」と目線で脅されたリックが、勇気を振り絞りながら、恐る恐るジェレマイアに問い掛けようとするのを、ジェレマイアは遮った。
「もう一点、報告がある。エディスは、夜会で陛下から直接、お言葉を賜った」
国王ナイジェルの名を聞いて、団員達の背筋が伸びる。
王立騎士団である彼等の主は、ナイジェルだ。
「我が国の騎士団は今後、女性騎士の登用を正式に開始する。第一号として、これまで騎士団預かりの身分で魔獣討伐に携わっていたエディスが、任命された」
ざわ、と、空気が動いた。
女性騎士。
その言葉の意味する所を理解した団員達の目が、大きく丸くなっていく。
ついでに、口もあんぐりと開かれた。
お菓子作りが得意なエディス。
刺繍が趣味のエディス。
恋愛小説を愛読するエディス。
何故、「騎士にはなれない」と言っていたのか。
カチリ、カチリ、と、彼等の頭の中で、一つ一つのピースが繋がっていく。
つまり、エディスは。
「騎士の身分を授与された為、エディスにはこれまでの功績を称えるべく、勲章が贈られている」
「ちと、過小評価な気がするがな」
小声で付け足すのはウォルト。
「仕方あるまい。エディスは自分の名を表に出したがらなかった。奥ゆかしい淑女だからな」
イネスもまた、不満ではあるらしい。
生涯で一つの勲章を得る事を目標としている団員達から見れば、エディスの左胸に燦然と輝く十の証は、十二分に素晴らしいものだ。
だが、ラングリード兄弟は、それはエディスの評価として低すぎる、と不満を述べている。
「あぁ、誤解のないように伝えておくが、俺とエディスの婚約は、女性騎士登用の話が出る前から決まっていた事だ。彼女がこの団に来た時には、既に婚約関係になっている」
声のない、悲鳴。
脳裏を過る、様々な光景――ジェレマイアが、強引にエディスに名前を呼び捨てさせようとしていたとか、傷を案じて頬に触れていたとか、エディスを慕う騎士達への当たりが強かっただとか、やたらとエディスに甘かっただとか――に、団員達は、大きく得心すると共に、頭を抱える。
「何でっ、何でもっと早く言ってくれないんですかぁぁぁ!」
リックの絶叫は、この場にいる者達の心の声を代弁していた。
ジェレマイアの婚約者と知っていたら、いや、女性騎士と知っていたら、あんな事もこんな事も、しなかったと言うのに。
面倒見がいいおっかさんだと思っていたから、ボタン付けを頼んだり、ホームシックになって母が作るような素朴なクッキーを作って貰ったり、シフト勤務で乱れがちな睡眠の整え方を相談したり、遠距離恋愛中の恋人とのギクシャクし始めた関係の改善方法を相談したりしていたのだ。
中には、魔獣討伐後に湧き上がる性欲解消法について相談した猛者もいるのだが、エディスは申し訳なさそうに、
「ごめんね、私にはよく判らないんだ。兄に聞いてみようか?」
とこちらを案じてくれた。
モテる男は違うな!とか、僻んで悪かった。
と言うか、記憶を消して欲しい。
うあぁぁぁ!と、絶叫する団員達に、エディスは更に苦笑いし、ラングリード兄弟の背後に悪魔を召喚出来そうな、どす黒い空気が湧き起こる。
だが、ジェレマイアは首を傾げて、
「おかしな事を言うな?」
と言った。
「エディスは、見るからに素晴らしい淑女だろう。同時に、立派な騎士でもある。ここは騎士団なのだから、一人の騎士として扱う事に何の問題があるんだ?」
後者はともかく、前者には気づきませんでした。
一気に憔悴した団員達の心の声に気づかぬまま、ジェレマイアは言葉を続ける。
