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第三章 修羅場
20話 聖都陥落
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グラン隊と田崎が鉄騎軍からリューシャたちを救出した頃、聖都は鉄騎軍と猿の群れの猛攻を受け、陥落の寸前にあった。鉄騎軍一万に猿の群れ。対する聖戒騎士団は三千騎。城壁を挟んで凄惨な攻防が繰り広げられていた。昼は鉄騎軍、夜は猿の群れに波状攻撃を仕掛けられ、騎士たちは疲労の限界を迎えていた。
白亜の聖宮の謁見の間では、年老いた法王を前に大臣と高僧が激論を交わしていた。
『法王猊下と封印だけでも、小人の里に脱出を!』
大臣の声が震えた。遠くから響く、破城槌の振動が、広場の空気を揺らす。
『法王猊下は聖都の聖戒の象徴である! 小人の里で法が行えようか!』
高僧が声を張り上げた。聖戒の光は聖都でこそ輝き、この世を正しき法に導く。
『聖都が落ちてしまったら、法も何もないではないか!』
大臣の脳裏に、今も鉄騎軍の猛攻にさらされ、死の恐怖に怯える家族の姿が去来する。
『法王猊下が聖都を去れば、聖都の結界は綻ぶ! 猿共に蹂躙される』
『法王猊下がおわしても、鉄騎軍の前では武力で破られよう!』
『聖都十万の民を! 猿共の前に見殺しにするというのか!』
議論は平行線を辿った。
『……グリファス団長はおるか?』
ふいに法王が口を開いた。
『猊下、グリファス殿は病で引退しておりますぞ』
側近が法王にささやいた。
『今は、デルグラ団長……』
法王付きの小人、マオルカが耳打ちをする。
『おお、そうであった……』
法王は小さく頷くと、一つ咳払いをして、声を張り上げた。
『デルグラ団長』
デルグラは血のついた鎧と破れたマントを翻し、眼前に跪く。
『はっ!』
その顔には疲労と焦燥の影が色濃く刻まれていた。
『聖戒の封印を、小人の里へ避難させよ』
『はっ!』
『ホーガイ調査団が近くにいると聞いておる。ホーガイに託すのだ』
『はっ! 必ずや封印を守護し奴輩の思うようにはさせませぬ!』
『私は、聖都に残る…… 最後の務めを果たさなければならん』
謁見の間が静まり返る。
『民と大臣たちを避難させよ……』
『はッ! 必ずや守りとおしましょうぞ!』
『次の…… 次の法王は…… ホーガイの娘。イリナじゃ……』
法王は遠い目をした。
――あの十二年前の戦いで幾多の後継者候補を失ってしまった……
数多の若者を死なせてしまった……
法王の目に、若き日の盲目の僧侶の後ろ姿が幻のように浮かんだ。
『聖戒の光を守るためには、あの娘の光の強さほど、力を持ったものはおらん』
謁見の間に静かな驚きが、さざ波のように広がった。
『この聖戒の錫杖を、イリナに』
法王は手に持つ白銀の錫杖を側近に手渡す。受け取る側近の手が震えた。
『私はすでに年老いたといえども…… 猿どもは一匹たりとも、聖都の中には入れぬ』
法王はゆっくりと立ち上がった。その姿は老いてもなお、威厳に満ちていた。
『聖戒の光に愛された僧たち、そしてその守護者たる忠実なる騎士たちよ。最後まで戦い抜こうぞ』
『はっー!!』
デルグラは足早に騎士団詰め所に向かった。
『法王猊下と高僧様たちは、最後の術を行うおつもりだ』
自らの命と引き換えに、強い光で猿どもを道連れにする禁術。
『ヴォルノ! 民の避難準備の進捗状況は?』
副団長ヴォルノが付き従う。
『民は、西門から脱出する手筈は整えている』
『戦況は?』
『東の城壁がまずい。破られるのは時間の問題だ。猿どもの猛攻が厳しい。夜明けまで持つか……』
