追放された聖女、癒やしスキルを“保険”として売ったら国家事業になりました

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第20話 砦の夜と、「ここまで守る」と決める線

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 ——一晩で、砦の命の値段を決めることになった。 
 しかも、血の匂いがまだ抜けない医務室の端っこで。 
 
 ◇◇◇ 
 
 「互助の箱の残高、これが全部か」 
 
 ヘルマン隊長が、ざらついた指で布袋の口を広げた。 
 中には、銀貨と銅貨がわずかに光っている。 
 
 砦の医務室の隅、空いていた作業台を急ごしらえの会議机にして、 
 私はヘルマン、ユリウス、砦付きの治療師と向かい合って座っていた。 
 
 周りのベッドでは、兵たちが浅い眠りと唸り声のあいだをさまよっている。 
 誰かのうなされる声が、時々話を遮った。 
 
 「……はい。 
 今日までに集まった掛け金が、そのくらいです」 
 
 私は、喉をからからにしながら頷いた。 
 
 予定していたより、ずっと早く“最初の大波”が来てしまった。 
 
 ユリウスが、淡々と紙に数字を書きつける。 
 
 「重傷者十二名。 
 通常どおり治療した場合、一人あたり治療費およそ金貨一枚強。 
 合計すると——」 
 
 さらさらとペン先が走り、静かな溜息が落ちた。 
 
 「互助の残高のおよそ三倍だ」 
 
 「三倍、ね」 
 
 ヘルマンが、鼻で笑った。 
 
 「“掛け金をちょっと集めたら、何とかなる”なんて甘えた話じゃねえってことだな」 
 
 分かっていたことだけど、数字として突きつけられると胃が痛い。 
 
 ◇◇◇ 
 
 「互助の箱だけで、全部を賄おうとするのは不可能です」 
 
 私は、はっきりと言った。 
 
 「さっきもお伝えしましたが、“互助として”出せるのは、重傷者の治療費の三割が限界です」 
 
 「残りの七割は?」 
 
 砦付きの治療師が、疲れ切った目でこちらを見る。 
 
 「“家族に借金背負わせる”なんて選択肢、俺はもう見たくねえぞ」 
 
 その声には、何人分もの悔しさが染み込んでいた。 
 
 私は、そっと拳を握りしめた。 
 
 「……互助ではなく、“砦の予算”と“王国の戦時特別金”で、残りを補う形を提案したいです」 
 
 「戦時特別金?」 
 
 ヘルマンが眉を上げる。 
 
 ユリウスが、そこで口を開いた。 
 
 「今回のような“大規模な一斉負傷”は、もはや“日常の怪我”の範疇ではない。 
 “戦争のコスト”として扱うべきだ、と本省でも議論があった」 
 
 彼は、手元の紙を指で軽く叩く。 
 
 「互助の目的は、“日常の怪我や病気”の治療費を平準化すること。 
 だが、“戦場に大量の負傷者が出たとき”まで同じ財布で見ようとすれば、互助そのものが破綻する」 
 
 「つまり、“戦地での怪我”は、別枠で考えろと」 
 
 「そうだ」 
 
 ユリウスは頷いた。 
 
 「互助で出すのは、あくまで“日常レベルの上限”まで。 
 それを超えた分は、“王国が戦争という選択をしたツケ”として、国庫から払うべきだと私は考えている」 
 
 その言い方には、いつもの無機質な財務官らしからぬ棘があった。 
 
 ヘルマンが、じっと彼を見据える。 
 
 「随分、思い切ったことを言うな」 
 
 「現場を見ましたから」 
 
 ユリウスは、淡々と答えた。 
 
 「この砦で倒れている兵士たちは、“互助の数字をいじって節約するための駒”ではない」 
 
 医務室に、短い静寂が落ちる。 
 
 ◇◇◇ 
 
 「具体的にどうするんだ」 
 
 ヘルマンが、核心を突いた。 
 
 「互助で三割。 
 残り七割を、“砦の予算”と“国庫”でどう分ける?」 
 
 私の手元には、既にざっくりとした案が書かれた紙がある。 
 
 「まず、“互助から出す三割”は、全員平等です」 
 
 私は、紙を指でなぞりながら言った。 
 
 「契約書に、“互助は日常の怪我・病気に対して、治療費のほぼ全額を負担する”とあります。 
 今回は規模が想定外なので、“特例として一律三割”とし、その代わり——」 
 
 「代わり?」 
 
 「“この砦の兵士の掛け金は、しばらくのあいだ半額にする”という案はどうでしょう」 
 
 ヘルマンの目が見開かれた。 
 
 「半額? なんでだ」 
 
 「“最初の波に巻き込まれた責任”は、制度を作った側にもあるからです」 
 
 喉が焼けるように乾いているのに、声だけははっきり出た。 
 
 「始めるのが遅かった。 
 説明が間に合わなかった。 
 
 だから、“十分な積立金ができる前に被害が出た分”については、“制度側の落ち度”でもあります。 
 その分だけ、しばらく掛け金を軽くすることで、ここでの負担を少しでも減らしたいんです」 
 
 それは、財務官としては褒められた案ではないかもしれない。 
 けれど、制度を提案した聖女としては、どうしても譲れないところだった。 
 
 「……滅茶苦茶、赤字になるぞ」 
 
 砦付きの治療師が、半ば呆れたように言う。 
 
 「だからこそ、“戦時特別金”です」 
 
 ユリウスが、そこで口を挟んだ。 
 
 「互助の赤字分を、国庫が穴埋めする。 
 同時に、“辺境砦に限る戦地特例”として、一定期間、掛け金半額を認めるよう本省に掛け合う」 
 
 「通るのか、そんな話」 
 
 「通させる」 
 
 いつになく強い口調に、私もヘルマンも目を瞬いた。 
 
 「“机を蹴飛ばす覚悟のある現場担当”がいるんです」 
 
 ユリウスが、さらりととんでもないことを言う。 
 
 「それに、“最初の試験で現場を見捨てた制度”が、国の事業になるわけがない」 
 
 ヘルマンが、ふっと笑った。 
 
 「なるほど。 
 “最初の戦”で逃げるやつに、背中預けられねえのは、兵も制度も同じってことだな」 
 
 「はい」 
 
 私は、自分の胸をトンと叩いた。 
 
 「逃げません。 
 “どこまで守れるか”をここで決めて、その代わり、“守ると決めたところ”からは逃げません」 
 
 ◇◇◇ 
 
 「もう一つ、線を引きたいことがあります」 
 
 私は、紙の端に新しい項目を書き込んだ。 
 
 「今回、契約してすぐに怪我をした人たち……“今日の説明を聞いて、その日のうちに署名した兵士”についてです」 
 
 ヘルマンが、黙って続きを促す。 
 
 「本来なら、互助には“待機期間”を設けるべきなんです」 
 
 私は、ギルドでユリウスに教わった言葉をそのまま使った。 
 
 「“契約した瞬間から全部守ります”ってしてしまうと、“怪我をしてから駆け込む”人が増えるから。 
 だから、普通は“契約してから一ヶ月は大きな怪我には使えません”みたいな決まりを作るんです」 
 
 「でも、今回それは……」 
 
 「はい。 
 ここに来る前から、その話はユリウスさんと何度もしていました。 
 
 “待機期間を設けるべきだけど、辺境では説明の前に怪我をする人が出るかもしれない”。 
 その場合、どうするか」 
 
 私は、ペン先をぎゅっと握る。 
 
 「結論として、“今回に限っては、待機期間を撤廃する”ことにします。 
 今日署名した人たちにも、“互助からの三割”は出します」 
 
 「特例中の特例、だな」 
 
 ヘルマンが、苦笑する。 
 
 「その代わり——」 
 
 私は、きっぱりと言った。 
 
 「今後、砦で新しく制度に入る人には、“一週間の待機期間”を設けます。 
 “説明を聞いてから怪我をするまでのあいだ”に、せめて一度は訓練か当直を挟んでもらうために」 
 
 “怪我してから駆け込む互助”を防ぐために。 
 そして、“今日の混乱を繰り返さないために”。 
 
 「……よく決めたな」 
 
 ヘルマンが、低く言った。 
 
 「“優しい顔して、線を引くときはちゃんと引く”のか」 
 
 「優しい顔してるかは、自信ないですけど」 
 
 私が苦笑すると、ユリウスがさらりと付け足した。 
 
 「優しいかどうかはともかく、君は“曖昧なままにして逃げる”という選択肢を持っていない」 
 
 「褒めてます?」 
 
 「財務官からすれば、非常に扱いづらいタイプだ」 
 
 「褒めてないですね」 
 
 その軽口に、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。 
 
 ◇◇◇ 
 
 最終的に、その夜決まったこと—— 
 
 ・今回の重傷者の治療費は、 
 互助三割・砦の予算二割・戦時特別金五割で賄う。 
 
 ・辺境砦の兵の掛け金は、半年間“半額”とする。 
 その赤字分は、王国財務省と“医療互助制度調整室(仮)”が国庫から補填する。 
 
 ・今後、砦で新しく互助に入る兵には、“一週間の待機期間”を設ける。 
 ただし、その間に発生した小さな怪我については、治療費の一部補助を検討する。 
 
 ・今回の特例措置は、すべて詳細に記録し、“最初の戦地試験”として報告書にまとめる。 
 
 ——どれも、完璧な答えじゃない。 
 
 誰かが損をしないようにすれば、別の誰かが余計に負担する。 
 互助も国庫も砦も、どこかで血を流す。 
 
 それでも。 
 
 「これが、今夜の“ここまで守る”の線か」 
 
 ヘルマンの言葉に、私は静かに頷いた。 
 
 「はい。 
 “この線より奥”には、互助も、砦も、国も一緒に入ります」 
 
 「そして、“この線より先”は?」 
 
 「……それでも漏れてしまうところは、きっとあります」 
 
 胸が痛んだ。 
 
 「でも、“漏れたから仕方ない”で終わらせないように、記録を残します。 
 “守れなかった理由”を、次の線引きにちゃんと持っていくために」 
 
 ヘルマンが、ふっと笑った。 
 
 「やっぱり、お前は聖女だよ」 
 
 「いえ、信仰心が足りない聖女です」 
 
 「信仰心が足りないやつほど、こういう面倒くさいことを諦めねえのかもな」 
 
 ◇◇◇ 
 
 夜明け前。 
 
 医務室の窓の外が、ようやく薄く白んできたころ、私は机に突っ伏しそうな頭をなんとか持ち上げた。 
 
 目の前には、乱雑な数字と走り書きだらけの紙束。 
 
 その一番上に、震える手でタイトルを書く。 
 
 『辺境砦第一次襲撃における医療互助制度適用記録』 
 
 そして、小さく一行を付け足した。 
 
 『——これは、守れなかった約束を書き残すための報告書でもある』 
 
 ペン先が止まった瞬間、涙が一滴だけ紙の上に落ちた。 
 
 悔しさでも、悲しさでもなく、 
 それでもまだ続けようとしている自分のしぶとさに、少しだけ呆れた涙だった。 
 
 「……リゼル」 
 
 いつの間にか隣に来ていたユリウスが、静かに言う。 
 
 「報告書の最後の一行、見せてもらった」 
 
 「盗み見ですか」 
 
 「机の真ん中に置いてあるものを“盗み見”とは言わない」 
 
 彼は、珍しくわずかに口元を緩めた。 
 
 「いい一行だ」 
 
 「上に怒られません?」 
 
 「怒られたら、“現場担当の筆の勢いです”と言っておく」 
 
 「ひどい責任転嫁ですね」 
 
 それでも、少しだけ笑えた。 
 
 砦の外では、朝日が黒い山脈の向こうから顔を出し始めている。 
 
 ——この夜、私たちが引いた線が、正しかったかどうかなんて、きっとすぐには分からない。 
 
 それでも。 
 
 「守れる約束だけを書きたければ、 
 こんな砦まで来る必要なんてなかった」 
 
 私は、そう心の中でつぶやきながら、 
 新しい紙を一枚、ゆっくりと机の上に置いた。 
 
 次の線を、また少しだけマシに引くために。
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