類を惹く

星来香文子

文字の大きさ
3 / 49
拝啓 天国のあなたへ

向井 百子・53歳・事件現場アパートの大家

しおりを挟む
 あなたを初めて会ったのは、三年と少し前のことだったね。
 私は若い頃に働いて貯めたお金と親の遺産で、アパートをいくつか買って、家賃収入で生活していたわ。
 仲介を頼んでいる不動産屋で、契約の時よ。
 
 普段ならオーナーとして契約者と顔をあわせることはないんだけど、本当にその時は偶然その場に居合わせたのよ。
 すごく驚いた。
 芸能人とか、アイドルの卵みたいな子たちが私の所有するアパートに住んでいるってこともあったし、若い頃はテレビ局で仕事をしていたこともあったから、並大抵の男を見ても、私は別に男前だとか、イケメンだとか、そんな風に思ったことはなかった。

 でも、あなたは違った。
 本当に、びっくりするくらい綺麗で……
 男なのに、こんな綺麗な男がいるんだと、本当に驚いたわ。

 だからすっかり、私はあなたのことが好きになってね……

 何、別に恋とかそういうんじゃないのよ。
 この歳になって、あなたのような二十も若い子とどうこうなろうなんて思っていないの。
 単純に、応援したくなったのよ。
 今まで芸能人の追っかけとかはしたことがなかったけど、最近流行りの「推し」ってやつね。

 あなたは笑顔も爽やかだし、とても礼儀正しい好青年だった。
 けれど、あの古いアパートに住んでいるなら、割と生活には困っているんじゃないかと思ったのよ。
 
 あなたが務めている会社は、つい何ヶ月か前に社長の息子だとかがパワハラとかセクハラで告発されたせいで、経営が危ないって話を小耳に挟んでいたからね。
 私はあなたのために、ちょっとでもなればいいと思って……

 言うなれば、そう、母親とか親戚のおばんさんのように頼ってもらえればいいなと————
 私は近所に住んでいたし、料理が趣味だけど独り身で……
 多く作りすぎたおかずをお裾分けしてあげたりしたよね。
 
 冷蔵庫に入れておいてあげたこともあったわね。
 ちゃんと全部食べてくれていて、私も作った甲斐があったってものよ。
 空になった容器を見たら、嬉しくてね、また新しい料理に挑戦してみようって思えるようになった。

 あの頃は台湾料理にはまっていたから————近所のスーパーの棚にはね、あそこの店長の趣味なのか、結構珍しい調味料が売っていたりするんだよ。
 とても便利でね。あとは、近所のコンビニも……あそこはいつも若い女の店員さんが一人いてね、オーナーの娘さんとかいっていたかな?
 あの子がとにかく親切で、いい話し相手になってくれているんだよ。
 聞いたら「彼氏はいないけど好きな人ならいるんだ」って言っていたよ。
 何度かあなたともあそこで会った事があったわね。
 ああ、この話は今関係なかったね、ごめん。

 話を戻そう。
 そう、あなたが死んだ日のことよ。
 私はいつものように新作の台湾料理を作ってね、あなたに食べてもらおうと思った。
 私の住んでるマンションからは、ベランダがある東南の窓がよく見えるじゃない?
 だから、電気が点いていればあなたがいるかどうかすぐにわかる。
 いつもは夕方に届けていたけど、あの日はちょっと作るのに時間がかかっちゃって、あんな時間になっちゃったけど、とにかく早く食べてもらいたくてね。
 
 それに実は、変だと思っていたんだ。
 いつもならとっくに帰って来ているはずの時間なのに、リビングの電気がついてなくてさ、帰って来たところは見たのにどうしてだろうって、気になってね。
 そうしたら、玄関のドアが少し空いていて……

 一応、入る前に声をかけたわ。
 でも、返事がないし、チャイムも鳴らしてもなんの応答もなかった。
 だから、ドアを開けたんだ。
 様子が気になってね。

 そうしたら、血がさ……
 ————床いっぱいに、血が飛び散っていて、体のあちこちから血を流して、玄関で死んでいたあなたと、血だらけの包丁を持っていた女がいた。
 女の方は後ろ姿しか見ていなかったけど、顔を見られたって思われたら、私は自分が殺されるかもしれないと咄嗟に思った。

 だから、女が振り返る前に、急いで階段を駆け下りたの。
 殺人犯の顔なんて、恐ろしくて見たくもなかったしね。
 
 その足で近くの交番に駆け込んだ。
 巡回中じゃなくて本当によかったよ。
 この辺りはほとんど犯罪なんて起こらない平和な街だ。
 人員不足か知らないけど、たまに交番の前を通っても巡回中の札だけ掲げてあるっていう事がよくあったからね。

 それで、警察官二人と一緒にまた戻った。
 女はまだそこにいて、あなたを刺した包丁を手に持って、自分を刺そうとしているところだったんだ。
 警官が二人掛かりで必死に止めて、大変だったんだよ。
 本当に。暴れてさ。

 だから、私も最初はその女が、隣の部屋に住んでいる大学生の女の子だって気がついたのは、少し後からなんだ。
 ただただ、泣きながら錯乱しているその様子が恐ろしくてね。

 そうして、私も最初は放心状態だったけど、パトカーが何台も来て、救急車も来て、野次馬とかテレビカメラとか、いろんなのがアパートの周辺に集まって来て、本当に大変だった。
 あなたが死んじゃった事が、今でも本当に信じられない。
 何もなかった私に、あなたは生きる活力というか、元気というか……
 とにかく、あなたがいたから私はこれまでやってこれた。
 
 あなたがいるから、今日も頑張って生きてみようって思えるようになっていたのに、もう、どうしたらいいのかわからないよ。

 
 あなたが死んで、このアパートは殺人事件の現場ってことで有名になってしまったし、犯人のあの女はきっと刑務所行きだ。
 無実を主張してるらしいけど、あんな女、死刑にでもなればいい。
 私はあの女のせいで推しも、収入源も失ってしまった。マイナスだよ。

 今でも、部屋の窓からあなたがいた部屋を見つめてしまう。
 夏になると、よくあの窓からベランダに出て、マイルドセブンを吸っていたよね。
 ああ、今はメビウスっていうんだってね。コンビニのあの子が、教えてくれたよ。
 煙草なんてとっくの昔にやめたのにさ、あなたが死んでからまた吸うようになってしまったよ。

 一体、どうして殺されてしまったの?
 一体、あの女との間に、何があったの?

 何か悩み事があるなら、私にいつでも相談してくれればよかったのに。
 私みたいなおばさんに、何かできるかどうかはわからないけど、話を聞くくらいはできたよ。
 あなたより長く生きている分、知っていることも多いんだ。
 
 毎日見守っていたのに、気づいてあげられなくて、ごめんね。
 
 もし、もしも天国ってものがあって、あなたがちゃんとそこへ行けているなら、もう少しだけ待っていてくれる?
 いつになるかわからないけど、多分、あと何年か、何十年かしたら私もそっちに行くからさ。
 その時は、何があったか教えてよ。どうかその時まで、生まれ変わって他の誰かのところに行ったりしないでね。

 私を待っていてよ。
 そうしたらさ、来世は今度は二人で、同じ年に生まれ変わろうよ。
 そしたら、きっと、私たち、今よりもっと良い関係が築けたと思うんだ。

 きっとね、私が生まれたのがもう少し遅かったら、あなたが生まれたのが、もう少し早かったら……
————あなたがあんな女に殺される前に、守ってあげられたかもしれない。
 何かできたかもしれない。


 そんな風に、思っていても良いよね?


 私はこんなにも、あなたを愛していたのだから。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...