ヴォルノの体は新しい傷が増えていた。鎧にも腰に差した剣の柄にも、べったりと血がついている。羽猿から受けた傷だった。
『ヴォルノ、聖戒の封印と法王猊下の錫杖だ。これをホーガイ殿に託し護衛を頼む。そして次の法王、イリナ様の元へと届けよ』
デルグラは小箱と錫杖をヴォルノに押し付けた。
『騎士団千騎を民とホーガイ殿への護衛につける』
『デルグラ団長……は?』
『次の団長は、お前だヴォルノ。グランが役に立つ。あいつを補佐につけよ』
デルグラはヴォルノの肩を強く掴み、目に力を込めた。
『必ず、生き延びよ。もう時間がない。早く行け! なあに、お前らが逃げ延びる時間くらいは稼いでやる』
『団長……』
『俺は、指揮に戻る』
デルグラは馬に飛び乗った。
『必ずイリナ様のところへ。聖戒の光を絶やすな!』
デルグラは振り向きもせず上弦の月が照らす中、東の城門に向かって駆けていった。
東の城門では地獄のような攻防が繰り広げられていた。
デルグラは剣をかざし、声を張り上げる。
『弓兵!! 火矢斉射準備!! 目標!! 羽猿!!』
『歩兵は城壁に侵入した鉄騎軍に対応せよ!!』
『団長! 門がもちません!!』
『門前の防衛に騎兵は回れ!!』
怒号と剣戟、悲鳴が飛び交う中、激戦は続く。
もうすぐ夜明けだった。
そのとき、轟音とともに城門が破られた。
雪崩れ込むように猿の群れが侵入する。聖戒の結界に触れ、皮膚が焼け爛れながらも、狂気に満ちた目は前進を止めなかった。その背後から鉄騎軍の騎馬隊が続く。
その惨状を、聖戒寺院の最上階から見下ろす白い人影があった。
『……嘆かわしいことよ』
法王が杖を掲げた。それは白銀に輝く聖戒の錫杖ではなかった。
『だが、光は絶えぬ。種はすでに蒔かれた』
高僧たちの詠唱が高まっていく。
『一晩かけて高めた光じゃ……』
聖戒寺院の尖塔から、まばゆい光がたちのぼる。
『光あれ……』
法王の杖の先から目も眩むような閃光が放たれた。
*
『法王猊下……』
副団長ヴォルノが西門に騎士団を展開し、猿の猛攻に対処をしていたときだった。
視界が白一色に包まれた。その暖かな光は疲れを癒し、傷の痛みを和らげていく。
避難所となった聖戒寺院の大聖堂。外から絶え間なく猿の咆哮、破城槌の轟音、剣戟の音が響いていたが、母親が幼子を抱きしめ、老人が祈りを捧げ、若者が持つ武器が震える中、その光は優しく降り注いだ。
『法王様が守ってくださる……』
皆、その場に膝をつき涙を流した。
その光は聖戒寺院を中心に爆発的に広がり、聖都全体を覆う巨大な光のドームとなった。そしてさらに聖都の城壁を越え、鉄騎軍の本陣にまで到達し、全てを浄化の光で包み込んでいく。
光を浴びた猿たちが、次々と動きを止める。黒く焼け爛れたように内側から燃え上がった瞬間、地面に倒れ、あるいは落下し、灰となって崩れ落ちた。
鉄騎軍の影の加護を受けた武器が燃え上がる。鉄騎軍は真正面から光を浴びて視界を閉ざされた。
『全軍!! 突撃ー!!!』
好機と見たデルグラの怒号が轟く。
『法王猊下の御覚悟を無駄にするな!! このまま敵本陣を叩くぞ!! 我に続け!!』
『オオオオオオッ!!』
法王と高僧たちの命を燃やした最後の輝きが、夜明け前の空を真昼のように照らし出した。
*
闇の森の境、朝靄がけぶる払暁。イリナは夢を見ていた。
闇の中でリューシャとオムカの左手の紋様が輝き、ケイと碧の左手の紋様が浮かび上がる。その光が瞬いた次の瞬間、心をつんざくような後列な光が押し寄せたかと思うと、ふっと消えた。
そして闇夜に蠢く大きな黒い影……
心臓が激しく脈打ち、全身に汗をかいていた。
『……法王様?』
思わず声が漏れた。
――今の光は何? あの大きなおぞましい黒い影は?
