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第2部

プロローグ

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 グレイシア皇国・皇都ディノス――。
 霊峰カリンカ山脈の麓にあるため「神聖都市」とも呼ばれる大都市。その中央に位置する、ラスティアン宮殿の渡り廊下を、今一人の女性が歩いていた。


(……やれやれ。いつ来てもここは豪華だな)


 年の頃は二十歳ほど。紫紺色の短い髪と、同色の瞳。凛とした顔立ちを覆うスカーフのような赤い眼帯が特徴的な、漆黒のレザースーツに身を包んだ男装の麗人だ。ただ、素直に「麗人」と呼ぶには彼女はやや背が低く、その上抜群のスタイルを持っているため、レザースーツがかえって女性らしいラインを際立たせる結果になっているのだが。

 コツコツ、と。
 白い大理石の廊下に足音が響く。
 その度に、彼女は少し居心地が悪そうに美麗な顔をしかめていた。
 この宮殿は何もかもが豪華過ぎて、どうにも落ち着かないのだ。


「え? タ、タチバナ様!」

「い、いつ皇都に?」


 と、その時、たまたま通りがかった二人の男性騎士が慌てて敬礼した。
 女性はしかめっ面を改めると、目線だけを二人に向け、


「……今朝がた着いたばかりだ。それより副団長殿はいらっしゃるか?」


 と尋ねる。途端、二人は雷に打たれたように緊張した。
 そして、互いの顔を忙しく見合わせると、


「え、その、ふ、副団長でしたら、今日は執務室におられるはずです」


 騎士の一人が、どもりながらそう答える。


「……そうか。ありがとう」


 女性は一言そう告げると、二人の横を通り抜けた。
 騎士達は再び敬礼して彼女を見送った。直立不動で動かない二人。
 だが、女性がその場から離れるなり、すぐさま「お、おい! 俺あのタチバナ様と会話しちゃったよ!」「いいなあ、俺も会話したかったなあ」と騒ぎ出していた。
 その様子を振り向かずに、耳だけで聞き、


(……やはり慣れないな)


 タチバナと呼ばれた女性――オトハ=タチバナは小さく嘆息する。


(私は騎士ではないのだから、あんなに気張らなくてもいいのに)


 そんなことを思う。続けて彼女は、レザースーツの上に羽織った白いサーコートの裾を強く握った。このコートのおかげで、自分はこの宮殿内へ自由に出入りすることを許されてはいるが、本来はしがない傭兵の身だ。騎士の礼儀など知らない。


(……あいつは、ここでどんな風に過ごしていたのだろうか)


 ふと、今や自分と似たような境遇である男の顔を思い浮かべる。
 しかし、何故か思い出すのは彼の笑顔ばかり。少しばかり頬に朱が入る。


(……ふう)


 オトハは頭を振って、思い出をかき消した。
 と、そうこうしている内に執務室へと辿り着いた。威圧感さえ放つ重厚な扉は前回訪れた時と変わっていない。まるでこの部屋の主人の性格を表しているようだ。
 オトハは一度苦笑を浮かべた後、コンコンとノックする。すると、中から「どうぞ」と声がかかってきた。オトハは「失礼する」と告げて扉を開いた。

 ――部屋の中も、以前と変わっていなかった。
 敷き詰められた赤い絨毯に、左右の壁を埋め尽くすように並んだ大きな書棚。そして窓際近くに置かれた執務机と、そこに座る壮年の男の顔も。


「ああ、よく来てくれた。歓迎するよ。オトハ=タチバナ君」


 壮年の男は笑みを浮かべることもなく、歓迎の言葉を口にした。オトハはつい皮肉気に笑ってしまった。この男はいつもこんな感じだ。愛想というものがまるでない。


「相変わらずだな、あなたも。ライアン=サウスエンド殿」


 オトハは男の名を呼ぶ。
 ライアン=サウスエンド。グレイシア皇国騎士団の副団長であり、皇国より与えられる最強の称号――《七星》の称号を持つ一人でもある。確か今年で五十になるそうだが、その覇気に一切の衰えはない。


「……さて。サウスエンド殿」


 面持ちを険しくして、オトハはライアンに問う。


「それで、今回私を呼び出した理由は何なのだ?」


 いきなり本題に入るオトハに、ライアンは苦笑を浮かべ、


「やれやれ、単刀直入だな。同じ《七星》同士。少しは親睦を温めてもいいのでは?」

「あなたがそんな人間か。さっさと言え」


 オトハの対応は素っ気ない。が、それも仕方がないことだ。
 この男が、傭兵であるオトハをわざわざ呼び出す時は必ず理由がある。それも正規の騎士では対応できないような厄介事ばかりだ。いくら報酬が良くても、そんなものを会うたびに押し付けられては嫌にもなる。
 オトハは鋭い眼光でライアンを睨みつけた。


