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第四章 破鏡重円

第40話 水面

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 玄武の湖畔は、静かな波を立てながら、その透き通った水で月の姿を水面みなもに映し出す。
 透明度が高く、鏡のように空を映すこの美しい湖の下に、あの玉藻の一部が封じられているなんて、一体誰が想像できるだろう。

「今日は月が出ていてよかったな…………新月の夜だったら、真っ暗で何も見えなかっただろう」

 俺はユウヤのその言葉に、先日の戻り湯のことを思い出して、げんなりする。

「その話はやめてくれ、もうあんな思いはしたくない」

 二度と女湯になんて入りたくない。


 この湖の下……ちょうど、湖の真ん中あたりに封印された殺生石があるらしい。

「夜であることに変わりないから、一応これを連れて行って」
 
 刹那は数匹金魚の式神を出して、水面にそれらを放った。
 水中でそれらはやんわりと光を放ち、スイスイと泳いでいる。

「あの蝶の式神の水版って感じだな……明るさはこれでいいとして、酸素はどうしたらいいんだ?」

「酸素……? あー……酸素は…………えーと」

 ユウヤは気まずそうに、刹那の方を見る。

「息を止めれば大丈夫よ」
「え?」
「水の中で呼吸なんて、できないでしょ?」

 俺はてっきり、陰陽師なのだから、なんでもありなんだろうと思ってた。
 当然、水中で使える術があるのだと…………

「殺生石近くまで行ったら、合図するから、そのまま下に潜って。間違っても、肺に水が入らないように注意してね」

 しかし、現実はそんなに甘くない。

「ほら、さっさと魔封じの矢を射ってきて」
「え!? ちょっと待って————」


 躊躇う俺の背中を、刹那とユウヤが押して、観光のために設置されていた木製の足場から、冷たい湖の中に落とされた。



 * * *



「もう少し奥!!」


 刹那は、足場から地図と照らし合わせて正確な位置まで俺を泳がせ、協力すると言っていた茜は、刹那の横で腕を組んで様子を見てるだけで、特に何かする様子がない。

 そして、ユウヤは絶対に水の中には入りたくないらしく、水面を浮きながら俺の後をついてくる。

「おい、なんで俺は水の中で、お前は浮いてるんだよ。封印されてる位置まできたら中に入った方が良かったんじゃないか?」

「いやぁ……その、だって、この術颯真はまだ使えないだろ? それに、結局は潜ることになるんだから、水温になれた方がいいでしょ?」

( ——全然、納得できない)

 突き落とされたこの恨みをどうやって晴らしてやろうか……なんて考えながら、冷たい水の中を泳いで、泳いで————


「そこ!! その辺!! 殺生石の真上は通らないようにねー!!」


 刹那の合図で、俺は水中に潜った。
 光る金魚たちと一緒に、底にある殺生石を目指す。

( ————あれか!!)


 青龍の高原で見た殺生石より2回りほど小さな岩に、封印のしめ縄が巻かれているのが見えた。

 その殺生石からは、あの時のように玉藻の気配はあまりしなかった。
 きっと、ここの封印の力はそんなに弱くなっていないんだ。

 俺は魔封じの矢を打ち込むのに、殺生石に近づいた。
 水中では矢に勢いが出ない。


(封印の札は…………どこだ?)


 岩の周りを一周したが、封印の札が見当たらない。

(なんだ? どうなってる?)


 俺は焦った。
 このままでは封印ができない…………というか、むしろこれは…………


 ( ————封印が解かれた後なんじゃないのか?)



 そして、急に苦しくなっていく。

 だめだ……もう、これ以上は限界だ。
 もうそろそろ酸素が持たない。

 今回も、一足遅かったのかもしれない————

 そんな不安を抱えながら、上へ、上へと泳いだ。



「ユウヤ、大変だ!! 封印の札が見当たらない…………」


 水面から顔を出して、そう叫んだ俺の声が、静かな湖畔に響き渡った。

「ユウヤ……?」

 水面を歩いていたはずのユウヤが見当たらない。
 足場から指示を出していた刹那も、その隣にいた茜も、誰一人いなくなっていた。



 水面には、俺の周りで光を放っていた金魚の死体が浮いている。



 月明かりだけが、俺を照らしていた。














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