モブの悪役令息は平穏な日々を望むも、破滅回避のためシナリオに翻弄される

妖精 美瑠

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第0話 さよなら、俺の日常

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 冬の夜風が、ひゅうひゅうとアパートの外壁を叩きつける。
 二階建ての古びた建物の一室から、温かな光と兄妹の笑い声が漏れていた。

「お兄ちゃん! 見て見て、このクラウス様、マジで最高じゃない!?尊い!」

 ソファに座る少女がゲーム機を握りしめて目を輝かせる。
 広瀬美咲――十五歳、中学三年生。明るく元気で、俺にとってはかけがえのない妹だ。

「クラウス……誰だよそれ。」

 俺――広瀬直哉はキッチンからマグカップを持って戻り、画面を覗き込む。
 そこには煌びやかな制服を着たキャラクターたちが並んでおり、まさに少女が好きそうな乙女ゲームの光景だった。

「クラウス様はね、ヒロインに一途に想いを寄せる当て馬キャラなの!」

「当て馬キャラ……?」

「そう! 攻略対象じゃないんだけど、めちゃくちゃヒロインを愛してるの! でも最後には報われない……だから切ないの!」

 熱く語る美咲に、俺は呆れ混じりに眉をひそめた。

「いや、待て。普通こういうゲームって、王子とか貴族のイケメン攻略キャラが一番人気じゃないのか?」

「ふふん! それが普通なんだけどね!」

 美咲は得意げに胸を張る。

「でも私はクラウス様一択なの! だってヒロインへの愛が純粋で、すっごく健気なんだよ?叶わない恋だと分かっていても、必死に守ろうとして……その姿がたまらないの!」

「……いやいや、報われない恋を応援して何が楽しいんだよ。」

「それがいいんだよ! お兄ちゃんもクラウス様の良さを分かってほしいんだよ~!」

 美咲は真剣な目で訴えてくる。
 俺は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

「いやいや、俺が乙女ゲーム……似合わないだろ。完全に場違いだわ。」

「いいから! 選択肢だけでいいから一緒にやろう!」

「……はぁ、しょうがないな。」

 結局、美咲の熱意に押され、俺はコントローラーを握らされることになった。
 画面には学園で繰り広げられる恋愛劇。
 ヒロインと複数の攻略対象、そしてヒロインを執着的に想うクラウス。
 さらに、冷たく高慢な笑みを浮かべる少年――悪役令息レオナール=グランフィールドの姿もあった。

 物語を進めるにつれ、学園内でヒロインと攻略対象たちが絆を深めていくイベントが描かれる。
 一方でクラウスはヒロインへの強すぎる想いを募らせ、やがて暴走してしまう。

「ここからがクラウス様の切ないところなんだよ……」

 美咲は声を震わせながら説明する。

「ヒロインを誰よりも愛してるのに、想いが届かなくて……そして暴走したクラウス様は、ついにレオ様に命じてヒロインを追い詰めちゃうの……!」

「えっ、命じるって……クラウスが黒幕なのか?」

「そう! クラウス様が自分で手を下すんじゃなくて、レオ様やその取り巻きたちを使って……!」

 美咲は悲しげに目を伏せる。

「でもレオ様だって本当はクラウス様に逆らえなくて……。だから二人まとめて断罪されちゃうんだよ……うぅっ……!」

「なんだよそれ……救いがなさすぎるだろ。」

「でもね、それがヒロインと攻略対象たちの絆を深めるんだよ……!クラウス様はヒロインを愛した“当て馬”だからこそ、切ないんだよ!」

「女の子の趣味はよく分からん……」

 溜め息をつきながらも、美咲が楽しそうに笑うその顔を見て、自然と口元が緩む。
 俺にとって大事なのはゲームじゃない。この妹が笑っていてくれること、それだけだ。

 俺と美咲は二人暮らしをしている。
 三年前、両親が離婚してから俺たち兄妹は母と三人で暮らしていたが、俺が大学進学を機に一人暮らしを始めた。
 しかし半年前、母が体調を崩して入院することになり、美咲は俺のアパートに転がり込んできたのだ。

