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ガランドゥ 19話 『ガールインザボックス』
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【4】
『ここが……?』
粳部が今は疲れていないだろう空き教室を見つめる。歴史を感じさせる古めかしさに対し、明らかに新しいホワイトボード。ドアに掛けられたそれが語るに、ここが都市伝説同好会であることは間違いないらしい。明かりのない高校の廊下に彼女は佇み、どうしたものかと足踏みしていた。
入学してまだ数日の頃。姉が所属しているという同好会の教室に訪れた彼女だったが、その扉を自分から開く度胸はなかった。
『……』
中の様子を伺う粳部であったが結局は分からず、そのままどうしようかと考えている内に退室しようとしていた部員と対面する。唐突な出会いに両者が目を丸くした。彼女はこれから部員と話をすると理解していたが、流石に扉を開けてすぐというのは想定外だ。
彼女は空白を作らないように言葉を紡ぐ。
『あ、あの……仮入部できっ来ました』
『おお、なるほど。こりゃありがたい』
笑顔を浮かべる藍川は、何故か制服の上に灰色の羽織を着ている。まだ薄寒い日もある季節だが、そこまでする程気温は低くない。不自然だと思う粳部であったがそれを口にすることは決してできず、彼は後ろに退いて部室に入るよう催促する。
『入って。新入部員ゼロだったから助かった』
『お、お邪魔します』
部室に入ると、まず本棚に詰められた雑誌の山が目に入る。都市伝説関連の胡散臭い書籍が並べられ、そういうものに関心のある彼女からすれば宝の山だった。
『おっ、月刊ビーキー』
『こういうのは若い内に楽しむのが一番健全だよな』
『達観した言葉ですね……』
同時に、来春が言っていたことは本当なのだと粳部は理解する。部室には二人以外の人は居らずこじんまりとしており、人気がないのだということがすぐに分かった。ただでさえ人の少ない同好会だというのに、このままでは自然消滅してしまう。姉や彼の引退と同時に、同好会は人々の記憶からも消えるのだろう。
藍川に案内されて彼女が席に座り、彼もその向かいに座る。
『はい、副部長の藍川鈴です』
『えっと……粳部音夏です』
『……粳部?』
ようやく彼女の正体に気付いたのか、藍川が首を傾げて考える。そして、すぐに目を見開いて理解した。
『もしかして、姉が居たり?』
『はい、粳部来春が』
『あーそういや言ってたな、妹が来るって……当人は来てないけど』
『あはは……自由人っすから』
部室の中に姉は居ない。たまに同好会へ顔を出す彼女がいつ来るのかは誰にも分からないものだ。たまたま、妹が来るというのに顔を出さないのかもしれない。彼女に、今日は活動日だから遊びにおいでと言っておいてこれである。まあ、自分は行くとは一言も言っていないのだが。
彼が机の上の雑誌を手に取りパラパラと捲る。
『部長がこれじゃ、同好会のままなのも頷けるな』
『えっと……部員は何名ですか?』
『名前だけ貸してる奴を含め三人』
『じゃあじっ、実質二人……』
部活動に昇格できる程活動もしていなければ、そもそも必要な人数をも満たしていない。これでは勢力は強まるどころか弱まるばかりだった。とんでもない所に仮入部に来てしまったと思う彼女だったが既に遅い。頭を抱えても人数は増えない。
彼が見ていた雑誌を机に置いて見せる。
『さて、怪しい雑誌やレポートがいっぱいあるぞー』
『……何すかね、謎の手が招く路地裏って』
『また胡散臭いのを選ぶな……』
『ええ?ゆ、夢があっていいじゃないっすか』
『そういうものかね』
彼女が楽しげな表情で胡散臭い雑誌を捲っていく。それらが実在するかしないかは、それを確認するまで分からない。見えないからと言って否定できるわけではなく、見えている理論が実在を否定しても、見えない理論が肯定している。そういう物を楽しむのが粳部という人間だ。
居るか居ないか決められはしない。
『それに……正体が分からないとロマンあるじゃないっすか』
歴史はそれと似たようなものを語っている。特に日本の歴史は顕著に出ている。自然程、身近で驚異的なものは存在しないのだ。側で生きているというのに酷く静かで、時に恐ろしい。山や森にいくつも神を見い出し作った理由はそこなのだろう。
彼は彼女を見てすぐに笑みを浮かべた。
『……姉妹でこうも違うか』
『え?』
『何でもない』
粳部の意識が次第に戻ってきた。だが、その瞳に映るのは相変わらず白い天井と藍川だけ。現状はあれから何一つとして変わっていない。最初からそんな気がしていた彼女だったが、実際に自分の目で見てみると残念なものだった。
突然、彼に頬をはたかれる。
「言った途端に死ぬな……馬鹿」
「……不死身が死んでも……出してはくれないですか」
「もう、やるなよ」
「……全然痛くありませんでした」
彼女が起き上がって確認してもその光景は一切変化を見せず、やつれた粳部にただ現実を叩き付ける。ヒントくらい見せてくれてもいいだろうに、甘え一つ許さないこの空間は無慈悲そのものだった。ここから脱出する方法はもう藍川が死ぬしかない。
粳部は天井をただ睨む。
「鈴先輩の権能は……ダメみたいっすね」
「こいつの精神は俺と同格。これじゃ通用しない」
「弱い相手には敵わない、か」
藍川の権能はそれほど融通が利くものではない。ダメな時はどうやってもダメなものである。
暖かくも冷たくもない壁に触れる粳部。そこに熱はなく、冷ややかな感触の中にただ微かな鼓動だけが聞こえていた。心拍のような、一定のリズムで脈打つ鼓動が。余りにも生物的な気味の悪さに彼女は一歩後ずさるが、それは同時に数少ないヒントでもあった。
「……脈?」
「何度か形態変化しても駄目だった。第六形態にでもならないと壊せない」
「……形態変化はもう使わないでください」
「……どうしたもんか」
彼女の脳裏に最悪の結末が過ぎり、すぐに海坊主を出すと壁を殴る。だが、奴の怪力を以ってしても無垢な壁にはヒビの一つも入らない。粳部も同時に殴るが、拳が潰れるだけに終わる。今まで遭遇した概怪の中で、最も無力で最も残酷な敵。
ある意味、クジラ以上だった。
「ラジオとは音信不通。俺が死ぬまでお前は出れない」
「……え?」
「当然の帰結だ。だから、俺が死ねば良い」
「何言ってんすか!?」
言葉が、喉から飛び出る。
「ま、まだ方法があるかも……しれないっす」
「……あるかな」
「ありますよ……」
「……そうだな、あるさ」
根拠もなく、降参を認めるように足掻くしかない。勝ち目のない現状から目を逸らしたくて、粳部はない筈の勝ち筋を探す。だが、見える現実は暗闇だけ。彼が自殺しようとする光景が何故か彼女の目に浮かぶ。浮かんでしまう。
「……私がずっと攻撃してたら、何とかなるかも?」
「駄目だ。何が起きるか分からない」
「それは……そうですけど」
藍川が頭を押さえてしゃがみ込んだ。最悪の状況でも何とかしようとする彼女と相対的に、彼の諦めは早かった。
「本当、お前を引き入れた事を後悔してるよ」
「役に立たないからっすか」
「無駄に苦しめたからだ」
粳部は白い壁に寄り掛かり部屋の隅を見つめている。ここはとても人間が長居していい場所ではない。このままでは一日も経たない内に、その精神に異常を来たす事だろう。既にその予兆が見えてきてしまっている。人間は何もない空間にはそう長い時間耐えられないものなのだ。
「……守れずに巻き込んで、来春に何て言えば良い?」
「今度こそ振られるんじゃないですか?」
「それも、良いかもな」
もし姉が失踪せずにここに居れば、一体どうしただろうかと彼女は考えてしまう。二人きりなら、彼と二人きりなら。可能性は様々な姿を見せるが、彼女でも一番あり得る結末が想像付く。想像付いてしまうものなのだ。
「……ここに居るのがお姉ちゃんなら、迷いなく自殺したでしょうね」
他に選択肢がないのであればきっとそうする。妹の彼女はそう考えていた。粳部来春という人間は自分の恋人の為にそこまでできる人間だ。
それを聞いて彼は苦笑する
「姉妹の因果か」
「自覚してませんでしたけど、似てるそうです。私達」
実際に行動してみて彼女は確かに理解した。彼に対する想いも、その愚直な生き方も。どれもな来春とどこか似ているのだ。いつも憎み嫌っていた癖に、皮肉にも彼らは同じ血の流れる似た生き物だった。違うのは、今ここに居るか居ないかだけ。
現に来春は居ない。
「ずっと嫌いだったのに、居ないと寂しいものっすね」
「よく言うだろ。大切なものは失ってから気付くって」
「……あれ、意外と正論ですよ」
物語だけの事だと思っていた粳部だったが、こうして実感して初めてその実在を知る。現実は想像よりもずっと優しく、思ったよりも大切なことで満ちている。時に素直に受け入れて良いものなのだ。ずっと冷笑ばかりしていると心を失ってしまう。
だが、それでも別の側面は確かにある。
「鈴先輩」
「なんだ」
「八王子の災害って何なんですか。どうしてΩ+未満は読めないんですか」
彼女の中でずっと引っかかっていた謎の災害。今まで色々な事があり過ぎて、いつの間にか記憶の片隅へ消えていた。だが、この空間がそれを思い出させてくれた。かつて起きた大規模の災害。
母校が廃校になり、本当の実家にも帰ることができず大量の行方不明者を出した局所的な大災害。彼女はどうにもそれ以外の事を記憶していない上に、公的な記録に載っている情報は少ない。
あの日、あそこで何があったのか。
「何で皆んな誤魔化すんですか……私にだけ隠して」
「……」
「お姉ちゃん……もうとっくに死んでるんでしょ」
藍川は立ち上がると無言で天井を見上げる。彼女の推測には何も答えず、まるで次の言葉を考えているかのように沈黙を貫いていた。彼女の問いに対して明確な答えが藍川の中に存在しているのかは分からない。それでも、彼にできることはただ喋ることだけだ。
睨むように天を見つめ、一つ呟く。
「……来春」
そして力なく粳部に視線を移し、すぐに悲しげな瞳で目を逸らす。
「そうだな」
「鈴……先輩?」
「ここから出れたら、教えてやるよ」
刹那、彼のガーネットの指輪の祭具が鈍く光ったかと思うと、途端にその輝きを強めていく。光は白い空間を塗り替えるように飲み込んでいき、全ては赤色で埋め尽くされてゆく。何が起きているのか分からない粳部にはもうただ質問することしかできなかった。
「せ、先輩!?」
「お前は俺に形態変化を使うなと言ったな。それは守ってやる」
間違いなく彼は祭具で権能を行使している。彼の権能は通用しないと言ったのは彼自身だというのに、搦目心中を使おうとしている。
「ここを出るには俺の権能が奴に通じればいい!」
「無理ですよ!?」
「だから俺の心を自分で破壊すれば!奴は効果対象だ!」
それは藍川こ奥の手の一つ。権能が通じない程に相手の心が弱いのであれば、自分が相手よりも弱くなれば良いだけのこと。シンプルな理屈ではあるが、それが彼らにもたらす結果は最悪のものだった。
『破壊!』
眩い光に粳部が目を閉じた瞬間、遠くで聞き慣れた誰かの叫び声が木霊した。
その刹那、激しい光が消えたかと思うと空間に亀裂が走る。ガラスのように全てが砕けた瞬間、彼らに見えた光景はあの白い空間と違う本来の居場所。受け身も取れずに二人はそこから放り出され、あの駐車場の地面を転がりながら爪を立てて止まった。
「戻れた!?」
「こ、ここからだ……ぞ!」
まだ、箱の概怪は残っている。
『ここが……?』
粳部が今は疲れていないだろう空き教室を見つめる。歴史を感じさせる古めかしさに対し、明らかに新しいホワイトボード。ドアに掛けられたそれが語るに、ここが都市伝説同好会であることは間違いないらしい。明かりのない高校の廊下に彼女は佇み、どうしたものかと足踏みしていた。
入学してまだ数日の頃。姉が所属しているという同好会の教室に訪れた彼女だったが、その扉を自分から開く度胸はなかった。
『……』
中の様子を伺う粳部であったが結局は分からず、そのままどうしようかと考えている内に退室しようとしていた部員と対面する。唐突な出会いに両者が目を丸くした。彼女はこれから部員と話をすると理解していたが、流石に扉を開けてすぐというのは想定外だ。
彼女は空白を作らないように言葉を紡ぐ。
『あ、あの……仮入部できっ来ました』
『おお、なるほど。こりゃありがたい』
笑顔を浮かべる藍川は、何故か制服の上に灰色の羽織を着ている。まだ薄寒い日もある季節だが、そこまでする程気温は低くない。不自然だと思う粳部であったがそれを口にすることは決してできず、彼は後ろに退いて部室に入るよう催促する。
『入って。新入部員ゼロだったから助かった』
『お、お邪魔します』
部室に入ると、まず本棚に詰められた雑誌の山が目に入る。都市伝説関連の胡散臭い書籍が並べられ、そういうものに関心のある彼女からすれば宝の山だった。
『おっ、月刊ビーキー』
『こういうのは若い内に楽しむのが一番健全だよな』
『達観した言葉ですね……』
同時に、来春が言っていたことは本当なのだと粳部は理解する。部室には二人以外の人は居らずこじんまりとしており、人気がないのだということがすぐに分かった。ただでさえ人の少ない同好会だというのに、このままでは自然消滅してしまう。姉や彼の引退と同時に、同好会は人々の記憶からも消えるのだろう。
藍川に案内されて彼女が席に座り、彼もその向かいに座る。
『はい、副部長の藍川鈴です』
『えっと……粳部音夏です』
『……粳部?』
ようやく彼女の正体に気付いたのか、藍川が首を傾げて考える。そして、すぐに目を見開いて理解した。
『もしかして、姉が居たり?』
『はい、粳部来春が』
『あーそういや言ってたな、妹が来るって……当人は来てないけど』
『あはは……自由人っすから』
部室の中に姉は居ない。たまに同好会へ顔を出す彼女がいつ来るのかは誰にも分からないものだ。たまたま、妹が来るというのに顔を出さないのかもしれない。彼女に、今日は活動日だから遊びにおいでと言っておいてこれである。まあ、自分は行くとは一言も言っていないのだが。
彼が机の上の雑誌を手に取りパラパラと捲る。
『部長がこれじゃ、同好会のままなのも頷けるな』
『えっと……部員は何名ですか?』
『名前だけ貸してる奴を含め三人』
『じゃあじっ、実質二人……』
部活動に昇格できる程活動もしていなければ、そもそも必要な人数をも満たしていない。これでは勢力は強まるどころか弱まるばかりだった。とんでもない所に仮入部に来てしまったと思う彼女だったが既に遅い。頭を抱えても人数は増えない。
彼が見ていた雑誌を机に置いて見せる。
『さて、怪しい雑誌やレポートがいっぱいあるぞー』
『……何すかね、謎の手が招く路地裏って』
『また胡散臭いのを選ぶな……』
『ええ?ゆ、夢があっていいじゃないっすか』
『そういうものかね』
彼女が楽しげな表情で胡散臭い雑誌を捲っていく。それらが実在するかしないかは、それを確認するまで分からない。見えないからと言って否定できるわけではなく、見えている理論が実在を否定しても、見えない理論が肯定している。そういう物を楽しむのが粳部という人間だ。
居るか居ないか決められはしない。
『それに……正体が分からないとロマンあるじゃないっすか』
歴史はそれと似たようなものを語っている。特に日本の歴史は顕著に出ている。自然程、身近で驚異的なものは存在しないのだ。側で生きているというのに酷く静かで、時に恐ろしい。山や森にいくつも神を見い出し作った理由はそこなのだろう。
彼は彼女を見てすぐに笑みを浮かべた。
『……姉妹でこうも違うか』
『え?』
『何でもない』
粳部の意識が次第に戻ってきた。だが、その瞳に映るのは相変わらず白い天井と藍川だけ。現状はあれから何一つとして変わっていない。最初からそんな気がしていた彼女だったが、実際に自分の目で見てみると残念なものだった。
突然、彼に頬をはたかれる。
「言った途端に死ぬな……馬鹿」
「……不死身が死んでも……出してはくれないですか」
「もう、やるなよ」
「……全然痛くありませんでした」
彼女が起き上がって確認してもその光景は一切変化を見せず、やつれた粳部にただ現実を叩き付ける。ヒントくらい見せてくれてもいいだろうに、甘え一つ許さないこの空間は無慈悲そのものだった。ここから脱出する方法はもう藍川が死ぬしかない。
粳部は天井をただ睨む。
「鈴先輩の権能は……ダメみたいっすね」
「こいつの精神は俺と同格。これじゃ通用しない」
「弱い相手には敵わない、か」
藍川の権能はそれほど融通が利くものではない。ダメな時はどうやってもダメなものである。
暖かくも冷たくもない壁に触れる粳部。そこに熱はなく、冷ややかな感触の中にただ微かな鼓動だけが聞こえていた。心拍のような、一定のリズムで脈打つ鼓動が。余りにも生物的な気味の悪さに彼女は一歩後ずさるが、それは同時に数少ないヒントでもあった。
「……脈?」
「何度か形態変化しても駄目だった。第六形態にでもならないと壊せない」
「……形態変化はもう使わないでください」
「……どうしたもんか」
彼女の脳裏に最悪の結末が過ぎり、すぐに海坊主を出すと壁を殴る。だが、奴の怪力を以ってしても無垢な壁にはヒビの一つも入らない。粳部も同時に殴るが、拳が潰れるだけに終わる。今まで遭遇した概怪の中で、最も無力で最も残酷な敵。
ある意味、クジラ以上だった。
「ラジオとは音信不通。俺が死ぬまでお前は出れない」
「……え?」
「当然の帰結だ。だから、俺が死ねば良い」
「何言ってんすか!?」
言葉が、喉から飛び出る。
「ま、まだ方法があるかも……しれないっす」
「……あるかな」
「ありますよ……」
「……そうだな、あるさ」
根拠もなく、降参を認めるように足掻くしかない。勝ち目のない現状から目を逸らしたくて、粳部はない筈の勝ち筋を探す。だが、見える現実は暗闇だけ。彼が自殺しようとする光景が何故か彼女の目に浮かぶ。浮かんでしまう。
「……私がずっと攻撃してたら、何とかなるかも?」
「駄目だ。何が起きるか分からない」
「それは……そうですけど」
藍川が頭を押さえてしゃがみ込んだ。最悪の状況でも何とかしようとする彼女と相対的に、彼の諦めは早かった。
「本当、お前を引き入れた事を後悔してるよ」
「役に立たないからっすか」
「無駄に苦しめたからだ」
粳部は白い壁に寄り掛かり部屋の隅を見つめている。ここはとても人間が長居していい場所ではない。このままでは一日も経たない内に、その精神に異常を来たす事だろう。既にその予兆が見えてきてしまっている。人間は何もない空間にはそう長い時間耐えられないものなのだ。
「……守れずに巻き込んで、来春に何て言えば良い?」
「今度こそ振られるんじゃないですか?」
「それも、良いかもな」
もし姉が失踪せずにここに居れば、一体どうしただろうかと彼女は考えてしまう。二人きりなら、彼と二人きりなら。可能性は様々な姿を見せるが、彼女でも一番あり得る結末が想像付く。想像付いてしまうものなのだ。
「……ここに居るのがお姉ちゃんなら、迷いなく自殺したでしょうね」
