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第1部
第六章 その《星》の名は……。①
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アイリ=ラストンは、山間の小さな村で生まれ育った。
近くには大きな湖もある自然豊かな村だ。
人口は五十人程度。
村と言うよりも集落に近く、一応グレイシア皇国の領土内にあったのだが、大抵のことは自給自足で賄えたため、国にも所属していなかった名もなき村だ。
その生活も質素で、一日のほとんどを農作業に費やす実に平穏な日々だった。
アイリは両親を事故で亡くし、叔父夫婦に育てられたのだが、大した確執もなく普通の家族として幸せに暮らしていた。
しかし一年前。彼女が七歳の時。
村は突然、襲われた。
黒づくめの襲撃者達は、村人達を次々捕縛すると一堂に集めた。
そしてアイリを前に出し、こう言ったのだ。
『我々の目的はこの娘だけだ。大人しく譲り渡すのならばこれ以上は何もしない』
その言葉に、叔父夫婦を始め、村人達は動揺した。
しかし、背に腹は代えられないと結論付けたのだろう。
襲撃者でありながら黒服達の態度がやけに穏便だったのと、アイリを雑には扱わないと約束したことが、村人達の決断を後押ししたのかもしれない。
村人達は悔恨の表情や気まずげな顔を浮かべ、叔母などは涙も流していたが、満場一致でアイリは引き渡されることになった。
『……ごめんね、アイリ』
『……すまない。許してくれ、アイリ』
叔父と叔母の最後の言葉は、今も耳に残る。
アイリは子供心に悟った。
自分は村の安全のために売られたのだ、と。
結果、アイリは黒服達に連れられ、村を去った。
意外な事に黒服達は約束を守ったのである。
だから、村は今もあの場所にある。
しかし、アイリは思う。
生まれ育った村は、今もそこにあるというのに。
自分の心の中に、もう故郷はないのだ、と。
◆
――ぱちり、と。
アイリは瞼を開いた。
目の前には大きな双丘がどどんとある。
メルティアの豊かな胸だった。
そこはパドロからサザンへ続く街道沿いのコテージ。
時刻は夜中の一時頃か。
アイリは今、メルティアと同じベッドの上で横になっていた。
向かい側には寝息を立てるリーゼの姿もある。
自分を抱きしめているメルティアも、まだ寝ているようだ。
アイリはもぞもぞとメルティアの腕から逃れると、ベッドから立ち上がった。
それから小さな寝息を立てて眠るメルティアを、じいっと見つめて、
「……ありがとう。メルティア」
小さくそう呟く。
メルティアがあまりに一生懸命で、優しかったから……。
つい、甘えてしまった。
「……ごめんなさい」
アイリは謝罪する。
本当は誰とも関わる気はなかった。
ほとんど自分の状況を語らなかったのもそのためだ。
アイリは、すでに覚悟を決めていた。
少女はリーゼの方にもペコリと頭を下げると、部屋を出ようとした――が、ふと足を止める。目に入ったのはメルティアの鎧だ。
ニセージルに届く巨大な鎧は、メルティアが出て来た状態のまま待機していた。
この甲冑は、メルティアの話では鎧機兵の一種らしい。
鎧機兵は操縦棍を握れば、たとえ子供であっても簡単に動かせる兵器だ。
鎧の内部を見ると、前腕部辺りに棒状の取っ手のようなものがある。メルティアは左右にあるこれを握って、この機体を動かしていたのだろう。
「…………」
アイリはしばし考え、決断した。
佇む鎧に何とか乗り込み、かろうじて手が届いた取っ手を掴んだ。
途端、ガシャンと開いていた鎧がアイリを中に入れたまま装甲を閉じた。
「……あ、あう」
アイリは少し驚くが、ともあれ上手く搭乗できたようだ。
機体の両手を動かしてみるが、イメージ通り指が動く。
本当にこの機体は鎧機兵らしい。
「……これならあの場所まで行ける」
アイリはそう呟く。
そしてメルティアの鎧を着たアイリはドアを開け、外に出た。
周囲のコテージは静寂に包まれている。
この時間帯だ。利用者はみな寝ているのだろう。
甲冑騎士はコテージから降りると、迷わず森の中に進んだ。
