33 / 77
第十一章 白い部屋
第33話 中編
しおりを挟む――それは翌日の午後、昼食の配膳カートが地下の炊事室へ下げられた直後のことだった。
勢いよく開けられたスライドドアの向こうから聞こえる荒い呼吸音に、ベッドに寝転がっていた晶は驚いてそちらを見遣る。そこには、待ち切れなかったエレベーターの代わりに階段を駆け上がってきたらしい直人が、息を弾ませながら立っていた。
「あ…れ? 直人…?」
「晶!」
戸惑う晶に駆け寄る。その後ろで、オートクローズのスライドドアが静かに閉じた。
「どうして? なんで連絡してくれなかったの?!」
乱れた息遣いのまま問い詰める直人に、晶は身を起こして頭を掻く。
「いや、その…仕事の邪魔になるんじゃねぇかと思って……」
「そんなの関係ない! 入院なんて大事なこと、教えてくれないなんて酷いよ!」
あまりの剣幕にたじろぐ。一瞬言葉に詰まったが、すぐにフッと軽い笑みを取り戻して、詫びのセリフと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「悪かったよ。ごめん、な? ――にしても、なんで分かった…?」
晶の笑顔で拍子抜けしたのか、勢いを殺がれた直人が窓際に立つ。上下する肩を落ち着かせながら外の景色を眺めた。七階から見下ろすそこに広がっているのは、あの前庭――。
「…小母さんに聞いたんだ。――昼前に仕事上げて、携帯に電話したけど電源が入ってなかった。それで家の方に掛けたら、昨日の午後入院したって言われて……」
そういえば口止めしたわけじゃないから当然か、と考えつつ、昨日のことを思い出す――。
「小母さん。これ、適当に処分しといてくんねぇかな」
段ボールに詰めた私物をリビングに運んできた晶が、キッチンにいた奈美に言う。エプロンで手を拭きながら出てきた彼女は、箱を覗き込んで顔を曇らせた。
「晶ちゃん、これ……」
「誰か欲しい人にやるとか、フリマに持ってくとか。ボロいのは捨てるしかねぇけど…。全部小母さんや秀兄ぃに買って貰ったモンだから、申し訳ねぇんだけどさ」
その言葉に、奈美は晶を見上げる。息子をも凌ぐ長身の少年が、優しく微笑んで彼女を見下ろしていた。その笑みに心が痛む。明るく快活な奈美も、この時ばかりは悲しみに沈んだ表情を隠せなかった。
「…晶ちゃん。あの部屋は貴方のものなのよ。あたし達は家族なの、これからもずっと――。それを忘れないで。外泊が出来そうな時は、いつでも帰っていらっしゃい」
「ああ。ありがとな、小母さん」
玄関でバッグを肩に掛ける晶に、奈美が心配そうに尋ねる。
「タクシーで送らなくて大丈夫?」
「いいよ、一人で。バスで充分だし。その代わり、退屈だから見舞いに来てくれよな」
にこっと笑ってドアを開けた彼を見送る視線は、滲んだ涙で潤み始めていた。
――小ぢんまりした個室内に、真昼の日差しが僅かばかり入り込む。窓から差し込むその光が直人の髪を暖かく照らしていた。
「面会時間にならないと病棟に入れないから、ずっとロビーにいたんだ。一時間ちょっとしか待ってないけど、凄くもどかしくて……」
総合病院の面会時間は午後1時から午後8時まで。夜は夜間出入り口があるのでかなり遅くまでいても咎められないが、検査や処置で立て込む午前中の病棟立ち入りは、身内の手術や危篤といった余程の事がない限り許可されない。直人も逸る心を抑え、時間まで待っていたのだった。
「…具合はどう?」
「何ともねぇよ。別に倒れて運ばれたわけじゃねぇんだから。秀兄ぃが気ぃ回し過ぎなだけだって」
上履きを突っ掛けてベッドを降りる。窓辺の直人に歩み寄ると、その頬に触れた。黒い前髪の間から自分を見詰める瞳が気懸かりそうに影を作るのを見て、晶は目を細める。口で言ったって無駄なのだろう。案じ続ける直人を安心させるには、態度で示す他は無い。
それに…と、別の声が晶の中で響く。
――こんな顔も美しい、と――
「直人。俺…してぇよ」
「え?」
「もう四日もヤってねぇんだぜ。結構溜まってんだからさぁ」
言いながら直人の耳に呼気を吹き掛ける。細い身体が震えた。
「っ…いや…。晶、昼間から何す…」
「しょうがねぇじゃん。面会時間内しか会えねぇんだもん」
「でも…っ、駄目だよ、こんな所で…」
「こんなトコってこたねぇだろ。今はここが俺の家なんだぜ? 他にどこでヤれってんだよ」
「だって、それは……」
赤くなって言い逃れようとするその目に困惑の色が浮かぶ。晶が抱き寄せた身体には、ほとんど力が入っていなかった。恐らく徹夜続きで疲れているのだろう。それを知った晶は調子付く。
「…おっ、そうだ。何ならたまには、中庭の木立ん中ででもヤってみるか? 早春の木洩れ日を浴びながら、本能に身を任せてドバーッと――」
とんでもない提案に直人の全身が総毛立つ。目を見開いて激しくかぶりを振った。
「絶対、やだっ!」
「なんだよー。我が儘だな、直人は」
どっちがだよっと、赤い顔を一層赤くして直人は口を尖らせる。その様子を目にして、更に気分を昂らせる晶。
「怒った顔も可愛いぜ。ますますヤりたくなる……」
言うと、直人の首筋にチュッと音を立てて口付けた。
「ん…やっ…」
小さく漏れた声に、晶はにいっと不敵な笑みを浮かべる。
「直人。ひょっとして誰かに声聞かれんじゃねぇかって、それ気にしてんの?」
当たり前だ。それに『誰かに』では無い、『誰にでも』だ。すぐ隣の病室にだって入院患者がいるし、少し先にはナースステーションもある。普通に歩いただけで足音が反響しそうな廊下を通じて、筒抜けになることは目に見えているのだ。気にしない方がおかしい。
「んなの、気にすることねぇじゃん。どうしてもってんなら、声、抑えてりゃいいわけだし」
いつ誰が入ってくるかも分からないのにそういう問題じゃないだろう、と言い掛けた直人の顔に、くっ付きそうなほど自分のそれを寄せて晶が言った。
「そっか。俺のテクが凄すぎて、声を抑えるなんて出来ねぇってか?」
――バシッ
「…ってぇ――」
左頬を押さえて晶が直人を見る。彼は振り下ろした右手をそのまま宙に留め、肩を震わせていた。
「何すんっ……だ…よ…」
抗議しようとした晶の声が萎える。
直人の瞳に溢れるほどの涙が溜まっていた。止まったままの平手が、小さく微動しながら握り締められる。
「…晶の馬鹿…。心配で飛んで来たのに、君はいつもふざけてばっかり……。俺は…っ、いつだって君の体を心配して…っっ。――もう知らないっ! 晶なんか大っ嫌いだ!!」
目の前の肩をドンと突き放して、直人はドアへと走る。
「直人っ、ちょっと待っ…」
慌てた晶の制止も聞かず、叩き付けるようにドアを引き開けると部屋から飛び出していってしまった。
走り去る足音を聴きながら、晶は叩かれた頬にもう一度手を遣る。
「やり過ぎた…。馬鹿だな、俺……」
閉まったドアで隔てられた廊下に向かって、何度も何度も「ごめん」と呟き続けた――。
★★★次回予告★★★
怒らせてしまった直人の為に、晶が秀一にしたある頼み事とは――?
0
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる