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第3部

第一章 引きこもり娘、再び③

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「…………」


 メルティアは、ずっと不機嫌だった。
 ベッドの上で正座し、同じく向かい側で正座するコウタを睨みつける。
 ちなみにベッドの周辺では、興味深そうに三角座りするアイリと、数機ほどのゴーレム達が腰を降ろして座り込み、様子を窺っていた。
 寝室に沈黙が降りる。と、


「あ、あのさ、メル」


 おずおずとコウタが話を切り出した。


「何を怒っているのかは分からないけど・・・・・・やっぱり引きこもりはマズイと思うんだ」

「…………」


 メルティアは、金色の瞳を半眼にするだけで何も答えない。
 気まずい空気が部屋に漂うが、流石にこのままでは何も始まらないと思ったのか、メルティアはおもむろに唇を開き始めた。


「……コウタのお話は分かりました」

「だ、だったらさ――」


 と、少し身を乗り出して説得しようとするコウタだったが、


「しかし、受け入れません」


 メルティアは問答無用で拒絶した。
 そして、彼女の想いを語る。


「コウタの願いだからこそ騎士学校に通っていましたが、私は夏休みを経て改めて思ったのです。やはり私は、部屋にこもってグータラするのが大好きなのだと」

「い、いや、それは……ええェ、メルゥ……」


 幼馴染のあまりにも残念な台詞に、コウタは泣き出しそうな顔をした。
 自信満々に語る彼女には、全くといっていいほど迷いがない。
 紛れもない本音からの言葉だった。
 本気でグータラしたいからこそ、彼女は騎士学校を休んでいるのだ。
 当然そんな情けない決意は、コウタとしては受け入れる訳にはいかなかった。


「メル」


 真剣な顔で幼馴染に告げる。


「あのね、それはダメ人間の考えだよ。それに、折角リーゼやジェイクとも仲良くなってきたんだからさ。二人とも夏休み以降学校に来ないメルのことを心配しているよ。だから登校しようよ。きっと二人と学校で会うのは楽しいからさ」


 と、友人達の名前も引き合いに出すが、


「別にリーゼやオルバンさんなら、この館に招待すればいいことです」


 メルティアの返事は素っ気ない。
 そもそも幼い頃から書物を読みあさって膨大な意識を手に入れた彼女にとって、知識を学ぶ学校という機関そのものに、あまり興味が抱けないのだ。
 大切な幼馴染の真剣な願いゆえに二週間ほどは通ってみたが、心理的な圧迫を押し通してまで行く価値はないのではないか。メルティアはそう思っていた。


「いくら言われようとも私の決意は変わりません」


 メルティアは、はっきりと拒絶する。
 が、心底困った顔をするコウタを見て、少しばかり心が痛んだ。
 彼を困らせること自体は彼女の本意ではないのだ。
 そこでメルティアはあごに指を当て、


「ですが、そうですね……」


 コウタが救済案を投げかける。


「では、私とデートしてくれませんか」

「……え?」


 唐突すぎる話題変更に、コウタは目を丸くした。
 しかし、困惑する少年には構わずメルティアは言葉を続けた。


「再び学校に行くは『ブレイブ値』がまるで足りません。それは通常の方法では補充など不可能な量です。そこでです」


 少しだけ緊張した声で、彼女は言う。


「私とデートして下さい。そうすればブレイブ値が溜まる気がします。まあ、私は人混みが歩けませんから着装型鎧機兵パワード・ゴーレムを着ることになりますが……」

「え、ホ、ホント! それでメルはもう一度学校に行く気になってくれるの!」


 コウタは瞳を輝かせて、大きく上半身を乗り出した。
 その程度なら何の問題もない。お安い御用だった。
 元々気心の知れた幼馴染同士だ。たかだかデートぐらい気楽なものだった。
 あの二セージルにも至るゴツイ着装型鎧機兵パワード・ゴーレムとデートするのは、街で噂になりそうで若干怖い気もするが、それも些細な心配事である。
 むしろ彼女の言うブレイブ値を補充するの方がよっぽど負担だった。

 コウタは暗闇の中で光明を見た気分になった――が、


「ですが、ただのデートではありません」


 直後に告げられた更なる条件に、再び闇の中に放り込まれる。


「そ、その、デートの最後には私に『キス』をして下さい」


 自身の唇を指で押さえ、そう願う少女の頬はわずかばかり紅潮していた。
 対するコウタの方は、キョトンとしていたが、


「――はあッ!?」


 すぐさま驚愕の声を上げた。


「何を言ってるのさメル!?」


 コウタは大きく仰け反った。そして腰を抜かしたような姿勢で正座を崩す。
 今の彼女の要望は、幼馴染の我儘の領域を大きく超えていた。
 それは、明らかに恋人同士で行うようなことだった。


「そ、その……」


 すると、メルティアは、もじもじと指を動かして。


「わ、私も十四歳ですし、そう言った事に少しだけ興味があるのです。で、ですから、たまたま一番近しいコウタにお願いしている訳でして……」


 と、言い訳を始める。
 勿論これは彼女の真意ではない。お願いするのは別に誰でもいい訳ではなかった。彼女が唇を許す相手は世界でただ一人。目の前にいる少年だけだ。


「そ、その、真似事でいいんです。どんな感じなのか、雰囲気だけでも……」


 そこで自分でも恥ずかしくなって来たのか、メルティアは俯いてしまった。
 コウタは、何も語ろうとしなかった。
 と言うよりも、唐突すぎる展開で何も語れないのだろう。
 その様子を上目遣いで見やり、メルティアは微かに口元を綻ばせる。

 ――これでいい。これは彼女の策略だった。

 こんなことをお願いすれば、奥手なコウタのことだ。断るに決まっている。
 デートは本命ではない。学校への復帰をコウタに諦めさせること。
 それこそが、メルティアの真の狙いだった。


(さあ、コウタ。早く断って下さい。そして私はグータラするのです)


 内心で勝利を確信するメルティア。
 一方、コウタは、未だ目を見開いて唖然としていた。
 こう言っては何だが、彼女の願いは少しぐらいなら理解もできる。
 コウタも含め、クラスメート達もそう言った事柄には興味津々であるし、多少浮世離れしていても同い年であるメルティアが興味を抱くのも当然だった。

 しかし、まさか、自分にそれをお願いされるとは――。


(け、けど、流石にそんなことは……)


 コウタはメルティアの柔らかそうな唇を見て、軽く喉を鳴らした。
 と、その時だった。


『いいか。よく覚えときなコウタ。人生にはな、逃しちゃならねえ『機』ってやつがあるんだよ。それはいつもいきなり来るものなんだ』


 幼い頃、そう教えてくれた兄の姿が脳裏をよぎる。
 恐らく兄が言っていた『機』とはこういった事に違いない。兄の教え通り、逃してはいけない機会とは、いつも唐突に訪れるものなのだ。
 コウタは、わずかに視線を落とした。


(……兄さん。ボクは……)


 そして、ずっと、ずっと追い続けていた兄の背中を思い浮かべた。
 尊敬する兄は、いつも前だけを見つめていた。
 幼い日のコウタは、その背中にいつも憧れていたものだ。


(……うん。きっと兄さんなら、こんな時だって……)


 グッと膝の上で拳を強く握りしめる。


(兄さんに追いつくためにも、ここで退く訳にはいかないんだ!)


 続けて、正座をするメルティアを真直ぐ見据えた。
 実のところ、メルティアの真意を、コウタはほとんど見抜いていた。
 伊達に幼馴染をして来た訳ではない。恐らく興味があるというのは事実だと思うが、同時に彼女はここでコウタが退くと考えている。だからこそのこの難題だ。
 しかし、これは絶好の『機』でもあるのだ。
 彼女を引きこもりから脱却させるのに、この『機』を逃す訳にはいかない!


(よ、よし!)


 コウタは、面持ちを改めて決意する。


(……ボクはやるよ、やってみせるよ兄さん!)


 メルティアのふっくらとした桜色の唇を見ると流石に緊張するが、その件は後で対策を考えればいい。そもそも真似事でもいいという許可も貰っている。
 今は――兎にも角にも、攻勢に出るべき時なのだ!


「わ、分かったよ、メル」

「…………え?」


 コウタの呟きに、メルティアは目を丸くした。


「わ、分かったって、何をですか?」


 唖然として反芻するとコウタははっきりと宣言してきた。


「デ、デートをしよう」


 コウタは真っ赤な顔で幼馴染の少女に申し出る。


「最後には、そ、その、『キス』するような……」

「……え? ええっ!?」


 思わず仰け反り、愕然とするメルティア。
 流石にこれは想定外だ。まさか、コウタがこの提案に乗って来るとは……。


「メ、メルは嫌なのかな?」


 あえて挑発するような台詞を告げるコウタ。
 それを言われては、メルティアに反論する余地はなかった。


「……わ、私は……」


 メルティアは喉を鳴らして、思わず視線を逸らした。
 攻守は完全に逆転してしまった。今や主導権は完全にコウタが掌握している。
 コウタはさらに覚悟を決め、メルティアの手を握った。
 少女の鼓動が一気に跳ね上がる。


「約束だよメル。ボクとデートしよう。そして学校に行くんだ」


 少年は力強い声でそう告げる。
 ここまで来て、中途半端にお茶を濁させたりはしない。
 この上なく恥ずかしくはあるが、ここは押し切ってでも必ず確約させる。
 が、そんな少年の覚悟も関係なく、そもそもメルティアには、彼の真摯な言葉も温かい手も振り払うことなど出来なかった。
 コウタとメルティアは、しばし互いの顔を見合わせた。

 そしてややあって、


「……わ、分かりました……」


 メルティアは、うなじまで真っ赤にしてこくんと頷き、承諾した。
 彼女の心臓が破裂しそうなぐらい高鳴っているのは指摘するまでもない。


「そ、その、よ、よろしくお願いします」


 続けて緊張しまくった声でそう告げる。それに対し、コウタの方は「う、うん、よ、よろしくね」とどうにか答えるが彼は彼で耳まで真っ赤だった。
 その様子にアイリが「……おお~」と手を叩く。つられるように寝室にいたすべてのゴーレム達も「「……オオ~」」と声を上げた。
 こうして、引きこもりの脱却の約束と引き換えに。
 コウタとメルティア。
 お互いにとって、想定外であるデートが確約されたのだった。
 それが、後に起きるとんでもない事件の切っ掛けになるとは露も知らずに――。
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