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第3部

第二章 前途多難な少年②

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「…………へ?」


 そして時間は経過し、放課後。
 下校時間もかなり迫ってきた時刻のためか、特にひと気のないエリーズ国騎士学校の屋上にて、相棒の話を聞くなり、ジェイクは目を点にした。
 その内容が、あまりも突飛だったからだ。


「おいおい、学校に来る代わりにデートして……『キス』だって?」


 周囲には落下防止用のフェンス。床には芝生が敷き詰められた場所で胡坐をかくジェイクは、「う~ん」と腕を組み、聞かされたばかりの話の要点を反芻する。
 一方、同じように座るコウタは、この世の終わりのような表情をしていた。


「そんでメル嬢が学校に来たってことは……お前さん、それを承諾したのか?」

「う、うん……」


 コウタは躊躇いがちに頷いた。


「い、いや、だってさ、多分この『機』を逃したら、きっとメルは一生、あの魔窟館から出てこないような気がしたんだ」


 と、言い訳じみた言葉も続ける。
 それに対し、ジェイクは苦笑を浮かべた。


「まあ、その気持ちは分からなくもねえが……」


 メルティアの引きこもりは根が深い。こんな引き換え条件でもなければ、自分の意志で外に出るには勇気が必要なのだろう。それについては理解も出来る。


(う~ん、けどなあ)


 ジェイクはあごに手をやり、眉間にしわを寄せた。
 どうにも疑問が脳裏をよぎるのだ。メルティアがコウタに想いを寄せていることは知っているが、どうもこの一件はメルティアらしくない。
 ジェイクの知る彼女は、はっきり言えば奥手な少女だった。
 少なくとも、こんな好意が丸わかりの交換条件を提案する人間ではない。
 ジェイクはしばし頭の中を整理した。
 そして数秒間の沈黙が続き、


(ああ、なるほど。そういうことか)


 あっさりと、ジェイクは真相に思い至った。
 それから、皮肉気に双眸を細めて。


(要するにメル嬢の奴……コウタの行動を読み違えたな)


 今回の一件。魔窟館に引きこもっていたいメルティアは、恐らく無理難題を挙げることによってコウタを煙に巻こうとしたのだ。
 しかし、それが売り言葉に買い言葉だったのかまでは分からないが承諾されてしまい、今の状況に至ったに違いない。


(そんでこの状況か)


 ジェイクは激しく落ち込む相棒の姿を見やり、やれやれと口角を崩した。
 きっと約束通り学校には登校こそしたが、メルティアの方もコウタ同様に困惑していることだろう。案外、今頃魔窟館に帰宅して身悶えしているのかもしれない。


(けど、これはお嬢が聞くと、おっかねえだろうな)


 ふと、コウタに想いを寄せるもう一人の少女――リーゼの姿が脳裏をよぎる。
 こちらはこちらで一体どんな反応することやら。
 想像するだけで苦笑が零れる。
 まあ、それは、今は置いとくとして。
 とりあえず、ジェイクは改めてコウタを見据えた。


「そんでコウタよ」


 そして相棒に尋ねる。


「今回のデート。お前さんはどうする気なんだ? もうメル嬢を本命と決めて、あの柔らかそうな唇にぶっちゅうとやっちまうのか?」

「いや、決めるって……だから、ボクとメルはただの幼馴染で……と、その前に生々しすぎる表現はやめてよ」


 若干顔を赤くさせて告げるコウタ。
 それから大きく嘆息し、


「そんなこと安易にできる訳ないじゃないか。メル自身も言ってたけど、今回の件、彼女は興味本位で言いだしたんだよ。そんなことをしたらいつか絶対に後悔するよ」

「……いや、興味本位って……まあ、お前の性格は今更だが……」


 と、呆れ果てた様子を見せるジェイクをよそに、コウタは言葉を続ける。


「ともかく『キス』なんてする気はないよ。ボクはどんな事があってもメルを傷つけることはしないと決めているんだ」

「その覚悟は立派だが、やれやれ、メル嬢もお嬢も大変だな」


 ジェイクは鈍感すぎる相棒に、額に手を当て、かぶりを振った。
 少女達の苦労が目に浮かぶようだ。
 しかし、そんなジェイクの心情などには一切分からず、「……? 大変って何が?」とコウタは首を傾げていた。大柄な少年は深々と嘆息する。


「まぁいいさ。けどよ、一体どうすんだよ。最初から『デート』をする気はねえってことなのか? それじゃあ約束を反故するってことだろ?」


 と、ジェイクが眉をしかめて尋ねる。
 流石にそれは誠意のない行為だ。相棒といえど共感は出来ない。


「いや、『デート』はするよ」


 しかし、その件については、コウタも同様の考えらしい。困惑混じりの渋面を浮かべつつも、約束は反故しないとはっきりと答えた。
 ただし、その後に言葉が続く。


「だけど『キス』までするつもりはないんだ。メルも真似事でもいいって言ってたし。そこでジェイクに相談したいんだよ」


 コウタは姿勢を正して、ジェイクに本題を告げる。


「あのさジェイク。どうしたらメルを傷つけないで、なおかつ彼女が納得するような『キス』の真似事が出来ると思う?」

「い、いや、そいつはまた無理難題を聞いてくれるな」


 ジェイクは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
 コウタの問いは、途轍もなく難解な問題だった。
 実のところ、正しい答えは簡単である。悩む必要などない。そのまま普通にキスをすればいいのだ。メルティアが傷つくことは絶対になく、大いに満足することだろう。もう一人の少女の感情を脇に置きさえすれば、これ以上の解答はない。
 しかし、コウタには、その選択肢――発想そのものがないのだ。
 だからこそ難解なのである。


「……う~ん、そうだなあ……」


 ジェイクは顔をしかめて一応、思いつく提案をする。


「そんじゃあ、例えばだな、よく野郎同士でやるような疑似キス……すっげえ薄い布越しのキスってやつならどうだ?」


 いわゆる思春期特有の『キスの感触を知りたい』という疑似体験というやつだ。
 想像するだけでうんざりする光景だが、真っ先に思いついたのはそれだった。
 が、その提案に対し、コウタは小さく嘆息してかぶりを振った。


「それを『デート』の最後にやるの? どうやってその流れに持っていくのさ?」

「……う、確かに」


 ジェイクは腕を組んで呻いた。


「流石に無理があったか」
 

 疑似キスとは双方の合意と妥協から成り立つ産物だ。
 仮にも『デート』の最後に行うようなモノではないし、よしんば実行してもメルティアが怒りだすことは確実だった。


「なら……考えられんのは一つだけだな」


 ジェイクはしばし考え込み、最も無難な提案をする。


「額か頬にキスだ。そんなら親愛の証として誤魔化せるだろ?」


 結局思いつくのはその程度だった。
 とは言え、ある意味、これは次点の解答でもある。
 これならば、メルティアは満足とまではいかなくとも納得はしてくれるはずだ。
 しかし、対するコウタは、何とも言えない気難しい顔をしていた。


「……やっぱりそれしかないのかなぁ」


 と、ぽつりと不満をもらす。
 ジェイクは相棒の様子に訝しげに片眉をあげて、首を傾げた。
 どうやらコウタは、尋ねる前からこの案を考慮していたようだった。ジェイクは訝しげに目を細め、「なんか問題でもあんのか?」と尋ねてみた。
 何か問題があるからこそ、この無難な手段に踏み切れないでいる。
 ジェイクはそう考えたのだが、


「……メルはさ」


 その時、コウタは思わず本音を零した。


「もの凄く可愛いんだよ。なのに『デート』なんかして、しかも最後に『キス』までするなんて……考えるだけで気持ちが落ち着かなくなって、してしまったらどうしようって……とても不安なんだよ」

(……へえ)


 あまりにもコウタらしくない独白に、ジェイクは目を丸くした。
 まさか、そんなことを一番気にしていたとは……。
 とんでもないレベルの朴念仁の相棒ではあるが、こういうところは実に少年らしい。
 口では『兄妹のように育った』とか『ただの幼馴染』とかと言っても、こういう場面になると、やはり異性としてメルティアを意識しているということか。
 ジェイクは内心で、ははっと苦笑を浮かべる。


(なんだかんだで、やっぱコウタも『男』ってことか)


 親友の意外な側面を見た気分である。
 しかし、そういうことならば話は簡単だった。


「けどよ、コウタはメル嬢が大切なんだろ。ならその想いを乗せれば、どんなことでも自然と出来るさ。暴走なんか気にすんなよ」


 そう言って、ジェイクは芝生からのっそりと立ち上がると、ポンポンと腰辺りについた草を払い、コウタの肩に手を置いた。
 ニヒルに笑うその顔には、相棒に対する絶対の信頼があった。


「……ジェイク」


 コウタはまだ不安げに親友の顔を見上げた。
 すると、ジェイクは力強くバンッとコウタの背中を叩く!


「大丈夫だ! 自信持てよ! お前なら何の心配もいらねえさ!」


 ジェイクのその言葉は、嘘偽りのない本心だった。
 正直な話、万が一コウタが暴走したところでメルティアは気にもしないだろう。むしろ望むところなのは言うまでもない。何の心配もなかった。
 結論としてはいかなる方向に転がっても、メルティアが傷つく事はないのだ。
 コウタの心配は、ただの杞憂に過ぎなかった。
 まあ、ジェイクとしては実に面白そうなイベントなので、当日、何があっても見物しに行こうと密かに計画しているが。


「……ジェイク」


 コウタはおもむろに立ち上がり、相棒の顔を改めて見据えた。
 それに対し、ジェイクはニカッと笑った。
 彼の笑みにどんな意味があるのか。コウタには気付きようもない。
 しかし、ジェイクの心の内まで知る由もないが、コウタにとって親友の後押しは大いに士気を奮い立たせる結果になった。
 そして黒髪の少年は「……うん!」と力強く頷き、


「分かったよ、ジェイク! ボク頑張ってみるよ!」


 この困難なミッションを、最後までやり遂げる覚悟を決めるのだった。
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