Heart ~比翼の鳥~

いっぺい

文字の大きさ
18 / 77
第七章 約束

第18話 前編

しおりを挟む
 馴染みの居酒屋の引き戸を開ける。ぐるりと店内を見回すと、カウンター席でこちらを見ながら軽く右手を挙げる男が目に入った。

「よう、かじ。先にやってるぜ」

武井たけい。すまないな、遅くなって」


 久し振りに早めの帰宅となる筈だったこの日、秀一は同じ病院に勤める武井から飲みに誘われた。
 武井は大学の同期で、秀一の親友だ。内分泌系を担当する内科医である。


 思いのほか延びてしまった申し送りの為、約束の時間をオーバーしてしまったことを詫びながら、秀一は足早に近付いてその隣に座る。

「取り敢えず、熱いの一杯やれよ」

 霜月の寒さで冷え切った秀一のコートを見た武井が、「ほれ」と猪口を差し出した。



「どうだよ、最近」

 炙り立てのスルメを裂いて口に入れつつ、武井が訊く。

「ちったぁ進んでんのか? 研究の方…」

 その問いに、秀一は首を横に振った。

「いや…。状況は何も変わらない、変えることが出来ない……。こう言っちゃなんだけど、大学の研究室ラボに居た頃の方が今よりずっとましだったよ。まだ自分には今以上のことが出来るんじゃないかって、変に夢見たりしてさ」

 飲み掛けの酒をコトリとカウンターに置く。

「…本当に…非力なもんだ……」

 顔を伏せる秀一に、武井はふうっと溜息をついた。

「まったくだ…。俺の担当にもそういう患者クランケいるけど、俺らには何もしてやれねぇ。せいぜい薬で症状を抑える程度――馬鹿でも出来そうなこった。その薬だってかなりのくせモンだしよ。……完治させるのは無理だとしても、せめて命くらいは救ってやりてぇのにな……」


 店の親父から手渡された二本目の徳利を傾けて、自分の猪口に酒をつぐ武井。なみなみと注がれた無色透明の液体からは、ふんわりと温かい気体が立ち上っていた。

「そう言やぁ、梶の患者、知り合いだったっけな」

「ああ。弟も同然の子だから…。何事にも無頓着になっていたのに、本当に好きな人が出来てから何となく変わってきたような気がするんだ。つい最近、やっと想いを伝えたらしい」

 秀一はそこでフッと軽く笑む。

「…それを聴いた時、何故か凄く嬉しくなってしまったよ。そういう気持ちを抑えさせていたのは私なのに、まったく身勝手なもんだよな。――今は純粋に応援してやりたい、そう思ってる」

 遠い目をして言う秀一の肩を、武井はポンポンと叩いた。

「いいことじゃねぇか、残りの人生燃やし尽くさせてやるのも。恋とか愛とかってのは、自分の意思でどうにかなるもんじゃねぇからな。幾ら先が見えてるからって、好きになっちまった気持ちは消しようがねぇし。それにすべてを懸けられるなら、それがそいつにとって本望ってことだろ? どんな障害も、誰かを慕う強い想いには敵わねぇのさ。――大学ん時、俺がお前にゾッコンだったのと同じでな」

 その言葉を聴いて、秀一は一瞬武井の顔を見る。至って真顔の武井の視線を逆に受けて、所在無さげに顔を逸らした。

「悪いけど…今はそういう冗談の聞ける気分じゃない…」

「…そうだな。悪かった」


 武井は左手で頬杖を突き、空の徳利を右手で弄ぶ。

「――んで、その子。今どうしてるんだ?」

「…恋人に病気のことを打ち明けようかどうしようかって悩んでる。隠していてもいずれ必ず分かってしまうことだから、それを伝えないのは相手を裏切ってることになるんじゃないかって…。その様子が痛々しくてね……」

 壁に掛けられた古めかしい柱時計が低い音を響かせ、午後11時を告げる。翌日も平日の為か既にまばらになった客足の中、カウンターに肩を並べる二人の男の背中には、遣り切れない切なさを帯びた哀愁が漂っていた。

「…何の助言もしてやれない自分に…腹が立つよ……」

「そうか…。お互い…つれぇよなぁ、梶よ……」

 武井は目を伏せて酒をちびりと啜る。秀一も無言の同意を示すように、手にした猪口を呷った。






 真っ暗な部屋の中。
 晶はベッドに乗り、膝を抱えてうずくまっていた。落とした視界にシーツの皺を見止めて、指で撫でてみる。


 このベッドの上で、直人を初めて抱いた。あれからもう三ヶ月が経つ。着実に過ぎていく時間に微かな焦りを感じながらも、晶は己の幸福を噛み締めていた。
 呼ぶ声に振り返るその瞳が自分だけを映し、その唇が自分の名を呟く。求める欲望に応える温もりは、何よりも愛しいものだった。

『言えない』、そう思っていた。今までは。
 言えば直人を悲しませることになる、傷付けることになる。それがつらくて現実から目を背けていた。
 だが今は、『言わなくてはならない』と思う。真実を、ありのままに全て伝えようと。
 何か目立った症状が出てからでは遅いのだ。直人が気付く前に、この口から伝えなければ意味は無い。それが、自分を想ってくれる彼への誠意だと思うから。


 晶はズボンのポケットから携帯電話を取り出す。

「もう…寝てっかな…」

 液晶画面の時刻表示は既に午前2時を回っている。時間の遅さを気にしながら、登録された直人の携帯番号にコールした。


 TRRRR、TRRR…プツッ。

『はい、もしもし。晶?』


 呼び出し音が鳴り始めてからそう間を置かず、落ち着いた直人の声が耳に届く。思ったより早い応答に、晶は少々面食らった。

「なんだ、まだ起きてたんだな。寝てるんじゃねぇかって、すぐ切ろうと思ってたんだけど」

『うん。仕事の仕上げしてた。明日が締め切りなんだ』

「あ、悪りぃ。邪魔しちまったか?」

『大丈夫だよ、もう終わったから。――それよりどうしたの? 何か用事があったんだろ?』

 晶の肩に力が入る。携帯を握る手が微かに震えた。

「ん、ああ。明日の午後、ヒマあるか?」

『午後? うん。午前中に出版社に持っていくから、昼からなら空いてるよ』

「じゃぁ、俺がそっち行くな、昼イチで。…ちょっと話したいことがあるから」

『分かった、待ってるよ』


 何も知らない直人の明るい声が痛い。晶は右手で胸を押さえる。


「――直人」

『ん? 何?』

「……いや、何でもねぇんだ。それじゃ、おやすみ」

『うん。おやすみ、晶』

 プツンと切った携帯を机の上に放り投げて、晶はベッドに潜り込んだ。


 ――『愛してる』と言いたかった。
 だが、今口にしてしまうと、折角の決心が揺らぎそうな気がして怖かった。
 伝えるべきことを全て伝えた上で、『それでも愛してるんだ』と言わなければ。真剣な想い、そして自分の人生そのものを、彼に受け入れて貰う為に。

「上手く…話せるか…?」

 全く寝付けず何度も寝返りを打つ晶を余所に、窓の外は徐々に白んでいった。



 ★★★次回予告★★★

悩んだ末に晶が導き出した答え。それは直人を傷付けてしまうのでしょうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

処理中です...