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第11部

第六章 フラッグ・ゲーム④

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 一方、その頃。
 森林の東側の広場。エリーズ国騎士学校の生徒たちが集まる中で。
 アヤメの運命たる少年は、自分の短剣を、カチャカチャと弄って唸っていた。

「……う~ん」

 眉をしかめている。

『どうかしたのですか? コウタ?』

 着装型鎧機兵を纏ったメルティアが尋ねてくる。

「う~ん、あのさ、メル」

 コウタは、自分よりも頭の位置が高い幼馴染を見上げた。
 すっと短剣を差し出す。

「これって、針ぐらいのサイズに出来る?」

『……はい?』

 メルティアは、むんずと短剣を片手で受け取って小首を傾げた。

『これを? ミニチュアを創って欲しいということですか?』

「いや。これを針ぐらいに縮めるんだ」

『……コウタ?』

 着装型鎧機兵の中で、メルティアは眉根を寄せた。

『言葉の意味が分からないのですが?』

「うん。ボクも、何を言っているのか分からない」

『コウタ?』

 再び小首の傾げる幼馴染から短剣を返してもらい、コウタは嘆息した。

「手品だったのかな? けど、不思議な子だったしなあ」

 小さく呟く。
 と、その時だった。

「お~い、ヒラサカ。アシュレイ」

 いきなり名前を呼ばれた。
 コウタとメルティアが振り向くと、そこには担任教師のアイザックがいた。
 彼はクイクイと手を振って、二人を呼んでいた。
 コウタとメルティアは、彼の元へと向かった。

「なんですか? 先生」

 コウタがそう尋ねると、

「ああ、実はな」

 あごに手をやって、アイザックは言う。

「今回、俺は公平な審判だから、自校とはいえ依怙贔屓は出来んのだが、一つだけ伝えておこうと思ってな」

 と、前置きし、

「今回のイベント。実は結構注目されている。なにせ、他校に自分の優秀さをアピールできる場だからな。特にフラッグを折った生徒は相当高く評価される」

 そこでだ、と続けて、アイザックはメルティアを見据えた。

「アシュレイ。お前は少し休みがちだからな。今回はかなり良い機会だ。フラッグ折りにチャレンジしてみてはどうだ?」

『フ、フラッグ折りですか?』

 メルティアが怯えた声を上げた。
 アイザックは、ポリポリと頬をかいた。

「お前なら、かなり楽勝だと思うんだが」

 実際のところ、アイザックの推測は正しい。
 この密集した森の中では、メルティア――正確には着装型鎧機兵は、鎧機兵以上の無双の力を発揮する。彼女に素手で勝つことはコウタでも相当に厳しいだろう。
 まさにメルティアのための舞台とも言える。
 しかし、根が臆病なメルティアには、かなりの無理難題だった。

『コ、コウタと一緒なら……』

 と、いつものように幼馴染に頼ろうとするのだが、

「……ごめん。メル」

 コウタは、すまなさそうに告げた。

「今回のイベントでは、ボクは別行動をしようと思うんだ」

『ええッ!?』

 メルティアが、悲鳴じみた声を上げた。
 コウタは思わず「あ、ごめん。うそだよ。一緒にいるから」と言って、厳つい鎧の中から可愛いメルティアを取り出して、ギュッと抱きしめたくなったが、自制する。

「このイベントは、やっぱり学校としては勝ちたいしね。ゲリラ戦は必至だから、ボクは個人で遊撃することになっているんだ」

 それは、事前にリーゼとジェイク、そして各班のリーダーと決めたことだった。
 本来ならば、森の中を一人で行動するのは危険だ。
 しかし、コウタなら、大丈夫だろうというのが、全員の意見だった。むしろ、下手にコウタにチームを付ければ足手まといになってしまうことを危惧していた。
 それにコウタが一人で動くのなら、他のチームに人員も割り振ることも出来る。
 何より、コウタとしては……。

(多分、あの子が来るだろうし)

 それを一番危惧していた。
 不可解な力といい、彼女は相当危険な相手だ。
 しかも、どうしてか、コウタをぶちのめすとまで宣言している。
 彼女を迎え撃つためにも、コウタは一人でいたかった。もし、メルティアが傍にいて、とばっちりで彼女が怪我をしたら、心臓が止まってしまう。
 ここは、一人でいたかった。

「安心して。メル」

 コウタは、幼馴染を安心させるように微笑んだ。

「そういう話なら、メルの護衛はジェイクに頼むから」

 リーゼには、指揮官の役割がある。
 ここは、ジェイクが適任だった。

『………ううゥ』

 それでも泣き出しそうなメルティアの声にも、コウタは必死に自制した。

「大丈夫だよ。メル」

 コウタはメルティアの手――実際は着装型鎧機兵の手――を取った。

「君は強い子だ。勝とう。メル」

 コウタがそう告げると、メルティアはしばし沈黙していたが……。

『……分かりました』

 ゆっくりと首肯した。

『確かに良い機会です。ここで高評価を得れば、私はもっとグータラできます』

「うん。その身も蓋もない本音は隠そうね」

 コウタがそう告げるが、メルティアは聞いておらずアイザックに視線を向けた。

『先生』

「ん? なんだ?」

『このイベントは、鎧機兵の使用を認められているのですよね?』

「ああ。ただ、鎧機兵で存分に戦えるほどの大きな広場が少ないからな。あまり活用できる場はなさそうだが」

 と、アイザックが答える。

『なるほど。承知しました』

 メルティアが頷く。コウタが「メル?」と眉をひそめた。

『大丈夫です。コウタ』

 対し、メルティアは着装型鎧機兵の中で、ニコッと笑った。

『私はちゃんと活躍しますから』


       ◆


 そうして一時間後。
 両校の生徒たちが各々の配置につき、息をひそめる中。
 その声は轟いた。

『両校の諸君!』

 拡声器を用いた教師の声だ。

『それでは、フラッグ・ゲームを開始する!』

 次いで、パンパンっと幾つかのカラフルな煙幕弾が打ち上げられた。
 身構える者。気を引き締める者。静かに動き出す者。
 枝から枝へと飛び移り、一心不乱に進む者。
 両校の生徒たちは動き出した。

 かくして。
 両校対抗のフラッグ・ゲームが開催されたのである。

(……さて)

 灰色の髪の少年が、丸眼鏡の奥の瞳を細める。
 森の奥に潜むライガだ。

(……アヤメよ)

 弟子であり、義妹でもある少女のことを想う。
 そして同じく弟子であり、今や妻である娘のことも。
 事故による大火で、アヤメは六歳、フウカは九歳の身で家族を亡くした。
 そんな彼女たちの身元を、ライガは引き受けた。
 二人の父親たちが、幼少時からのライガの親友だったからだ。
 もちろん、元よりアヤメたちとは面識がある。産まれた場面にも立ち会ったほどだ。
 しかし、自分は、長老衆の再三に渡る要請も無視して妻も娶らず、ひたすら修練にだけ打ち込んできたような愚物。出来ることは限られている。

 ――そう。彼らの忘れ形見たちを一流の焔魔堂の戦士に育て上げる。
 それだけが、自分に出来る親友たちへの供養だと、ライガは強く思った。

 そして、アヤメもフウカも一流以上の才を見せた。
 たった二年の修練で《焔魔ノ法》の初伝まで収めたのである。
 アヤメに至っては、最年少の記録だったほどだ。

(流石は、あいつらの娘だな)

 とても誇らしく思う。
 ライガは、父親の眼差しで二人の成長を見守っていた。
 まさか、フウカの方が自分の妻になるとは、当時は夢にも思っていなかったが。

(あれは……やはり、俺が迂闊だったのだろうな)

 ライガは、眉をひそめた。
 フウカと自分しか知らないあの事件。それを思い出して遠い目をする。
 恐らく、あれが決め手だったのだろう。
 あの件が無ければ……とも思うが、今さら考えても仕方がないことだ。
 アヤメが、八代目お側女役に選ばれた時も複雑な気分だった。
 歴代のお側女役たちは、子を残すこともなく人生を終えていった。
 あの子の人生も、孤独にならない保証などない。

 しかし、今は――。

(……アヤメよ)

 ライガは瞳を開けた。
 森の奥のアヤメの姿を幻視する。

(俺は止めぬ。いかに御子さまがお相手であってもだ)

 アヤメが、不敬にも御子さまに牙を向けるつもりなのは報告で受けていた。
 だが、ライガは、アヤメを諫めるつもりはない。
 むしろ――。

(行くがいい)

 師として、義兄として、義父として。
 ライガは、心の中でアヤメに告げる。

(望まぬ運命ならば抗え。気にくわぬ相手ならば心を捧げる必要などない。お前の目で御子さまを見極めよ。お前の人生はお前だけのモノなのだから)

 立場ゆえに、信念ゆえに、告げられない言葉。
 師の心を、弟子は知らない。
 せめて心の中だけで、ライガはその言葉を贈るのだった。
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