 狭いワンルームでの生活は大変だったが、不思議と苦にはならなかった。
 むしろ俺は、この小さな日常を守るためなら何だってしてやろうと思っていた。

「……あー、なんか甘いもの食べたいなぁ。」

 ゲームを終え、美咲がぽつりと呟く。

「甘いもの? ケーキでも買ってくるか?」

「えっ!? いいの!? でも寒いし……お兄ちゃんが風邪ひいちゃうよ。」

「心配するな。お前は布団でぬくぬくしてろ。」

 俺は笑い、上着を羽織る。
 バイト帰りで疲れていたが、美咲が喜ぶならそれでいい。

「お兄ちゃん……気をつけてね。」

「任せとけ」

 そう言い残し、俺は冷たい夜の街へと足を踏み出した。

 コンビニでチーズケーキとプリンを買い、帰り道を急ぐ。
 吐く息は白く、手には温かい袋。
 早く帰って、美咲と一緒に食べよう――そう思ったその時だった。

 キィィィィィィ――ッ!!!

 耳をつんざくブレーキ音。
 視界の端から猛スピードで突っ込んでくるトラック。
 俺が振り返った瞬間、世界がスローモーションになる。

「っ――!」

 強烈な衝撃。
 視界がぐるりと回転し、アスファルトの冷たさと血の匂いが全身を包む。
 遠ざかる意識の中、最後に聞こえたのは――。

「お兄ちゃんっ……帰ってきてよ……!」



 美咲の泣き叫ぶ声だった。

 そして、すべてが暗闇に沈んだ。


 次に目を開いた時、そこは見知らぬ豪奢な部屋だった。
 金色の装飾が施された天井。
 シーツは絹のように滑らかで、鼻をくすぐる花の香り。

「……ここ……どこだ……?俺……さっきまで……コンビニの帰りで……」

 理解が追いつかないまま、俺はゆっくりと身を起こした。
 目に映るのは、アパートとは比べ物にならない豪華な調度品ばかり。
 何かが決定的におかしい。

 その時、視界の端に大きな姿見が映った。

「っ……!」

 ふらつきながら鏡の前に立つ。
 そこに映っていたのは、金髪碧眼の美少年――俺ではない、まったく別人の姿。

「……誰だ、これ……!?」



 震える手で頬を触る。
 鏡の中の少年も、同じ動きを返す。
 現実感が崩壊していく中、胸の鼓動が早鐘のように鳴り響いた。

 ガチャリ、と扉が開かれ、二人の人影が飛び込んでくる。

「レ……レオナール様!」

「お加減はいかがですか、レオナール様。」

 青ざめた顔の少女と、冷ややかな目をした少年。
 その呼びかけに、俺の心臓が跳ね上がる。

「レオナール……? どこかで聞いた名前だ……いや、まさか……!」

 脳裏に、妹・美咲と一緒に過ごしたあの日のゲーム画面が鮮明によみがえる。
 断罪イベント――広場に集められた群衆、冷たい視線を向けるヒロイン、そして絶望するクラウスの顔。

 まるで悪夢のように、その映像が頭の中に浮かび上がる。

「……俺は……レオナール……なのか……!?」

 呆然と呟いたその声が、自分の耳にも遠く響く。
 もしそうならば――ここは、あの世界だ。

「じゃあ、ここは……まさか……」

 喉がひりつくほどの緊張の中、震える声で言葉を絞り出す。

「……『セレストアカデミア』……!」



 乙女ゲームのタイトルを口にした瞬間、頭の奥に激しい痛みが走る。
 視界が白く弾け飛び、世界が音を失った。

「うあああああああああああっ!!」

 堰を切ったように、レオナールとしての記憶が洪水のように流れ込んでくる。
 両親が弟妹ばかりを可愛がり、自分は冷遇され続けた日々。
 使用人を恐怖で支配し、怒鳴り散らした記憶。
 父からの失望、弟からの軽蔑、妹の怯える泣き顔……。

 それらすべてが、自分のものとして脳裏に刻み込まれていく。

(やめろ……これは俺じゃない……!
なのに、全部が俺の記憶として……!)


 息が荒くなり、冷や汗が背中を伝う。
 そして理解する。
 ――ここは、前世で妹とプレイした乙女ゲームの世界。
 自分は断罪され破滅する運命を背負ったモブの悪役令息なのだ。


(……美咲……俺はお前を一人にしてしまった……)



 胸の奥がずきりと痛む。
 だが、それ以上に頭を支配するのは恐怖だった。


(……俺は破滅なんてごめんだ……!
せっかく生きてるんだ……この世界で絶対に破滅しない……!)



 美咲への後悔を抱えながらも、
 俺がこの世界で最初に願ったのは――ただ、自分が生き抜くことだった。
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