横を見るとタサキとミクが寝袋に入り、静かな寝息を立てていた。
異界の服を着て剣を抱えたリューシャが、イリナの声を聞いて駆け寄ってきた。
『イリナ! 今の光は何?』
リューシャの左手の紋様が一瞬、暖かく光ったかと思うとすぐに消えた。焚き火のそばで寝ていたオムカの紋様も同様に光っていた。
『……リューシャさん?……良かった……』
昨日、光の術を使ってからの記憶がなかった。
心臓の鼓動はまだ止まない。イリナは寝袋から体を起こす。
嫌な予感が胸の中を渦巻いていた。
白亜の聖宮の謁見の間では、年老いた法王を前に大臣と高僧が激論を交わしていた。
『法王猊下と封印だけでも、小人の里に脱出を!』
大臣の声が震えた。遠くから響く、破城槌の振動が、広場の空気を揺らす。
『法王猊下は聖都の聖戒の象徴である! 小人の里で法が行えようか!』
高僧が声を張り上げた。聖戒の光は聖都でこそ輝き、この世を正しき法に導く。
『聖都が落ちてしまったら、法も何もないではないか!』
大臣の脳裏に、今も鉄騎軍の猛攻にさらされ、死の恐怖に怯える家族の姿が去来する。
『法王猊下が聖都を去れば、聖都の結界は綻ぶ! 猿共に蹂躙される』
『法王猊下がおわしても、鉄騎軍の前では武力で破られよう!』
『聖都十万の民を! 猿共の前に見殺しにするというのか!』
議論は平行線を辿った。
『……グリファス団長はおるか?』
ふいに法王が口を開いた。
『猊下、グリファス殿は病で引退しておりますぞ』
側近が法王にささやいた。
『今は、デルグラ団長……』
法王付きの小人、マオルカが耳打ちをする。
『おお、そうであった……』
法王は小さく頷くと、一つ咳払いをして、声を張り上げた。
『デルグラ団長』
デルグラは血のついた鎧と破れたマントを翻し、眼前に跪く。
『はっ!』
その顔には疲労と焦燥の影が色濃く刻まれていた。
『聖戒の封印を、小人の里へ避難させよ』
『はっ!』
『ホーガイ調査団が近くにいると聞いておる。ホーガイに託すのだ』
『はっ! 必ずや封印を守護し奴輩の思うようにはさせませぬ!』
『私は、聖都に残る…… 最後の務めを果たさなければならん』
謁見の間が静まり返る。
『民と大臣たちを避難させよ……』
『はッ! 必ずや守りとおしましょうぞ!』
『次の…… 次の法王は…… ホーガイの娘。イリナじゃ……』
法王は遠い目をした。
――あの十二年前の戦いで幾多の後継者候補を失ってしまった……
数多の若者を死なせてしまった……
法王の目に、若き日の盲目の僧侶の後ろ姿が幻のように浮かんだ。
『聖戒の光を守るためには、あの娘の光の強さほど、力を持ったものはおらん』
謁見の間に静かな驚きが、さざ波のように広がった。
『この聖戒の錫杖を、イリナに』
法王は手に持つ白銀の錫杖を側近に手渡す。受け取る側近の手が震えた。
『私はすでに年老いたといえども…… 猿どもは一匹たりとも、聖都の中には入れぬ』
法王はゆっくりと立ち上がった。その姿は老いてもなお、威厳に満ちていた。
『聖戒の光に愛された僧たち、そしてその守護者たる忠実なる騎士たちよ。最後まで戦い抜こうぞ』
『はっー!!』
デルグラは足早に騎士団詰め所に向かった。
『法王猊下と高僧様たちは、最後の術を行うおつもりだ』
自らの命と引き換えに、強い光で猿どもを道連れにする禁術。
『ヴォルノ! 民の避難準備の進捗状況は?』
副団長ヴォルノが付き従う。
『民は、西門から脱出する手筈は整えている』
『戦況は?』
『東の城壁がまずい。破られるのは時間の問題だ。猿どもの猛攻が厳しい。夜明けまで持つか……』
ヴォルノの体は新しい傷が増えていた。鎧にも腰に差した剣の柄にも、べったりと血がついている。羽猿から受けた傷だった。
『ヴォルノ、聖戒の封印と法王猊下の錫杖だ。これをホーガイ殿に託し護衛を頼む。そして次の法王、イリナ様の元へと届けよ』
デルグラは小箱と錫杖をヴォルノに押し付けた。
『騎士団千騎を民とホーガイ殿への護衛につける』
『デルグラ団長……は?』
『次の団長は、お前だヴォルノ。グランが役に立つ。あいつを補佐につけよ』
デルグラはヴォルノの肩を強く掴み、目に力を込めた。
『必ず、生き延びよ。もう時間がない。早く行け! なあに、お前らが逃げ延びる時間くらいは稼いでやる』
『団長……』
『俺は、指揮に戻る』
デルグラは馬に飛び乗った。
『必ずイリナ様のところへ。聖戒の光を絶やすな!』
デルグラは振り向きもせず上弦の月が照らす中、東の城門に向かって駆けていった。
東の城門では地獄のような攻防が繰り広げられていた。
デルグラは剣をかざし、声を張り上げる。
『弓兵!! 火矢斉射準備!! 目標!! 羽猿!!』
『歩兵は城壁に侵入した鉄騎軍に対応せよ!!』
『団長! 門がもちません!!』
『門前の防衛に騎兵は回れ!!』
怒号と剣戟、悲鳴が飛び交う中、激戦は続く。
もうすぐ夜明けだった。
そのとき、轟音とともに城門が破られた。
雪崩れ込むように猿の群れが侵入する。聖戒の結界に触れ、皮膚が焼け爛れながらも、狂気に満ちた目は前進を止めなかった。その背後から鉄騎軍の騎馬隊が続く。
その惨状を、聖戒寺院の最上階から見下ろす白い人影があった。
『……嘆かわしいことよ』
法王が杖を掲げた。それは白銀に輝く聖戒の錫杖ではなかった。
『だが、光は絶えぬ。種はすでに蒔かれた』
高僧たちの詠唱が高まっていく。
『一晩かけて高めた光じゃ……』
聖戒寺院の尖塔から、まばゆい光がたちのぼる。
『光あれ……』
法王の杖の先から目も眩むような閃光が放たれた。
*
『法王猊下……』
副団長ヴォルノが西門に騎士団を展開し、猿の猛攻に対処をしていたときだった。
視界が白一色に包まれた。その暖かな光は疲れを癒し、傷の痛みを和らげていく。
避難所となった聖戒寺院の大聖堂。外から絶え間なく猿の咆哮、破城槌の轟音、剣戟の音が響いていたが、母親が幼子を抱きしめ、老人が祈りを捧げ、若者が持つ武器が震える中、その光は優しく降り注いだ。
『法王様が守ってくださる……』
皆、その場に膝をつき涙を流した。
その光は聖戒寺院を中心に爆発的に広がり、聖都全体を覆う巨大な光のドームとなった。そしてさらに聖都の城壁を越え、鉄騎軍の本陣にまで到達し、全てを浄化の光で包み込んでいく。
光を浴びた猿たちが、次々と動きを止める。黒く焼け爛れたように内側から燃え上がった瞬間、地面に倒れ、あるいは落下し、灰となって崩れ落ちた。
鉄騎軍の影の加護を受けた武器が燃え上がる。鉄騎軍は真正面から光を浴びて視界を閉ざされた。
『全軍!! 突撃ー!!!』
好機と見たデルグラの怒号が轟く。
『法王猊下の御覚悟を無駄にするな!! このまま敵本陣を叩くぞ!! 我に続け!!』
『オオオオオオッ!!』
法王と高僧たちの命を燃やした最後の輝きが、夜明け前の空を真昼のように照らし出した。
*
闇の森の境、朝靄がけぶる払暁。イリナは夢を見ていた。
闇の中でリューシャとオムカの左手の紋様が輝き、ケイと碧の左手の紋様が浮かび上がる。その光が瞬いた次の瞬間、心をつんざくような後列な光が押し寄せたかと思うと、ふっと消えた。
そして闇夜に蠢く大きな黒い影……
心臓が激しく脈打ち、全身に汗をかいていた。
『……法王様?』
思わず声が漏れた。
――今の光は何? あの大きなおぞましい黒い影は?
横を見るとタサキとミクが寝袋に入り、静かな寝息を立てていた。
異界の服を着て剣を抱えたリューシャが、イリナの声を聞いて駆け寄ってきた。
『イリナ! 今の光は何?』
リューシャの左手の紋様が一瞬、暖かく光ったかと思うとすぐに消えた。焚き火のそばで寝ていたオムカの紋様も同様に光っていた。
『……リューシャさん?……良かった……』
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