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※※※
「きっと…死んでしまうからなんです」
少女はそう言った。
雲一つない晴れ渡った蒼穹。
上空を吹き渡る風が今日は強い。天空から燦々と降り注ぐ初夏の午前の日差しは、穏やかな暖かさに包まれていた。
風に乱れた長い髪を少女は手櫛でかき上げた。セーラー服を着て姿勢良く立ったその後ろ姿は、少女のあどけなさと女の艶めかしさとが同居した不思議な存在だった。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いていた。
「私、思うんです…。こんな風にきっと人が人を好きになるのって、自分が今ここに生きてる証が欲しいからなんじゃないかって…」
少女はどこか遠くへと目を馳せて呟いた。
「自分が好きな人が周りからどう思われているのか…。誰がその人を好きなのか…。その人が本当は誰が好きなのか…。最近、そうしたことが凄く気になるようになりました」
少女は続けた。
「人が人を好きになるってこと…その意味が私、やっと解ったような気がするんです…。
付き合った人はいたけど、こんな風に苦しくて切ない気持ちになるコトなんてなかった…」
少女は空を仰いだ。
「女のコにとっては特別なはずなのに、男の人を初めて知った時も私には痛みしかなくて…。
それも終わってしまえば、どこか他人事で…。
私、心の奥の方ではどこか白けていました。女になるのってこんなものだったのかなって…。
今思えば私はきっと誰も好きじゃなかったんです。ただ他の女の子と同じような恋愛をしてみたかっただけ…。恋愛の真似事がしてみたかっただけなんです」
少女は淡々と自分のことを語り始めていた。
「最初は馬鹿じゃないのかって思ってました。
よく道ならぬ恋に落ちるとか爛れた恋愛に疲れたとか、そうした恋愛話をたった一言で表現したりするでしょう?
初恋の人がずっとずっと忘れられないとか、何十年越しの憧れの人と結ばれたとか、子供が出来たから仕方なく結婚したとか…。
どこかでマニュアル化されたような恋愛のパターンっていうのが、きっと予め決まっていて、それに嵌ってさえいれば、それがたとえどんなものであれ、大抵の人は満足するんです。
不思議ですよね…。
奇跡なんてそうそう起こるはずないのに、この偶然は運命かもしれない、これは奇跡かもしれないと勘違いして恋に落ちて…。
痛みや苦しみを幾度も繰り返して結局はハッピーエンドで終わる。
大抵の人はそれを望みます。まるで、そうじゃないと駄目だっていうみたいに…」
少女はしばし、遠くの方へと目を馳せた。
「まるで幻を追いかけてるみたいですよね…。現実が全て、そんな夢物語のようにうまくいくように出来ていたらいいのに…。
どんな恋愛ドラマも恋が成就した途端に終わりますよね…。
夢だとか友情だとか愛だとか、そんなおまけはつくけどハッピーエンドから先を描くことなんて絶対にありませんよね…。
だって、そこから先にあるのは、ただの日常なんです。壊れてしまえば夢物語は、結局は現実でしかなかったという事だから…。
現実を知ってしまったら恋の魔法はきっと簡単に消えてしまう…。退屈でマニュアル化された恋愛話の一つに変わってしまう…。
だから勘違いならずっと勘違いしていたいし、見たい夢だけを見ていたいんだろうって…。
今まではそんな風に思ってました…」
少女は再び目を伏せた。
これじゃあまるで呪われたみたいですね、と少女は自分を嘲るように呟いた。
「傷つくかもしれないって解っているのに…。
…ううん、傷つく事なんて最初から解っているのに、それでも人は誰かを好きになるように出来ていたんです…。