ガサガサ、と。
繁みが邪魔をするが、重装甲の前では意味がない。
アイリは何もしゃべらず鎧を進ませた。
そして、およそ三十分後。
アイリは森を抜け、大きな広場に出た。
美しい湖のある場所。
アイリが保護された広場だ。
そこでアイリは鎧から降りて、湖の麓まで歩み寄った。
水面には三日月が映り込んでいる。幻想的な光景だ。
(……やっぱり似ている)
ここは故郷の湖に、よく似た場所だった。
アイリは静かにその光景を見やり、そしてゆっくりと水辺に足をつけた。
水面に波紋が静かに広がる。
続けてアイリはさらに奥へ踏み出そうとし――。
「待った。そこまでだよ。アイリ」
「………えっ」
いきなり背後から声をかけられ、アイリは硬直した。
「……正直驚いたよ。最初はメルかと思ったし」
「いやいや、オレっちはもっと驚いたぞ。まさか、メル嬢の甲冑がそんな構造になってるなんて夢にも思わねえよ」
後ろに振り返ると、少し離れた場所に二人の少年がいた。
哀しげな顔をするコウタと、頭の後ろで手を組むジェイクの二人だ。
「……どうして二人が……」
アイリがそう尋ねると、コウタは小さく嘆息した。
「……実はね。ボクらは交代で君のコテージを警護していたんだ」
「……警護? どうして?」
眉根を寄せるアイリ。すると、ジェイクが肩をすくめて。
「まあ、念のためだよ。可能性は低いそうだったが、お前さんを取り戻しに奴隷商のクズ野郎がやって来るかもしんねえって思ってよ」
「……え、ど、奴隷商? どうしてそのことを」
アイリは目を瞠る。自分の素性は彼らには伝えていない。
何故、『奴ら』のことを知っているのか。
「その様子だと……大当たりか」
ジェイクはやれやれと嘆息し、苦々しい表情を浮かべた。
コウタも沈痛な顔でかぶりを振る。
「……アイリ」
そして躊躇いながらも少女に尋ねる。
「君、今自殺しようとしたね」
「……そ、それは……」
足を水辺につけたまま、アイリは押し黙る。
コウタはさらに言葉を続けた。
「君がこれまでどんな辛い目にあってきたのかは、ボクらには分からない。けど、たった八歳の女の子が自分で死を選ぶなんて見過ごせないよ」
「…………」
アイリは何も答えない。
「なあ、アイリ嬢ちゃんよ」
それに対し、今度はジェイクが両腕を組んで語る。
「どんな辛い目にあってもそいつはもう過去の事だ。明日、屯所に行けば嬢ちゃんは保護される。もう嬢ちゃんは自由なんだぜ。過去を悲観して死ぬなんて――」
と、説得の言葉を告げようとした時、
「……違う」
アイリはジェイクの言葉を遮った。
そして真剣な瞳――いや、絶望した眼差しでコウタ達を見据えた。
「……私は自由なんかじゃない。たとえ屯所に逃げ込んでも無理なの。きっと、あの男はどこまでも追って来る。私には奴隷以外の未来なんてない」
「……あの男?」
コウタは眉根を寄せた。話の流れからすると奴隷商のことか。
アイリは視線を伏せて語り続ける。
「……昨日の夜。馬車で運ばれていた私達を助けてくれたのは、グレイシア皇国騎士団の部隊だった」
「は? そうだったのか?」
ジェイクが目を丸くする。
まさか、このエリーズ国の領地内で皇国騎士団が動いていたとは……。
「それって他国に面倒な許可まで取って、奴隷商を張っていたってことか?」
そうなると、かなりの大事だった。
とても単なる奴隷商に対する扱いではない。
だが、その問いにはアイリは答えない。
――いや、彼女自身そこまで事情が分からないと言った方が正確か。
「……騎士達は、最初の頃は優勢だったみたい。私達の牢屋も壊してくれた。私達はその時、逃げ出したの。けど、そのすぐ後に……」
アイリはグッと唇を噛みしめる。
「……あの男が出て来たの。あの黄金の鎧機兵は瞬く間に騎士達を全滅させた」
その台詞に、コウタもジェイクも目を剥いた。
「――はあっ!? 奴隷商が皇国騎士を返り討ちにしたのか!?」
アイリはこくんと頷く。
「……あの男は周りの人間に『シブチョウ』って呼ばれていた。多分『奴ら』のリーダーなのだと思う。きっと、あの男には誰も勝てない」
アイリは小さな肩を震わせて呟く。
「……私はあの男から逃げられない。けど、奴隷なんてイヤ。私は人間として生きて人間として死にたいの」
だからこそ仮初の自由を得た今の内に自分の人生を終わらせようと思ったのだ。
ジェイクは言葉もなく少女を見据えた。
流石に色々な情報が混ざり合い、動揺を隠せない。
しかし、彼の相棒の少年は――。
「……アイリが怯えているのは分かるよ」
そう言って、コウタはゆっくりとアイリの元に近付いた。
そして少女の腰を両手で支え、水辺から抱き上げる。
アイリは目を見開いた。
「アイリが見たその男は本当に強いんだと思う。けどね。相手が強いからって犯罪者から逃げる騎士なんていないんだ。怯える少女を見捨てる騎士はいない」
コウタは真剣な眼差しでそう断言した。アシュレイ家に拾われ、騎士の鑑たるアベル=アシュレイを見て育ったコウタの確信を宿した言葉だ。
「アイリはボクが守る。ボクやジェイク、エリーズの騎士やグレイシアの騎士も」
「……けど」
と、なお困惑する少女をコウタは空高く持ち上げた。
アイリは少しギョッとする。
「……コ、コウタ」
まるで幼児に対するような扱いだが、あまり不快ではない。
目の前の少年が、心の底からアイリを想ってくれているのが分かるからだ。
そして、コウタはアイリを真直ぐ見つめて告げる。
「あのね、アイリ。これはボクの兄さんが昔言ってた言葉なんだけど、無愛想な顔をしていたら『幸せ』に愛想つかされるんだってさ」
そう言って、黒髪の少年は笑みを見せた。
「だから笑いなよ。アイリ」
「…………」
抱き上げられたアイリはただ目を見開くばかりで無言だった。
彼女は完全に困惑していた。
この少年の話は分かる。きっと勇敢で強い騎士も大勢いるのだろう。
だが、あの男の強さはアイリの心に強い絶望を植え付けていた。
それは簡単には払拭できない……が、
(……あ、う)
この少年の願いを無下にすることは、どうしてもしたくなかった。
結局、アイリはわずかに頬を赤く染めて、こくんと頷いた。
「……分かった。とりあえず屯所には行く」
そう言って、ぎこちなくではあるが笑みを見せるアイリに、
「うん。ありがとう。アイリ」
コウタも笑顔で応える。
そして少女を地面に降ろした。
「……やれやれ、すっげえなコウタは」
そのやり取りを後ろから見ていたジェイクは、感心するような、または呆れ果てるような面持ちを浮かべて、
(これじゃあ、お嬢もメル嬢も苦労すんだろうなあ……)
と、内心で苦笑する。
鈍感と並ぶコウタのスキル。天然たらしだ。
「まっ、ともあれ、そろそろ帰ろうぜ。流石に眠いしな」
欠伸を噛み殺してそう告げるジェイクに、コウタも頷く。
「うん。そうだね」
そしてアイリの手を掴み、帰ろうとした時だった。
「いや、それは待ってもらおうか」
不意に響く聞き覚えのない声に、コウタ達の背筋は凍りついた。
本能から二人の少年は腰の短剣を引き抜き、間合いを取った。
アイリを背に隠し、身構える彼らの表情はかつてないほど険しい。
その視線は、いつしか湖の広場に佇んでいた一人の男に向けられていた。
「流石に屯所などに行かれては面倒なのだよ」
そう告げる男の歳は三十代後半ほどか。
コウタと同じくアロン大陸の血を引くのか、その瞳と髪は黒い。右側の額に大きな裂傷を持ち、全身に闇夜のようなスーツを纏った男である。
「……誰だ、てめえは」
ジェイクが唸るように問う。
すると、傷を持つ男は肩をすくめて。
「吾輩か? それならその少女が紹介してくれたではないか」
「……何だって?」
コウタも緊張を隠せずに唸る。
アイリに至ってはコウタの腰に掴まり、カチカチと歯を鳴らしていた。
その少女の様子から、コウタとジェイクはすべてを察した。
「……なるほど。てめえが『シブチョウ』って野郎か」
と、舌打ちするジェイクに、
「ははっ、その『シブチョウ』というのは人の名前ではないぞ少年。正確に発すると支部長。まあ、吾輩の役職名だ」
そう言って、傷を持つ男は苦笑を浮かべた。
「ここで名乗ってもいいが、その前に吾輩の用件を告げておこう」
その台詞に、コウタ達の緊張はさらに高まった。
「ふふっ、さあ、少年達よ」
そして、支部長を名乗る男は、すうっと目を細めて――。
「その少女を吾輩に渡してもらおうか」
淡々と己が目的を告げた。
近くには大きな湖もある自然豊かな村だ。
人口は五十人程度。
村と言うよりも集落に近く、一応グレイシア皇国の領土内にあったのだが、大抵のことは自給自足で賄えたため、国にも所属していなかった名もなき村だ。
その生活も質素で、一日のほとんどを農作業に費やす実に平穏な日々だった。
アイリは両親を事故で亡くし、叔父夫婦に育てられたのだが、大した確執もなく普通の家族として幸せに暮らしていた。
しかし一年前。彼女が七歳の時。
村は突然、襲われた。
黒づくめの襲撃者達は、村人達を次々捕縛すると一堂に集めた。
そしてアイリを前に出し、こう言ったのだ。
『我々の目的はこの娘だけだ。大人しく譲り渡すのならばこれ以上は何もしない』
その言葉に、叔父夫婦を始め、村人達は動揺した。
しかし、背に腹は代えられないと結論付けたのだろう。
襲撃者でありながら黒服達の態度がやけに穏便だったのと、アイリを雑には扱わないと約束したことが、村人達の決断を後押ししたのかもしれない。
村人達は悔恨の表情や気まずげな顔を浮かべ、叔母などは涙も流していたが、満場一致でアイリは引き渡されることになった。
『……ごめんね、アイリ』
『……すまない。許してくれ、アイリ』
叔父と叔母の最後の言葉は、今も耳に残る。
アイリは子供心に悟った。
自分は村の安全のために売られたのだ、と。
結果、アイリは黒服達に連れられ、村を去った。
意外な事に黒服達は約束を守ったのである。
だから、村は今もあの場所にある。
しかし、アイリは思う。
生まれ育った村は、今もそこにあるというのに。
自分の心の中に、もう故郷はないのだ、と。
◆
――ぱちり、と。
アイリは瞼を開いた。
目の前には大きな双丘がどどんとある。
メルティアの豊かな胸だった。
そこはパドロからサザンへ続く街道沿いのコテージ。
時刻は夜中の一時頃か。
アイリは今、メルティアと同じベッドの上で横になっていた。
向かい側には寝息を立てるリーゼの姿もある。
自分を抱きしめているメルティアも、まだ寝ているようだ。
アイリはもぞもぞとメルティアの腕から逃れると、ベッドから立ち上がった。
それから小さな寝息を立てて眠るメルティアを、じいっと見つめて、
「……ありがとう。メルティア」
小さくそう呟く。
メルティアがあまりに一生懸命で、優しかったから……。
つい、甘えてしまった。
「……ごめんなさい」
アイリは謝罪する。
本当は誰とも関わる気はなかった。
ほとんど自分の状況を語らなかったのもそのためだ。
アイリは、すでに覚悟を決めていた。
少女はリーゼの方にもペコリと頭を下げると、部屋を出ようとした――が、ふと足を止める。目に入ったのはメルティアの鎧だ。
ニセージルに届く巨大な鎧は、メルティアが出て来た状態のまま待機していた。
この甲冑は、メルティアの話では鎧機兵の一種らしい。
鎧機兵は操縦棍を握れば、たとえ子供であっても簡単に動かせる兵器だ。
鎧の内部を見ると、前腕部辺りに棒状の取っ手のようなものがある。メルティアは左右にあるこれを握って、この機体を動かしていたのだろう。
「…………」
アイリはしばし考え、決断した。
佇む鎧に何とか乗り込み、かろうじて手が届いた取っ手を掴んだ。
途端、ガシャンと開いていた鎧がアイリを中に入れたまま装甲を閉じた。
「……あ、あう」
アイリは少し驚くが、ともあれ上手く搭乗できたようだ。
機体の両手を動かしてみるが、イメージ通り指が動く。
本当にこの機体は鎧機兵らしい。
「……これならあの場所まで行ける」
アイリはそう呟く。
そしてメルティアの鎧を着たアイリはドアを開け、外に出た。
周囲のコテージは静寂に包まれている。
この時間帯だ。利用者はみな寝ているのだろう。
甲冑騎士はコテージから降りると、迷わず森の中に進んだ。
ガサガサ、と。
繁みが邪魔をするが、重装甲の前では意味がない。
アイリは何もしゃべらず鎧を進ませた。
そして、およそ三十分後。
アイリは森を抜け、大きな広場に出た。
美しい湖のある場所。
アイリが保護された広場だ。
そこでアイリは鎧から降りて、湖の麓まで歩み寄った。
水面には三日月が映り込んでいる。幻想的な光景だ。
(……やっぱり似ている)
ここは故郷の湖に、よく似た場所だった。
アイリは静かにその光景を見やり、そしてゆっくりと水辺に足をつけた。
水面に波紋が静かに広がる。
続けてアイリはさらに奥へ踏み出そうとし――。
「待った。そこまでだよ。アイリ」
「………えっ」
いきなり背後から声をかけられ、アイリは硬直した。
「……正直驚いたよ。最初はメルかと思ったし」
「いやいや、オレっちはもっと驚いたぞ。まさか、メル嬢の甲冑がそんな構造になってるなんて夢にも思わねえよ」
後ろに振り返ると、少し離れた場所に二人の少年がいた。
哀しげな顔をするコウタと、頭の後ろで手を組むジェイクの二人だ。
「……どうして二人が……」
アイリがそう尋ねると、コウタは小さく嘆息した。
「……実はね。ボクらは交代で君のコテージを警護していたんだ」
「……警護? どうして?」
眉根を寄せるアイリ。すると、ジェイクが肩をすくめて。
「まあ、念のためだよ。可能性は低いそうだったが、お前さんを取り戻しに奴隷商のクズ野郎がやって来るかもしんねえって思ってよ」
「……え、ど、奴隷商? どうしてそのことを」
アイリは目を瞠る。自分の素性は彼らには伝えていない。
何故、『奴ら』のことを知っているのか。
「その様子だと……大当たりか」
ジェイクはやれやれと嘆息し、苦々しい表情を浮かべた。
コウタも沈痛な顔でかぶりを振る。
「……アイリ」
そして躊躇いながらも少女に尋ねる。
「君、今自殺しようとしたね」
「……そ、それは……」
足を水辺につけたまま、アイリは押し黙る。
コウタはさらに言葉を続けた。
「君がこれまでどんな辛い目にあってきたのかは、ボクらには分からない。けど、たった八歳の女の子が自分で死を選ぶなんて見過ごせないよ」
「…………」
アイリは何も答えない。
「なあ、アイリ嬢ちゃんよ」
それに対し、今度はジェイクが両腕を組んで語る。
「どんな辛い目にあってもそいつはもう過去の事だ。明日、屯所に行けば嬢ちゃんは保護される。もう嬢ちゃんは自由なんだぜ。過去を悲観して死ぬなんて――」
と、説得の言葉を告げようとした時、
「……違う」
アイリはジェイクの言葉を遮った。
そして真剣な瞳――いや、絶望した眼差しでコウタ達を見据えた。
「……私は自由なんかじゃない。たとえ屯所に逃げ込んでも無理なの。きっと、あの男はどこまでも追って来る。私には奴隷以外の未来なんてない」
「……あの男?」
コウタは眉根を寄せた。話の流れからすると奴隷商のことか。
アイリは視線を伏せて語り続ける。
「……昨日の夜。馬車で運ばれていた私達を助けてくれたのは、グレイシア皇国騎士団の部隊だった」
「は? そうだったのか?」
ジェイクが目を丸くする。
まさか、このエリーズ国の領地内で皇国騎士団が動いていたとは……。
「それって他国に面倒な許可まで取って、奴隷商を張っていたってことか?」
そうなると、かなりの大事だった。
とても単なる奴隷商に対する扱いではない。
だが、その問いにはアイリは答えない。
――いや、彼女自身そこまで事情が分からないと言った方が正確か。
「……騎士達は、最初の頃は優勢だったみたい。私達の牢屋も壊してくれた。私達はその時、逃げ出したの。けど、そのすぐ後に……」
アイリはグッと唇を噛みしめる。
「……あの男が出て来たの。あの黄金の鎧機兵は瞬く間に騎士達を全滅させた」
その台詞に、コウタもジェイクも目を剥いた。
「――はあっ!? 奴隷商が皇国騎士を返り討ちにしたのか!?」
アイリはこくんと頷く。
「……あの男は周りの人間に『シブチョウ』って呼ばれていた。多分『奴ら』のリーダーなのだと思う。きっと、あの男には誰も勝てない」
アイリは小さな肩を震わせて呟く。
「……私はあの男から逃げられない。けど、奴隷なんてイヤ。私は人間として生きて人間として死にたいの」
だからこそ仮初の自由を得た今の内に自分の人生を終わらせようと思ったのだ。
ジェイクは言葉もなく少女を見据えた。
流石に色々な情報が混ざり合い、動揺を隠せない。
しかし、彼の相棒の少年は――。
「……アイリが怯えているのは分かるよ」
そう言って、コウタはゆっくりとアイリの元に近付いた。
そして少女の腰を両手で支え、水辺から抱き上げる。
アイリは目を見開いた。
「アイリが見たその男は本当に強いんだと思う。けどね。相手が強いからって犯罪者から逃げる騎士なんていないんだ。怯える少女を見捨てる騎士はいない」
コウタは真剣な眼差しでそう断言した。アシュレイ家に拾われ、騎士の鑑たるアベル=アシュレイを見て育ったコウタの確信を宿した言葉だ。
「アイリはボクが守る。ボクやジェイク、エリーズの騎士やグレイシアの騎士も」
「……けど」
と、なお困惑する少女をコウタは空高く持ち上げた。
アイリは少しギョッとする。
「……コ、コウタ」
まるで幼児に対するような扱いだが、あまり不快ではない。
目の前の少年が、心の底からアイリを想ってくれているのが分かるからだ。
そして、コウタはアイリを真直ぐ見つめて告げる。
「あのね、アイリ。これはボクの兄さんが昔言ってた言葉なんだけど、無愛想な顔をしていたら『幸せ』に愛想つかされるんだってさ」
そう言って、黒髪の少年は笑みを見せた。
「だから笑いなよ。アイリ」
「…………」
抱き上げられたアイリはただ目を見開くばかりで無言だった。
彼女は完全に困惑していた。
この少年の話は分かる。きっと勇敢で強い騎士も大勢いるのだろう。
だが、あの男の強さはアイリの心に強い絶望を植え付けていた。
それは簡単には払拭できない……が、
(……あ、う)
この少年の願いを無下にすることは、どうしてもしたくなかった。
結局、アイリはわずかに頬を赤く染めて、こくんと頷いた。
「……分かった。とりあえず屯所には行く」
そう言って、ぎこちなくではあるが笑みを見せるアイリに、
「うん。ありがとう。アイリ」
コウタも笑顔で応える。
そして少女を地面に降ろした。
「……やれやれ、すっげえなコウタは」
そのやり取りを後ろから見ていたジェイクは、感心するような、または呆れ果てるような面持ちを浮かべて、
(これじゃあ、お嬢もメル嬢も苦労すんだろうなあ……)
と、内心で苦笑する。
鈍感と並ぶコウタのスキル。天然たらしだ。
「まっ、ともあれ、そろそろ帰ろうぜ。流石に眠いしな」
欠伸を噛み殺してそう告げるジェイクに、コウタも頷く。
「うん。そうだね」
そしてアイリの手を掴み、帰ろうとした時だった。
「いや、それは待ってもらおうか」
不意に響く聞き覚えのない声に、コウタ達の背筋は凍りついた。
本能から二人の少年は腰の短剣を引き抜き、間合いを取った。
アイリを背に隠し、身構える彼らの表情はかつてないほど険しい。
その視線は、いつしか湖の広場に佇んでいた一人の男に向けられていた。
「流石に屯所などに行かれては面倒なのだよ」
そう告げる男の歳は三十代後半ほどか。
コウタと同じくアロン大陸の血を引くのか、その瞳と髪は黒い。右側の額に大きな裂傷を持ち、全身に闇夜のようなスーツを纏った男である。
「……誰だ、てめえは」
ジェイクが唸るように問う。
すると、傷を持つ男は肩をすくめて。
「吾輩か? それならその少女が紹介してくれたではないか」
「……何だって?」
コウタも緊張を隠せずに唸る。
アイリに至ってはコウタの腰に掴まり、カチカチと歯を鳴らしていた。
その少女の様子から、コウタとジェイクはすべてを察した。
「……なるほど。てめえが『シブチョウ』って野郎か」
と、舌打ちするジェイクに、
「ははっ、その『シブチョウ』というのは人の名前ではないぞ少年。正確に発すると支部長。まあ、吾輩の役職名だ」
そう言って、傷を持つ男は苦笑を浮かべた。
「ここで名乗ってもいいが、その前に吾輩の用件を告げておこう」
その台詞に、コウタ達の緊張はさらに高まった。
「ふふっ、さあ、少年達よ」
そして、支部長を名乗る男は、すうっと目を細めて――。
「その少女を吾輩に渡してもらおうか」
淡々と己が目的を告げた。
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