24 / 40
24 迷える二人
しおりを挟む
城の北に寝屋川が流れている。ここにも橋が架かっている。
京橋といった。
京街道へ続く起点にあたる橋である。
おときは、京橋のたもとで、久富大志郎を待っていた。
逢瀬ではない。
大志郎が謹慎長屋を抜け出したことを伝え聴いて、職人を奔らせ、ようやく大志郎からの伝言を受け取ったのである。
「師匠はどこだ?」
開口一番、大志郎はおときに言った。
「あ、モン様なら御用事で……」
「モン様? おまえ、近松門左衛門を、習字の師匠だとごまかしたな!どうして、浄瑠璃作者が、お民の事件に首を突っ込んでくるんだ! これを元に台本でも書こうとしているんだろ?」
「・・・・・・・」
「おれが言った師匠は、近松のことではないぞ」
まさしく大志郎が言ったのは、剣の師匠、伊左次のことである。寺島の職人と分部家の中間を問い詰め、大志郎は伊左次が江戸からやってきた浪人に仇と狙われていることを嗅ぎつけたのである……。
「イサさんがどこに居るのか、うち、ほんま、知らん。だあれも教えてくれへんねん」
「おまえ、淀辰に会いにいったそうだな」
「うん、お民ちゃんとのなれそめだけは聴いた……あさって、また、続きを教えてくれる約束やねん」
「え? また会いに行くのか!」
大志郎は二の句が継げない。どうやら、お上も関わっているらしいのだから、急におときの身が心配になった。かれはかれで、おときを実の妹のようにもおもっていたのだ。
「……淀辰はん、そんなに悪いお人じゃないような気がするわ。なんかこう、もうどうでもええわ、みたいな気になってはるようやった……」
「それはどういうことだ?」
「周りのもんに、ええように使われているだけやないかなぁ、うち、そんな気がした……ようわからんけど」
「あ、の、な、ようわからん、って、どういうことだ!」
大志郎が怒っているのは、おときが勝手に淀辰に会いにいったり、兄とも慕ってきた分部宗一郎から、絶縁めいたことばを吐かれたりと、このところ自分だけが蚊帳の外に置かれていることに苛立っていたのかもしれない。
「……お民を殺した奴は、必ずおれが捕まえてやる!」
「あ!大志郎はんも、相対死じゃないと思っていてくれてたんや」
「・・・・・・」
……素直に大志郎はうなづけなかった。実は、かれが疑念を抱いたのは、お民の腹に刺さっていた包丁が、どこかに消え失せたことを知ったからである。証拠物が無くなるというのは、まず、ありえないことだ。それが可能になるのは、奉行所内部に………。
ざっと事情を説明すると、おときは飛び上がらんばかりに驚いた。
「や。やっぱり……包丁を隠したのは、お奉行所のお役人しか、おれへンちゅうことやない?」
「こら、おときっ、滅多なことを口に出すな!」
大志郎は拳を握って、おときの頭を叩くふりをしながら怒鳴った。
「だって……ほんまに、おかしすぎるわ」
たしかに誰がどう考えても不可解である。
おときは、西海屋徳右衛門に呼びかけられたこと、真犯人を自首させると言っていたことを大志郎に告げた。
「西海屋?……」
あるいは水面下で分部宗一郎が差配する探索目附の手の者が、いまだにあれこれと探っているらしかった。
「墨屋の清兵衛? 誰だ、そいつは?」
「うちもわからん。分部様のお屋敷に人をやっても、門前払いなんや。……それに、お駒さんちゅう人も、なんぼ探しても見つからへん」
「お、お駒……とは誰だ?」
先ほどから登場する人名に大志郎は整理がつかない。
「お駒さんは、淀辰はんのお妾はんで……お民ちゃんが淀辰はんと出会って……」
……お民との間でなにかが起こったのではないかと、おときは言った。
「……京橋に住んでたそうやから、朝から探してたんやけんど、お駒さん、見つからへん」
なるほどおときが京橋を待ち合わせ場所に指定してきた理由というものが、ようやく大志郎にもみえてきた。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりであった。
「ねえ、大志郎のだんなさま……」
……急に媚を売るような口調になって、おときは、大志郎の肩をそっと撫でた。
「おい、よしてくれ。そんな見え透いた芝居は! なにが、旦那さま、だ。手のひらを返したように、甘えたような声を出しやがって……」
大志郎は本気で怒っている。
それは自分が置かれている立場を配慮するあまり、かつて敵前逃亡してしまいそうになっていたおのれ自身に対する怒りというものであったかもしれない。
「う、うちは、お民ちゃんがなんで殺されなければならなかったのか、真相を突き止めたいだけなんや! 大志郎はん、分部様にそのあたりの事情を聴いてみておくれやす。墨屋の清兵衛ちゅう人、お奉行所やなくて分部様のところに自首するかもしれへんから、大志郎はんも立ち合ってほしいんや……」
おときの瞳は潤んでいた。その真摯な思いをぶつけられて、大志郎はふいに言葉に詰まった。そんなおときのさまを見たくないと思ってか、そのままぷいと顔をそむけた。
京橋といった。
京街道へ続く起点にあたる橋である。
おときは、京橋のたもとで、久富大志郎を待っていた。
逢瀬ではない。
大志郎が謹慎長屋を抜け出したことを伝え聴いて、職人を奔らせ、ようやく大志郎からの伝言を受け取ったのである。
「師匠はどこだ?」
開口一番、大志郎はおときに言った。
「あ、モン様なら御用事で……」
「モン様? おまえ、近松門左衛門を、習字の師匠だとごまかしたな!どうして、浄瑠璃作者が、お民の事件に首を突っ込んでくるんだ! これを元に台本でも書こうとしているんだろ?」
「・・・・・・・」
「おれが言った師匠は、近松のことではないぞ」
まさしく大志郎が言ったのは、剣の師匠、伊左次のことである。寺島の職人と分部家の中間を問い詰め、大志郎は伊左次が江戸からやってきた浪人に仇と狙われていることを嗅ぎつけたのである……。
「イサさんがどこに居るのか、うち、ほんま、知らん。だあれも教えてくれへんねん」
「おまえ、淀辰に会いにいったそうだな」