「そんな目で見ないでくれ。まあ、確かに君に依頼があって呼び出したんだが、今回に関しては、恐らく君にとっても良い話だと思うぞ」

「……良い話、だと?」


 怪訝な顔をするオトハに対し、ライアンは「うむ」と頷き、


「そうだな。まずはこれを読んでくれ」


 言って、執務机の引き出しから一枚の手紙を取り出した。


「手紙?」


 ライアンから手紙を受け取り、眉をしかめるオトハ。
 見たところ何の変哲もない白い封筒だ。だが、裏の差出人の名前を見て目を見開く。
 そこには、知っている名前が見覚えのある筆跡で書かれていたのだ。


「こ、これは、もしかして私宛てか?」


 先程までの泰然とした態度もどこへやら、年相応の可愛らしい声でオトハは呟く。
 白い頬には朱が入り、明らかに何かを期待した表情だ。
 が、そんな彼女の願望を打ち砕いたのは、ライアンの無情の声だった。


「いや。それはハウル公爵令嬢に宛てたものだ」


 一瞬、オトハはピシリと凍りつく。
 それから、ゆっくりとライアンに視線を向け、


「……ハ、ハウル? あの赤毛女か?」

「仮にも公爵令嬢にその表現はどうかと思うが、まあ、その赤毛女だ」

「…………」


 オトハの表情がみるみる不機嫌になる。が、ライアンはさして気にもせず「まあ、とりあえず読んでくれ」と、事務的な口調で先を続けるよう促す。



「……いいのか? 勝手に読んで?」

「問題ない。公爵令嬢の了承は取ってある。ああ、そうだな一つ先に言っておこう」

「……何をだ?」


 首を傾げるオトハに、ライアンはふっと笑い、


「その手紙は恋文の類ではない。君の想い人は未だフリーの身だ。安心してくれ」

「…………え?」


 オトハは一瞬呆然とした声を上げたが、すぐさまライアンの言葉の意味を理解し、カアアっと顔を赤く染め上げた。


「なななっ、わわ、私は別に……」

「まあ、とりあえず君の気持ちは置いといて。その手紙を読んでくれないか」


 淡々と告げてくるライアンに「……ううぅ、な、なんで知っているんだ?」と内心で呻きつつ、オトハは手紙を読み始める。が、その内容はあまりにも意外のものであり、文章が進むにつれて、オトハの表情はどんどん険しさを増していった。
 そして、一通り手紙を読み終えてから、


「……これは事実なのか?」


 と、神妙な声でライアンに尋ねる。
 ライアンは厳かに頷いた。


「ああ、流石に裏は取れてはいないが、筆跡から少なくともその手紙は本物だ。彼が友人である公爵令嬢に送った手紙が、虚偽を記したものとは考えづらい」

「…………」

「そもそも彼にそんなことをするメリットもないしな。事実と見るべきだろう」

「……そうか」


 オトハの声は硬い。まさか、こんな事が起きようとは思いもしなかった。
 だが、これがもし事実だとしたら――。


(……いや。こんなこと、私が考えても仕方がないか)


 オトハは思い浮かんだ考えを振り払い、ライアンに尋ねた。


「……結局、私への依頼とは何なのだ?」


 すると、ライアンは執務机の上で両手を組み、


「ああ、それなんだが、実はね――」


 そうして十数分後、ライアンは依頼内容をオトハに語り終えた。
 オトハはしばし神妙な顔をしていたが、不意に表情を引き締め、


「……なるほど。いいだろう。この依頼引き受けよう」


 承諾の意志を伝える。ライアンはにやりと笑った。


「ふふっ。感謝するよ。タチバナ君。なにせ、内容が内容だけに正規の騎士は使えなくて困っていたところなんだよ」

「別に感謝する必要はない。私は傭兵だ。報酬さえ貰えれば文句はない」


 素っ気ないオトハの返事。が、それに対し、ライアンは何故か笑みを深めた。
 オトハは訝しげに眉根を寄せる。


「何がおかしい? サウスエンド殿」

「いや、なに。この件は特に期限は設けないつもりだ。だから……」


 そこで、くつくつと笑い、


「久しぶりに、ゆっくりと彼に甘えてくるといい」

「……え」とオトハは呟いた。
 そして、それからわずか一秒後。


「なななっ!? あ、甘えるってッ!?」


 ボッと火が噴き出すような勢いでオトハは赤面した。それを見てにやにやと楽しげに笑うライアン。普段は無愛想なのにこういう時だけはよく笑う男だった。
 そして真っ赤な顔をして未だ硬直したままの女性に「ああ、そうだ。船はこちらで用意するよ」と伝えた後、


「では頼んだよ、タチバナ君」


 と念押しし、ライアンはもう一度依頼内容を告げるのだった。


「これから――アティス王国へ向かってくれ」
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