他に選択肢がないのであればきっとそうする。妹の彼女はそう考えていた。粳部来春という人間は自分の恋人の為にそこまでできる人間だ。
それを聞いて彼は苦笑する
「姉妹の因果か」
「自覚してませんでしたけど、似てるそうです。私達」
実際に行動してみて彼女は確かに理解した。彼に対する想いも、その愚直な生き方も。どれもな来春とどこか似ているのだ。いつも憎み嫌っていた癖に、皮肉にも彼らは同じ血の流れる似た生き物だった。違うのは、今ここに居るか居ないかだけ。
現に来春は居ない。
「ずっと嫌いだったのに、居ないと寂しいものっすね」
「よく言うだろ。大切なものは失ってから気付くって」
「……あれ、意外と正論ですよ」
物語だけの事だと思っていた粳部だったが、こうして実感して初めてその実在を知る。現実は想像よりもずっと優しく、思ったよりも大切なことで満ちている。時に素直に受け入れて良いものなのだ。ずっと冷笑ばかりしていると心を失ってしまう。
だが、それでも別の側面は確かにある。
「鈴先輩」
「なんだ」
「八王子の災害って何なんですか。どうしてΩ+未満は読めないんですか」
彼女の中でずっと引っかかっていた謎の災害。今まで色々な事があり過ぎて、いつの間にか記憶の片隅へ消えていた。だが、この空間がそれを思い出させてくれた。かつて起きた大規模の災害。
母校が廃校になり、本当の実家にも帰ることができず大量の行方不明者を出した局所的な大災害。彼女はどうにもそれ以外の事を記憶していない上に、公的な記録に載っている情報は少ない。
あの日、あそこで何があったのか。
「何で皆んな誤魔化すんですか……私にだけ隠して」
「……」
「お姉ちゃん……もうとっくに死んでるんでしょ」
藍川は立ち上がると無言で天井を見上げる。彼女の推測には何も答えず、まるで次の言葉を考えているかのように沈黙を貫いていた。彼女の問いに対して明確な答えが藍川の中に存在しているのかは分からない。それでも、彼にできることはただ喋ることだけだ。
睨むように天を見つめ、一つ呟く。
「……来春」
そして力なく粳部に視線を移し、すぐに悲しげな瞳で目を逸らす。
「そうだな」
「鈴……先輩?」
「ここから出れたら、教えてやるよ」
刹那、彼のガーネットの指輪の祭具が鈍く光ったかと思うと、途端にその輝きを強めていく。光は白い空間を塗り替えるように飲み込んでいき、全ては赤色で埋め尽くされてゆく。何が起きているのか分からない粳部にはもうただ質問することしかできなかった。
「せ、先輩!?」
「お前は俺に形態変化を使うなと言ったな。それは守ってやる」
間違いなく彼は祭具で権能を行使している。彼の権能は通用しないと言ったのは彼自身だというのに、搦目心中を使おうとしている。
「ここを出るには俺の権能が奴に通じればいい!」
「無理ですよ!?」
「だから俺の心を自分で破壊すれば!奴は効果対象だ!」
それは藍川こ奥の手の一つ。権能が通じない程に相手の心が弱いのであれば、自分が相手よりも弱くなれば良いだけのこと。シンプルな理屈ではあるが、それが彼らにもたらす結果は最悪のものだった。
『破壊!』
眩い光に粳部が目を閉じた瞬間、遠くで聞き慣れた誰かの叫び声が木霊した。
その刹那、激しい光が消えたかと思うと空間に亀裂が走る。ガラスのように全てが砕けた瞬間、彼らに見えた光景はあの白い空間と違う本来の居場所。受け身も取れずに二人はそこから放り出され、あの駐車場の地面を転がりながら爪を立てて止まった。
「戻れた!?」
「こ、ここからだ……ぞ!」
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>11月14日から28日まで開催です!
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