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堅物王太子の奮闘

王太子は色々と上手くいかない

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 「シャーリー様、お呼びですか?」

 四阿のガーデンチェアに座ってロジーナが来るのを今か今かと待っていたシャファルアリーンベルドは呼び掛ける声の可愛さに思わずにやけた。勿論振り向くまでに無理くり引っ込めたけれど。

 「あぁ、一緒にお茶をと思ってね。今日の茶会の様子も聞きたいと思っていたし……」
 
 そう、気になって仕方がないのだ。茶会の様子と言うよりは、伯爵の息子の野郎がロジーナに何をしたのかが。

 「茶会は初めてだったのだろう?楽しめたか?」
 「えぇ、ですが内輪の物なので気楽にと仰って頂きましたので特に問題はございませんでした。伯爵夫人と義妹様とご友人がお二人、それから義妹様のお嬢様達がいらっしゃいましたわ」
 「し、し、し……子息も居たと聞いたが……」

 ロジーナはことりと首を傾けた。

 「はい。でもご子息様は現れるなり庭を案内したいと……それでご一緒したのですが……ねぇ、シャーリー様?」

 ロジーナが急に小声になり顔を曇らせて顔を近付けたので、シャファルアリーンベルドは例によって『口から手を突っ込まれて……』状態になったが辛うじて『どうした?』と聞き返した。

 「初めはですね、ご子息は手を取って下さっていたんです。でも暑いから木陰で休もうと仰って木の下にある椅子に並んで座ったのですけれど……」

 ロジーナは不愉快そうに顔を顰め、シャファルアリーンベルドは平静を装って何食わぬ顔で聞きながら『あの野郎、見え透いた言い訳を!!』と心の中を荒れ狂わせていた。

 「馬車から降り立った貴女の姿は天使のようだったなんて訳のわからないことを仰って」

 『そうだろう、そりゃそうだろう。馬車から降りたロジーナは天から降臨した光を纏った天使に見えたに違いない。でも気に入らない、あの野郎ロジーナに何を言いやがる』とシャファルアリーンベルドは奥歯を噛み締めた。

 「うん、それで?」

 先を促すシャファルアリーンベルドにロジーナは眉根を寄せながら話を続けた。

 「貴女の髪は絹糸のように艷やかで、貴女の唇は朝露に濡れたツルイチゴのようで……」

 『そうだ、その通りなんだ。でもあの野郎、どうしてわたしよりも先にそれを言う!!』とシャファルアリーンベルドはどうにも我慢できずついついミリ単位の歯軋りをした。

 「貴女の瞳は……」

 瞳というキーワードに思わず息を呑んだが

 「何処までも深い夜の海のようだと……」

 というロジーナの言葉にシャファルアリーンベルドは『あの野郎、解っていないな!』と呆れ返りつつ『こんなに美しい蒼さを秘めているのにあの野郎の目はまるで節穴だな』という優越感を覚えた。が、

 「そうしたらいきなりこうやって手を握って……」

 と言いながらロジーナがシャファルアリーンベルドの両手を取り、ぐっと引き寄せながら包み込むように握り

 「瞳孔の開いた目でじっと覗き込んで来たんです」

 再現するかのようにシャファルアリーンベルドの視線をゆらゆらと揺れる瞳で捉えたので、あの伯爵の息子の野郎どころではなく、またしても『口から手を』の苦しさに口をパクパクさせることとなった。
 
 「何だか私ゾワゾワしてしまって……思わず手を引っ込めてジェニーに駆け寄ってしがみ付いてしまいましたの。でもあの方ったらクスクス笑って『なんと初々しい』なんて仰るんですよ!何がしたいのかさっぱりわからないし、変な笑い方をされるしで本当に気味が悪くてたまりませんでしたわ」

 そこまで言うとロジーナはようやくシャファルアリーンベルドの手を離し自分の両腕をさかさかと撫でた。

 シャファルアリーンベルドは胸の内だけで盛大に安堵のため息をつき伯爵の子息に『あの野郎』と王族らしからぬ罵詈雑言を引き続き並べ立てた。

 そして紅茶を一口飲んで心を落ち着け……ようとはしたが胸の高鳴りは益々激しさを増す一方なのでそれについては放棄し、効果の程は疑わしかったが腹に力を込めて気合いを入れると何食わぬ顔でロジーナの右手を取り自分の唇の至近距離まで引き寄せた。

 ドッキドキだ。『口から手』を待つまでもなく心臓の方から飛び出して来そうなドキドキっぷりだが、そんなテンパり具合はおくびにも出さずこれぞ王子様というキラキラの悩ましくも美しい微笑みを称えながらロジーナを見つめた。