恋は理屈じゃないっていう理屈が、やっとわかった気がします…。
あの人のことを考えると私、凄く気持ちが高鳴るんです…。もうあの人の事しか考えられない…。ただ苦しくて切なくて…。
きっと、ずっと消えない呪いなんです。この胸の思いをどうにかしない限り、この呪いはきっと消えてくれないんです…」
啜り泣くような音を立てて風が吹き過ぎていった。俯いた少女は実際、泣いてもいた。
「私が好きになった人は…長く生きられない体なんです。もう時間がないの…。
あの人にはもう…」
少女は微かに肩を震わせている。
「だから、せめて今度の誕生日だけは一緒に過ごしたいんです…。きっと死んじゃうから…。
思い出を残す為に、私達は生きてるんだと思うから…」
それなら笑っていた方がいいよ、と声をかけると少女は振り向いてどこか寂しそうに微笑んだ。
※※※
「死んでしまえたら楽なのに…」
少女はそう言った。
雲一つない晴れ渡った蒼穹。
上空を吹き渡る風は午前にも増して強い。からりと晴れた午後の日差しを受けて周囲は夏の訪れを感じさせる暑さの中、遠くの街並みにはうっすらと陽炎が浮いてぼやけている。
風に乱れた長い髪を唇にくわえた髪留めで器用に結んで後ろに流すと、少女は眩しすぎる空の青さと照りつける太陽の陽射しに暫し天を仰いで目を閉じていた。セーラー服を着て、やや項垂れた様子のその後ろ姿は少女というよりは女の艶めかしさの方がまず際立つ存在といえた。
少女は背中を見せたまま、やや疲労していた。
「初めはこんなことになるなんて思ってもみなかった。ただ友達から二、三日お願いねって頼まれた物を預かっていただけで中身なんて気にもしなかったし鞄を開けもしなかったから…。部活で使うなんて嘘もいいとこ…。駅の近くの植え込みに鞄が落ちてて中に拳銃が入ってて、拾った人が青くなって交番に届けたなんて事件が福岡であったけど、アタシはもうそんな人達を一生笑えないだろうな…」
少女はやや自嘲気味に、やや吐き捨てるようにそう言って俯いた。
「罪って何なんでしょう…。友達って何なんでしょう…。ヤバそうだと感じたら責任ごと誰かに放り投げて、そのままいなくなっちゃうなんて友達でも何でもないし卑怯…。中身があんな物だなんて知っていたら預かりだってしないし、その場で絶交でもすればよかった。何もかも手遅れですけど…」
少女は続けた。
「知らなかったことが罪だなんて、普通は思わないでしょう?」
少女は静かに激昂していた。その表情には怒りと悔しさと自責と後悔が入り交じっていた。
「何より苦しいのは、そのせいで自分が大切にしている友達や…尊敬してる人まで巻き込んでしまったことだと思うんです。こんなアタシのコトを知ったらあのコだって、あの人だって心底軽蔑すると思う…。こんなアタシなんか…あのコと張り合う資格なんてもうないのに…。
ああ…あのコの兄さんを奪ったのも、アタシなんだ…。その場の勢いに任せて…」
少女は静かに項垂れた。
「馬鹿ですよね…アタシって…」
後ろ手に手摺に掴まりながら、少女は真っ青な天を仰いだ。
「そういえば、アタシのお父さんもそう…。
周りの人のことなんて考えないで空気も読まずに行動したり発言しては、その場しのぎで…。一見良いことしてるように物事を変えよう変えようとするんだけど、責任はとらずに最後には逃げるから、結果的に周りを引っかき回しただけで、結局は周りから疎まれて最後には孤立してる…」
「肩書きだけ偉くなっても、自分が誰かを幸せにできなきゃ意味なんかないのにな…」
諦めたように俯くと少女は今度は、ほんの少し何かを吹っ切るようにして続けた。
「少しずつでも変わるはず…。あの場所にいれば劇的に何かが変わるはず…。
友達やあの人に迷惑をかけてるのは辛いけど、逆に秘密を共有してることが今は何か嬉しい…。これが友達なんだって再確認できた…。これが恋なんだって改めて自覚できた…。抜け駆けする訳じゃないから、あのコにもちゃんと説明して解ってもらわなきゃ…。今はそんな風に思ってるんです」
それなら笑っていた方がいいよ、と声をかけると少女はやや疲れぎみに、力なく微笑んだ。
※※※
「それでも…死にたいほどの悩みなんです…」
少女はそう言った。
雄大な茜色の空。
ゆるゆると沈みゆく赤い太陽…。
残り少ない夕日の輝きを背に半ば群青色に染まった遠くの雲海。
黄昏時の上空を吹き渡る風は不思議なほどに穏やかだった。
項よりやや高めの位置で一つに束ね、背中へとそのまま流した、馬の尾のような長い黒髪に赤い髪留めがよく似合う。
風が少女の髪を靡かせる度に、宝石のような赤い飾りがキラキラと西日を反射して輝いた。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いていた。
「自分にそういうところがあるってことには昔から気付いていたんです。
私はきっと…そんな自分を見ないふりをして何重も蓋をして、そんな素顔を仮面で隠すようにして生きてきたんです…」
少女はそう言ってどこか遠い目をした。
「女のコが女のコを好きになるなんて、やっぱり普通じゃないですよね…。
呪いをかけるみたいに、そのコの恋愛にまで余計な負担をかけちゃうだろうし…。
仲のいい友達だって、こんな私のことを知ったら軽蔑するかもしれない…」
少女は手摺に手をかけて続けた。
「いつか仰っておられましたね。英単語の『sodomy』…男色に関する語源の話。
キリスト教には背徳の街があって、男色や同性愛が公然と行われていて、その街は神様の怒りに触れて焼き尽くされたんだって…。
日本にも同性愛を公言した牧師の人がいるぐらいだって…。
背徳の恋に身を焦がすのは、けっして特別なことじゃないって…」
少女は苦しそうに、形のよい眉をひそめた。
「同性愛って、男でも女でも気持ち悪いっていいますよね…。
イケメン同士、カワイイ娘同士の同性愛ならアリだけどブサイク同士は許せないとか、そんな自分勝手なコトを言う人もいます…。
そうしたことに理解がある人でも自分のことに話が及べば結局、大抵の人は口を噤む。
そうじゃなくても態度に出る…。ぎこちなさやそうしたことへの無理解や無関心、沈黙の方が同性愛者にとっては何倍も辛いのに…」
少女は辛そうに自分自身のことを語った。
「拒絶されるのが怖いんじゃないんです。当たり前じゃないことに溺れられる自分が怖いんです…。こちらが真剣になればなるほど、異常な目で見られちゃうんです。だから私、人前ではいつも明るく振る舞うようにしてきた…」
少女は再び俯いた。
皮肉ですね、と少女は続けた。
「歪んだ事件の真相を求めている私の方が、ずっと歪んだ存在なんです…。
出られない自分自身の檻の奥から高らかに愛を叫んでも、自分の正当性が誰かに認められる訳じゃないのに…。
でも、何が正しくて何が間違っているのかは、結局は自分で決めるしかないと思うんです。
だから…誰かが歪めた真実を知りたくなったんだと思います」
夕日の光に赤く染まった少女の頬に一滴、透明なものが走る。
頬を伝う涙を零すまいとするかのように、少女は目を閉じて壮大な茜色の空を仰いだ。
「叶うはずなんてない…。
この想いはきっと届かない…。
届かなくても構わない。
それでも…。
それでも、私はあのコを…。
心から愛しています…」
なら笑っていればいいと思うよ、と声を掛けると少女は泣き笑いのような表情を見せてから、再びどこか遠くへと目を馳せた。