「うん、お民ちゃんとのなれそめだけは聴いた……あさって、また、続きを教えてくれる約束やねん」
「え? また会いに行くのか!」
大志郎は二の句が継げない。どうやら、お上も関わっているらしいのだから、急におときの身が心配になった。かれはかれで、おときを実の妹のようにもおもっていたのだ。
「……淀辰はん、そんなに悪いお人じゃないような気がするわ。なんかこう、もうどうでもええわ、みたいな気になってはるようやった……」
「それはどういうことだ?」
「周りのもんに、ええように使われているだけやないかなぁ、うち、そんな気がした……ようわからんけど」
「あ、の、な、ようわからん、って、どういうことだ!」
大志郎が怒っているのは、おときが勝手に淀辰に会いにいったり、兄とも慕ってきた分部宗一郎から、絶縁めいたことばを吐かれたりと、このところ自分だけが蚊帳の外に置かれていることに苛立っていたのかもしれない。
「……お民を殺した奴は、必ずおれが捕まえてやる!」
「あ!大志郎はんも、相対死じゃないと思っていてくれてたんや」
「・・・・・・」
……素直に大志郎はうなづけなかった。実は、かれが疑念を抱いたのは、お民の腹に刺さっていた包丁が、どこかに消え失せたことを知ったからである。証拠物が無くなるというのは、まず、ありえないことだ。それが可能になるのは、奉行所内部に………。
ざっと事情を説明すると、おときは飛び上がらんばかりに驚いた。
「や。やっぱり……包丁を隠したのは、お奉行所のお役人しか、おれへンちゅうことやない?」
「こら、おときっ、滅多なことを口に出すな!」
大志郎は拳を握って、おときの頭を叩くふりをしながら怒鳴った。
「だって……ほんまに、おかしすぎるわ」
たしかに誰がどう考えても不可解である。
おときは、西海屋徳右衛門に呼びかけられたこと、真犯人を自首させると言っていたことを大志郎に告げた。
「西海屋?……」
あるいは水面下で分部宗一郎が差配する探索目附の手の者が、いまだにあれこれと探っているらしかった。
「墨屋の清兵衛? 誰だ、そいつは?」
「うちもわからん。分部様のお屋敷に人をやっても、門前払いなんや。……それに、お駒さんちゅう人も、なんぼ探しても見つからへん」
「お、お駒……とは誰だ?」
先ほどから登場する人名に大志郎は整理がつかない。
「お駒さんは、淀辰はんのお妾はんで……お民ちゃんが淀辰はんと出会って……」
……お民との間でなにかが起こったのではないかと、おときは言った。
「……京橋に住んでたそうやから、朝から探してたんやけんど、お駒さん、見つからへん」
なるほどおときが京橋を待ち合わせ場所に指定してきた理由というものが、ようやく大志郎にもみえてきた。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりであった。
「ねえ、大志郎のだんなさま……」
……急に媚を売るような口調になって、おときは、大志郎の肩をそっと撫でた。
「おい、よしてくれ。そんな見え透いた芝居は! なにが、旦那さま、だ。手のひらを返したように、甘えたような声を出しやがって……」
大志郎は本気で怒っている。
それは自分が置かれている立場を配慮するあまり、かつて敵前逃亡してしまいそうになっていたおのれ自身に対する怒りというものであったかもしれない。
「う、うちは、お民ちゃんがなんで殺されなければならなかったのか、真相を突き止めたいだけなんや! 大志郎はん、分部様にそのあたりの事情を聴いてみておくれやす。墨屋の清兵衛ちゅう人、お奉行所やなくて分部様のところに自首するかもしれへんから、大志郎はんも立ち合ってほしいんや……」
おときの瞳は潤んでいた。その真摯な思いをぶつけられて、大志郎はふいに言葉に詰まった。そんなおときのさまを見たくないと思ってか、そのままぷいと顔をそむけた。
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~
古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」
天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた――
信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。
清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。
母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。
自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。
友と呼べる存在との出会い。
己だけが見える、祖父・信長の亡霊。
名すらも奪われた絶望。
そして太閤秀吉の死去。
日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。
織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。
関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」
福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。
「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。
血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。
※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。
※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる