上 下
6 / 8
第一話 転校生

5 執着、あるいは反撃

しおりを挟む
 ロウヤは跳ねるように背後へ退く。ジョウは着衣を正し、倭刀を取り出している。構え直す仕草は、出会った日と同じ。しかし、そこには敵意も土地を守るという情熱もない。ただ動いているだけだ。ロウヤは己の背中に汗が滲むのを感じた。
「やってしまえ! 僕は逃げるぞ……!」
 教師の姿をしたなにかは、素早くジョウの背後を抜ける。蹴破られた戸から駆け出し、闇へ消えていく。
「てめぇ!」
 追いかけようとしたロウヤを、ジョウの刀が止めた。大きく振りかぶられた刀を、交差させた手甲で止める。
「くっそ……ソル! 追いかけてくれ!」
 弾き返しながら、ロウヤはソルに呼びかける。同時に弾丸のように狼は駆け出した。ジョウの無機質な太刀筋を受け流しながら、ロウヤは呼びかける。
「おい、ジョウ! こんなことしてる場合じゃねえだろ……!」
 返事はない。鋭い斬撃だけだ。 ロウヤは体を捻り間一髪で斬撃を躱す。学生服のシャツが裂け、鍛え抜かれた腹筋が剥き出しになる。次はないと脅すような太刀筋。背後に飛び、再びファイティングポーズをとるロウヤの手甲には、炎のように揺らめく霊力が宿った。
「何考えてんだ、お前!」
 闇に包まれた旧校舎の中で、ロウヤは唸る。額に巻いたヘアバンドに、汗が滲んだ。
 ジョウは、ゆらりと歩を進める。シンプルなスニーカーに、細身のパンツスタイル。日本刀を模した武器もまたオーラに包まれ、青く透き通っている。
 ケモノダマに飲み込まれるほど、弱い男じゃない。ロウヤはそれを知っている。誰かに唆されたか――操られているか。
 ロウヤが体を落とし勢いよく踏み込む。リーチの長い相手は、動揺することなく構えを変化させた。わずかに角度を変えたのみで、ロウヤの動きを封じる。小刻みにステップを踏み、ロウヤは横に抜ける。虚ろな目線が姿を追うのを確認し、ロウヤは拳を振り下ろす。
 旧校舎の脆い床に。

「手加減できねえぞ――ジョウ」

 衝撃が走る。足元を崩された敵対者の胸元に、ロウヤは飛び込んだ。手甲の牙を消し、拳で腹を殴った。
「ぐぅ……ッ」
 ジョウの目が見開かれる。吹き飛んだ細い体はのろのろと起き上がり、また刀を構えようとする。その目線が揺れている。刀を奪おうと踏み込んだ。
「――ッ!」
 霊力で覆われた倭刀が、ロウヤを斬り上げた。血は流れず、物理的な痛みはない。ただ霊体が傷つけられる衝撃。崩れ落ちそうになる体を支え、たたらを踏む。次の斬撃を準備するジョウを、睨みつけた。
「お前……それで、いいのかよ。変なのに操られて、俺を殺そうとして」
 ジョウは刀を持ち上げる。一刀のもと首を落とそうとする。
「ここで誰も犠牲を出さないのがお前の願いなんだろ!」
 ぴたり、とジョウの動きが止まった。なめらかだった動作が錆びついたように軋む。ロウヤはジョウの目を睨みつける。虚ろな瞳に、ロウヤが映る。
「自分で台無しにしてどうすんだ」
「う……っ」
 ジョウは呻く。微かな感情の起伏。
「あんなのに使われるぐらいなら――」
 ロウヤは、はっきりと言った。

「お前は俺を利用しろ。俺はお前を利用する」

 ジョウの力が緩む。
 ロウヤは素早くジョウの体を羽交い締めにする。刀を奪い、放り投げた。床に押し倒し、顔を近づける。全力で叫ぶ。
「ジョウ!」
 ロウヤの声に、ジョウは目を閉じる。眉間にシワが寄った。
「……うるさい」
 小さく答えたジョウは、目をそらした。正気に戻っている。
「よっし。やるじゃねえか」
 ロウヤはジョウの肩をばんばんと叩く。覆いかぶさったまま笑うロウヤを、ジョウは居心地が悪そうに手で押し返す。
「……ロウヤ。降りろ」
「お。わりい」
 ひょい、とロウヤは体を起こした。ジョウは立ち上がり倭刀を拾い上げると、軽く首を振る。まだ意識に不明瞭な部分はあるようだった。
「あの教師だな? ケモノダマに取り憑かれていたのは……」
「気付いてたのか?」
 ジョウはうつむく。悔しげに倭刀を握った。
「怪しいと思い接触したが……今思えばあれも罠だったのだろう。騙されていた。そう都合のいい協力者など、転がっているはずがない」
 ロウヤはむにゃむにゃと唇を曲げた。言いたい言葉を飲み込み、頷く。
「ソルがニセ教師の後を追ってる。行こうぜ」
「そのことだが」
 ジョウはロウヤの向かいに立つ。ロウヤを見下ろし、指先で額に触れた。霊力が流れ込む。ロウヤの内部のプログラムへ書き加えるような感覚。指はすぐ離された。
「一時的にお前と狼との共感を高めた」
 ロウヤは触れられた場所に触れる。ジョウは背を向けて、廊下に出る。
「お前のことを、利用させてもらう」
 小さく呟いたジョウに、ロウヤは片頬を持ち上げた。

「ソルはあっちだ!」
「あぁ! ここまでくれば私にも解る」
 旧校舎を走り抜ける。ロウヤは金属音を立てて、手甲を実体化させた。ジョウもまた倭刀に霊力を込める。ソルの気配は歪んだ角を曲がった先にある。
「同時にかかるぞ」
「協力するってことでいいな?」
「一時的にな」
 静かな声色のまま、ジョウは返す。今はそれでいいか、と肩を回す。
 角を曲がる。ソルは疲れ果てていた。ロウヤに気付き嬉しそうに顔を上げる。
 教師の姿を認知すると同時にロウヤは軋む床を蹴り、飛びかかる。ジョウは腰で構えた倭刀で薙ぎ払った。
「ぐぅ……っ!」
 教師の体から紫の靄が溢れる。靄は大きく膨れ上がり、その姿を巨大な獣のシルエットに変えた。取り憑いていた人間は旧校舎の床に投げ出される。二足歩行の濃い紫の獣は、熊のようにも見えた。
「ロウヤ! 周囲のケモノダマを取り込んで強化している!」
「おう! とっとと決着をつけてやるよ!」
 もう一度だ。着地したロウヤは、跳ね跳び距離を詰める。正面から鼻面目掛けて拳を突き出す。ジョウが背後から斬撃を食らわす手筈だった。
 ジョウが美しい三日月を描き、刀を振り下ろす。その瞬間。
「――動くな」
「……ッ!」
「ジョウ!」
 教師だった獣が命令を唸る。ジョウの体は思考より先に硬直した。体に残る紋様と、催眠状態の残滓だ。ジョウの表情が歪むのをロウヤは見る。
 ククク、と獣は嗤う。勝ち誇る。
「守り人さえ封じてしまえばこちらのものだ!」
 ジョウを守り人と評価していたが故に、ジョウを支配しようとしたのだろう。なるほどね、とロウヤは一歩下がり、拳を握り直す。
 丹田に力を込める。全身に漲る霊力を、ソルに向けて開く。
 ソルは応えるように吠えた。霊力の束が、入り込んでくる。
 繋げる。結びつける。
「なんだ、何をしているっ?」
 動揺が聞こえる。
 ロウヤは、目を見開いた。

「――獣神一体、ソルダーズ」

 狼と一体化した姿。ロウヤとソルの特徴を併せ持つ、獣神。頭部から炎のように揺らめく透明な耳。大きな手に力強い足。尾が風に揺れた。
 手甲が自らの手のように動く。すべての感覚が研ぎ澄まされ、肌をなびく風からも相手の情報を得ることができた。
「ふん。貴様の紋様など対策済みだ」
 ジョウが教師を嗤う。獣としての格の違いに圧倒されたケモノダマは震えた。
「話が違う……!」
 背を向けることもできず硬直する獣へ、ロウヤの爪が振り下ろされる。素早く二回。袈裟懸け、逆袈裟に傷が走る。
「はぁっ!」
 最後に頭へ向けて正面から突き上げる。頭からどろりと濃い紫の澱が零れ落ちる。爪を引き抜くと、全身がとろけ出す。
 最後はぱん、と弾けるように、ケモノダマは散った。

しおりを挟む

処理中です...