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決闘!天神ノ森 (二)
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風が舞っている。
落陽のきらめきが小枝の隙間から洩れていた。
駆け寄ってくるおときの姿は、その木漏れ日が散った残香のように大志郎の目には映った。
「や!」
誰が叫んだのか、短い、咳払いに似た声が、音が……おときが走ったあとから鳥の鳴き声のように落ちてきた。
いや、まさしく、堕ちてきたのである……。
バサッ、バタッと音を響かせて地に堕ちてきたのは、浪人たちの仲間、いや、黒装束で枝に潜んでいた隠密どもであった。ひとり、ふたり……と堕ちて、のたうち回っていた。
おときの仕業ではあるまい。
大志郎は視たのだ。
猿のように身軽に木から木へ、枝から枝へ飛び移っている数人の小柄な男たちを……。かれらが黒装束を枝から蹴落としたのであったろう。
しかも、男たちは同じ紋様が染められた法被を着ているのが、大志郎にはみえた。馴染みのあるその紋様は、〈寺〉の一字を花になぞられたもので、まさしく、寺島の職人着にちがいなかった。
(ひゃあ、助かった!)
口には出さず大志郎は天に謝した。寺島には、古く根来衆や雑賀衆の落人らが雇われたと聴き及んでいた。おそらくその末裔たちであったろう。身軽な技だけでなく、代々の秘技なるものを受け継いてきたのであったろう。
(恐るべし……寺島の底力……)
そう大志郎は察した。こんな得体の知れない職人たちが居る寺島家に、入婿を競う諸藩の武士たちは、深層に気づけば驚愕するにちがいない。
大志郎はきを引き締めた。かれらの助力を得たとしても、いまだ窮地に居ることには変わりない……。
いつの間にかおときが大志郎のすぐそばに来ていた。
右手に〈おとき瓦〉、左手には〈扇〉を握ったまま、浪人たちを睨んでいる。
(なんとまあ、恐れを知らぬ女子だ……)
いまさらながら大志郎は驚いた。
「モン様はどこ?」
大志郎のかおを見ずにおときが叫んだ。かれにではなく、浪人たちに向かって発してしたのであったろう。
答えたのは、大志郎である。すでに敵との間合いを詰める余裕が戻ってきていた。
「モン様だと?……あ、あの、近松のことか!」
「森で会うと、使いの者が……」
「さては、罠に嵌められたのだな……近松の名を騙って、おまえをおびき寄せたんだ……おれには救いの神だったがな」
おそらくそうに違いないと大志郎はおもった。たまたまここに足を向けたために、浪人どもから襲われるはめになった……。
つまりは、おときは救いの神どころか疫病神なのかもしれぬと、大志郎は思い直した。
目の前の四人の浪人は動かない。
抜刀してはいないものの、依然として殺気は納まってはいない。
あれほど仇がどうだのこうだのと喚いていた福島源蔵は、四人から離れたところで、腰を抜かしたかのように震えていた。これでは、かりに伊左次と対しても、まともに闘うことなどできないだろう。
「さあ、どうする?」
大志郎が言った。
「まだいのちのやりとりをする気ならば、とことん相手になってやる……が、どうやらお前らのほうが形勢不利だと思うがな」
これは大志郎なりのはったりであった。今なお、おときや寺島の職人らが助勢してくれたとしても、目の前の四人の腕前ははるかに上だ、と大志郎は見切っていた。それでもあえてぞんざいにほざいてみせたのは、おときに害を及ぼさないためには捨て身になるしかなかったからであろう。
おときはおときで、勝敗の末などには思念が及んでいない。結果はどうあれ目の前の敵と対峙することしか考えていない。
じり、じり。
草鞋が地を摺る音が、それぞれの吐く息のように大志郎の耳を撃った。
じり、じり、じり。
ずり、ずり、ずり。
「ひゃあ」と、叫んだのは、寺島の職人のひとりである。
「あ、あれを!」
指差したほうをみると、灯をいれた提灯が幾つも揺れながら近づいてくるのが見えた。まだ、日は暮れてはいないが、まもなく提灯が必要になる頃合いになる。
三つ、四つ、いや、八つ、九つ……人数は多いようだった。
「ちえっ」と、浪人の一人か吐き捨てると、それが合図であったのだろう、それぞれが後退り、地に呻いている仲間の黒装束を抱き上げて、そのまま、ゆっくりと去っていった……。
「ふう……いのち拾いしたな」
大志郎が安堵の吐息を洩らした。命拾いした、という意味がおときには分からないらしかった。やはりそれはおときは剣客ではないから、詰めが甘いのだろう。
「ひゃあ、モン様っ!」
叫びながらおときが駆け寄った相手は、まさしく近松門左衛門であった。
「おお、ご無事かの。わしの名を騙って、呼び出されたと聴いたでな……」
そう言った近松の両の手にひとつずつ提灯がさげられていた。
しかも、近松に付き従っていたのは寺島の職人でたった二人。釣り竿につるした提灯を肩に背負い、手にもぶらさげ、口にも咥えていた……。
「人手が足りんでな……」
照れて笑う近松にいきなりおときがガバッと抱きついた。その様子をみて、
(抱きつくならば、おれのほうだろうが……)
と、大志郎は近松を睨んだが、もとより口には出さなかった。
落陽のきらめきが小枝の隙間から洩れていた。
駆け寄ってくるおときの姿は、その木漏れ日が散った残香のように大志郎の目には映った。
「や!」
誰が叫んだのか、短い、咳払いに似た声が、音が……おときが走ったあとから鳥の鳴き声のように落ちてきた。
いや、まさしく、堕ちてきたのである……。
バサッ、バタッと音を響かせて地に堕ちてきたのは、浪人たちの仲間、いや、黒装束で枝に潜んでいた隠密どもであった。ひとり、ふたり……と堕ちて、のたうち回っていた。
おときの仕業ではあるまい。
大志郎は視たのだ。
猿のように身軽に木から木へ、枝から枝へ飛び移っている数人の小柄な男たちを……。かれらが黒装束を枝から蹴落としたのであったろう。
しかも、男たちは同じ紋様が染められた法被を着ているのが、大志郎にはみえた。馴染みのあるその紋様は、〈寺〉の一字を花になぞられたもので、まさしく、寺島の職人着にちがいなかった。
(ひゃあ、助かった!)
