Heart ~比翼の鳥~

いっぺい

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第十一章 白い部屋

第33話 中編

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 ――それは翌日の午後、昼食の配膳カートが地下の炊事室へ下げられた直後のことだった。
 勢いよく開けられたスライドドアの向こうから聞こえる荒い呼吸音に、ベッドに寝転がっていた晶は驚いてそちらを見遣る。そこには、待ち切れなかったエレベーターの代わりに階段を駆け上がってきたらしい直人が、息を弾ませながら立っていた。

「あ…れ? 直人…?」

「晶!」

 戸惑う晶に駆け寄る。その後ろで、オートクローズのスライドドアが静かに閉じた。

「どうして? なんで連絡してくれなかったの?!」

 乱れた息遣いのまま問い詰める直人に、晶は身を起こして頭を掻く。

「いや、その…仕事の邪魔になるんじゃねぇかと思って……」

「そんなの関係ない! 入院なんて大事なこと、教えてくれないなんて酷いよ!」

 あまりの剣幕にたじろぐ。一瞬言葉に詰まったが、すぐにフッと軽い笑みを取り戻して、詫びのセリフと頭に浮かんだ疑問を口にした。

「悪かったよ。ごめん、な? ――にしても、なんで分かった…?」

 晶の笑顔で拍子抜けしたのか、勢いを殺がれた直人が窓際に立つ。上下する肩を落ち着かせながら外の景色を眺めた。七階から見下ろすそこに広がっているのは、あの前庭――。

「…小母さんに聞いたんだ。――昼前に仕事上げて、携帯に電話したけど電源が入ってなかった。それで家の方に掛けたら、昨日の午後入院したって言われて……」

 そういえば口止めしたわけじゃないから当然か、と考えつつ、昨日のことを思い出す――。



「小母さん。これ、適当に処分しといてくんねぇかな」

 段ボールに詰めた私物をリビングに運んできた晶が、キッチンにいた奈美に言う。エプロンで手を拭きながら出てきた彼女は、箱を覗き込んで顔を曇らせた。

「晶ちゃん、これ……」

「誰か欲しい人にやるとか、フリマに持ってくとか。ボロいのは捨てるしかねぇけど…。全部小母さんや秀兄ぃに買って貰ったモンだから、申し訳ねぇんだけどさ」

 その言葉に、奈美は晶を見上げる。息子をも凌ぐ長身の少年が、優しく微笑んで彼女を見下ろしていた。その笑みに心が痛む。明るく快活な奈美も、この時ばかりは悲しみに沈んだ表情を隠せなかった。

「…晶ちゃん。あの部屋は貴方のものなのよ。あたし達は家族なの、これからもずっと――。それを忘れないで。外泊が出来そうな時は、いつでも帰っていらっしゃい」

「ああ。ありがとな、小母さん」

 玄関でバッグを肩に掛ける晶に、奈美が心配そうに尋ねる。

「タクシーで送らなくて大丈夫?」

「いいよ、一人で。バスで充分だし。その代わり、退屈だから見舞いに来てくれよな」

 にこっと笑ってドアを開けた彼を見送る視線は、滲んだ涙で潤み始めていた。



 ――小ぢんまりした個室内に、真昼の日差しが僅かばかり入り込む。窓から差し込むその光が直人の髪を暖かく照らしていた。

「面会時間にならないと病棟に入れないから、ずっとロビーにいたんだ。一時間ちょっとしか待ってないけど、凄くもどかしくて……」


 総合病院の面会時間は午後1時から午後8時まで。夜は夜間出入り口があるのでかなり遅くまでいても咎められないが、検査や処置で立て込む午前中の病棟立ち入りは、身内の手術や危篤といった余程の事がない限り許可されない。直人もはやる心を抑え、時間まで待っていたのだった。


「…具合はどう?」

「何ともねぇよ。別に倒れて運ばれたわけじゃねぇんだから。秀兄ぃが気ぃ回し過ぎなだけだって」

 上履きを突っ掛けてベッドを降りる。窓辺の直人に歩み寄ると、その頬に触れた。黒い前髪の間から自分を見詰める瞳が気懸かりそうに影を作るのを見て、晶は目を細める。口で言ったって無駄なのだろう。案じ続ける直人を安心させるには、態度で示す他は無い。
 それに…と、別の声が晶の中で響く。

 ――こんな顔も美しい、と――


「直人。俺…してぇよ」

「え?」

「もう四日もヤってねぇんだぜ。結構溜まってんだからさぁ」

 言いながら直人の耳に呼気を吹き掛ける。細い身体が震えた。

「っ…いや…。晶、昼間から何す…」

「しょうがねぇじゃん。面会時間内しか会えねぇんだもん」

「でも…っ、駄目だよ、こんな所で…」

「こんなトコってこたねぇだろ。今はここが俺の家なんだぜ? 他にどこでヤれってんだよ」

「だって、それは……」

 赤くなって言い逃れようとするその目に困惑の色が浮かぶ。晶が抱き寄せた身体には、ほとんど力が入っていなかった。恐らく徹夜続きで疲れているのだろう。それを知った晶は調子付く。

「…おっ、そうだ。何ならたまには、中庭の木立ん中ででもヤってみるか? 早春の木洩れ日を浴びながら、本能に身を任せてドバーッと――」

 とんでもない提案に直人の全身が総毛立つ。目を見開いて激しくかぶりを振った。

「絶対、やだっ!」

「なんだよー。我が儘だな、直人は」

 どっちがだよっと、赤い顔を一層赤くして直人は口を尖らせる。その様子を目にして、更に気分を昂らせる晶。

「怒った顔も可愛いぜ。ますますヤりたくなる……」

 言うと、直人の首筋にチュッと音を立てて口付けた。

「ん…やっ…」

 小さく漏れた声に、晶はにいっと不敵な笑みを浮かべる。

「直人。ひょっとして誰かに声聞かれんじゃねぇかって、それ気にしてんの?」


 当たり前だ。それに『誰かに』では無い、『誰にでも』だ。すぐ隣の病室にだって入院患者がいるし、少し先にはナースステーションもある。普通に歩いただけで足音が反響しそうな廊下を通じて、筒抜けになることは目に見えているのだ。気にしない方がおかしい。


「んなの、気にすることねぇじゃん。どうしてもってんなら、声、抑えてりゃいいわけだし」

 いつ誰が入ってくるかも分からないのにそういう問題じゃないだろう、と言い掛けた直人の顔に、くっ付きそうなほど自分のそれを寄せて晶が言った。

「そっか。俺のテクが凄すぎて、声を抑えるなんて出来ねぇってか?」


 ――バシッ

「…ってぇ――」


 左頬を押さえて晶が直人を見る。彼は振り下ろした右手をそのまま宙に留め、肩を震わせていた。

「何すんっ……だ…よ…」

 抗議しようとした晶の声が萎える。


 直人の瞳に溢れるほどの涙が溜まっていた。止まったままの平手が、小さく微動しながら握り締められる。

「…晶の馬鹿…。心配で飛んで来たのに、君はいつもふざけてばっかり……。俺は…っ、いつだって君の体を心配して…っっ。――もう知らないっ! 晶なんか大っ嫌いだ!!」

 目の前の肩をドンと突き放して、直人はドアへと走る。

「直人っ、ちょっと待っ…」

 慌てた晶の制止も聞かず、叩き付けるようにドアを引き開けると部屋から飛び出していってしまった。
 走り去る足音を聴きながら、晶ははたかれた頬にもう一度手を遣る。

「やり過ぎた…。馬鹿だな、俺……」


 閉まったドアで隔てられた廊下に向かって、何度も何度も「ごめん」と呟き続けた――。



 ★★★次回予告★★★

怒らせてしまった直人の為に、晶が秀一にしたある頼み事とは――?
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