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第8部

第七章 《煉獄》の鬼④

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『そんじゃあ行くぜ!』


 ――ドンッ!
 大地を粉砕し、《煉獄》の鬼が飛翔する!
 瞬時に間合いを詰めた《朱天》はすでに拳を突き出してた。


(速い!)


 コウタは、表情を険しくした。
 同時に《ディノ=バロウス》は、処刑刀の腹で鉄拳を受け止めた。
 ――だが。


(ッ!?)


 防御は間に合ったというのに、衝撃はまるで打ち消せない。
 処刑刀はミシリとたわみ、《ディノ=バロウス》は吹き飛ばされた。


「――あう!」


 メルティアがギュッとコウタに掴まり、苦悶の声を上げた。
 コウタもまた「……ぐうッ!」と呻いた。


(くそっ!)


 コウタは、衝撃に押されて、両足で地面を削り続ける《ディノ=バロウス》の体勢を整えようとした。
 ――が、


『――逃がさねえ!』


 兄の鋭い声が届く。
 ――ズシンッ!
 地を踏みしめる《朱天》。そして掌底が繰り出された。
 間合いは遠い。
 だが、《ディノ=バロウス》は再び吹き飛ばされてしまった。
 恒力の塊――《穿風》を叩きつけられたのだ。


(お、重い!)


 軽装型とは言え、メルティアが造り上げた《ディノ=バロウス》の装甲は、極めて耐久力に優れる。だというのに、気休め程度にしかならない衝撃だ。


(た、立て直さないと!)


 コウタは焦る。が、次の瞬間、目を見開いた。
 目に前に、拳を構える《朱天》がいたからだ。


(しまった! 《雷歩》か!)


 息を吞む。
 鋼の拳は、弧を描いて襲い来る!


(間に合え!)


 ――ズドンッ!
 重い衝撃。けれど、どうにか間に合った。
 再び拳が直撃する処刑刀。今にも折れそうなぐらいたわむ。


(けどッ!)


 コウタは唇を噛みしめた。
 メルティアは、ただただコウタにしがみつく。
 やはり衝撃だけは抑えきれない。
 悪竜の騎士は、大きく横に吹き飛ばされた。


「メルッ! しっかり掴まって!」

「――はい!」


 コウタは幼馴染にそう告げつつ、愛機の竜尾を利用して空中で反転し、両足で地面に着地する。だが、バランスは取れても勢いは収まらない。
 ガガガッと両足が火線を引き、左手を地面に突き立てて、どうにか威力を抑えた。


(――なんて力だ)


 兄の愛機・《朱天》は、三万八千ジンの恒力値を誇る機体だ。
 対し、現時点の《ディノ=バロウス》は三万五千ジン前後。恒力値そのものは、そこまで大きな差はない。
 しかし、明らかに膂力には差があった。


(……これが兄さんの実力)


《朱天》の猛攻に、コウタはわずかに息が切れていた。
 それほどまでに神経をすり減らして凌いでいるのだ。
 汗が頬を伝い、ポトリと垂れる。


「……コウタ」


 その時、メルティアが不安そうに口を開いた。


「大丈夫ですか? 息が微かですが荒れています」

「……うん。流石にね」


 これほどの緊張を抱いたのは、ラゴウ=ホオヅキと戦った時以来か。


(紛れもなく、兄さんも)


 ――怪物だった。
 汗を片手で拭い、コウタは息を吐く。と、


『どうした?』


 竜尾を揺らして《朱天》が、近付いてくる。
 隙は一切ない。自然な足取りだ。


『少しバテて来たか?』


 そんなことを聞いてくる兄。
 少し懐かしい。村にいた頃、農作業中によくそう声をかけられていた。


『……相変わらず』


 その頃を思い出しながら。


『全然バテないんですね。昔から思ってたけど、本当に凄いや』


 コウタは笑った。


『まあ、俺も色々あって、今も鍛えてるからな』


 兄が言う。


(いや、兄さんがそれ以上鍛えてどうするのさ?)


 内心でそう思い、苦笑を浮かべるが。


『そうですか。けど』


 コウタは、真剣な声色で言葉を続けた。


『ボクも、このまま負けるつもりはありませんので』


 このままでは終われない。
 自分はまだ、兄に何も伝えていない。
《ディノ=バロウス》の双眸が赤く光る。
 そして、悪竜の騎士は地を滑走した。
 悟られないように構築した《天架》を使用したのだ。
 瞬時に《朱天》との間合いを詰める《ディノ=バロウス》。だが、対する《朱天》はカウンターのための拳を固めていた。
 すでに、先読みしていたのである。


(だけど!)


 コウタは双眸を細めた。


『――ふッ!』


 小さな呼気を吐き出す。
 直後、《ディノ=バロウス》は地面を強く蹴り付けた。
 ズガンッと地面が陥没した。《雷歩》を目の前で使用したのである。
 さらに粉砕された地面から土煙が吹き上がり、二機の影を覆い尽くした。


(これが唯一の勝機だ!)


 簡易の煙幕。こんな手は兄には二度と通じない。
 だからこそ――。


(ここで今、すべてを叩きつけるんだ!)

「――メル!」


 コウタは叫んだ。


「《三竜頭トライヘッド》モードに移行する!」


 メルティアは大きく目を見開くが、「はい! 分かりました!」と応えた。
 土煙の中で《ディノ=バロウス》の全身の炎が消えた。
 代わりに右腕の竜頭の双眸が赤く輝いた。
 次いで、どんどん右腕が真紅に染まっていく。
 第一の竜頭の解放だ。
 そうして――。


『アッシュ=クラインさん』


 土煙が徐々に晴れる中、コウタが、告げる。


『これが、今のボクの切り札です』


《ディノ=バロウス》は真紅の右腕を掲げた。
 唐突な現象に流石の兄も驚いたのか、《朱天》がほんの一瞬だけ硬直した。


(――今こそ!)


 処刑刀を握る《ディノ=バロウス》の腕がギシリと鳴った。


(ボクのすべてを!)


 コウタは、その闘技の名を告げた。



『――《残影虚心・顎門あぎと》』



 ――ギイイイイイイイイィッッ!
 空間が軋むような異音。
 それは《朱天》の左腕を中心に、響いていた。
 驚くべき事に、兄は咄嗟に闘技で迎撃してきたのだ。
 それも、コウタの持つ闘技の中でも最大威力を誇る《残影虚心・顎門》と真っ向から拮抗している。


(だけど押し切る!)


 さらに、魔竜は咆哮を上げた。
 そして――。


『《残影虚心・顎門》』


 コウタは再び、闘技の名を告げた。
 半分は、リーゼの力でもある闘技の名を。


『二十四回の斬撃を瞬時に繰り出すボクの切り札です。だけど……』


 バキンッ……。
 不吉な音が響く。続いて落下音。
《ディノ=バロウス》が持つ処刑刀が、半ばから折れた音だ。


(完全に押し切れなかった……)


 地に落ちた刀身を見やり、コウタは目を細める。
 正直なところ、腕の一本は奪うつもりだった。
 だが、《朱天》の左腕は大きく損傷しているが、原型を留めていた。
 最強の闘技をぶつけてなお、その程度の損傷しか与えられなかったのだ。


『《木妖星》の装甲を半分近く食い破った技なのに、剣を折られた上に、完全には腕を落とせないなんて……』


 少しだけ本音がこぼれ落ちる。
 一方、《朱天》は自分の腕を見つめて沈黙している。と、その時だった。


「ここまでのようだな」


 不意に女性の声が響いた。
 コウタが視線を向けると、そこには二機に近付いてくるオトハの姿があった。
 彼女は二機を見比べて告げる。


「片方は剣を。片方は左腕を失った。仕合はここまでだな」

(ここまでか)


 確かに、その通りだ。
 状況的にはまだ五分かも知れない。
 けれど、すでにコウタは、今の自分の全力を兄に見せていた。


『……そうですね』


 コウタは頷く。


「……終わったのですね。コウタ」

「うん。終わったよ。メル」


 背中から問いかけるメルティアにも告げる。
 オトハも《ディノ=バロウス》を見上げて頷いた。
 そして彼女は終了の宣言をしようとした――その時だった。


『いや。待てオト』


 唐突に。
 兄が彼女を止めた。
 オトハが小首を傾げて「……? どうした? クライン?」と尋ねると、


『まだだ。まだ決着はついてねえ』


 兄はそう告げた。


『……え?』


 コウタは目を剥いた。


「何を言ってるんだ、クライン」


 オトハが眉をしかめる。
 そして《朱天》の傍に近付いた。


「もう充分だろう。この戦いの趣旨は、お前だって分かっているんだろう?」

『分かってるよ。けど、少し「欲」が出た』


 兄は訥々と告げる。
 オトハが「……『欲』?」と反芻し、眉をひそめる中、兄は言葉を続けた。


『見るのは、「今日までのこと」だけのつもりだった。けど、ここまで出来るとは思っていなかった。だから、見てみたくなったんだ』

「……コ、コウタ?」


 メルティアが、コウタの背中にしがみついて尋ねる。


「お、お義兄さまは一体何を仰って……?」

「い、いや、ボクにも……」


 困惑するコウタ。
 その直後のことだった。
 ――バカンッと。
《朱天》のアギトが大きく開いたのだ。


(―――――え)


 コウタとメルティアが目を見開く。
 続けて、《朱天》の四本の紅い角に鬼火が灯る。


(こ、恒力値が……)


 起動させていた《万天図》に示された恒力値に、ただただ息を吞む。
 四万五千、五万、六万五千――。
 凄まじい速さで数値が上昇。その値は瞬く間に七万四千ジンに至った。
 そして《朱天》の姿は、漆黒から真紅へと変わっていった。


「せ、赤熱発光……」


 メルティアが呆然と呟く。
 グウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ――!!


「――きゃあ!」

「――クッ!」


 天を裂くような《朱天》の咆哮にコウタとメルティアは呑み込まれた。


(こ、これが兄さんの……)


 ――真紅の鬼。
 正真正銘の兄の全力だ。
 その威圧感は、先程までの比ではない。
 コウタとメルティアは、呆然と真紅の鬼を見つめていた。
 すると、兄は――。


『お前のこれまでのことは充分に見せてもらった。はっきり伝わったよ。本当に、今日までずっと頑張って来たんだな。誇らしく思うぞ。だが』


 その声は、とても穏やかで優しい。
 けれど。


『これから試すのはお前の未来だ。お前がどれほどの可能性を秘めているのか。俺にそれを見せてみろ。――そう。今ここで』


 兄の宣告は、あまりにも過酷なものだった。


『本気の俺を相手に、自分の限界を越えてみせろ』


 その言葉に、コウタは唖然とした。


(に、兄さん……)


 ゴクリ、と喉を鳴らす。
 沈黙の中、《朱天》が一歩踏み出した。すると草原に炎が上がった。
 陽炎と共に立つ真紅の鬼が言う。


『お前も本気で――死に物狂いで来い。本気の俺は少しおっかねえからな』
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