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第7部

幕間一 禍い星

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 ――ザザザザザザザザザァァ……。
 絶え間なく雨が降る。
 木の葉を揺らして、凍えるほどに冷たい滴が落ちる。
 ――ビチャリ、ビチャリと。
 男は水溜まりを踏みつけて森の中を進んでいた。
 男の体は、ボロボロだった。
 ずぶ濡れの黒服はあちこち破れ、時折水溜まりには地が滲む。
 だが、それでも男は歩くのを止めなかった。


(ここまで差がつくものなのか……)


 強く歯を軋ませる。
 脳裏によぎるのは一時間ほど前の戦闘。
 白金に輝く荘厳なる機体。その手に携えた突撃槍はまさに暴風だ。まるで紙の兵でも吹き飛ばすように男の同僚達は吹き飛ばされていた。
 そして、その中に男自身もいた。
 他の同僚達は命を落としたが、悪運強く男だけは生き延びたのだ。


「……ジルベール=ハウル」


 再び歯を軋ませる。
 あの男は昔からそうだった。
 ――天に愛された男。
 それが、初めて会った時の印象だった。
 容姿端麗。頭脳明晰。ずば抜けた運動能力と操手の才。
 その上、血筋まで恵まれている。公爵家の次期当主さまときた。
 そんな過剰なまで天に愛された男は、強欲なまでにすべてを得ていた。

 人望も。騎士学校での地位も。
 そして数多にいる女達も。

 唯一の欠点とも言うべきか、ジルベールは女癖が非常に悪かった。
 とは言え、特段女好きという訳ではなく、基本的に女を軽視していたのだ。そのため、道具のごとく興味本位だけで次々と別の女を抱いていた。
 そして、その中には少年だった男が想いを寄せていた少女もいた。


(……あの頃は俺も若かったな)


 否応なしに自分の青さも思い出し、男は皮肉げに笑った。
 大人しい少女だったと憶えている。
 ただ、彼女は積極的にジルベールに関わった訳ではない。
 そんな性格でもない。
 たまたまジルベールに見初められて、押しの強さで口説かれたそうだ。
 そうして一度抱いてしまえば、ジルベールの興味の対象ではなくなり……。


「………ふん」


 男は双眸を細める。
 ――今のままではあの男には一生届かない。
 そう思ったからこそ、男は裏の世界に身を寄せた。
 そうして――努力した。
 血反吐を吐くほどの鍛錬。数え切れないほどの修羅場。
 いつしか男は一部隊を任される地位を得ていた。
 努力とは手段。過程に過ぎない。
 だからこそ確かなる成果を手に掴み、男は自分の才を感じていた。
 自分には報われるだけの才能がある。そう実感していた。
 だが、何の因果か、騎士となったあの男と遭遇して思い知らされる。
 ――圧倒的な天賦の才の違いを。
 きっと、ジルベール=ハウルは、自分がかつて騎士学校における同期であったことなど気付いてもいないだろう。
 自分など、文字通り、吹けば消し飛ぶような雑兵に過ぎない。
 それを強く思い知らされてしまった。


「結局、すべては天に愛されているかどうかなのか」


 男は立ち止まった。
 そして雨が落とす天を睨み付ける。


「何とも不公平な話だ。きさまがそこまでするほどの価値があの男にあるというのか?」


 ギシリ、と拳を握りしめる。


「ふざけるなよ……」


 才がある者ほど恵まれる世界。
 産まれながら運命が決まった世界。
 何という理不尽な世界なのか。


「俺は認めない。そんな世界など」


 男は、打ち抜くように天へと拳を突き出した。


「俺はもう、努力のような真っ当な手段には頼らない! 貴様が与えた運命などには従わない! 俺は必ず貴様が愛したジルベールを上回る力を手に入れる! それがたとえ紛いモノで、どれほど禍々しいモノであってもだ!」


 冷たい雨の中で男は吠える。
 その心の中に、泣き崩れる少女の姿を思い出しながら。
 これは、若き日の、まがい星の物語。
 歪で哀れな男の話だ。

 そして――……。



「……支部長」


 部下の呼びかけに男は目を開けた。
 そこは応接室。ただし、廃墟を思わせるほどボロボロな部屋だ。
 その男は穴の開いたソファに腰を掛けていた。


「……何だ?」


 男が問いかけると、


「はっ。客人が来られました」

「ほう。そうか……」


 男は双眸を細めた。次いで「ここに通せ」と部下に命じる。


「了解しました」


 そう応えて部下は退室した。
 そして数分後。


「支部長。お客さまをお連れしました」

「ああ。入ってくれ」


 応接室のドアの向こうから聞こえてきた声にそう返す。
 すると、すぐにドアが開かれる。男はドアの方に目をやった。
 そこには三人の人物がいた。
 一人は男の部下。そうして後の二人は客人である女だ。
 客人の内、一人は黄色い短髪の冒険者のような格好の女。
 中々の美貌の持ち主だが、今は険しい顔つきで男を見据えている。
 そうして、もう一人は長い黒髪の女だ。
 美貌では同行者の女さえも大きく上回る絶世の美女。

 彼女には敵意はない。
 ただし、他の感情も見せることもない。静かに男を見つめていた。


「これはこれは」


 男はゆっくりと立ち上がった。


「よくぞ来てくれた。本当に感謝する。《ディノ=バロウス教団》の盟主殿。さて。まずは軽く自己紹介と行こうか」


 そして、気が遠くなるほどの時を経た、禍い星は名乗る。


「私は《黒陽社》第3支部・支部長。《木妖星》レオス=ボーダーだ。盟主殿。以後、お見知りおきを願おうか」
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