392 / 399
第12部
第七章 父、家に帰る④
しおりを挟む
その頃。
ムラサメ邸の門前にて。
ライガ=ムラサメは一人、立っていた。
(ようやくか)
息を吐く。
部下とは、里に到着するなり別行動をしている。部下も含め、まずは一息をつき、それから本殿に帰還を報告する予定だった。
部下が、自分を気遣ってくれたこともある。
いずれにせよ、遂に到着した我が家。
ライガにとっては生まれた時から住む屋敷なのだが、今日ばかりは緊張もする。
この門戸をくぐった先には、妻と我が子がおり、御子さまが御座すのだ。
(よし)
ライガは緊張しつつも、門戸をくぐった。
庭園を進み、入り口の引き戸に手をかける。
鍵はかかっていないようだ。そのまま開けた。
すると、偶然だろうが、玄関先には一人の使用人がいた。
六十代の男性。
父の代からムラサメ家に仕えている人物だ。
「これは、旦那さま」
使用人の男性は、両膝をついた。
「お帰りなさいませ」
「ああ。今、戻った」
ライガは頷いて答える。
それから、長い廊下を進む。使用人は立ち上がり、ライガに続いた。
「御子さまはおられるのか?」
前を向きつつ、使用人にそう尋ねる。
「御子さまは、ただ今、アヤメさまと共に外出されております」
「そうか」
少し残念に思いつつ、ライガは続けて尋ねる。
「フウカはどうしている?」
「奥さまは自室におられます」
使用人は、少しだけ優し気に目を細めた。
「坊ちゃまと共に」
「そうか」
ライガは、淡々と答える。
しかし、長年仕えている使用人には分かった。
主人の足取りが少し早くなったことに。
そもそも、先程から真っ直ぐ奥さまの私室に向かっていることに。
「御子さまがお戻りになられたら、ご連絡いたします」
「うむ。頼む」
ライガがそう告げると、使用人は足を止めて、頭を下げた。
再び一人になったライガは、さらに足を速める。
そうして、幾つかの角を曲がり、ようやく妻の私室に辿り着いた。
襖の奥からは、子供の明るい声が聞こえてきた。
鉄面皮のようなライガの顔が、少し緊張する。
そして、
「フウカ。俺だ」
襖の奥に声を掛けた。
すると、
――パシンっと。
襖が勢いよく開かれた。
ライガが微かに目を瞠ると、そこには片腕で赤ん坊を抱える妻の姿があった。
「あなたっ!」
フウカは、驚いた顔を見せた。
ライガは双眸を細める。久しぶりに会う妻。少し痩せたような気がする。
が、それと同じほどに気になるのは――。
「あう?」
パチパチ、と目を瞬かせる妻の腕の中にいる赤ん坊だった。
ライガは軽く息を呑んだ。
(この子が……)
愛らしい顔立ち。額に小さな角を持つ赤ん坊。
妻が抱いているのだ。間違いなく、この子こそが……。
(俺の子なのか)
心からの震えが来る。
同時に、妻への深い感謝の気持ちが湧き上がってきた。
「……フウカ」
妻の頬に、片手を当てる。
まだ若いフウカは、少しドギマギしながら頬を染めた。
「苦労をかけてしまったな」
「い、いえ。私はあなたの妻ですから」
言って、微笑む。
ライガは、優しい眼差しを見せた。
それから、赤ん坊へと目をやり、
「その子が……」
「ええ。そうよ」
赤ん坊を両手で抱え直して、フウカは言う。
「私とあなたの子供よ」
「そうか……」
ライガは赤ん坊を見つめた。
そんな夫に、フウカは赤ん坊を両手で差し出して。
「ふふ。タツマ。あなたのお父さんよ。抱っこしてもらいなさい」
そう言った。
「だあ?」
赤ん坊――タツマは、よく分かっていない顔でライガを見つめた。
ライガは緊張した面持ちを見せるが、
「……タツマ」
恐る恐る息子へと手を伸ばした。
母は優しい顔だ。だが、
「だ」
――ぺち。
差し伸べられた父の手は、息子の紅葉のような小さな手で叩かれた。
当然、痛くはないが、父は、ピシリと固まってしまった。
「タ、タツマ?」
母が引きつった顔で息子の名を呼ぶ。
すると、息子は「だあっ!」と元気そうな声を上げた。
