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第三章 帰れないふたり

第29話 帰れないふたり(8)

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「どうして、お前が……————」

 鏡明が雪女の姿を見たのは、今月に入って2度目だ。
 1度目は、孫娘に頼まれて、やっかいな曰く付きの骨董品を見に行った時。
 水色の髪に白い着物の雪女が、自分の後継者である蓮に触れようとしていたのを目撃し、驚いた。

 最後に雪女を見たあの日は、約半世紀前で、鏡明がまだ10代後半か20代前半の若い頃だった。
 あの時、もう2度と会うことはないと思っていた雪女が、当時と変わらぬ姿でそこにいたのだ。
 妖怪は歳の取り方が人間とは違うが、まるで成長のない、当時のそのままの美しい少女の姿で現れたのだから、無理もない。

 しかし、蓮が倒れていたあの状況下では、何が起きたかすぐには把握できず、あの雪女が大事な孫に危害を加えようとしているのではないかと、攻撃をしかけたが、頬に傷をつけたまま、雪女は壁を通り抜けて逃げて行ってしまった。

 そして、今日また目の前に、雪女が立っている。
 だが、今目の前に対峙しているこの雪女は、先日の雪女より大人びた姿をしている。
 それに、この雪女は鏡明を見て言ったのだ。

「祓い屋……?」

 その声は、約半世紀前に別れた雪女と同じ声だった。

「雪女……なぜ、ここに? ————それに、この間も……」

「この間? まさか———— 私の娘の顔に傷をつけたのは、貴様か?」

「娘……!? では、あの雪女は————」

 鏡明が驚いている間に、雪子は倒れている雪乃と蓮のそばに駆けより、まずは上に乗ってしまっている蓮の頭をずらそうとした。
 娘も大事だが、蓮はもうすっかり息子みたいなものだ。

 丁重に扱おうとしたのだが、鏡明は雪子の手を払う。

「待て!! わしの孫に何をするつもりだ!!」

「孫……?」

 雪子は蓮の顔と鏡明の顔を交互に見た。
 そこでやっと気がつく。
 この年老いた祓い屋が、鏡明が、かつて自分を裏切った、あの青年であることに。


「貴様……あの時の————!!!」

 そして雪子は理解した。
 初めて家に来た時、蓮に感じた、どこかで見覚えのあるあの感覚は、レンレンの動画や画像を雪乃に見せられていたからではない。
 あの時の祓い屋に、蓮が似ていたからだ。
 あの首の後ろを掻く癖も……当時の祓い屋と同じだった。


 雪子はキッと鏡明を睨みつけ、雪乃の体を引き抜くと、蓮の頭がごつんと音を立てて床に落ちる。


「何を……!! その娘をどうするつもりだ!?」


 制服姿で倒れていた雪乃の姿は、鏡明には他の生徒たちと同じように、ただ倒れているうちの一人だった。
 蓮はこの娘を助けようとして、力尽きたのだと、鏡明は思っていた。
 しかし、雪子に抱きかかえられたその娘の顔は、かつて雪女が、人間のふりをしていた頃と同じ顔をしている。

「まさか————あの日、蓮の傍にいたあの雪女は…………」

「次に会った時は、必ずお前を殺す。覚えておけ」


 雪子はそう言って、雪乃を抱えたまま吹雪を巻き起こすと、その場から姿を消した。
 シンとした廊下に、雪女が残した雪だけが残った。


 * * *



「雪乃!! 雪乃!!」

 雪乃が目を覚ますと、見慣れた自分の部屋の白い天井と、泣きそうな顔で名前を呼ぶ母親の顔があった。

「ママ……? あれ? 私、いつの間に?」

「よかった……」

 ベッドから上体を起こすと、ぎゅっと母親に強く抱きしめられる。

(どうやって帰って来たんだろう? 確か、あの烏がしつこかったから、その辺にいた妖怪たちに手伝ってもらって……それで————)

 まだ少しぼーっとしている頭で、記憶を辿っている内に、倒れる前のことを思い出して行く雪乃。
 妖怪たちに協力を得て、雪乃は烏の位置を把握して、気づかれる前に凍らせて行ったのだ。
 そうして力を使って行く内に、病み上がりだったせいか、残り2匹というところで気を失った。

(でも、どうやって私自分の部屋に?…………それに、いつの間にか人間に戻ってる。——レンレンは? レンレンは助かったの?)


「雪乃ちゃん……もう、学校に行ってはダメよ」

「え……?」

「蓮くんと、会ってはダメ」

「どう……して?」

「祓い屋に、近づいてはいけないの。あなたは————」


 雪乃の恐れていたことが起きた。
 一番聞きたくない言葉が、事実が、現実が雪乃の心に影を落とす。



「半妖なのだから————」




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