20 / 25
第20話 砦の夜と、「ここまで守る」と決める線
しおりを挟む——一晩で、砦の命の値段を決めることになった。
しかも、血の匂いがまだ抜けない医務室の端っこで。
◇◇◇
「互助の箱の残高、これが全部か」
ヘルマン隊長が、ざらついた指で布袋の口を広げた。
中には、銀貨と銅貨がわずかに光っている。
砦の医務室の隅、空いていた作業台を急ごしらえの会議机にして、
私はヘルマン、ユリウス、砦付きの治療師と向かい合って座っていた。
周りのベッドでは、兵たちが浅い眠りと唸り声のあいだをさまよっている。
誰かのうなされる声が、時々話を遮った。
「……はい。
今日までに集まった掛け金が、そのくらいです」
私は、喉をからからにしながら頷いた。
予定していたより、ずっと早く“最初の大波”が来てしまった。
ユリウスが、淡々と紙に数字を書きつける。
「重傷者十二名。
通常どおり治療した場合、一人あたり治療費およそ金貨一枚強。
合計すると——」
さらさらとペン先が走り、静かな溜息が落ちた。
「互助の残高のおよそ三倍だ」
「三倍、ね」
ヘルマンが、鼻で笑った。
「“掛け金をちょっと集めたら、何とかなる”なんて甘えた話じゃねえってことだな」
分かっていたことだけど、数字として突きつけられると胃が痛い。
◇◇◇
「互助の箱だけで、全部を賄おうとするのは不可能です」
私は、はっきりと言った。
「さっきもお伝えしましたが、“互助として”出せるのは、重傷者の治療費の三割が限界です」
「残りの七割は?」
砦付きの治療師が、疲れ切った目でこちらを見る。
「“家族に借金背負わせる”なんて選択肢、俺はもう見たくねえぞ」
その声には、何人分もの悔しさが染み込んでいた。
私は、そっと拳を握りしめた。
「……互助ではなく、“砦の予算”と“王国の戦時特別金”で、残りを補う形を提案したいです」
「戦時特別金?」
ヘルマンが眉を上げる。
ユリウスが、そこで口を開いた。
「今回のような“大規模な一斉負傷”は、もはや“日常の怪我”の範疇ではない。
“戦争のコスト”として扱うべきだ、と本省でも議論があった」
彼は、手元の紙を指で軽く叩く。
「互助の目的は、“日常の怪我や病気”の治療費を平準化すること。
だが、“戦場に大量の負傷者が出たとき”まで同じ財布で見ようとすれば、互助そのものが破綻する」
「つまり、“戦地での怪我”は、別枠で考えろと」
「そうだ」
ユリウスは頷いた。
「互助で出すのは、あくまで“日常レベルの上限”まで。
それを超えた分は、“王国が戦争という選択をしたツケ”として、国庫から払うべきだと私は考えている」
その言い方には、いつもの無機質な財務官らしからぬ棘があった。
ヘルマンが、じっと彼を見据える。
「随分、思い切ったことを言うな」
「現場を見ましたから」
ユリウスは、淡々と答えた。
「この砦で倒れている兵士たちは、“互助の数字をいじって節約するための駒”ではない」
医務室に、短い静寂が落ちる。
◇◇◇
「具体的にどうするんだ」
ヘルマンが、核心を突いた。
「互助で三割。
残り七割を、“砦の予算”と“国庫”でどう分ける?」
私の手元には、既にざっくりとした案が書かれた紙がある。
「まず、“互助から出す三割”は、全員平等です」
私は、紙を指でなぞりながら言った。
「契約書に、“互助は日常の怪我・病気に対して、治療費のほぼ全額を負担する”とあります。
今回は規模が想定外なので、“特例として一律三割”とし、その代わり——」
「代わり?」
「“この砦の兵士の掛け金は、しばらくのあいだ半額にする”という案はどうでしょう」
ヘルマンの目が見開かれた。
「半額? なんでだ」
「“最初の波に巻き込まれた責任”は、制度を作った側にもあるからです」
喉が焼けるように乾いているのに、声だけははっきり出た。
「始めるのが遅かった。
説明が間に合わなかった。
だから、“十分な積立金ができる前に被害が出た分”については、“制度側の落ち度”でもあります。
その分だけ、しばらく掛け金を軽くすることで、ここでの負担を少しでも減らしたいんです」
それは、財務官としては褒められた案ではないかもしれない。
けれど、制度を提案した聖女としては、どうしても譲れないところだった。
「……滅茶苦茶、赤字になるぞ」
砦付きの治療師が、半ば呆れたように言う。
「だからこそ、“戦時特別金”です」
ユリウスが、そこで口を挟んだ。
「互助の赤字分を、国庫が穴埋めする。
同時に、“辺境砦に限る戦地特例”として、一定期間、掛け金半額を認めるよう本省に掛け合う」
「通るのか、そんな話」
「通させる」
いつになく強い口調に、私もヘルマンも目を瞬いた。
「“机を蹴飛ばす覚悟のある現場担当”がいるんです」
ユリウスが、さらりととんでもないことを言う。
「それに、“最初の試験で現場を見捨てた制度”が、国の事業になるわけがない」
ヘルマンが、ふっと笑った。
「なるほど。
“最初の戦”で逃げるやつに、背中預けられねえのは、兵も制度も同じってことだな」
「はい」
私は、自分の胸をトンと叩いた。
「逃げません。
“どこまで守れるか”をここで決めて、その代わり、“守ると決めたところ”からは逃げません」
◇◇◇
「もう一つ、線を引きたいことがあります」
私は、紙の端に新しい項目を書き込んだ。
「今回、契約してすぐに怪我をした人たち……“今日の説明を聞いて、その日のうちに署名した兵士”についてです」
ヘルマンが、黙って続きを促す。
「本来なら、互助には“待機期間”を設けるべきなんです」
私は、ギルドでユリウスに教わった言葉をそのまま使った。
「“契約した瞬間から全部守ります”ってしてしまうと、“怪我をしてから駆け込む”人が増えるから。
だから、普通は“契約してから一ヶ月は大きな怪我には使えません”みたいな決まりを作るんです」
「でも、今回それは……」
「はい。
ここに来る前から、その話はユリウスさんと何度もしていました。
“待機期間を設けるべきだけど、辺境では説明の前に怪我をする人が出るかもしれない”。
その場合、どうするか」
私は、ペン先をぎゅっと握る。
「結論として、“今回に限っては、待機期間を撤廃する”ことにします。
今日署名した人たちにも、“互助からの三割”は出します」
「特例中の特例、だな」
ヘルマンが、苦笑する。
「その代わり——」
私は、きっぱりと言った。
「今後、砦で新しく制度に入る人には、“一週間の待機期間”を設けます。
“説明を聞いてから怪我をするまでのあいだ”に、せめて一度は訓練か当直を挟んでもらうために」
“怪我してから駆け込む互助”を防ぐために。
そして、“今日の混乱を繰り返さないために”。
「……よく決めたな」
ヘルマンが、低く言った。
「“優しい顔して、線を引くときはちゃんと引く”のか」
「優しい顔してるかは、自信ないですけど」
私が苦笑すると、ユリウスがさらりと付け足した。
「優しいかどうかはともかく、君は“曖昧なままにして逃げる”という選択肢を持っていない」
「褒めてます?」
「財務官からすれば、非常に扱いづらいタイプだ」
「褒めてないですね」
その軽口に、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
◇◇◇
最終的に、その夜決まったこと——
・今回の重傷者の治療費は、
互助三割・砦の予算二割・戦時特別金五割で賄う。
・辺境砦の兵の掛け金は、半年間“半額”とする。
その赤字分は、王国財務省と“医療互助制度調整室(仮)”が国庫から補填する。
・今後、砦で新しく互助に入る兵には、“一週間の待機期間”を設ける。
ただし、その間に発生した小さな怪我については、治療費の一部補助を検討する。
・今回の特例措置は、すべて詳細に記録し、“最初の戦地試験”として報告書にまとめる。
——どれも、完璧な答えじゃない。
誰かが損をしないようにすれば、別の誰かが余計に負担する。
互助も国庫も砦も、どこかで血を流す。
それでも。
「これが、今夜の“ここまで守る”の線か」
ヘルマンの言葉に、私は静かに頷いた。
「はい。
“この線より奥”には、互助も、砦も、国も一緒に入ります」
「そして、“この線より先”は?」
「……それでも漏れてしまうところは、きっとあります」
胸が痛んだ。
「でも、“漏れたから仕方ない”で終わらせないように、記録を残します。
“守れなかった理由”を、次の線引きにちゃんと持っていくために」
ヘルマンが、ふっと笑った。
「やっぱり、お前は聖女だよ」
「いえ、信仰心が足りない聖女です」
「信仰心が足りないやつほど、こういう面倒くさいことを諦めねえのかもな」
◇◇◇
夜明け前。
医務室の窓の外が、ようやく薄く白んできたころ、私は机に突っ伏しそうな頭をなんとか持ち上げた。
目の前には、乱雑な数字と走り書きだらけの紙束。
その一番上に、震える手でタイトルを書く。
『辺境砦第一次襲撃における医療互助制度適用記録』
そして、小さく一行を付け足した。
『——これは、守れなかった約束を書き残すための報告書でもある』
ペン先が止まった瞬間、涙が一滴だけ紙の上に落ちた。
悔しさでも、悲しさでもなく、
それでもまだ続けようとしている自分のしぶとさに、少しだけ呆れた涙だった。
「……リゼル」
いつの間にか隣に来ていたユリウスが、静かに言う。
「報告書の最後の一行、見せてもらった」
「盗み見ですか」
「机の真ん中に置いてあるものを“盗み見”とは言わない」
彼は、珍しくわずかに口元を緩めた。
「いい一行だ」
「上に怒られません?」
「怒られたら、“現場担当の筆の勢いです”と言っておく」
「ひどい責任転嫁ですね」
それでも、少しだけ笑えた。
砦の外では、朝日が黒い山脈の向こうから顔を出し始めている。
——この夜、私たちが引いた線が、正しかったかどうかなんて、きっとすぐには分からない。
それでも。
「守れる約束だけを書きたければ、
こんな砦まで来る必要なんてなかった」
私は、そう心の中でつぶやきながら、
新しい紙を一枚、ゆっくりと机の上に置いた。
次の線を、また少しだけマシに引くために。
0
あなたにおすすめの小説
ゴミスキルと追放された【万物鑑定】の俺、実は最強でした。Sランクパーティが崩壊する頃、俺は伝説の仲間と辺境で幸せに暮らしています
黒崎隼人
ファンタジー
Sランク勇者パーティのお荷物扱いされ、「ゴミスキル」と罵られて追放された鑑定士のアッシュ。
失意の彼が覚醒させたのは、森羅万象を見通し未来さえも予知する超チートスキル【万物鑑定】だった!
この力を使い、アッシュはエルフの少女や凄腕の鍛冶師、そして伝説の魔獣フェンリル(もふもふ)といった最強の仲間たちを集め、辺境の町を大発展させていく。
一方、彼を追放した勇者たちは、アッシュのサポートを失い、ダンジョンで全滅の危機に瀕していた――。
「今さら戻ってこい? お断りだ。俺はこっちで幸せにやってるから」
底辺から駆け上がる痛快逆転ファンタジー、ここに開幕!
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
爺さんの異世界建国記 〜荒廃した異世界を農業で立て直していきます。いきなりの土作りはうまくいかない。
秋田ノ介
ファンタジー
88歳の爺さんが、異世界に転生して農業の知識を駆使して建国をする話。
異世界では、戦乱が絶えず、土地が荒廃し、人心は乱れ、国家が崩壊している。そんな世界を司る女神から、世界を救うように懇願される。爺は、耳が遠いせいで、村長になって村人が飢えないようにしてほしいと頼まれたと勘違いする。
その願いを叶えるために、農業で村人の飢えをなくすことを目標にして、生活していく。それが、次第に輪が広がり世界の人々に希望を与え始める。戦争で成人男性が極端に少ない世界で、13歳のロッシュという若者に転生した爺の周りには、ハーレムが出来上がっていく。徐々にその地に、流浪をしている者たちや様々な種族の者たちが様々な思惑で集まり、国家が出来上がっていく。
飢えを乗り越えた『村』は、王国から狙われることとなる。強大な軍事力を誇る王国に対して、ロッシュは知恵と知識、そして魔法や仲間たちと協力して、その脅威を乗り越えていくオリジナル戦記。
完結済み。全400話、150万字程度程度になります。元は他のサイトで掲載していたものを加筆修正して、掲載します。一日、少なくとも二話は更新します。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
【完結】契約結婚は円満に終了しました ~勘違い令嬢はお花屋さんを始めたい~
九條葉月
ファンタジー
【ファンタジー1位獲得!】
【HOTランキング1位獲得!】
とある公爵との契約結婚を無事に終えたシャーロットは、夢だったお花屋さんを始めるための準備に取りかかる。
花を包むビニールがなければ似たような素材を求めてダンジョンに潜り、吸水スポンジ代わりにスライムを捕まえたり……。そうして準備を進めているのに、なぜか店の実態はお花屋さんからかけ離れていって――?
異世界で目覚めたら、もふもふ騎士団に保護されてました ~ちびっ子だけど、獣人たちの平穏のためお世話係がんばります!!~
ありぽん
ファンタジー
神のミスで命を落とした芽依は、お詫びとして大好きな異世界へ転生させてもらえることに。だが転生の際、またしても神のミスで、森の奥地に幼女の姿で送られてしまい。転生の反動で眠っていた瞳は、気づかないうちに魔獣たちに囲まれてしまう。
しかしそんな危機的状況の中、森を巡回していた、獣人だけで構成された獣騎士団が駆け付けてくれ、芽依はどうにかこの窮地を切り抜けることができたのだった。
やがて目を覚ました芽依は、初めは混乱したものの、すぐに現状を受け入れ。またその後、同じ種族の人間側で保護する案も出たが、ある事情により、芽依はそのまま獣騎士団の宿舎で暮らすことに。
そこで芽依は、助けてくれた獣騎士たちに恩を返すため、そして日々厳しい任務に向かう獣人たちが少しでも平穏に過ごせるようにと、お世話係を買って出る。
そんな芽依に、当初は不安だった獣人たちだったが、元気で明るい瞳の存在は、次第に獣人たちの力となっていくのだった。
これはちびっ子転生者の芽依が、獣人や魔獣たちのために奮闘し、癒しとなっていく。そんな、ほっこりまったり? な物語。
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
乙女ゲームに転生したら不遇ヒロインでしたが、真エンドは自分で選びます
タマ マコト
ファンタジー
社畜のように他人の期待に応える人生を送り、事故で命を落とした朝霧玲奈は、かつて遊んでいた乙女ゲームの世界に“不遇ヒロイン”として転生する。
努力しても報われず、最終的に追放される役割を知った彼女は、誰かに選ばれる物語を拒否し、自分の意志で生きることを決意する。
さて、物語はどう変化するのか……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる