異世界料理士

我孫子(あびこ)

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第18話 家庭教師と勉強時間

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 味玉の仕込みも終わり、次に鹿肉の味噌漬けを準備する。肉の筋を包丁で切っていく。次に味噌、オリーブオイル、少量の蜂蜜、  西洋ワサビレホールを混ぜて漬けダレを用意する。本当は生姜が欲しいところだが、今の所見当たらない。

「シエルナ伯爵は肉に味噌を載せて焼いてたけど、こうやって漬けたりもするんだな」

 ジャンさんが豚肉で同じようなことを始めた。

「えぇ、この漬けダレは鶏肉や牛肉とかでもいけると思いますよ。これは大きい肉の固まりでやっていますが、もう少しぶつ切りにされた物なら漬け時間を短くすることもできます。あとは冷凍させて日持ちもできますね」


 一通り食材の仕込みが終わりハーブティーを嗜んでいた昼前、来客が訪れた。

「もし、こちらはジャンマリオ殿の食堂であっていますかな?」

 ノック音が2回、玄関に出てみると50歳を少し過ぎたくらいだろうか、170 cmほどの背丈の男性が立っていた。

「えぇ、そうですよ。今日は臨時休業なのですが……」

「あぁ、それは失礼。食事も楽しめればと思いましたが……私はエーヴェと申します。シエルナ伯爵よりこちらのルナお嬢さんとショーマ君の家庭教師を依頼されましてね。ふむ、あなたがショーマ君かな?」

 様子を察したキャロさんがお茶の準備を始める。シエルナ伯爵は家庭教師を送ると言っていたが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。それにしても……この豪雨だと言うのにこのエーヴェと名乗る男性はどこも濡れている様子がない。

「はい、ショーマと申します。立ち話もなんですので、そちらのテーブルへ」

 食堂の一角に案内し、着席と同時に人数分のお茶が出される。

「そちらのお嬢さんはルナさんだね。おや、そちらは……」

 エーヴェさんは足をプラプラさせながらお茶を飲み始めたウカルを見て目を細める。ウカルは声をかけられても気にした様子がない。

「あぁ、たしか領都に滞在中の旅商人ウカル殿でしたかな」

 ウカルは無言で頷く。エーヴェさんはそっと視線を外し、僕とルナの方を見る。それからジャンさんとキャロさんへ向き直り、口を開いた。

「ジャンマリオ殿、キャロット夫人、突然の訪問失礼いたしました。シエルナ伯爵よりなるべく早めにかつすぐ教育を仕上げるよう依頼されましてね。ご挨拶だけでもと思いまして急ぎ参上いたしました」

 エーヴェさんが丁寧にお辞儀をすると慌ててジャンさんもお辞儀する。キャロさんもそれに続く。このエーヴェという男性は身なりや所作からおそらくそれなりに高貴な身分であることを伺わせた。


「シエルナ伯爵からはだいたい1ヶ月ほどで他の学園生に追いつくようにと言われております。これが中々大変でしてね。授業内容だけを追うのなら難しくもないのですが、貴族教育の基礎も身につけておかねばなりません」

 エーヴェさんが言うには、学園というのは貴族教育の延長線上を学ぶもので、貴族の子息はその基礎部分を既に学んでから入学している。つまり初等教育でそれをおさえているのだ。しかし僕ら平民はそれがない。まずはそれを身に着けなければならない、ということらしい。

「ということでこの国の歴史や各貴族史、作法なども含めて学習を進めたいと思います。基本的にはこの家の部屋で学べますが、数回、外へ出ることがあるかもしれません。まぁ1日12時間ほど見積もっていただければ……」

 半分寝かけていたルナの目が見開く。1日12時間、なかなかの拘束時間だ。前世の知識が役に立ちそうなのは算学くらいか。僕もちょっと自信が無い。

「おやすみは週に1日です。学習に必要なものは全てこちらで揃えますので、明日以降順次持ち込みます。学習部屋だけご用意ください」

 そう言ってエーヴェさんはとりあえずの参考書と言い残し、20冊ほどの教科書を置いて帰っていった。

 彼が去っていく後ろ姿を見て何故彼が来た時に濡れていなかったのか理解できた。彼の周りだけ雨があたらない。まるで何かに守られるように、雨がそれているのだ。おそらくは何かしらの魔法をつかっているのだろう。


 時間があれば今日からでも教科書を読むようにとエーヴェさんは言っていたが、ルナは勉強が苦手で嫌いらしい。明日から本気を出すと言って部屋に引きこもってしまった。きっとふて寝でもしてるのだろう。

 僕はと言うと食堂でパラパラと教科書をめくりながら、どうしたものかと悩んでいた。異世界転生ものってだいたい何かチートあるだろうと思うのだが、僕にあるチート能力と言えば料理の記憶と腕くらいだ。どうにかならんのかとウカルの方を見る。

 静かに首を横にふる。頑張れって書かれた横断幕を取り出した。どこからそんなもの出してきたんだ。

「なぁ、本当になんかこう、無いのか」

「無いことも無いが、私の口から言うことはできません」

 考えろ、考えるんだ。

「……食物の神による祝福がある。信仰心のポイントが上がれば、僕にも恩恵があると言っていた。つまり信仰心がキーか?」

「……」

 否定はしないがその表情は肯定のようだった。どうも立場的に明言することは禁じられているらしい。

「でも、それだけなのかなぁ」

 信仰心をあげれば、というのがしっくりこない。僕はこの世界で役目がある。料理を広め、文化を向上させることだ。単に食物の神に対する信仰心を上げるだけなら、それこそ宗教指導家みたいなやり口だってあるが、そうではないのだ。

「……」

 ウカルは目をそらしながら下手くそな口笛を吹いている。一応、他に”何か”あるらしい。

 ちなみにジャンさんも僕とルカの勉強を手伝ってくれると言っていたが、キャロさんから「あなたはどうせ役に立たないでしょう」と言われ、こちらも自室に引きこもっていじけてしまっている。


 僕の能力は料理以外にもチートがある、そのことは分かった。だがそれが何なのかは今のところは分からない。考えこんだ所で何か見えてくるわけでもないし、とりあえず目先の勉強、というかほぼ暗記と元々の役目である料理に注力しようと決心した。
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