「ともあれ。いつになるかは判らんが、西域騎士団にもいずれ、新人女性騎士が入団するだろう。俺は、女性だからと言って特別扱いはしない。男女関係なく、同じ入団試験に合格した者達なのだから。俺達それぞれに適性があるように、各自の適性を踏まえた編成をするだけだ。お前達も十分判っているように、この団でエディスに敵う者は片手で数える程しかいない。もしも、女性騎士なのだから庇護せねば、と思っているのなら、それは大きな間違いだぞ」
そう言われて、彼等は、エディスが女性だと判った途端に、これまでと違う心持ちで彼女の事を見始めていた事に気が付いた。
騎士として、女性は守るべき存在だと教え込まれているせいだろう。
だが、どう考えても、彼等はエディスに守られている。
「偉そうな口は、エディスに勝てるようになってから利け。彼女の騎士としての実力を、正確に把握しているのならばな。…だが、同時に、」
そこで、ジェレマイアは声を低くした。
「エディスは、俺の婚約者だ。そう日を待たずに、妻となる。エディスが心を配ってくれるからと言って、勘違いするなよ。まかり間違って手出しでもしようものなら…俺が、容赦しない」
ギロリ、と睨まれて、ひぃ、と情けない悲鳴があちらこちらから上がる。
主に、「何だか、今日のエディス様は可愛く見える…」と言っていた者達から。
こうして、ジェレマイアとエディスの婚約発表及びエディスの騎士爵授与の話は、西域騎士団に衝撃と共に伝わったのだった。
そのまま、仕事に取り掛かる為に、王都から騎士服を着用して来たのだ。
これまでと異なるのは、エディスの騎士服の左胸に、十種の刺繍が施されている事だろう。
ジェレマイアの勧めで、サラに教わった女性用の下着も着用している。
何かサラに耳打ちされているな、と思ったら、にこやかに、
「晒しなんて不安定なものでは、心許なさ過ぎる。何かの拍子に外れたらどうするんだ」
と言われてしまった。
ここ十年以上、そんな事は起きてない、と言っても、過去にないからと言って未来に起きないとは限らない、と頑として譲らない為、エディスが折れた。
確かに安定感があるが、体のラインが余り見えない騎士服では、外見の違いはさして感じられない。
更に、ナナに教わった通り、訓練で汗を掻いても見苦しくない程度の薄化粧もしていた。
騎獣や魔獣を不要に興奮させてはいけないので、香料を使っていないものだ。
見る人が見れば判る程度の違いでも、自分の中で、何かがはっきりと違う。
己の中の乙女を、エディスが受け入れたからだろう。
例え、誰に否定され批判されようと、ジェレマイアは、そんなエディスがいい、と言ってくれたのだから。
「お帰りなさいませ!」
ポチとヴァージルを厩舎に入れ、世話をしていると、ジェレマイアの従騎士であるリックが、迎えに来た。
「イネス様とウォルト様は、現在、鍛錬場で騎士に指導して下さっています」
「そうか。ならば、帰還の挨拶をまず、しに行くとしよう」
ジェレマイアはリックに答えると、自然に、エディスの背に手を添える。
「エディス、行こうか」
「はい」
夜会ではずっと寄り添っていたから、違和感なく受け入れてしまったエディスは、ジェレマイアの行動に目を丸くするリックに気づいて、小声で注意した。
「…ジェレマイア。仕事場ではお控え下さい」
「ん?あぁ…そうか、そうだな。目に毒か」
「…そう言うわけでは、ないですけど。公私混同はいかがなものかと」
「公私混同…に、なるのか。難しいな…」
ジェレマイアは、肩を竦めて歩き出す。
その一歩後ろを歩くエディスが苦笑する顔と、何処か不機嫌なジェレマイアの顔を見遣って、リックは首を傾げたのだった。
「エディース!」
鍛錬場に入ると、ウォルトが模擬刀をぶんぶん大きく振りながら、目敏くエディスの名を呼ぶ。
流石の視力だ。
「お帰り、エディス、ジェレマイア」
イネスも、にこにこと笑いながら、二人を出迎えた。
「ただいま、イネス兄さん、ウォルト兄さん」
「イネス殿、ウォルト殿、留守中の監督を有難うございました」
ジェレマイアが礼を言うと、イネスは緩く首を振る。
「いや、こちらこそ、感謝する。父とエディスが世話になった」
「エディス、王宮はどうだった?楽しかったか?」
ウォルトは、エディスの頭を満面の笑みで撫で回すと、
「む?」
と言って、じっと彼女の顔を見た。
「エディス…何だか、いつもよりも可愛いぞ?いや、いつも可愛いけどな!何だ?何が違うんだ?髪を結ぶ位置か?いや、変わってねぇよな。兄ちゃんの目は確かだからな!やっぱり、幸せオーラが出てるのか?そうかそうか、婚約が嬉しかったか!」
考えている事が全て口に出るウォルトの言葉に、鍛錬場にいた団員達の注目が集まる。
「え、エディス様、婚約したの?!」
「…何だろう、俺もウォルト様に影響されてるのかな…今日のエディス様、何だか凄く、可愛く見えるんだが…?」
「何かが滲み出てるよな…?あれ?俺、目がおかしい…?」
「あの左胸の刺繍…勲章を授与されたと言う事か?あんなにたくさん?!」
小声であっても、聞こえる人には聞こえている。
ましてや、風魔法が得意なジェレマイアが聞き逃す筈もなく。
「見るな、減る」
小声で呟かれた言葉に、イネスが吹き出し、ウォルトが大笑いする。
「ジェレマイアは、随分と心が狭いんだな!」
「…自分でも、初めて知りましたよ。こんなに狭量では、エディスに呆れられてしまう」
溜息を吐くジェレマイアに、エディスは、
「呆れはしませんけど…」
と小さく返す。
「ですが、貴方は副団長です。くれぐれも、けじめはつけて下さい。後進の為にも」
「…判ってる。公の場では、控える」
そう言いながらも、厳しい顔でこちらに注目している団員達を睥睨するジェレマイアに、イネスの笑いが止まらない。
「公にして、箍が外れたか?ベタ惚れだな」
「牽制位は、しても構わないでしょう?」
「あぁ、そうだな。頼んだぞ」
はっきりと会話は聞こえないものの、何だか周囲を警戒しているジェレマイアと笑顔のラングリード兄弟、頬を染めるエディスに、団員達の頭上には、大きな疑問符が浮かんでいた。
「大切な報告がある」
夜番を除いた団員は、その夜、大食堂に集められた。
食事の前に、ジェレマイアが、団員の前で立ち上がる。
食堂の最奥にあるテーブルには、副団長であるジェレマイア、補佐のエディス、そして、団長代理、副団長代理として派遣されたイネスとウォルトのラングリード兄弟がいる。
「俺の婚姻が決まった。王都の夜会で、陛下のお許しを頂いて来た。書類が整い次第、成立する事となる」
団員の結婚は、重要事項だ。
騎士である以上、魔獣から領地を防衛する事が最重要なのは当然だが、そうは言っても、共に戦う仲間としての情がある。
新婚時代なら、出来るだけ休暇の融通をしてやりたいし、子供でも生まれようものなら、可能な限り、立ち会わせてやりたい。
だからこそ、騎士の結婚は、大々的に団内に公表されるものだった。
おぉ、と、歓喜の声が上がる。
団員は皆、ジェレマイアが縁談攻勢にうんざりし、結婚への忌避感を抱いていた事を知っている。
「副団長も婚約なさったのですね!エディス様が婚約された事は、ちらりと小耳に挟みましたが」
傍に控えていたリックが、興奮から頬を紅潮させて意気込んで問うと、ジェレマイアは当然の顔をして頷いた。
「それはそうだろう。俺の婚約者は、エディスだからな」
途端。
しん…と、大食堂が静まり返る。
副団長、とうとうカミングアウト…?!
慄くような空気の中、エディスは予想通りの彼等の反応に苦笑いし、イネスとウォルトは表情を消した。
ただでさえ魔除けの置物顔が、より、凶悪になる。
彼等も、これまでの経験から、エディスが周囲にどう見られているのか、知ってはいる。ただ、理解出来ないだけで。
妹はこんなにも可愛いのに、あいつらの目は節穴なのか、と、本気で思っている。
ジェレマイアは、団員の反応を見て、エディスの言葉が大袈裟ではなかった事を、初めて理解した。
彼等は疑う事なく、エディスを男性だと思っているのだ。
「…副団長…まさか…」
他の団員達から、「お前、聞けよ!」と目線で脅されたリックが、勇気を振り絞りながら、恐る恐るジェレマイアに問い掛けようとするのを、ジェレマイアは遮った。
「もう一点、報告がある。エディスは、夜会で陛下から直接、お言葉を賜った」
国王ナイジェルの名を聞いて、団員達の背筋が伸びる。
王立騎士団である彼等の主は、ナイジェルだ。
「我が国の騎士団は今後、女性騎士の登用を正式に開始する。第一号として、これまで騎士団預かりの身分で魔獣討伐に携わっていたエディスが、任命された」
ざわ、と、空気が動いた。
女性騎士。
その言葉の意味する所を理解した団員達の目が、大きく丸くなっていく。
ついでに、口もあんぐりと開かれた。
お菓子作りが得意なエディス。
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何故、「騎士にはなれない」と言っていたのか。
カチリ、カチリ、と、彼等の頭の中で、一つ一つのピースが繋がっていく。
つまり、エディスは。
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「ちと、過小評価な気がするがな」
小声で付け足すのはウォルト。
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イネスもまた、不満ではあるらしい。
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声のない、悲鳴。
脳裏を過る、様々な光景――ジェレマイアが、強引にエディスに名前を呼び捨てさせようとしていたとか、傷を案じて頬に触れていたとか、エディスを慕う騎士達への当たりが強かっただとか、やたらとエディスに甘かっただとか――に、団員達は、大きく得心すると共に、頭を抱える。
「何でっ、何でもっと早く言ってくれないんですかぁぁぁ!」
リックの絶叫は、この場にいる者達の心の声を代弁していた。
ジェレマイアの婚約者と知っていたら、いや、女性騎士と知っていたら、あんな事もこんな事も、しなかったと言うのに。
面倒見がいいおっかさんだと思っていたから、ボタン付けを頼んだり、ホームシックになって母が作るような素朴なクッキーを作って貰ったり、シフト勤務で乱れがちな睡眠の整え方を相談したり、遠距離恋愛中の恋人とのギクシャクし始めた関係の改善方法を相談したりしていたのだ。
中には、魔獣討伐後に湧き上がる性欲解消法について相談した猛者もいるのだが、エディスは申し訳なさそうに、
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と言うか、記憶を消して欲しい。
うあぁぁぁ!と、絶叫する団員達に、エディスは更に苦笑いし、ラングリード兄弟の背後に悪魔を召喚出来そうな、どす黒い空気が湧き起こる。
だが、ジェレマイアは首を傾げて、
「おかしな事を言うな?」
と言った。
「エディスは、見るからに素晴らしい淑女だろう。同時に、立派な騎士でもある。ここは騎士団なのだから、一人の騎士として扱う事に何の問題があるんだ?」
後者はともかく、前者には気づきませんでした。
一気に憔悴した団員達の心の声に気づかぬまま、ジェレマイアは言葉を続ける。
「ともあれ。いつになるかは判らんが、西域騎士団にもいずれ、新人女性騎士が入団するだろう。俺は、女性だからと言って特別扱いはしない。男女関係なく、同じ入団試験に合格した者達なのだから。俺達それぞれに適性があるように、各自の適性を踏まえた編成をするだけだ。お前達も十分判っているように、この団でエディスに敵う者は片手で数える程しかいない。もしも、女性騎士なのだから庇護せねば、と思っているのなら、それは大きな間違いだぞ」
そう言われて、彼等は、エディスが女性だと判った途端に、これまでと違う心持ちで彼女の事を見始めていた事に気が付いた。
騎士として、女性は守るべき存在だと教え込まれているせいだろう。
だが、どう考えても、彼等はエディスに守られている。
「偉そうな口は、エディスに勝てるようになってから利け。彼女の騎士としての実力を、正確に把握しているのならばな。…だが、同時に、」
そこで、ジェレマイアは声を低くした。
「エディスは、俺の婚約者だ。そう日を待たずに、妻となる。エディスが心を配ってくれるからと言って、勘違いするなよ。まかり間違って手出しでもしようものなら…俺が、容赦しない」
ギロリ、と睨まれて、ひぃ、と情けない悲鳴があちらこちらから上がる。
主に、「何だか、今日のエディス様は可愛く見える…」と言っていた者達から。
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もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
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感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
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