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楼蘭妃の憂鬱

夫と仲直りしました

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 気が付いたら、自室のベッドの上だった。街中で産気づいてからの記憶が曖昧だ。今回は、上二人よりも難産だった気がする。何故か後宮の女官が居たような…気のせいだろうか。

 うつらうつらと夢現ゆめうつつ彷徨さまよっていたが、覚醒する度に母上か古参の侍女が付いていてくれた。こういう時、卵生の龍は有り難い。人間の子なら、これに授乳やむつきの世話、沐浴などが加わる。平民なら、産後のんびりしている暇もなく、家事や労働もあるだろう。世の女性は、私が思っていたよりもずっと苦労している。そう感謝の気持ちを伝えると、母上は「あなたも母親になったのね」と嬉しそうに微笑み、私の髪を撫でた。

 そういえば、多少邸内が騒がしい気がするが、

「そりゃあ、外孫が生まれたのですもの。皆お祝いで気忙きぜわしいのですわ」

 と言われ、それもそうかとくすぐったく感じていたが、今、本当の原因が分かった。

「うっぐずっ…ロ”ーレンス”ぅ…」

 真夜中に覚醒すると、枕元に、涙でぐずぐずになったレナードがいた。



「う”う”…帰”った”ら、お”前”がいなくて”…」

「母”上”に”ッ、袋”叩”きにされて”ッ、締め上げられて”…」

「け、結界に”ッ、阻ま”れて”ッ…結界が解け”て、来てみれば、は、義母はは上に、追い出さ”れて”ッ…」

「難産で、死ぬところだったとッ…無事で、無事で良か”った”ぁぁ」

 私の手を取り、おいおいとみっともなく泣く美丈夫。お前、それでも第七皇子だろう。次に会ったらどうやってとっちめてやろう、態度によっては皇国での離縁の方法も調べねば、とモヤモヤしていた私は、すっかり毒気を抜かれてしまった。

「男子がみだりに泣くものではない」

 何と声を掛けて良いか分からず、最近ぐずぐずと母上に弱音をこぼしていた私が、自分のことを棚に上げて、そんなことを言う。妊夫で気が弱っていたのだから仕方ない、と心の中で言い訳をしながら。しかしレナードの顔は、なお一層くしゃりと歪んだ。

「あ、愛想が尽きたのか、ローレンス…こんな私に、愛”想”を尽か”し”てし”まったのか”ぁ!」

「おい、レナード」

「捨”てないでく”れ!ロ”ーレンス”!私”が悪かった”!嫌”なところは直す”!だか”ら”ッ!!」

 彼は幼子のように泣きわめき、あろうことかスルスルと翼蛇の姿に戻って、私の胸でぴいぴいと鳴き始めた。こうなるともう、怒ることもできない。

「…まったくもう、お前という奴は…」

 その夜、私は三つの我がと、幼い翼蛇と共に眠った。母上が「夫は5歳児」「産んだ覚えのない長男」とおっしゃったのは、本当だった。



 翌日、私は久しぶりにダイニングに降りた。出産から5日経っていたらしい。どうしても戻れない三兄を除き、父上、母上、長兄、次兄。そして長兄の妻の義姉、甥までもが揃い、内々ながら祝宴が用意されていた。なお、一応レナードの席も用意されていたが、彼は小さな翼蛇の姿で私の首にまとわり付き、大人しくしていた。そして母上が扇を広げると、ビクリとして私の背後に隠れた。母上、それは護身用の鉄芯入りのものではなかったろうか。私が伏せっている間、彼らの間で何があったのか、何となく察してしまう。

 家族と使用人は、それぞれ祝いの言葉を述べ、子供のために贈り物まで用意してくれた。幼い甥や、父上、兄上たちの翼蛇たちも、卵に興味津々だ。父上は卵を抱いておいおい泣いていた。宮中では常闇とこやみの貴公子などと二つ名を立てられるほどの紳士が、とんだ爺馬鹿だ。後で母上に耳打ちされたところによると、甥にベタベタと構い倒して、義姉に敬遠された前科があるらしい。今回は、外孫だからと遠慮がないようだ。

 食卓の上には、私の好物ばかり。去年の今頃は、もう二度と帰らないと思っていたのに、思いがけず出戻って来て、良かったと思う。母上は、「ここはあなたの家なのだから、いつでも帰って来ていいのよ」と言ってくれるが、そうも行くまい。私はもう人ならざる身、これからルーシャ姉上のように、人の営みから離れ、悠久の時を生きなければならない。だがしかし、彼らが存命の間は、あと何度かこうして顔を合わせても、許されるだろうか。

 ちんまりと肩に止まっているレナードに、好物の葡萄を分けてやる。本当は立派な龍神なのだから、そんなことをしなくてもいいのだが、彼は美味そうにもぐもぐと食べている。これまでの色々は、これで手打ちにしてやろう。私もレナードもまだ未熟だ。龍の寿命は長い。話し合って、ぶつかり合って、少しずつ成長すればいい。



 家族からの贈り物は、それだけではなかった。翌々日、私は学園の卒業パーティーに招かれた。昨年、飛び級で卒業した私は、皇国からの特使として。レナードは、夫であり第七皇子として。幸い、私が出戻って来た時の衣装は茶会用のもの、夫の衣装は執務の時のもので、公的な場に出てもおかしいものではない。リドゲートの侍女は、このような事もあろうかと、皇国の衣装の着付けや髪の結い方も学んでくれていた。産後間もない私は、ホールで踊ることは叶わなかったが、あそこは主役たる卒業生のステージだ。私は来賓用の壇上から、彼らを眩しく見つめていた。

