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第10部(外伝)

第一章 子連れ傭兵②

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 パチパチ、と焚き火が鳴る。
 夜。森の一角を照らす炎に炙られた干し肉の香ばしい匂いが辺りに充満した。
 少年は串に刺した肉を一本手に取る。
 元が干し肉なので少し固そうだが、充分火は通っているように見える。少年はその串を隣に座る少女に手渡した。
 少女は肉串を掲げると、まじまじと見つめた。

 年の頃は十歳ほどか。
 肩まで伸ばした空色の髪と、翡翠の瞳。神秘的とさえ思える美貌を持つ少女。
 言うまでもなく、幼き日のユーリィである。

 茶系統のホットパンツに頑丈なブーツ、少し大きめの白いフード付きコートを着たユーリィは少年がくれた肉串をしばし拝んだ後、不意にぱくっと食らいついた。


「……あ、あう!」


 が、すぐに口を肉から離す。予想以上に熱かったのだ。
 わずかに涙目になっている。少年は「おいおい」と苦笑を浮かべると、


「ほら。口の中を見せてみな」


 言って、ユーリィの頬に触れた。
 ユーリィは言われるがままに口を開いた。
 少年はまじまじと彼女の口の中をのぞき見る。
 しばしの沈黙。その間、ユーリィは少年の顔を見ていた。
 年齢は十八歳。黒い革服の上に、白いファーを付けた黒ジャケットを着た少年。毛先がわずかに黒ずんだ白い髪と、漆黒の瞳が特徴的な人物である。
 素朴さが窺える顔立ちだがその実力は極めて高く、盗賊団程度など相手にもならない超一流の傭兵だ。

 名をアッシュ=クラインと言う。
 まだ少年でありつつも、彼はユーリィの保護者であった。


「灰色さん。お口の中が痛い」

「そりゃあ火傷してっからな。それとユーリィ。いい加減灰色さんはやめろって」


 二人が出会ってすでに一年以上。
 一向にやめてくれない奇妙な愛称に、アッシュは苦笑する。
 年齢的に『お父さん』は無理でも、せめて名前で呼んでくれと頼んではいるのだが、ユーリィは中々受け入れてくれない状況だった。


「まぁ今はいいか。けどユーリィ。すぐに食べ物に食らいつくのは悪い癖だぞ」

「食事が摂れる時は躊躇わない。それが生きる鉄則」

「いや。そんな傭兵の俺以上に傭兵っぽい台詞を言うなよ」


 呆れた様子を見せつつ、アッシュはユーリィの頬から手を離した。


「とりあえずもう少しゆっくり食べな。誰も取らないから」

「うん。分かった」


 ユーリィは首肯してはふはふもしゃもしゃと肉串を食べ始めた。
 焚き火の前で胡座をかくアッシュも、自分用の串を手に取る。
 そして簡素な食事は、無言のまましばらく続く。
 アッシュはちらりとユーリィの様子を窺った。彼女を養女として迎え、共に旅をするようになったが、無愛想な表情だけは食事の時も変わらない。
 だが、それでも一年も共に過ごせば、少しは心情も読み取れるようになる。


(やっぱ少しヘコんでいるな)


 もしゃもしゃと咀嚼するユーリィを見つつ、アッシュはそう感じた。
 表向きだけならば、普段とさほど変わらない無愛想さのように見えるが、その実、心中は穏やかではないのだろう。
 原因は分かっている。昼間遭遇した盗賊どものせいだ。
 あの連中は本当に好き勝手にほざいてくれた。ああも露骨で下劣な欲望をぶつけられては幼いこの子が怯えるのも当然だ。
 ましてやユーリィの過去を鑑みれば、恐怖を抱くなという方が無理な話である。


(これは仕方がねえな)


 保護者として、このまま看過しておくことは出来ない。
 十数分後、アッシュ達は食事を終えた。


「なあ、ユーリィ」


 アッシュは三角座りをするユーリィに声をかける。ユーリィは「なに?」と無愛想な声で返して来た。アッシュは腰を上げると片膝をつき、くいくいと手を動かした。


「………………」


 ユーリィはアッシュを見やる。
 それからすぐに立ち上がると、アッシュの前まで進み、両手を伸ばした。
 いわゆる抱っこしてのポーズだ。
 これは、最近見せるようになった落ち込んだ時のユーリィの定番だった。少々幼く思える行動だがそれも仕方がない。早くに両親を亡くし、保護者に対して甘え方が分からない彼女が自分なりに考えた甘え方だ。まだまだ未熟であっても父親役を買って出たアッシュとしては無下にも出来ない。
 内心で苦笑しつつも、アッシュは両手を軽く広げて彼女を迎えようとするが、


「………あ」


 この日は珍しくユーリィの方が躊躇った。
 手を戻し、困惑した表情を見せる。アッシュが眉根を寄せていると、彼女は自分のコートの裾などに鼻を寄せ始めた。


「? どうした? ユーリィ」


 アッシュはますます眉をひそめた。
 するとユーリィはぶすっとした表情で「……少しだけ臭う」と告げた。
 どうやら自分の体臭が気になったらしい。


「ははっ、そういや今日は風呂に入ってねえよな」


 と、アッシュが言う。
 傭兵稼業などをしていると風呂に入れないことは珍しくもない。無論ユーリィのために出来るだけ街や村の宿泊施設は利用しているが、それでもこういう日もある。


「そんな気にすることでもねえだろ」


 と、アッシュは軽く言うが、ユーリィはしかめっ面をより険しくした。
 そして、


「あなたの頭カラッポなの? デリカシーが全くない。天罰いる?」


 不機嫌を隠さずに言い捨てる。
 が、それでもユーリィは抱っこをしてもらうかどうか逡巡していた。出来ることならして欲しい。けれど今の自分の匂いをアッシュに嗅がれるのは嫌だ。
 ユーリィはしばし悩むが、ややあって頭を振ると、


「今日はもういい。もう寝る」


 結局今日は諦めた。そして自分のサックから薄いシーツを取り出すと自分の体を包みこみ、木の幹の傍で横になる。寝付きのいい彼女はすぐに寝息を立て始めた。


「……おやすみ。ユーリィ」


 目を細めてアッシュは呟く。
 眠るにはまだ少々早い時間帯ではあるが明日の出立は早い。今から寝ておくのも悪くないだろう。後で安全な《朱天》の中に運んでやればいい。
 アッシュはユーリィの寝顔に目をやりつつ、ボリボリと頭をかいた。


「けど、お風呂とはな」


 少しだけ口元が綻んできた。
 出会った頃のユーリィはそんなことを気にする娘ではなかっただけに、かなり人間らしい感情を取り戻してきているようで嬉しくなったのだ。
 だからこそ、お父さんとしては娘に不憫を強いるような真似はしたくない。ここは早急にお風呂に入れて上げることが重要だった。
 アッシュは自分のサックから小さな地図を取り出した。
 最近購入したばかりの近隣の地図だ。街の規模や地形の状況など、かなり正確な情報が記載されている。

 しかし、


「う~ん、この近くに村や街はねえみてえだな」


 ここはグレイシア皇国領の国境付近。探してみても、めぼしい村がない。
 アッシュは困った様子で眉根を寄せた。が、不意にポンと手を打ち、


「あ、そっか。ちょいと寄るぐらいなら別に皇国領に拘る必要もねえのか」


 そしてあごに手をやると、再度地図に目を落とし呟いた。


「ここから一番近いのはエリーズ国の……越境都市『サザン』か」
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