※※※
「いっそ…このまま、死んでしまいたくなりますわ」
少女はそう言った。
漆黒の夜空を照らす天上の星々。
下弦の月が齎す淡くぼんやりとした光。眼下に広がる街の灯火は宝石のように煌めいている。
上空を吹き渡る夜の風は冴え冴えと冷たく、凛とした孤独を運んでくる。
柔らかな月明かりが少女の美しい痩身を照らし出していた。
太陰の光を受け、逆光の黒い影の中で少女の長い髪がはらはらと夜風に靡いた。
少女は昼の太陽と夜の太陰の光のごとく、裏返っても尚、変わらない輝きを放つ者として、天から与えられたような存在だった。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いている。
「いいえ…死にたいなんて言うと誤解を招いてしまいますわね。
そう…言ってみれば、ここから消えてなくなってしまえたらなっていう感じなんですの…。
誰の記憶にも私の存在なんか何も残らないまま、このまま静かに消えてしまえたらなって…」
少女は遠くへと目を馳せた。
「ここからこうして街の景色を見下ろす度に、いつも思うんです。
判で捺したような、この時代錯誤なお嬢様言葉も、皆から尊敬の眼差しで見られる事も特別扱いされる事も…。
結局は私というキャラクターを成り立たせる為に、生まれた時から誰かに予め仕組まれていた事なんじゃないかって…」
まるで操り人形みたいですわね、と少女は続けた。
「よく人は同じ星の下に生まれてくるっていいますでしょう?
…けれど、あれはきっと嘘ですわ。
精一杯努力して、自分の内側から自分の人生を変えていこうとするのが人…。けど、自分ではどうにもならない容姿や姿形といった外側の方が、自分や自分の運命を決めていることの方が圧倒的に多いって思いませんか?
不公平というのなら、恵まれていることだって充分に不公平なんです。
百人一首で小野小町が嘆いた理由が解ります。
どれだけ羨ましがられようと賛美されようと、いつかは歪んでいく為に存在する虚飾なんて哀れなものですわ…。
美はいつだって概念の中にしかありません…。人に宿る美は人が思っているよりずっと刹那的で孤独なものなんです。
泡になって消えた人魚姫や、腕の欠けたヴィーナスが美しいのは、きっと彼女達が人じゃないからですわ」
少女はつう、と冷たい手摺を指でなぞった。
「優等生のレッテルを貼られたり大衆が望むイメージ通りに振る舞う生活は最初は苦痛でしたけど、今はもう慣れてしまいましたわ。
傀儡師は自分の存在まで消そうとしますでしょう?
いくら虚飾と嘘だらけの上辺の世界でも、それを演じている人形の方がいつだって私自身なんですから、殊更に飾り立てる必要なんてないんです。裏返った自分をただ楽しめばいいと思うんですの。嘘から出た真ですわね。
相手が勝手に勘違いしてくれることが多いから、優位に立っているように見えるだけなんですのよ。可笑しいですわね」
少女は、どこか寂しげな眼差しで微笑んだ。
「いつか仰っておられましたね?
人は本来的に、小さくて臆病で、弱いものなんだって…。本当にそう思いますわ。
こう見えても、私だってコンプレックスの塊なんですのよ。けれど周りはいつだってそう見てはくれません…。
逆立ちしたって叶わない相手は世の中にいくらだっているし、いくらお金があるからって人の何十倍も食べられる訳でもない。
人は結局は人なんです。
人として生きていられれば満足なはずのに、それ以上を求めてしまうのは愚かですわ…」
俯いていた少女は、そこで突然ぱっと振り返った。
「それはそうと私ね、最近とても面白い場所を見つけたんですの!
もしかしたら、この学園の歴史を変えてしまうほどの大発見になるかもしれませんわ!
今度、仲のいい後輩のコと探検してみようと思っているんです」
夢見る乙女のように少女は瞳を輝かせて、再び星空を仰いだ。漆黒の夜空へ届けとばかりに、少女は一際明るい表情になって言った。
「今は内緒ですけど、お話の中にしか存在しないような不思議な場所が、こんな身近にあっただなんて素敵だと思いませんか!」
君はやはり笑っていた方がいい、と声を掛けると少女は再び振り返り、無邪気な表情で微笑んだ。
「きっと…死んでしまうからなんです」
少女はそう言った。
雲一つない晴れ渡った蒼穹。
上空を吹き渡る風が今日は強い。天空から燦々と降り注ぐ初夏の午前の日差しは、穏やかな暖かさに包まれていた。
風に乱れた長い髪を少女は手櫛でかき上げた。セーラー服を着て姿勢良く立ったその後ろ姿は、少女のあどけなさと女の艶めかしさとが同居した不思議な存在だった。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いていた。
「私、思うんです…。こんな風にきっと人が人を好きになるのって、自分が今ここに生きてる証が欲しいからなんじゃないかって…」
少女はどこか遠くへと目を馳せて呟いた。
「自分が好きな人が周りからどう思われているのか…。誰がその人を好きなのか…。その人が本当は誰が好きなのか…。最近、そうしたことが凄く気になるようになりました」
少女は続けた。
「人が人を好きになるってこと…その意味が私、やっと解ったような気がするんです…。
付き合った人はいたけど、こんな風に苦しくて切ない気持ちになるコトなんてなかった…」
少女は空を仰いだ。
「女のコにとっては特別なはずなのに、男の人を初めて知った時も私には痛みしかなくて…。
それも終わってしまえば、どこか他人事で…。
私、心の奥の方ではどこか白けていました。女になるのってこんなものだったのかなって…。
今思えば私はきっと誰も好きじゃなかったんです。ただ他の女の子と同じような恋愛をしてみたかっただけ…。恋愛の真似事がしてみたかっただけなんです」
少女は淡々と自分のことを語り始めていた。
「最初は馬鹿じゃないのかって思ってました。
よく道ならぬ恋に落ちるとか爛れた恋愛に疲れたとか、そうした恋愛話をたった一言で表現したりするでしょう?
初恋の人がずっとずっと忘れられないとか、何十年越しの憧れの人と結ばれたとか、子供が出来たから仕方なく結婚したとか…。
どこかでマニュアル化されたような恋愛のパターンっていうのが、きっと予め決まっていて、それに嵌ってさえいれば、それがたとえどんなものであれ、大抵の人は満足するんです。
不思議ですよね…。
奇跡なんてそうそう起こるはずないのに、この偶然は運命かもしれない、これは奇跡かもしれないと勘違いして恋に落ちて…。
痛みや苦しみを幾度も繰り返して結局はハッピーエンドで終わる。
大抵の人はそれを望みます。まるで、そうじゃないと駄目だっていうみたいに…」
少女はしばし、遠くの方へと目を馳せた。
「まるで幻を追いかけてるみたいですよね…。現実が全て、そんな夢物語のようにうまくいくように出来ていたらいいのに…。
どんな恋愛ドラマも恋が成就した途端に終わりますよね…。
夢だとか友情だとか愛だとか、そんなおまけはつくけどハッピーエンドから先を描くことなんて絶対にありませんよね…。
だって、そこから先にあるのは、ただの日常なんです。壊れてしまえば夢物語は、結局は現実でしかなかったという事だから…。
現実を知ってしまったら恋の魔法はきっと簡単に消えてしまう…。退屈でマニュアル化された恋愛話の一つに変わってしまう…。
だから勘違いならずっと勘違いしていたいし、見たい夢だけを見ていたいんだろうって…。
今まではそんな風に思ってました…」
少女は再び目を伏せた。
これじゃあまるで呪われたみたいですね、と少女は自分を嘲るように呟いた。