「う、うん。機嫌は良いのね。あなた。もう一度」
「う、うむ」
妻に促されて、ライガは再び息子に手を伸ばしたが、
「だ」
――ぺち。
再び手を叩かれた。
ライガは、再び硬直する。
妻も固まる中、息子の顔に目をやる。
息子の目は真剣だった。
――おっさんが触れるな。
生後、半年過ぎほどでありながら、目でそう訴えていた。
「え、えっと、タツマは、人見知りが激しいの」
妻がそうフォローを入れてくれるが、ライガとしては気が重い。
そうして、タツマが抱っこをさせてくれるまで、十分もかかってしまった。
何度も手を払い、嫌がり、泣きじゃくって、ようやく抱っこさせてくれたのだ。
タツマは、目尻に涙の跡を残した顔でムスッとし、父の腕の中にいた。
息子の激しい拒絶には、いささか以上にショックではあったが、こうして我が子を腕に抱くと、やはり喜びを実感する。
「フウカ」
妻の名を呼ぶ。
ライガの腕の中のタツマの顔を覗いていたフウカが「はい」と顔を上げた。
「感謝する。この子を産んでくれて」
「……いえ」
フウカは、かぶりを振った。
「私はあなたの妻だから」
そう告げて、ライガの袖を掴み、トスンと頭を腕に置いた。
「ただ、少し甘えさせて欲しいかな?」
「……分かっている」
ライガは頷いた。
妻の心労を考えれば、当然だ。
まだ年若いフウカに、どれほどの苦労をかけたことか。
ライガは、タツマを片腕で抱えて、左手でフウカの髪に手をやった。
フウカは夫の手に、自分の手をそっと置いた。
とても幸せそうに目を細める。
「感謝する。お前の望むことなら何でも聞こう。そして」
ライガは、息子に目をやった。
「タツマよ」
一拍おいて、
「お前は俺以上の戦士になれ。御子さまをお守りする最強の戦士となるのだ」
万感の想いを乗せて、そう告げる。
こうして。
父は家に帰ったのである。
ムラサメ邸の門前にて。
ライガ=ムラサメは一人、立っていた。
(ようやくか)
息を吐く。
部下とは、里に到着するなり別行動をしている。部下も含め、まずは一息をつき、それから本殿に帰還を報告する予定だった。
部下が、自分を気遣ってくれたこともある。
いずれにせよ、遂に到着した我が家。
ライガにとっては生まれた時から住む屋敷なのだが、今日ばかりは緊張もする。
この門戸をくぐった先には、妻と我が子がおり、御子さまが御座すのだ。
(よし)
ライガは緊張しつつも、門戸をくぐった。
庭園を進み、入り口の引き戸に手をかける。
鍵はかかっていないようだ。そのまま開けた。
すると、偶然だろうが、玄関先には一人の使用人がいた。
六十代の男性。
父の代からムラサメ家に仕えている人物だ。
「これは、旦那さま」
使用人の男性は、両膝をついた。
「お帰りなさいませ」
「ああ。今、戻った」
ライガは頷いて答える。
それから、長い廊下を進む。使用人は立ち上がり、ライガに続いた。
「御子さまはおられるのか?」
前を向きつつ、使用人にそう尋ねる。
「御子さまは、ただ今、アヤメさまと共に外出されております」
「そうか」
少し残念に思いつつ、ライガは続けて尋ねる。
「フウカはどうしている?」
「奥さまは自室におられます」
使用人は、少しだけ優し気に目を細めた。
「坊ちゃまと共に」
「そうか」
ライガは、淡々と答える。
しかし、長年仕えている使用人には分かった。
主人の足取りが少し早くなったことに。
そもそも、先程から真っ直ぐ奥さまの私室に向かっていることに。
「御子さまがお戻りになられたら、ご連絡いたします」
「うむ。頼む」
ライガがそう告げると、使用人は足を止めて、頭を下げた。
再び一人になったライガは、さらに足を速める。
そうして、幾つかの角を曲がり、ようやく妻の私室に辿り着いた。
襖の奥からは、子供の明るい声が聞こえてきた。
鉄面皮のようなライガの顔が、少し緊張する。
そして、
「フウカ。俺だ」
襖の奥に声を掛けた。
すると、
――パシンっと。
襖が勢いよく開かれた。
ライガが微かに目を瞠ると、そこには片腕で赤ん坊を抱える妻の姿があった。
「あなたっ!」
フウカは、驚いた顔を見せた。
ライガは双眸を細める。久しぶりに会う妻。少し痩せたような気がする。
が、それと同じほどに気になるのは――。
「あう?」
パチパチ、と目を瞬かせる妻の腕の中にいる赤ん坊だった。
ライガは軽く息を呑んだ。
(この子が……)
愛らしい顔立ち。額に小さな角を持つ赤ん坊。
妻が抱いているのだ。間違いなく、この子こそが……。
(俺の子なのか)
心からの震えが来る。
同時に、妻への深い感謝の気持ちが湧き上がってきた。
「……フウカ」
妻の頬に、片手を当てる。
まだ若いフウカは、少しドギマギしながら頬を染めた。
「苦労をかけてしまったな」
「い、いえ。私はあなたの妻ですから」
言って、微笑む。
ライガは、優しい眼差しを見せた。
それから、赤ん坊へと目をやり、
「その子が……」
「ええ。そうよ」
赤ん坊を両手で抱え直して、フウカは言う。
「私とあなたの子供よ」
「そうか……」
ライガは赤ん坊を見つめた。
そんな夫に、フウカは赤ん坊を両手で差し出して。
「ふふ。タツマ。あなたのお父さんよ。抱っこしてもらいなさい」
そう言った。
「だあ?」
赤ん坊――タツマは、よく分かっていない顔でライガを見つめた。
ライガは緊張した面持ちを見せるが、
「……タツマ」
恐る恐る息子へと手を伸ばした。
母は優しい顔だ。だが、
「だ」
――ぺち。
差し伸べられた父の手は、息子の紅葉のような小さな手で叩かれた。
当然、痛くはないが、父は、ピシリと固まってしまった。
「タ、タツマ?」
母が引きつった顔で息子の名を呼ぶ。
すると、息子は「だあっ!」と元気そうな声を上げた。
「う、うん。機嫌は良いのね。あなた。もう一度」
「う、うむ」
妻に促されて、ライガは再び息子に手を伸ばしたが、
「だ」
――ぺち。
再び手を叩かれた。
ライガは、再び硬直する。
妻も固まる中、息子の顔に目をやる。
息子の目は真剣だった。
――おっさんが触れるな。
生後、半年過ぎほどでありながら、目でそう訴えていた。
「え、えっと、タツマは、人見知りが激しいの」
妻がそうフォローを入れてくれるが、ライガとしては気が重い。
そうして、タツマが抱っこをさせてくれるまで、十分もかかってしまった。
何度も手を払い、嫌がり、泣きじゃくって、ようやく抱っこさせてくれたのだ。
タツマは、目尻に涙の跡を残した顔でムスッとし、父の腕の中にいた。
息子の激しい拒絶には、いささか以上にショックではあったが、こうして我が子を腕に抱くと、やはり喜びを実感する。
「フウカ」
妻の名を呼ぶ。
ライガの腕の中のタツマの顔を覗いていたフウカが「はい」と顔を上げた。
「感謝する。この子を産んでくれて」
「……いえ」
フウカは、かぶりを振った。
「私はあなたの妻だから」
そう告げて、ライガの袖を掴み、トスンと頭を腕に置いた。
「ただ、少し甘えさせて欲しいかな?」
「……分かっている」
ライガは頷いた。
妻の心労を考えれば、当然だ。
まだ年若いフウカに、どれほどの苦労をかけたことか。
ライガは、タツマを片腕で抱えて、左手でフウカの髪に手をやった。
フウカは夫の手に、自分の手をそっと置いた。
とても幸せそうに目を細める。
「感謝する。お前の望むことなら何でも聞こう。そして」
ライガは、息子に目をやった。
「タツマよ」
一拍おいて、
「お前は俺以上の戦士になれ。御子さまをお守りする最強の戦士となるのだ」
万感の想いを乗せて、そう告げる。
こうして。
父は家に帰ったのである。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
262
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる