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第4章
しおりを挟む私は薄曇りの空を見上げながら、剣の柄を握る手にじっと力を込めている。ほんのしばらく前まで、辺境の砦で帝国軍を相手にしていただけだったはずなのに、今はこうして大軍を率いて王都に迫っている。
胸の内には、複雑な熱が渦を巻いている。正直なところ、王都の人々を傷つけたいわけではない。けれど――もはや後戻りはできないのだ。
――王都が私を裏切ろうとしなければ、こんな形で剣を向けずに済んだかもしれない。
遡れば数日前。
暗殺者を片付けて王都へ向かう準備をしている時、私は心底うんざりするような徒労感に苛まれていた。王家と貴族たちが、私を“危険”とみなし、排除のために刺客を送り込んできた。もともと「名ばかりの飾りの妻」としてここに来ただけのはずが、今や“王威の審判”と呼ばれる力を振るってしまったことで、王都の者たちが口煩く私を排除しにかかってきたこと。
時間をおいて考えれば考えるほど、苛立ちが募っていた。
だからこそ、私は口をついてしまったのだ。
「こんな腐った国……もはや守る理由も見出せません」
砦の大広間に集まった兵士や騎士たちの前で、あまりにも投げやりな言い方をしてしまった。
実際、あのときはストレス爆発状態で、頭の中が真っ白だった。
でも、私がそう吐き捨てた直後、兵士の一人が恐る恐る言葉を返してくる。
「それでも、私たちはリリア様に従います。リリア様こそが真にこの国を導けるお方だと信じていますから」
その言葉に、自分でも驚くほど、胸に熱いものがこみ上げた。
こんな私についてきたいと言ってくれる人がいる。それまで自分は“誰からも必要とされない道具”だと思っていたのに、その兵士だけじゃない、周囲にいた多くの兵士が私を見つめる目に、確かな忠誠や期待が宿っていたのだ。
「……私は、この国に裏切られました。でも、あなたたちまで見捨てて、出奔するつもりはありません」
その言葉を口にして、私はようやく気づく。私がどれほど裏切られ、嫌気が差したとしても、“国そのもの”を放り出していい理由にはならない。ならば、むしろ正面から王都へ乗り込み、腐敗した貴族や王家に力を示してでも、この国の在り方を問いただすしかない――そう決意した。
「一度、思い知らせてやる必要があるのかもしれません。私が何者で、そしてこの国がどれだけ滅亡に瀕しているのかを」
兵士たちはうなずき、拳を握りしめる。アレクシスもまた、いつになく苛立たしげな声で言い放つ。
「もともと、王都の貴族どもの愚行には呆れ果てていた。俺もこの状況を放置するつもりはない。……行くぞ、リリア。力で問いただす、というのなら、俺が先陣を切ってやる」
こうして私たちは砦から王都へ向かうにあたり、『進軍』を決断した。目指すは王城――命を狙われる危険もあるが、ここで逃げ回っていては国そのものが崩壊してしまう。
その報せは驚くほど素早く王都へ伝わったらしい。王都に近づくにつれ、街道沿いの空気がざわついているのを感じる。噂によれば、王家や貴族たちは「リリア・エヴァレットが反逆を企てている」と宣伝し、私を“偽りの王”呼ばわりしているという。そこへさらに、帝国軍の再侵攻が時間の問題だという情報が入り、国内は混乱の極みにあるらしい。
兵士の一人が疲れた声で言う。
「王都の中では、私たちが“王座を乗っ取ろうとしている”なんて馬鹿な噂が広まっているらしいです。王族派の連中はリリア様を反逆者扱いし、民衆の不安を煽っています」
私は舌打ちしたい気持ちをこらえる。自分が“王になりたい”なんて思ったことは一度もない。ただ、この国を守りたいだけだというのに、どうして話がこんなにも歪められてしまうのか。
「王都はすでに分裂しているのですね……」
「はい、国王派とリリア様派に近い考えの者が混在し、内乱寸前です。今のまま放っておけば、帝国に侵攻される前に国内が崩壊するかもしれません」
兵士の報告を受けながら、私はアレクシスや騎士団長のクラウスと作戦を練る。とはいえ、王都を正面から落とすつもりはない。まずは正々堂々と話し合いの場を設けさせ、自分の真意を伝えることが先決だ。
すると、タイミングを計ったかのように、王都から「和平交渉を行いたい」という書状が届く。
アレクシスはそれを読んで露骨に眉をひそめる。
「罠の可能性が高い。あいつらがまともに話し合うとは思えん」
クラウスもうなずきながら警戒を示す。
「辺境伯領に刺客を送り込んできた連中が、今さら手のひらを返す理由が分かりません」
だが、私はそこに踏み込むしかないと思っている。罠だと分かっていても、対話を拒否すれば“やはりリリア・エヴァレットは反逆者”だと決めつけられるだけだ。
「行きましょう。もし彼らが和平交渉に罠を仕掛けているのなら、防衛かつ反撃の正当性はこちらにあることになります。何より、私たちがただ戦を望んでいるわけではないことを、はっきり示さなければ」
私の言葉を聞き、アレクシスは数秒間、苛立たしげに沈黙する。そして、深い息をついて顔を上げた。
「分かった。ならば、堂々と王城へ乗り込む。……お前がそこまで言うのなら、俺も腹を括ろう」
これにより、私たちは最小限の兵を連れ、王都の城門へ向かうことになった。多数の兵を城外に控えさせ、万一の事態に備える形だ。
王都の城壁が見えてくると、私の胸は妙に高鳴る。荘厳な門の前には、王都の守備兵が並び立っているが、いずれも落ち着かない様子だ。遠巻きに民衆が集まっていて、「リリア・エヴァレットが来た」「反逆だ」などと怯えや好奇の声が上がっている。
だが、私を見る民衆の中には、明らかに期待を込めた眼差しを向ける人も少なくない。王国軍の凱旋を何度も裏切ってきた王家や貴族たちに比べれば、辺境で帝国と戦い、兵士たちを率いて勝利を掴んだ私に望みをかける者がいるのも当然かもしれない。
アレクシスが軍馬から下り、私を一瞥して小声で囁く。
「気を抜くな。罠だと分かっていても、どこで仕掛けてくるか分からん」
「はい」
私は身構えながらも堂々と城門をくぐる。案内役の貴族が表面的な礼を示し、私やアレクシスを王城の大広間へ案内していく。途中、城内の兵士たちが警戒するように私たちを睨むが、表立って妨害はしてこない。おそらく、王家が「まずは話し合う」と宣言した手前、いきなり剣を抜くわけにもいかないのだろう。それでも、背筋に嫌な汗が伝うほど、空気が張り詰めている。
大広間に入るには、王族と貴族の安全の為、兵士に武器を預ける必要がある。一度ここに来たことがあれば分かっていた事だが、今は死活問題だ。剣を兵士に預ける事を拒んだアレクシスは、私が謁見している間、大広間の外で待機することとなった。
やがて、大広間の重々しい扉が開き、私はそこに足を踏み入れる。
赤い絨毯が敷き詰められた奥には、国王が座る玉座があり、その両脇を取り囲むように貴族たちがずらりと並んでいる。私が入ってきた瞬間、彼らの視線が突き刺さるように私を射抜き、ざわざわと囁き合いが広がる。
王の前に進み出て、一礼をする。すると、国王は渋面のまま短く言い放つ。
「よく来たな、リリア・エヴァレット。それに辺境伯アレクシス、随分と強引な振る舞いをしていると聞くが……いったいどういうつもりだ」
私は腹の底に渦巻く怒りを抑えて、なるべく冷静に言葉を選ぶ。
「陛下、私たちはこの国を守るために帝国と戦いました。しかし、その裏で私を暗殺しようとした輩がいたのも事実です。これがどういう意味か、まずは説明していただきたい」
国王の表情がますます険しくなる。周囲の貴族たちも、私の問いかけに反発するように声を上げる。
「そなたこそ、国を乱している張本人ではないのか?」
「建国の女王の力などと、得体の知れぬ魔法で兵を支配しようなど……反逆も同然!」
その瞬間、私は王城の空気が一気に凍りつくのを感じる。これが彼らの答えなのだ。私の存在自体を“反逆”だと決めつけ、処分したい。そのための“和平交渉”という名目だったのだろう。
国王が苛立ちを露わにし、玉座から立ち上がる。
「そなたの力が脅威になるのは明白である。この王都に入れるわけにはいかぬ。……よって、リリア・エヴァレット、そなたを『国の秩序を乱す者』として逮捕し、処刑とする!」
一瞬、耳を疑うほどあっけなく、死刑宣告が下った。アレクシスが私の横で剣の柄に手をかけるのが分かるが、間髪を入れずに大広間のあちこちから兵士たちが殺到する。
「国王の命令だ、リリアを捕らえろ!」
「逆らう者は反逆罪だ!」
一斉に向かってくる騎士や兵士たちを前に、私は呆然としてしまった。自分の国の王にまで“処刑”を宣告されるなんて、思いもしなかった。怒りで拳が震え、声を荒げる。
「あなたたちは……本当に国を守るつもりがあるんですか! 帝国が攻めてきても、誰かが戦っているのを傍観し、挙げ句には暗殺や処刑で内輪を潰し合うなんて……国が滅びても構わないというのですか!」
怒りをぶつけても、王や貴族たちの目にはまるで通じない。むしろ鼻で笑う者すらいる。彼らにとっては、己の地位と利益を守ることが何より大切なのだろう。
「黙れ、貴様の戯言に耳を貸す必要はない! 」
そう吠える兵士が私に迫り、腕を掴もうとする。その手を払いのけようとした瞬間、周囲から一気に剣の切っ先が向けられ、あわや私が斬り伏せられそうになる。――けれど、その刹那、大きな衝撃音が広間に響いた。
「誰が、そいつを斬っていいと言った」
荒々しい声と共に扉が吹き飛ぶように開き、アレクシスが王城の騎士たちを次々に蹴散らして突入してくる。彼の周りには辺境の精鋭兵が数名見え、その勢いはとてつもない。大広間の真ん中で、私は王の守護兵たちと切り結びかけていたが、その背後からアレクシスが助けに入る。
「俺の“契約妻”を殺すつもりなら、まずは俺を倒してからにしろ」
兵士たちが怯んだ一瞬の隙に、私は彼が投げてくれた剣を抜き、周囲の敵の武器を弾き飛ばす。アレクシスが私をかばうように立ち、彼の軍門に下った兵士たちが貴族派の騎士と激突する。
王城の大広間は一気に修羅場と化し、剣戟の音と怒号が入り乱れる。国王や貴族たちは悲鳴を上げて後ろに下がり、ここが自分たちの思いどおりになる安全な場ではなかったと思い知ったようだ。
その場にいる騎士の中にも、「リリア様は真の王だ!」と私を称え、兵士同士が攻撃し合い混乱している。王都が内側から崩壊しつつある実感に、私は背筋が凍る思いがする。
騒ぎを聞きつけ、外の民衆も城門付近で蜂起を始めたらしい。
「王家はもう信用ならない! リリア様に従おう!」
そんな声が遠くから聞こえる。どこでどう情報が回ったのか分からないが、私の知らぬ間に“リリア派”が広がっているのかもしれない。
私は歯を食いしばって周囲の敵兵をいなし、アレクシスと共に大広間を抜けようとする。ここで王や貴族と直接斬り合うのは、本意ではないからだ。それでも、兵士たちは簡単に退いてはくれない。
「国王陛下の命令だ、リリアを捕らえろ! 邪魔する者も同罪だ!」
「辺境伯だろうと関係ない。反逆者どもを斬れ!」
私たちを取り囲む刃をかろうじて凌ぎながら、アレクシスが憤りを込めて唸る。
「これが国のやることか……! 帝国から守るどころか、自分たちが国を壊している」
同じ思いだ。こんな内乱まがいの事態を望んでいたわけではない。けれど、王家が私を処刑しようというのなら、私は自分を守るために戦うしかない。
「壊すというなら、創るしかありませんね……!」
剣を振り、切り伏せるというよりは、どうにか相手の武器を弾き飛ばして道を開けさせる。それでも、目の前にいた騎士を斬り結び、ばっと返り血を浴びた。
さらに大広間の外からも守備兵がなだれ込んできて、混乱は加速するばかりだ。アレクシスが私を守るように前へ出て、敵兵と激しく斬り合う。辺境の兵たちは連携して防御の陣を敷き、私を外へ逃そうと試みる。
そのとき、どこか遠くからけたたましいラッパの音が響く。城内だけでなく、城外の広場や街中まで巻き込む騒動になっているのかもしれない。
――こんな状況で帝国が動いていないはずがない。
背後で私を守っていたクラウスが叫ぶ声が耳に飛び込む。
「リリア様、今こそ宣言を! 王家がこの国を見捨てているなら、あなたこそが立ち上がるべきです!」
それどころではないと思いながらも、それ以外にこの混乱を収拾させる手段がないのも確かだ。
私は武器を振り回す王都兵たちを跳ねのけながら叫ぶ。
「王が国を守らないのなら、私がこの国を導きます! 私の中にある”王威の審判”の力にかけて!!」
アレクシスがうなるように言葉を続ける。
「貴様らがこの国を潰す気なら、俺たちが新しい秩序を作るまでだ!」
その言葉が広間に響いた瞬間、貴族たちの中には悲鳴を上げる者もいれば、動揺した表情で一歩退く者もいる。そんな中、さらに悪い知らせが駆け込んでくる。
「大変です! ガルヴァニア帝国が再び侵攻を開始しました! 王都に混乱が広がっている隙に、一気に攻め落とす気かもしれません!」
ぞっとするほど皮肉な展開だ。王家が内乱を引き起こし、この混乱を帝国が見逃すはずもない。私は死力を尽くして目の前の敵を振りほどき、城の外へ目を向ける。いつの間にか王都の街路からは怒号や火の手らしき煙が立ち上り、人々が悲鳴をあげているのが見える。
(こんなことのために剣を振っているわけじゃない……!)
けれど、王や貴族が明確に私を排除しようとした以上、もうどうしようもない。私はこの国を守りたい。ならば王家に殺されるわけにはいかないし、帝国にも支配させたくない。
そうするには、今の王を退けるしかない――もはや、そこまで追い詰められた状況だと実感する。
「兵をまとめよう。王都にいる民を守らないと……!」
押し寄せてくる王都兵との戦いを振り切り、私はどうにかアレクシスやクラウスと合流して大広間を脱出する。背後では国王が何かを叫んでいるが、もはや耳に入らない。私たちはこの混乱の中で人々を救い、帝国の侵攻を防ぎ、この国を立て直さなければならない。
廊下を駆け抜けながら、私は吐き出すように毒づいた。
「こんな馬鹿なことがあって堪るものですか。あの腐れ国王、この国の民を何だと思ってるの」
するとアレクシスが険しい顔つきながら、小さくうなずく。
「同感だ。帝国が攻めてくるなら、今こそ本当の意味で国を救う新しい王が必要だろう」
クラウスはまっすぐ私を見て力強く誓う。
「リリア様、私たちが必ずあなたを支えます。どうか、この国をお導きください!」
混乱の中心で、私は覚悟を新たにする。国王が見捨てるのならば、"建国の女王"の生まれ変わりと囁かれる私が、責任を負うしかない。王城の廊下を抜けるころ、耳をつんざくような鐘の音が響き、遠くからは帝国軍のラッパのようなものがかすかに聞こえる。戦場がさらに広がっていくのを肌で感じる。
(王家が民を見捨てるなら、私は王家からこの国を取り上げるしかない――)
こんな形での決断は悲しい。けれど、もはや涙を流す余裕はない。内乱と帝国の侵攻が同時に迫り、滅亡寸前の王国を支えるのは、私たち以外にいないのだから。
――今、王都の空は鈍い雲に覆われている。民衆の悲鳴や怒りが渦巻き、王城からは絶えず剣戟の音が響く。私は剣を握りしめ、王城の外へと走りながら、声を限りに兵士たちへ叫ぶ。
「ここでぼうっとしていれば、本当に国が滅びます! 私たちはまだ終わっていません。この国の民を想うのなら、立ち上がって! 共に民を守り、帝国を食い止めますよ!」
王都にいた兵士たちは一斉に応じ、周囲の民衆の中にも私の姿を見て希望を口にする者が現れる。王家が見捨てた国を、もう一度守るためには、私が先頭に立つしかない。それが今の私が選ぶ道だ。
激しい息遣いと混乱の叫びに包まれながら、私は自らの運命を噛みしめる。目下、この国の未来を左右するのは、皇帝率いるガルヴァニア帝国の動きだ。
それでも私に恐怖はない。私の胸には、あの“王威の審判”がまだ脈打っているが、出来うる限り剣で道を切り拓いてみせるつもりだ。私はもう、肚をくくった。
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