「傷つくかもしれないって解っているのに…。
…ううん、傷つく事なんて最初から解っているのに、それでも人は誰かを好きになるように出来ていたんです…。
恋は理屈じゃないっていう理屈が、やっとわかった気がします…。
あの人のことを考えると私、凄く気持ちが高鳴るんです…。もうあの人の事しか考えられない…。ただ苦しくて切なくて…。
きっと、ずっと消えない呪いなんです。この胸の思いをどうにかしない限り、この呪いはきっと消えてくれないんです…」
啜り泣くような音を立てて風が吹き過ぎていった。俯いた少女は実際、泣いてもいた。
「私が好きになった人は…長く生きられない体なんです。もう時間がないの…。
あの人にはもう…」
少女は微かに肩を震わせている。
「だから、せめて今度の誕生日だけは一緒に過ごしたいんです…。きっと死んじゃうから…。
思い出を残す為に、私達は生きてるんだと思うから…」
それなら笑っていた方がいいよ、と声をかけると少女は振り向いてどこか寂しそうに微笑んだ。
※※※
「死んでしまえたら楽なのに…」
少女はそう言った。
雲一つない晴れ渡った蒼穹。
上空を吹き渡る風は午前にも増して強い。からりと晴れた午後の日差しを受けて周囲は夏の訪れを感じさせる暑さの中、遠くの街並みにはうっすらと陽炎が浮いてぼやけている。
風に乱れた長い髪を唇にくわえた髪留めで器用に結んで後ろに流すと、少女は眩しすぎる空の青さと照りつける太陽の陽射しに暫し天を仰いで目を閉じていた。セーラー服を着て、やや項垂れた様子のその後ろ姿は少女というよりは女の艶めかしさの方がまず際立つ存在といえた。
少女は背中を見せたまま、やや疲労していた。
「初めはこんなことになるなんて思ってもみなかった。ただ友達から二、三日お願いねって頼まれた物を預かっていただけで中身なんて気にもしなかったし鞄を開けもしなかったから…。部活で使うなんて嘘もいいとこ…。駅の近くの植え込みに鞄が落ちてて中に拳銃が入ってて、拾った人が青くなって交番に届けたなんて事件が福岡であったけど、アタシはもうそんな人達を一生笑えないだろうな…」
少女はやや自嘲気味に、やや吐き捨てるようにそう言って俯いた。
「罪って何なんでしょう…。友達って何なんでしょう…。ヤバそうだと感じたら責任ごと誰かに放り投げて、そのままいなくなっちゃうなんて友達でも何でもないし卑怯…。中身があんな物だなんて知っていたら預かりだってしないし、その場で絶交でもすればよかった。何もかも手遅れですけど…」
少女は続けた。
「知らなかったことが罪だなんて、普通は思わないでしょう?」
少女は静かに激昂していた。その表情には怒りと悔しさと自責と後悔が入り交じっていた。
「何より苦しいのは、そのせいで自分が大切にしている友達や…尊敬してる人まで巻き込んでしまったことだと思うんです。こんなアタシのコトを知ったらあのコだって、あの人だって心底軽蔑すると思う…。こんなアタシなんか…あのコと張り合う資格なんてもうないのに…。
ああ…あのコの兄さんを奪ったのも、アタシなんだ…。その場の勢いに任せて…」
少女は静かに項垂れた。
「馬鹿ですよね…アタシって…」
後ろ手に手摺に掴まりながら、少女は真っ青な天を仰いだ。
「そういえば、アタシのお父さんもそう…。
周りの人のことなんて考えないで空気も読まずに行動したり発言しては、その場しのぎで…。一見良いことしてるように物事を変えよう変えようとするんだけど、責任はとらずに最後には逃げるから、結果的に周りを引っかき回しただけで、結局は周りから疎まれて最後には孤立してる…」
「肩書きだけ偉くなっても、自分が誰かを幸せにできなきゃ意味なんかないのにな…」
諦めたように俯くと少女は今度は、ほんの少し何かを吹っ切るようにして続けた。
「少しずつでも変わるはず…。あの場所にいれば劇的に何かが変わるはず…。
友達やあの人に迷惑をかけてるのは辛いけど、逆に秘密を共有してることが今は何か嬉しい…。これが友達なんだって再確認できた…。これが恋なんだって改めて自覚できた…。抜け駆けする訳じゃないから、あのコにもちゃんと説明して解ってもらわなきゃ…。今はそんな風に思ってるんです」
それなら笑っていた方がいいよ、と声をかけると少女はやや疲れぎみに、力なく微笑んだ。
※※※
「それでも…死にたいほどの悩みなんです…」
少女はそう言った。
雄大な茜色の空。
ゆるゆると沈みゆく赤い太陽…。
残り少ない夕日の輝きを背に半ば群青色に染まった遠くの雲海。
黄昏時の上空を吹き渡る風は不思議なほどに穏やかだった。
項よりやや高めの位置で一つに束ね、背中へとそのまま流した、馬の尾のような長い黒髪に赤い髪留めがよく似合う。
風が少女の髪を靡かせる度に、宝石のような赤い飾りがキラキラと西日を反射して輝いた。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いていた。
「自分にそういうところがあるってことには昔から気付いていたんです。
私はきっと…そんな自分を見ないふりをして何重も蓋をして、そんな素顔を仮面で隠すようにして生きてきたんです…」
少女はそう言ってどこか遠い目をした。
「女のコが女のコを好きになるなんて、やっぱり普通じゃないですよね…。
呪いをかけるみたいに、そのコの恋愛にまで余計な負担をかけちゃうだろうし…。
仲のいい友達だって、こんな私のことを知ったら軽蔑するかもしれない…」
少女は手摺に手をかけて続けた。
「いつか仰っておられましたね。英単語の『sodomy』…男色に関する語源の話。
キリスト教には背徳の街があって、男色や同性愛が公然と行われていて、その街は神様の怒りに触れて焼き尽くされたんだって…。
日本にも同性愛を公言した牧師の人がいるぐらいだって…。
背徳の恋に身を焦がすのは、けっして特別なことじゃないって…」
少女は苦しそうに、形のよい眉をひそめた。
「同性愛って、男でも女でも気持ち悪いっていいますよね…。
イケメン同士、カワイイ娘同士の同性愛ならアリだけどブサイク同士は許せないとか、そんな自分勝手なコトを言う人もいます…。
そうしたことに理解がある人でも自分のことに話が及べば結局、大抵の人は口を噤む。
そうじゃなくても態度に出る…。ぎこちなさやそうしたことへの無理解や無関心、沈黙の方が同性愛者にとっては何倍も辛いのに…」
少女は辛そうに自分自身のことを語った。
「拒絶されるのが怖いんじゃないんです。当たり前じゃないことに溺れられる自分が怖いんです…。こちらが真剣になればなるほど、異常な目で見られちゃうんです。だから私、人前ではいつも明るく振る舞うようにしてきた…」
少女は再び俯いた。
皮肉ですね、と少女は続けた。
「歪んだ事件の真相を求めている私の方が、ずっと歪んだ存在なんです…。
出られない自分自身の檻の奥から高らかに愛を叫んでも、自分の正当性が誰かに認められる訳じゃないのに…。
でも、何が正しくて何が間違っているのかは、結局は自分で決めるしかないと思うんです。
だから…誰かが歪めた真実を知りたくなったんだと思います」
夕日の光に赤く染まった少女の頬に一滴、透明なものが走る。
頬を伝う涙を零すまいとするかのように、少女は目を閉じて壮大な茜色の空を仰いだ。
「叶うはずなんてない…。
この想いはきっと届かない…。
届かなくても構わない。
それでも…。
それでも、私はあのコを…。
心から愛しています…」
なら笑っていればいいと思うよ、と声を掛けると少女は泣き笑いのような表情を見せてから、再びどこか遠くへと目を馳せた。
※※※
「いっそ…このまま、死んでしまいたくなりますわ」
少女はそう言った。
漆黒の夜空を照らす天上の星々。
下弦の月が齎す淡くぼんやりとした光。眼下に広がる街の灯火は宝石のように煌めいている。