 感情を表に出すなと厳しく教えられたことを心底ありがたいと思いながら。

 「確かに君の姿は天から降臨した光を纏った天使のようだ」

 ロジーナは『はて?』とでも言うようにポカンとし考え込んでいる。

 「それに青磁色のドレスの君は朝靄の湖に現れた女神のようでもあった」

 全部受け売りと思われては心外なのでオリジナリティも加えておく。が、ロジーナは『天使に女神?』と益々混乱しているらしかった。

 「君の髪は絹糸のように滑らかで艶やかだ。唇は朝露に濡れるツルイチゴのように紅くみずみずしく肌は新雪に覆われた草原のように滑らかで、わたしを呼ぶその声は春の訪れを告げる小鳥の囀りのように可愛らしい」

 熱が込められた声はお色気ムンムンだが、残念ながらロジーナは更にオリジナリティを加えんと次々に並べ立てられる比喩と支離滅裂な季節感にどんどん混乱を深めている。

 「君はとても美しく魅力的だ」

 ここまではっきり言えば自分の意図を理解するだろうと踏んだシャファルアリーンベルドの囁くような言葉にロジーナは目を瞬いた。が、直ぐに『ああそう言うことか』と大いに納得した様子で大きく頷き嬉しそうな顔をした。

 嬉しそうなのは良い。問題はそこに乙女の恥じらいの一欠片も浮かんでいないというところだ。

 「私、こちらに寄せて頂きましてから穏やかな日々を過ごせておりますもの。自分ではあの顔が当たり前だと思っていたので気にした事も無ければ父達から醜いと蔑まれても同感だったのですけれど、お陰様で腫れや浮腫が相当改善されましたわ。洗いっ放しでゴワゴワしていた髪もジェニーが朝晩丁寧に手入れをしてくれるのでこんなに綺麗になりました」

 ロジーナが手の甲でかきあげると銀色の髪は流れ落ちる水のようにキラキラと輝きながら風に舞い、『ね?』と微笑むロジーナに思わず凝固していたシャファルアリーンベルドはかくかくと頷いた。

 「驚きました、回復が見込めるなんて考えた事も無かったのですから。それにね、この頃どうも顔が引き攣るのが気になってルイザさんに聞いてみたら、それは引き攣りじゃなくて笑っているんだと教えて下さったの。私が笑えば皆喜ぶのだから遠慮なくどんどんお笑いなさいって言われて……初めは戸惑ったのですが皆さん嬉しそうになさるので躊躇せずに自然に任せるようにしましたわ」

 『ね?』とにっこり笑い掛けてくるロジーナに溶けかけた凝固をより強くぶり返されシャファルアリーンベルドは目線だけをかくかくと動かした。

 「こんなに早く変化が表れて自分でも驚くばかりなのです。シャーリー様もそうでしょう?初めてお目に掛かったあの日に比べたら私見違えるほど良くなりましたわ」

 まるで新しい治療法を試したら良く効いたとでもいうように『使用前使用後』的に語るロジーナは皆がこのギャップに驚いただけだと完全に誤解している。驚かされたのは大きく下回っていたものが平均の水準になったからではない。平均をするっと通り越し『物凄い』を頭に付けられる程の美人さんになったからなのだが。

 「それはその通りだが……でもそれはそうと君はとてもとてもとても美しく物凄く魅力的なんだ。伯爵の息子が伝えんと目論んだのはその事だが、わたしは彼よりも何倍も君を美しいと思っているし魅力的だと感じている」

 シャファルアリーンベルドは右手だけでは足りないと素早く左手も取りいっそう強く引き寄せながら美しく魅力的を強引にレベルアップさせて伝えたが、ロジーナは『まあ面白い』と眉をくいっと持ち上げてうふんと笑った。

 「ありがとうございます。でもシャーリー様は初めてお目に掛かった時から私の何倍もお綺麗で魅力的でしたわ。あんまりお綺麗過ぎて駆け寄っていらしたお姿に怯えてしまったくらいでしたもの」
 「……それはどうもありがとう」

 思わぬ反撃に方向性を見失ったシャファルアリーンベルドはロジーナの手を離し空を見上げた。だがここは前進あるのみ、怯んでいる場合ではないので今度は空いた手をロジーナの頭に伸ばし髪を撫で下ろしながら一房手に取りくるりと指に巻き付ける。ロジーナはその指を横目でチラリとみるとくすっと小さく笑った。

 「違いますよ、そうじゃなくてこうやってね……」

 シャファルアリーンベルドの指からスルッと髪を抜き取ってくるんと絡め結び目を作り手を離すとそれはあっけなくほどけていく。

 「すごいでしょう?髪の毛が健康になったからなんですって。ジェニーが手入れをする前はこんな風にほどけたりしなかったのに……ジェニーって魔法使いのようですわね?」
 「……ははは、確かにジェニーは魔法使いのようだな」

 シャファルアリーンベルドの悲しい空笑いに応えるようにロジーナは今度は素早く髪を三つ編みにしてからふるんと揺すった。一瞬で元に戻る髪を感心したように見つめるその様子は

 ーーか、可愛い。文句なく可愛らしいが……

 そうだ、ここで萌えている場合ではない。

 シャファルアリーンベルドは覚悟を決めすくっと立ち上がるとロジーナの座る椅子の背もたれに片手を掛けもう片方をほんのりと赤みがさしている円やかな頬に添えた。それだけで胸の奥では心臓が今にも破裂してしまいそうなくらい激しく鼓動していたが、何とか顔に出ないように最大限の注意を払いながらその瞳を見つめつつゆっくりゆっくりと顔を近づけていった……のだが思いっきり『ヒュっ!!』と息を呑むこととなった。

 シャファルアリーンベルドの動きを待たずロジーナがぴょんと伸び上がって自分から顔を寄せてきたのだ。

 「びっくりしたでしょう?私もです!」

 そう言いながらロジーナが見せつけるように目を伏せた。

 「…………」
 
 そりゃびっくりだ。但し私もびっくりなのは何だか良くわからないが、こうきてこうなったということは了解しましたそれではどうぞという意味に他ならないだろう。すこーんと抜け落ちているせいで手こずるだろうと覚悟はしていたし思うように捗らずどうしたものかと焦ったが、そう言えばロジーナは猛烈な耳年増だったではないか!それなら話は早い、既成事実こそ正義!

 思わずごくりと喉を鳴らしたシャファルアリーンベルドがではいただきますと首を傾けたその時、ロジーナの伏せられていた目蓋がぱちりと全開になった。

 「私にも睫があったんですね。泣いてばかりいたから擦りきれてしまったんですって。そんなこと思いもしなかったから私には睫が生えないのかと思っていたんですけれど、環境が変わるとこんなことにまで変化が見られるのですね」

 ぱちりぱちりと見せつけるように大きく瞬きをしてからロジーナは離れて行き、流石に耐えられずがっかりとしょんぼりを合わせた顔のシャファルアリーンベルドはせめてこれだけはとほんのり笑って頷いた。 

 「私ね、大好きだとは思っていましたけれどそれ以上にシャーリー様は私の特別な方だってよーくわかりましたわ。だってシャーリー様となら手を繋いでも見つめ合っても平気なのに、あの方にされるのはとっても嫌な気持ちだったんですもの」

 あの方にされるのは嫌な気持ちなのは非常に嬉しいが、シャーリー様は平気とは……。これでも今まで手を取ってきた令嬢達は皆うっとりとした潤んだ目で見つめてきたのに。だからそれなりの自信はあったし実際靡かない女性など一人もいなかったのに。

 「ねぇシャーリー様?」

 ぼんやり考え込んでいたシャファルアリーンベルドはロジーナに呼ばれてはっとした。

 「何かな?」
 「私の名前を呼ぶのは難しいのでしょうか?」
 「?!」

 何を言うのかと思えば何故そんなことを、と口にしようとしたところでシャファルアリーンベルドは気付いた。そう言えばまだ一度もロジーナと呼んだことはない。本人には『君』と呼び掛けレイやルイザ達には『彼女』と言っている。難しい?いや、そんなことはない。ただ何となく呼ぶことができずにいたのだ。

 「お名前を呼べない私にシャーリーで良いと仰って下さった時、私とっても嬉しかったのです。だってどんなに練習してもお呼びする事ができなかったんですもの。シャーリー様みたいに長い名前ではないけれども、私の名前も呼び辛いのではないかしら?だってここの皆さんは大抵私をお嬢ちゃまって呼びますもの」

 いや違う。断じてそうてはない。それは偏にロジーナがおちび扱いせずにはいられない特別なオーラを持っているせいだ。それを名前が呼び辛いせいだと考えるとは……シャファルアリーンベルドは思わず吹き出しそうになったがあえて大真面目に聞いてみた。

 「どうしたら良いだろう?皆と同じようにお嬢ちゃまと呼ぼうか?」

 『それは……』と口ごもりながらロジーナは頬に手を当てて首を傾け、ブンブンと左右に振った。

 「ローズ」
 「ローズ?」

 ロジーナは微笑んだ。

 「これならお呼びになれますね。良かったわ。領地で出会った素敵な女性のお名前なんですけれど……生前母が何度か私を同じ名で呼んだのです。『ローズ、わたくしの愛しい野薔薇』って」
 「愛しい野薔薇……」

 すっと立ち上がったロジーナは恥ずかしそうに頬を紅く染めていた。

 「私にとって大切な名前なのでその方と同じと伺ってとても嬉しくて……シャーリー様がそう呼んで下さったらもっともっと特別な名前になるわ」

 ふふっと小さく笑いスカートをふわりと翻してロジーナは小走りに立ち去って行き、一人残されたシャファルアリーンベルドは目を丸くしたまま茫然と離れていくロジーナの後ろ姿を目で追う。

 領地の森でロジーナに出会ったと言った母の名はマルガレーテ・ロザリアナ。ニアト王女として過ごした少女時代、ローズと呼ばれていたという。その母が自分にシャファルアリーンベルドという名を付けたのはシャーリーと呼ぶ為だ。シャーリー……母はロジーナの母親シャルロットをそう呼んでいた。

 それならばシャルロットもローズと呼ぶ為に彼女にロジーナという名を与えたのだろうか?
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