 ダンスの群衆の中でひときわ目を惹くのが、昨年までお仕えしていた第二王子ケネス殿下とクリスティン公女だ。揃いの衣装に身を包み、仲睦まじく踊っている。彼らは卒業と同時に入籍し、ケインズ公爵家の後継となる。二人とも、甘い恋愛感情で結びついているというよりは戦友のようなカップルだ。きっとケインズ公爵領はこれから栄えるだろう。

 そして、次に目を惹くのはキース・ケラハー殿とジャスパー・ジュールのカップル。ただでさえ体格の良いキース殿。彼の髪と瞳は赤で、華やかな容姿と相俟あいまって、目立つ男だ。そして全身の至るところを赤で染め上げられて恐縮する、小動物のようなジャスパー。目のやり場のないほどの独占欲と溺愛で、衆目を集めることこの上ない。道理でキース殿が、スライムもジャスパーも私に渡したくなかった訳だ。二人の恋仲に気づかず、無粋なことをしてしまった。

 王都で難産に陥って、いよいよ危険な状態になった時、そんな私を助けてくれたのは、ロームを携えたキース殿だったという。家同士のしがらみもあり、私と彼とは決して良好な仲だったとは言えない。彼はああ見えて計算高い男だ。何らかの思惑があってのことかも知れない。だが、私と子を助けてくれたことに、今は感謝の気持ちしか浮かばない。

「キース殿には、感謝してもし足りないな」

 隣に座るレナードが、私の視線の先を見つめて言う。

今代こんだいの______は赤の使徒を選んだようだ。良いことだ」

「?」

 時々レナードは、訳の分からないことを言う。彼はかねてよりキース殿に友好的な感情を抱いていたようだが、この度私の命を救ってもらってから、彼のことを「______の使徒」もしくは「赤の使徒」と呼び、崇拝するようになった。そういえば、スライムのことは「______の眷属」と呼んでいる。この「______」の部分が、私にはどうしても聞き取れないのだが…未だ半ば人間の身、知覚や理解の及ばない部分なのだろうか。

 ともあれ、かつての知己の健勝な姿と、旅立ちを見送ることが出来た。後宮を飛び出して来た時には、胸の張り裂けるような思いだったが、こうして王都に戻って来て、良かったと思う。



 翌日、私とレナードは皇国へと戻ることにした。母上が「またいつでも戻って来るのですよ」とおっしゃったが、今度こそ心配を掛けないようにしなければ。こどもたちが孵化したら、また顔を見せに戻りますと告げ、二人で手を繋いで、玄関先からふわりと飛び立った。

 レナードと手を取り合い、空を駆けるのは爽快だった。

「お前を連れて行きたいところが、沢山あるんだ」

 世界には、まだまだ私の知らぬ景色ばかり。夫と子供たちと一緒なら、きっと楽しいだろう。

 皇国まで、まっすぐ飛べば小一時間で到着した。久しぶりの後宮では、女官たちに盛大に出迎えられる。王都でも後宮でも温かく迎えられ、改めて幸せを噛み締める。私もレナードの正妃だ。胸を張れるよう、精進せねばなるまい。



 しかし、私が一番感動したのは、そこではなかった。

「ローレンス…」

 今までろくに愛撫もせず、いきなり事に及ぼうとしていたレナードが、事前に睦言むつごとを欠かさず、優しい抱擁と口付けを繰り返し、あまつさえ私の許可無くば情交を控えると言い出した。どうしたことだ。

 実はこれも、キース殿の入れ知恵だったようだ。

「今までの私は、実に独りよがりであった。未だ未熟ではあるが、これからはローレンスが心地良い交わりを目指したい」

 そう言って、レナードは翼蛇の姿になった。私が嫌ならセックスはしない、という意思表示のようだ。

 やっと分かってくれたのか。

 いや、私も男だ。彼の気持ちも分かる。自分で言うのも何だが、家柄や容姿に恵まれたせいか、私は女を切らしたことはなかった。一通りのねや教育を受けて、女をどう扱ったら良いのか知っているつもりでいたが、セックスは最低限の儀礼を欠かさぬ程度のもの。多少自分勝手に振る舞っても、私に言い寄る女は後を絶たなかったからだ。自分がレナードの寵愛を受ける側になって、それが如何いかに浅慮で横暴なことだったか、身をもって知ることとなった。

 男は出してしまえばそれで気が済むが、女は純潔を失い、身体の内にそれを受け入れる覚悟が要る。万一孕んでしまった場合には、命に関わることだってある。長く営んだから良い、十分な快楽を与えたから良い、というわけでもなく、誠意のないセックスは心を傷つけ、過剰な快楽は時として拷問になる。これまでの女性関係は、お互い割り切った後腐れのないものではあったが、私自身、決して誉められたような男ではなかった。私だけを熱烈に求め、こども共々大事に守ろうとするレナードの方が、男としてより好ましいだろう。

 小さな翼蛇の姿で、クルクルと鳴きながら甘えてくるレナード。かつてはこうして、兄弟のようにじゃれ合い、支え合って暮らして来たものだ。

「ふふ。お前はいつまで経っても、子供のようだな」

 いつかはこどもたちも、こうして触れ合える時が来るのだろうか。無邪気に首筋に絡みつき、小さな舌で耳をくすぐって悪戯するレナードを軽くたしなめると、彼は人間の姿を取り、そのまま優しく口付けてきた。

 久方ぶりのキスは、綿菓子のように柔らかく。唇を離し、お互い黙って見つめ合っては、繰り返す度に深く甘くなっていった。
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