上空を吹き渡る夜の風は冴え冴えと冷たく、凛とした孤独を運んでくる。
柔らかな月明かりが少女の美しい痩身を照らし出していた。
太陰の光を受け、逆光の黒い影の中で少女の長い髪がはらはらと夜風に靡いた。
少女は昼の太陽と夜の太陰の光のごとく、裏返っても尚、変わらない輝きを放つ者として、天から与えられたような存在だった。
少女は背中を見せたまま、ずっと俯いている。
「いいえ…死にたいなんて言うと誤解を招いてしまいますわね。
そう…言ってみれば、ここから消えてなくなってしまえたらなっていう感じなんですの…。
誰の記憶にも私の存在なんか何も残らないまま、このまま静かに消えてしまえたらなって…」
少女は遠くへと目を馳せた。
「ここからこうして街の景色を見下ろす度に、いつも思うんです。
判で捺したような、この時代錯誤なお嬢様言葉も、皆から尊敬の眼差しで見られる事も特別扱いされる事も…。
結局は私というキャラクターを成り立たせる為に、生まれた時から誰かに予め仕組まれていた事なんじゃないかって…」
まるで操り人形みたいですわね、と少女は続けた。
「よく人は同じ星の下に生まれてくるっていいますでしょう?
…けれど、あれはきっと嘘ですわ。
精一杯努力して、自分の内側から自分の人生を変えていこうとするのが人…。けど、自分ではどうにもならない容姿や姿形といった外側の方が、自分や自分の運命を決めていることの方が圧倒的に多いって思いませんか?
不公平というのなら、恵まれていることだって充分に不公平なんです。
百人一首で小野小町が嘆いた理由が解ります。
どれだけ羨ましがられようと賛美されようと、いつかは歪んでいく為に存在する虚飾なんて哀れなものですわ…。
美はいつだって概念の中にしかありません…。人に宿る美は人が思っているよりずっと刹那的で孤独なものなんです。
泡になって消えた人魚姫や、腕の欠けたヴィーナスが美しいのは、きっと彼女達が人じゃないからですわ」
少女はつう、と冷たい手摺を指でなぞった。
「優等生のレッテルを貼られたり大衆が望むイメージ通りに振る舞う生活は最初は苦痛でしたけど、今はもう慣れてしまいましたわ。
傀儡師は自分の存在まで消そうとしますでしょう?
いくら虚飾と嘘だらけの上辺の世界でも、それを演じている人形の方がいつだって私自身なんですから、殊更に飾り立てる必要なんてないんです。裏返った自分をただ楽しめばいいと思うんですの。嘘から出た真ですわね。
相手が勝手に勘違いしてくれることが多いから、優位に立っているように見えるだけなんですのよ。可笑しいですわね」
少女は、どこか寂しげな眼差しで微笑んだ。
「いつか仰っておられましたね?
人は本来的に、小さくて臆病で、弱いものなんだって…。本当にそう思いますわ。
こう見えても、私だってコンプレックスの塊なんですのよ。けれど周りはいつだってそう見てはくれません…。
逆立ちしたって叶わない相手は世の中にいくらだっているし、いくらお金があるからって人の何十倍も食べられる訳でもない。
人は結局は人なんです。
人として生きていられれば満足なはずのに、それ以上を求めてしまうのは愚かですわ…」
俯いていた少女は、そこで突然ぱっと振り返った。
「それはそうと私ね、最近とても面白い場所を見つけたんですの!
もしかしたら、この学園の歴史を変えてしまうほどの大発見になるかもしれませんわ!
今度、仲のいい後輩のコと探検してみようと思っているんです」
夢見る乙女のように少女は瞳を輝かせて、再び星空を仰いだ。漆黒の夜空へ届けとばかりに、少女は一際明るい表情になって言った。
「今は内緒ですけど、お話の中にしか存在しないような不思議な場所が、こんな身近にあっただなんて素敵だと思いませんか!」
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