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ガランドゥ 16話 『少年少女暴走劇』
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【7】
蓮向かいの真っ白い会議室。テーブルの上にはいくつかの報告書と画面が点いたままのパソコンが放置されている。谷口はホワイトボードを見つめて考え事を続け、ラジオと粳部は机で少年少女の行方についてを考えていた。
机のコーヒーは既に冷め切ってしまっている。
「柳って子の両親、同僚からは普通の人と言われてますけど」
「私だってよく知らない人からはそうだよ……」
「……そういう性格ですか」
「自宅に職員を向かわせてるから、今はその結果待ち」
家出を企んでいた可能性のある柳竹子、彼女の両親から事情を聞けば大体のことがハッキリするだろう。体調不良で欠席というのは恐らく正しくない。家出したというのに世間体の為に体調不良だと嘘を吐いている可能性がある。
ただ、家で柳竹子が寝ている可能性もないわけではない。
「この沼野雫って子も体調不良で欠席……らしいですね」
「調べたら確かに補導の記録がある。再婚で義理の父親が居るね」
「……近隣の証言で喧嘩が多いってありますよ」
「理由としては十分か……」
両親の離婚や再婚といった出来事は子供に悪影響を及ぼすパターンが多い。好意的な再婚相手であれば良い結果をもたらすかもしれないが、そう上手くいくことはないものだ。一度離婚するような人間が選ぶ相手が良い相手である可能性は低い。
粳部が冷めたコーヒーに口を付ける。砂糖の一切入っていないそれは苦味と冷たさのダブルパンチを腹の奥に叩き込む。決して美味しくはない。
「今のところ容疑者は柳、沼野、進藤ですか」
「交友関係を調べてるけど法術をどこから知ったのかは不明」
「……やっぱり、ヘアピンの子じゃないですかね?」
「やけにヘアピン気にしてるね」
粳部の注意をずっと引き続けている正体不明の少女。立ち振る舞い、気迫、脚の速さ。それらが粳部の心を掴んで離そうとしなかった。二人はあれが初めての邂逅だったというのに、ずっと前から互いのことを知っているような感覚があったのだ。
まるで、運命の出会いのような。
「あの子、一人だけずば抜けてましたよ」
「……全部の出席簿、見る?」
ラジオはそう言って全生徒の写真と記録が載った書類の束を彼女に渡す。それを受け取ると彼女は片っ端から読み始め、記憶の中にうっすらと浮かんでいる少女の顔と照合する。深夜で暗かったということもあり似顔絵は不正確で、彼女の記憶の精度も確実とは言えない。それでも、見れば分かる筈だった。
その時、谷口のポケットの携帯電話が鳴り応答する。
「ああ……そうか。やはりな」
彼が電話に応対する中、粳部は黙々と出席簿のページを捲っていく。柳の友人の発言からはヘアピンの少女が他校である可能性は考えられず、必ず答えがその中にある。絶対に見抜けるかは分からない話だが、掛けた時間が無駄になることはない。
谷口が電話の内容を書類に書き記していく。
「そっちも頼む……ああ、よろしく」
そして通話を切り、彼は携帯電話を折り畳むとポケットにしまった。
「柳の親は当初風邪と言っていたが、警察に行かせたら家出だと答えたぞ」
「ビンゴだね」
「沼野の親はまだ見つかってないが、多分そっちも家出だろうな」
「……やっぱり、これ集団脱走ですよ」
脱走というのは彼女の言葉遣いがおかしいからだが、実際起きていることは同じようなことだ。現状に問題を抱えている子供達が自分の世界から逃げ出して消えてしまった。周辺地域に居る蓮向かいの協力者の力を借りても現在の居場所は分からず、同様に安否も不明だ。
粳部はページを捲る手を止めない。
「マスコミを使って探させるか?少しリスクがあるが」
「子供でも相手は法術使い……目立たせない方がいい」
「それはそうだな」
「……あっ、多分この子です!」
そう言って彼女が指を指したのは不愛想な顔の少女。写真の下には卜部響夏と書かれており、年齢はまだ十歳の小学五年生だった。クラスが柳と沼野と違ったものの同じ学年であるのなら接点は十分過ぎる程にある。
彼女がそのページを机の上に置くと谷口とラジオが覗き込んで確認した。
「……卜部って……どこかで聞いたような」
「……待て、卜部ってまさかあの卜部か?」
「谷口さん知ってるんすか?」
途端に谷口の声色が変化する。いつも仮面のせいで表情変化が分からない彼ではあったが、今のは彼女でも明確に焦った声だと判断できた。あの彼でさえも驚いて反応を示す人物。情報不足の粳部の脳内に答えは浮かばなかった。
「卜部というのは、現代法術の基礎を築いた家系だ」
「私達みんな……卜部先生から法術を教えてもらった」
「……私教えてもらってないですけど」
「お前が異常なだけだ」
彼女が異常な例外というだけで、全ての法術使いは卜部家の者から教わっている。全てはそこから始まって、全ての強者はそこを通っていく。蓮向かいの組織としての基盤は卜部家の伝えた法術で出来ているのだ。
故に、法術を知る者は全員がその名を知っている。
「卜部翔、彼のおかげで今の組織がある」
「……今更なんですけど、法術って何なんですかね?」
「ホントに今更……」
法術が何なのか。今まで法術を何度か使ったり見たりしてきた彼女であったが、その歴史や仕組みについては一切語られなかった。粳部が質問しなかったからでもあるが、法術を使うよりも相手を直接殴る方が強いからである。それに、司祭が形態変化した方が強いのだ。
ラジオがノートパソコンを操作してあるページを表示する。
「法術の源流は古墳時代。そこから飛鳥時代に発展して、以降は衰退」
「だが平安時代、卜部季武が『卜部式』の法術を開発したんだ」
四百十三年、古墳時代に法術の源流が誕生した。そして飛鳥時代に目覚ましい発展を遂げたことで『飛鳥式』が生まれた。だが、それらは徐々に技術が行き詰まり衰退を迎え、二百年の時が経つ。最終的に生まれたのが九百八十年の『卜部式』だ。
「卜部家は法術を発展させて、戦後はウチで法術の師範になった……」
「へー結構偉大なんですね」
「世界各地と空間を繋げたのも卜部家だ」
「あれもですか!?」
組織が各地に一瞬で移動できるのは、卜部家が新たに法術を開発して空間と別の空間を繋げる穴を作ったからだ。これでわざわざ飛行機などで移動する手間がなくなり、組織は圧倒的なアドバンテージを得た。法術についてよく知らない彼女でもそれを知れば驚かざるを得ない。
「凄い……流石にあれは真似できない」
「でも、ウチの師範をしてた卜部翔は去年寿命で亡くなったぞ」
「うーん……じゃあ、この響夏って子は孫ですか?」
彼女の疑問を聞いたラジオがパソコンのキーボードを何度か叩き、彼女の問いに回答する。
「ひ孫だ……この子、血縁関係があるよ」
「そうか、子孫だから知ってたわけか……でも変だな」
法術の情報が外部に漏れた原因は、法術の師範だった卜部翔からひ孫の卜部響夏に教えられたからだと推測できた。これで最大の謎が解けたわけである。しかし、谷口は顎に手を当てて未だに考え込んでいた。まだ、分かっていないことがある。
「彼は生前、後継者が居ないと言ってた。お家断絶だと」
「……じゃあ、どういう経緯なんすかね?」
「さあな」
【8】
『うわっ、なんか出た』
幼い少女の体がバチバチと光る。和風の一軒家その縁側にて、まだ九歳だった卜部響夏はその体にわけも分からず電流を流していた。それは制御されていない法術なのだが、幼い少女からすれば何も意味が分からないことだろう。
そこに曾祖父が血相を変えてやって来る。既にかなりの高齢だったが腰が曲がっているということもなく、健康体そのものであった。
『響夏どうした!』
『おじいちゃんこれ……』
そう言って彼女が帯電する指先を見せた時、迸る電流が稲妻のように伸びて庭の木を切り裂いた。激しい衝撃と遅れて聞こえる音に卜部は驚き、それを見た曾祖父も大口を開けて驚く。それは到底信じられない光景であった。
『うわああっ!何っ!?』
『これは……法術か!響夏凄いじゃないか』
『何も凄くないよ』
幼い、まだ九歳の少女からすればその凄さは伝わらないものだろう。こんな子供が法術を使った記録はなく、卜部家としても初めての筈だ。それに、ひ孫が自分以上の才能を持っていれば曾祖父としては嬉しい限りだろう。
曾祖父が穏やかに微笑む。
『誰にでもできることじゃないんだぞ』
『これ何?魔法?』
『法術だよ。魔法とは……まあ似てるが違うな』
『おじいちゃんもできるの?』
『まあな……実はおじいちゃんプロだ』
そう言うと彼は証明するように自身の体に激しい電流を纏う。バチバチと音を立てながら明滅し、卜部とは比較にならない量の稲妻が体に流れる。初めて使った卜部と熟練の曾祖父では流石に格が違う。
彼女が尊敬の眼差しで曾祖父を見ていた。
『おじいちゃんすげえ!』
『響夏が使いこなせるようになるまで教えるよ』
『マジ?教えて教えて!』
『ただし、法術については誰も教えちゃ駄目だぞ?』
『うん!』
森の開けた場所で卜部が駆け抜ける。その速度は既に車よりも速く、彼女が息を切らすこともない。それを眺めていた曾祖父は思わず感嘆の声を漏らしていた。減速して彼の下に戻っていく卜部は自慢げな顔をしており、その上達の程がよく分かる。
『どう?超速いでしょ。私の強化法術』
『やるな。こいつはプロでも習得できないんだぞ』
『術式組むの早くなったよ!』
ここは誰の目もない深い森。法術の練習をするには最適な無人の環境。市街地から離れたここであれば多少騒いだところで何も問題はなく、一般人に見せられない法術も自由に使うことができた。
彼女が自慢げな顔のまま屈伸をする。
『強化法術は身体能力を強化する。これだけ速ければ誰からも逃げ切れるな』
『もうおじいちゃんより速いかもねえ』
『ほーう言うじゃないか』
そう言うと彼はポケットからコインを取り出すとそれを上に向かって軽く投げ、彼女の視線がそっちへ移った僅かな時間に姿を消す。そして再び現れるとコインをキャッチし、もう片方の手には葉の茂る木の枝が握られていた。一秒にも満たない刹那の合間に、彼は木まで走って枝を切るとここまで戻ってきたのだ。
遅れて卜部が反応する。
『えっ!?あれっ!?』
『慣れればこの通りだ』
『えーズルいそんなの』
これでも彼は蓮向かいで法術の師範をやっているのだ。高齢であることは何のハンデにもならず、幼い天才の卜部を遥かに凌ぐ実力を今でも持っている。彼は車よりも何よりもずっと速かった。
『まあ、響夏もあと十年か経てば俺より上手くなるさ』
『何を根拠に』
『卜部家だからな。お前だって血を継いでるんだ』
平安時代から脈々と受け継がれてきた法術と血脈。彼女もまた時を経てより強く変化を遂げた一族の末裔なのだ。そして、一族のトップと呼べる最高の天才でもある。普通の法術使いが習得するのに一年以上掛ける成長過程を、彼女はたった一週間で熟したのだから。
不意に、卜部の脳内に一つの疑問が過ぎる。
『何でパパは法術使わないの?話をしたこともないけど』
それを聞いて曾祖父は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの温和な表情へと変化していく。しかし、そこには何とも言えない寂しさや後悔の色が混ざっており、かつて何かがあったことを感じさせる。
卜部の幼く過敏な心はそれを明確に感じ取っていた。
『ああ、パパは使わんよ。嫌ってるからな』
『法術を?何で?』
『俺はお前のおじいちゃんが戦闘中死んだ時、法術で助けられなかった』
人は万能には、神にはなれない。人はどうしても死んでしまうし間に合わない時は間に合わない。できる限りのことを尽くすしかない小さな命である以上、それは仕方のないことだった。それに納得できるかは別だが。
日差しを遮る森の枝木が、風に揺られてギイギイと泣いている。
『だから万能じゃない法術も、争いを呼ぶ力も嫌いなんだ。パパは』
卜部家の祖父母はもう居ない。その代わり、曽祖父と彼女の両親が居るだけだ。生まれて一度も祖父母を見たことがない彼女からすれば、目の前に居る彼が祖父のようなものだった。しかし、彼女の父親からすれば幼い頃に両親を失った悲しみは大きい。
彼を見つめる卜部には、まだその全ては分からなかった。ただ、自分の曽祖父が悲しんでいることだけは確かだった。
「んで、湯加減どう響夏ちゃん?」
気が付くと、ドラム缶風呂の中で卜部が目を覚ます。湯気が立ち上るもののぬるま湯程度の温度でしかなく、沈む夕日を眺めている内に彼女は寝入ってしまっていた。快適と言える温度ではなかったが現に彼女は寝入っていた。
柳がうちわで火に風を送っている。
「うーん……ぬるいね」
「流石に電気風呂釜並みとはいかないよ」
「無駄に法力を使うわけにはいかんし、これでいいよ」
彼女は貴重なお湯が溢れないように指で水面をチャプチャプと遊びながら、深い霧の中に沈んでいく夕日を見つめていた。大人の居ない子供だけの空間で、今日もまた一日が終わろうとしている。文明から離れたこの場所に喧騒はなかった。
「……お竹は今楽しい?」
「楽しいに決まってるじゃん。何だってできるんだから」
「……そっか」
この場所に誰かが到達することはない。霧の迷路である霧御殿の効果でここは文明と隔絶され、ヘリコプターでここまで来ないことには陸の孤島だ。子供四人に自治される領域。甘い見積もりで始まった生活は、意外なことではあったが上手くいっていた。
「びっくりするくらい平和だよね、ここ」
「……ヘリが来ない限りは平和な筈だよ」
「でもさ、ホントに来るのかなヘリって?」
柳が一つの疑問を口にする。彼女がそう思うのにはある理由があった。
「ここ、立ち入り禁止区域だよ?被災地だし」
「ガスが充満してて危ない……だったよね」
「ニュースで観たよ。地元住民はまだ帰れてないって」
「そうそう……八王子ガス地盤問題」
この森があるのは八王子。災害の後に立ち入り禁止にされた区域の片隅に、少年少女が不法占拠している場所があった。四年前に起きた局所的な地震と噴出したガスによる災害。その災害の痕跡を残した場所。
その筈だった。
「バリケード越えた先はガスが濃いって言われてたのにね」
「何度も法術で調べたけど……毒性は認められなかったよ」
「響夏ちゃんが正しいよ。多分、誰かが嘘吐いてるんだ」
今でもガスが噴出している危険地帯というのが世間の認識だ。しかし、卜部が調査しても毒物は何も検出できなかった。となれば、ここには何かがある。まだ危険だとして人を立ち退かせる必要がある程の何かが。
「……それより腹減った。早くご飯にしよ」
蓮向かいの真っ白い会議室。テーブルの上にはいくつかの報告書と画面が点いたままのパソコンが放置されている。谷口はホワイトボードを見つめて考え事を続け、ラジオと粳部は机で少年少女の行方についてを考えていた。
机のコーヒーは既に冷め切ってしまっている。
「柳って子の両親、同僚からは普通の人と言われてますけど」
「私だってよく知らない人からはそうだよ……」
「……そういう性格ですか」
「自宅に職員を向かわせてるから、今はその結果待ち」
家出を企んでいた可能性のある柳竹子、彼女の両親から事情を聞けば大体のことがハッキリするだろう。体調不良で欠席というのは恐らく正しくない。家出したというのに世間体の為に体調不良だと嘘を吐いている可能性がある。
ただ、家で柳竹子が寝ている可能性もないわけではない。
「この沼野雫って子も体調不良で欠席……らしいですね」
「調べたら確かに補導の記録がある。再婚で義理の父親が居るね」
「……近隣の証言で喧嘩が多いってありますよ」
「理由としては十分か……」
両親の離婚や再婚といった出来事は子供に悪影響を及ぼすパターンが多い。好意的な再婚相手であれば良い結果をもたらすかもしれないが、そう上手くいくことはないものだ。一度離婚するような人間が選ぶ相手が良い相手である可能性は低い。
粳部が冷めたコーヒーに口を付ける。砂糖の一切入っていないそれは苦味と冷たさのダブルパンチを腹の奥に叩き込む。決して美味しくはない。
「今のところ容疑者は柳、沼野、進藤ですか」
「交友関係を調べてるけど法術をどこから知ったのかは不明」
「……やっぱり、ヘアピンの子じゃないですかね?」
「やけにヘアピン気にしてるね」
粳部の注意をずっと引き続けている正体不明の少女。立ち振る舞い、気迫、脚の速さ。それらが粳部の心を掴んで離そうとしなかった。二人はあれが初めての邂逅だったというのに、ずっと前から互いのことを知っているような感覚があったのだ。
まるで、運命の出会いのような。
「あの子、一人だけずば抜けてましたよ」
「……全部の出席簿、見る?」
ラジオはそう言って全生徒の写真と記録が載った書類の束を彼女に渡す。それを受け取ると彼女は片っ端から読み始め、記憶の中にうっすらと浮かんでいる少女の顔と照合する。深夜で暗かったということもあり似顔絵は不正確で、彼女の記憶の精度も確実とは言えない。それでも、見れば分かる筈だった。
その時、谷口のポケットの携帯電話が鳴り応答する。
「ああ……そうか。やはりな」
彼が電話に応対する中、粳部は黙々と出席簿のページを捲っていく。柳の友人の発言からはヘアピンの少女が他校である可能性は考えられず、必ず答えがその中にある。絶対に見抜けるかは分からない話だが、掛けた時間が無駄になることはない。
谷口が電話の内容を書類に書き記していく。
「そっちも頼む……ああ、よろしく」
そして通話を切り、彼は携帯電話を折り畳むとポケットにしまった。
「柳の親は当初風邪と言っていたが、警察に行かせたら家出だと答えたぞ」
「ビンゴだね」
「沼野の親はまだ見つかってないが、多分そっちも家出だろうな」
「……やっぱり、これ集団脱走ですよ」
脱走というのは彼女の言葉遣いがおかしいからだが、実際起きていることは同じようなことだ。現状に問題を抱えている子供達が自分の世界から逃げ出して消えてしまった。周辺地域に居る蓮向かいの協力者の力を借りても現在の居場所は分からず、同様に安否も不明だ。
粳部はページを捲る手を止めない。
「マスコミを使って探させるか?少しリスクがあるが」
「子供でも相手は法術使い……目立たせない方がいい」
「それはそうだな」
「……あっ、多分この子です!」
そう言って彼女が指を指したのは不愛想な顔の少女。写真の下には卜部響夏と書かれており、年齢はまだ十歳の小学五年生だった。クラスが柳と沼野と違ったものの同じ学年であるのなら接点は十分過ぎる程にある。
彼女がそのページを机の上に置くと谷口とラジオが覗き込んで確認した。
「……卜部って……どこかで聞いたような」
「……待て、卜部ってまさかあの卜部か?」
「谷口さん知ってるんすか?」
途端に谷口の声色が変化する。いつも仮面のせいで表情変化が分からない彼ではあったが、今のは彼女でも明確に焦った声だと判断できた。あの彼でさえも驚いて反応を示す人物。情報不足の粳部の脳内に答えは浮かばなかった。
「卜部というのは、現代法術の基礎を築いた家系だ」
「私達みんな……卜部先生から法術を教えてもらった」
「……私教えてもらってないですけど」
「お前が異常なだけだ」
彼女が異常な例外というだけで、全ての法術使いは卜部家の者から教わっている。全てはそこから始まって、全ての強者はそこを通っていく。蓮向かいの組織としての基盤は卜部家の伝えた法術で出来ているのだ。
故に、法術を知る者は全員がその名を知っている。
「卜部翔、彼のおかげで今の組織がある」
「……今更なんですけど、法術って何なんですかね?」
「ホントに今更……」
法術が何なのか。今まで法術を何度か使ったり見たりしてきた彼女であったが、その歴史や仕組みについては一切語られなかった。粳部が質問しなかったからでもあるが、法術を使うよりも相手を直接殴る方が強いからである。それに、司祭が形態変化した方が強いのだ。
ラジオがノートパソコンを操作してあるページを表示する。
「法術の源流は古墳時代。そこから飛鳥時代に発展して、以降は衰退」
「だが平安時代、卜部季武が『卜部式』の法術を開発したんだ」
四百十三年、古墳時代に法術の源流が誕生した。そして飛鳥時代に目覚ましい発展を遂げたことで『飛鳥式』が生まれた。だが、それらは徐々に技術が行き詰まり衰退を迎え、二百年の時が経つ。最終的に生まれたのが九百八十年の『卜部式』だ。
「卜部家は法術を発展させて、戦後はウチで法術の師範になった……」
「へー結構偉大なんですね」
「世界各地と空間を繋げたのも卜部家だ」
「あれもですか!?」
組織が各地に一瞬で移動できるのは、卜部家が新たに法術を開発して空間と別の空間を繋げる穴を作ったからだ。これでわざわざ飛行機などで移動する手間がなくなり、組織は圧倒的なアドバンテージを得た。法術についてよく知らない彼女でもそれを知れば驚かざるを得ない。
「凄い……流石にあれは真似できない」
「でも、ウチの師範をしてた卜部翔は去年寿命で亡くなったぞ」
「うーん……じゃあ、この響夏って子は孫ですか?」
彼女の疑問を聞いたラジオがパソコンのキーボードを何度か叩き、彼女の問いに回答する。
「ひ孫だ……この子、血縁関係があるよ」
「そうか、子孫だから知ってたわけか……でも変だな」
法術の情報が外部に漏れた原因は、法術の師範だった卜部翔からひ孫の卜部響夏に教えられたからだと推測できた。これで最大の謎が解けたわけである。しかし、谷口は顎に手を当てて未だに考え込んでいた。まだ、分かっていないことがある。
「彼は生前、後継者が居ないと言ってた。お家断絶だと」
「……じゃあ、どういう経緯なんすかね?」
「さあな」
【8】
『うわっ、なんか出た』
幼い少女の体がバチバチと光る。和風の一軒家その縁側にて、まだ九歳だった卜部響夏はその体にわけも分からず電流を流していた。それは制御されていない法術なのだが、幼い少女からすれば何も意味が分からないことだろう。
そこに曾祖父が血相を変えてやって来る。既にかなりの高齢だったが腰が曲がっているということもなく、健康体そのものであった。
『響夏どうした!』
『おじいちゃんこれ……』
そう言って彼女が帯電する指先を見せた時、迸る電流が稲妻のように伸びて庭の木を切り裂いた。激しい衝撃と遅れて聞こえる音に卜部は驚き、それを見た曾祖父も大口を開けて驚く。それは到底信じられない光景であった。
『うわああっ!何っ!?』
『これは……法術か!響夏凄いじゃないか』
『何も凄くないよ』
幼い、まだ九歳の少女からすればその凄さは伝わらないものだろう。こんな子供が法術を使った記録はなく、卜部家としても初めての筈だ。それに、ひ孫が自分以上の才能を持っていれば曾祖父としては嬉しい限りだろう。
曾祖父が穏やかに微笑む。
『誰にでもできることじゃないんだぞ』
『これ何?魔法?』
『法術だよ。魔法とは……まあ似てるが違うな』
『おじいちゃんもできるの?』
『まあな……実はおじいちゃんプロだ』
そう言うと彼は証明するように自身の体に激しい電流を纏う。バチバチと音を立てながら明滅し、卜部とは比較にならない量の稲妻が体に流れる。初めて使った卜部と熟練の曾祖父では流石に格が違う。
彼女が尊敬の眼差しで曾祖父を見ていた。
『おじいちゃんすげえ!』
『響夏が使いこなせるようになるまで教えるよ』
『マジ?教えて教えて!』
『ただし、法術については誰も教えちゃ駄目だぞ?』
『うん!』
森の開けた場所で卜部が駆け抜ける。その速度は既に車よりも速く、彼女が息を切らすこともない。それを眺めていた曾祖父は思わず感嘆の声を漏らしていた。減速して彼の下に戻っていく卜部は自慢げな顔をしており、その上達の程がよく分かる。
『どう?超速いでしょ。私の強化法術』
『やるな。こいつはプロでも習得できないんだぞ』
『術式組むの早くなったよ!』
ここは誰の目もない深い森。法術の練習をするには最適な無人の環境。市街地から離れたここであれば多少騒いだところで何も問題はなく、一般人に見せられない法術も自由に使うことができた。
彼女が自慢げな顔のまま屈伸をする。
『強化法術は身体能力を強化する。これだけ速ければ誰からも逃げ切れるな』
『もうおじいちゃんより速いかもねえ』
『ほーう言うじゃないか』
そう言うと彼はポケットからコインを取り出すとそれを上に向かって軽く投げ、彼女の視線がそっちへ移った僅かな時間に姿を消す。そして再び現れるとコインをキャッチし、もう片方の手には葉の茂る木の枝が握られていた。一秒にも満たない刹那の合間に、彼は木まで走って枝を切るとここまで戻ってきたのだ。
遅れて卜部が反応する。
『えっ!?あれっ!?』
『慣れればこの通りだ』
『えーズルいそんなの』
これでも彼は蓮向かいで法術の師範をやっているのだ。高齢であることは何のハンデにもならず、幼い天才の卜部を遥かに凌ぐ実力を今でも持っている。彼は車よりも何よりもずっと速かった。
『まあ、響夏もあと十年か経てば俺より上手くなるさ』
『何を根拠に』
『卜部家だからな。お前だって血を継いでるんだ』
平安時代から脈々と受け継がれてきた法術と血脈。彼女もまた時を経てより強く変化を遂げた一族の末裔なのだ。そして、一族のトップと呼べる最高の天才でもある。普通の法術使いが習得するのに一年以上掛ける成長過程を、彼女はたった一週間で熟したのだから。
不意に、卜部の脳内に一つの疑問が過ぎる。
『何でパパは法術使わないの?話をしたこともないけど』
それを聞いて曾祖父は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの温和な表情へと変化していく。しかし、そこには何とも言えない寂しさや後悔の色が混ざっており、かつて何かがあったことを感じさせる。
卜部の幼く過敏な心はそれを明確に感じ取っていた。
『ああ、パパは使わんよ。嫌ってるからな』
『法術を?何で?』
『俺はお前のおじいちゃんが戦闘中死んだ時、法術で助けられなかった』
人は万能には、神にはなれない。人はどうしても死んでしまうし間に合わない時は間に合わない。できる限りのことを尽くすしかない小さな命である以上、それは仕方のないことだった。それに納得できるかは別だが。
日差しを遮る森の枝木が、風に揺られてギイギイと泣いている。
『だから万能じゃない法術も、争いを呼ぶ力も嫌いなんだ。パパは』
卜部家の祖父母はもう居ない。その代わり、曽祖父と彼女の両親が居るだけだ。生まれて一度も祖父母を見たことがない彼女からすれば、目の前に居る彼が祖父のようなものだった。しかし、彼女の父親からすれば幼い頃に両親を失った悲しみは大きい。
彼を見つめる卜部には、まだその全ては分からなかった。ただ、自分の曽祖父が悲しんでいることだけは確かだった。
「んで、湯加減どう響夏ちゃん?」
気が付くと、ドラム缶風呂の中で卜部が目を覚ます。湯気が立ち上るもののぬるま湯程度の温度でしかなく、沈む夕日を眺めている内に彼女は寝入ってしまっていた。快適と言える温度ではなかったが現に彼女は寝入っていた。
柳がうちわで火に風を送っている。
「うーん……ぬるいね」
「流石に電気風呂釜並みとはいかないよ」
「無駄に法力を使うわけにはいかんし、これでいいよ」
彼女は貴重なお湯が溢れないように指で水面をチャプチャプと遊びながら、深い霧の中に沈んでいく夕日を見つめていた。大人の居ない子供だけの空間で、今日もまた一日が終わろうとしている。文明から離れたこの場所に喧騒はなかった。
「……お竹は今楽しい?」
「楽しいに決まってるじゃん。何だってできるんだから」
「……そっか」
この場所に誰かが到達することはない。霧の迷路である霧御殿の効果でここは文明と隔絶され、ヘリコプターでここまで来ないことには陸の孤島だ。子供四人に自治される領域。甘い見積もりで始まった生活は、意外なことではあったが上手くいっていた。
「びっくりするくらい平和だよね、ここ」
「……ヘリが来ない限りは平和な筈だよ」
「でもさ、ホントに来るのかなヘリって?」
柳が一つの疑問を口にする。彼女がそう思うのにはある理由があった。
「ここ、立ち入り禁止区域だよ?被災地だし」
「ガスが充満してて危ない……だったよね」
「ニュースで観たよ。地元住民はまだ帰れてないって」
「そうそう……八王子ガス地盤問題」
この森があるのは八王子。災害の後に立ち入り禁止にされた区域の片隅に、少年少女が不法占拠している場所があった。四年前に起きた局所的な地震と噴出したガスによる災害。その災害の痕跡を残した場所。
その筈だった。
「バリケード越えた先はガスが濃いって言われてたのにね」
「何度も法術で調べたけど……毒性は認められなかったよ」
「響夏ちゃんが正しいよ。多分、誰かが嘘吐いてるんだ」
今でもガスが噴出している危険地帯というのが世間の認識だ。しかし、卜部が調査しても毒物は何も検出できなかった。となれば、ここには何かがある。まだ危険だとして人を立ち退かせる必要がある程の何かが。
「……それより腹減った。早くご飯にしよ」
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史実の本能寺フラグを回避するため、うつけの仮面の下、三人は秘密の同盟を結ぶ。
現代知識と絆を武器に、戦国スローライフを目指すサバイバル開幕!
異世界で大往生した私、現代日本に帰還して中学生からやり直す。~最強の補助魔法で、冴えないおっさんと最強美女を操って大金持ちになります~
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異世界へ転移し、聖女として崇められ、愛する家族に囲まれて88歳で大往生した……はずだった。 目が覚めると、そこは現代日本。 孤児の中学2年生、小金沢ヒナ(14)に戻っていた。
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「もう一度、あの豊かで安らかな老後(スローライフ)を手に入れてみせる!」
ヒナは決意する。異世界で極めた国宝級の【補助魔法】と【回復魔法】をフル活用して、現代社会で大金を稼ぐことを。 ただし、魔法は自分自身には使えないし、中学生が目立つと色々面倒くさい。 そこでヒナがビジネスパートナー(手駒)に選んだのは――
公園で絶望していた「リストラされた冴えないおっさん」と、 借金取りに追われる「ワケあり最強美女」!?
おっさんを裏から魔法で強化して『カリスマ社長』に仕立て上げ、 美女をフルバフで『人間兵器』に変えてトラブルを物理的に粉砕。 表向きはニコニコ笑う美少女中学生、裏では彼らを操るフィクサー。
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2035年の日本では、多数出現したダンジョンを探索する探索者という職業が大きな注目を集めていた。ダンジョンを探索することは大きな危険も伴うが、地球では本来手に入らない希少な資源を入手することができるため、日本を含め世界各国はダンジョン資源の獲得に力を入れていた。
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