不本意な結婚~虎の初恋、龍の最愛~

葉咲透織

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二 主と従者

情ある者【三】

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 琥珀は黒麗に伴われて、宿へと戻った。
「琥珀様! お怪我は……?」
 すでに淵明の研究室から戻ってきていたふたりは部屋にいた。心配そうにぱたぱたと近寄ってくる木楊に、琥珀は勢いよく頭を下げた。
「ごめん、木楊!」
 主人が従者に頭を下げるなんて、少なくとも琥珀は一度もしてこなかった。突然のことに、木楊は正しい反応がなんなのかもわからない様子で、おろおろしているのが伝わってくる。
 琥珀は頭を下げっぱなしで、言った。
「お前は最初から、俺のことを信頼してくれていた。どんな無茶にもついてきてくれた。学校の勉強でわからないことがあったら、俺がわかるまで教えてくれた。流行りの風邪で熱を出したときには、自分も具合悪いのを隠して看病してくれた。なのに俺は、『耳無し』とかそういう、どうしようもないことでお前を……っ」
 言葉が詰まる。以降はすまなかった、ごめんなさいとしか言えなくなった琥珀の肩に、そっと触れる手。顔を上げる。木楊であった。
「私が『耳無し』なのは、生まれつきのことですから、仕方ありません。でも、琥珀様に従者として信頼してもらえていないことが、つらかったのです」
「木楊……違う、違うよ。俺、お前のこと信頼してないんじゃなくてっ」
「わかってますよ」
 微笑む木楊は、琥珀の頭を抱いた。遠慮がちに優しく、けれど次第に、兄が弟に遠慮なくするような力強いものに変わっていく。
 兄であり弟である。そういう関係をこれから築いていくことができるのだと、琥珀は木楊の胸を借りて、泣いた。泣いて泣いて、泣き止んだときにはすっかり元の強がりが顔を出して、「ちょっと目にゴミが入っただけだし」という顔で鼻を鳴らした。
 木楊は、「はいはい」という顔で琥珀をいなし、「夕飯はもう召し上がりましたか?」と言うので、琥珀は頷いた。饅頭の自棄食いで、胸やけしているくらいだ。
 ふたりのやり取りをずっと見守っていた紫嵐は、一段落したのを見て、口を開いた。
「それで……お前は誰だ?」
 その厳しい目は、黒麗に向けられている。友人に向けるにしては険があり、琥珀は不安に駆られた。
 やはりこいつ、追手だったのか?
 紫嵐に手首を引かれ、黒麗から引き離される。その拍子に、琥珀は逞しい胸に抱かれてドキリとした。自分とは違う体温、心音。すぐ近くに感じて、思わず彼の顔を見上げる。
 紫嵐は黒麗にまったく気を許さずに、睨みつけるばかりである。そして冷たい視線を受けた黒麗は、へらへらと笑うばかりだ。
「やだなあ。僕だよ、僕。君の大親友の、黒麗……」
 少々の間があって、琥珀の手首を掴む力が緩んだ。驚いて見れば、呆れた顔をしている紫嵐。
「それで、お前がどうしてここにいるんだ?」
 旧知の仲であることを思い出しても、苛立ちは変わらない。琥珀ほぎゅっと、紫嵐の手を握った。
 話を聞いてもらい、慰められたのだから自分が庇わなければ、と口を開く。
「俺が落ち込んでるのを見て、話を聞いてくれたんだ! それで、ひとりで帰るのも怖いから、一緒についてきてもらった……」
 と、気迫に圧されながらも説明する。
「そうだよぉ。僕は何にもしてないんだ。っていうか感謝してよね~。琥珀くんの代わりに僕にご飯おごって」
 語尾が跳ね上がり甘えた声を出す黒麗に、琥珀は脱力した。この男がこういう性格だから、紫嵐はあまり会いたくなかったのだろう。たったこれだけのやり取りで、すっかり疲れてしまった。
「虫のいい奴め」
 そう言いながらも、「夕飯くらいはご馳走しよう」と、紫嵐は木楊も連れて食堂に向かおうとする。琥珀は引き留めた。もじもじしているのを見て、紫嵐は黒麗たちを先に行かせ、ひとり部屋に残る。
「どうした?」
「その……お礼を、言いたくて」
「礼?」
 そんなものを言われる筋合いはないのだが、という顔をするので、琥珀は意を決して一息に言う。
「俺のこと怒ってくれてありがとう! 紫嵐が言ってくれなきゃ、俺、木楊のこと傷つけっぱなしになるところだった。そんでいつか捨てられて、そのとき本気で後悔したりしてさ……そうならなかったから……だから、ありがとう」
 照れくさくて目を合わせずに言う。普段からそっけない男だから、「そうか」の一言で終わらされると思ったのだが、想定外に、紫嵐は琥珀の頭を撫でた。
 手のひらは大きくて、優しい。幼い頃に同じようにした父の手とはまた違った。
「私も悪かったな。頬は、もう痛くないか?」
 言いながら、患部に触れる。指先はひやりと冷たく、もっと触ってほしい、大きな手で包んでほしいと無意識に擦り寄りそうになって、自分の行動に戸惑う。
「あ、えぇ? えっと、まだちょっと……」
「なら、帰りに氷をもってきてやる。大人しく寝ていろ」
 紫嵐の背を見送り呆然としていた琥珀はハッとした。
 そうだ。紫嵐が馬鹿力で殴るものだから、今頃になって熱が出てきたに違いない。
 琥珀は彼の言葉どおり、寝台に滑り込み、目を閉じた。睡魔はまったく訪れなかった。


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