口には出さず大志郎は天に謝した。寺島には、古く根来衆や雑賀衆の落人らが雇われたと聴き及んでいた。おそらくその末裔たちであったろう。身軽な技だけでなく、代々の秘技なるものを受け継いてきたのであったろう。
(恐るべし……寺島の底力……)
そう大志郎は察した。こんな得体の知れない職人たちが居る寺島家に、入婿を競う諸藩の武士たちは、深層に気づけば驚愕するにちがいない。
大志郎はきを引き締めた。かれらの助力を得たとしても、いまだ窮地に居ることには変わりない……。
いつの間にかおときが大志郎のすぐそばに来ていた。
右手に〈おとき瓦〉、左手には〈扇〉を握ったまま、浪人たちを睨んでいる。
(なんとまあ、恐れを知らぬ女子だ……)
いまさらながら大志郎は驚いた。
「モン様はどこ?」
大志郎のかおを見ずにおときが叫んだ。かれにではなく、浪人たちに向かって発してしたのであったろう。
答えたのは、大志郎である。すでに敵との間合いを詰める余裕が戻ってきていた。
「モン様だと?……あ、あの、近松のことか!」
「森で会うと、使いの者が……」
「さては、罠に嵌められたのだな……近松の名を騙って、おまえをおびき寄せたんだ……おれには救いの神だったがな」
おそらくそうに違いないと大志郎はおもった。たまたまここに足を向けたために、浪人どもから襲われるはめになった……。
つまりは、おときは救いの神どころか疫病神なのかもしれぬと、大志郎は思い直した。
目の前の四人の浪人は動かない。
抜刀してはいないものの、依然として殺気は納まってはいない。
あれほど仇がどうだのこうだのと喚いていた福島源蔵は、四人から離れたところで、腰を抜かしたかのように震えていた。これでは、かりに伊左次と対しても、まともに闘うことなどできないだろう。
「さあ、どうする?」
大志郎が言った。
「まだいのちのやりとりをする気ならば、とことん相手になってやる……が、どうやらお前らのほうが形勢不利だと思うがな」
これは大志郎なりのはったりであった。今なお、おときや寺島の職人らが助勢してくれたとしても、目の前の四人の腕前ははるかに上だ、と大志郎は見切っていた。それでもあえてぞんざいにほざいてみせたのは、おときに害を及ぼさないためには捨て身になるしかなかったからであろう。
おときはおときで、勝敗の末などには思念が及んでいない。結果はどうあれ目の前の敵と対峙することしか考えていない。
じり、じり。
草鞋が地を摺る音が、それぞれの吐く息のように大志郎の耳を撃った。
じり、じり、じり。
ずり、ずり、ずり。
「ひゃあ」と、叫んだのは、寺島の職人のひとりである。
「あ、あれを!」
指差したほうをみると、灯をいれた提灯が幾つも揺れながら近づいてくるのが見えた。まだ、日は暮れてはいないが、まもなく提灯が必要になる頃合いになる。
三つ、四つ、いや、八つ、九つ……人数は多いようだった。
「ちえっ」と、浪人の一人か吐き捨てると、それが合図であったのだろう、それぞれが後退り、地に呻いている仲間の黒装束を抱き上げて、そのまま、ゆっくりと去っていった……。
「ふう……いのち拾いしたな」
大志郎が安堵の吐息を洩らした。命拾いした、という意味がおときには分からないらしかった。やはりそれはおときは剣客ではないから、詰めが甘いのだろう。
「ひゃあ、モン様っ!」
叫びながらおときが駆け寄った相手は、まさしく近松門左衛門であった。
「おお、ご無事かの。わしの名を騙って、呼び出されたと聴いたでな……」
そう言った近松の両の手にひとつずつ提灯がさげられていた。
しかも、近松に付き従っていたのは寺島の職人でたった二人。釣り竿につるした提灯を肩に背負い、手にもぶらさげ、口にも咥えていた……。
「人手が足りんでな……」
照れて笑う近松にいきなりおときがガバッと抱きついた。その様子をみて、
(抱きつくならば、おれのほうだろうが……)
と、大志郎は近松を睨んだが、もとより口には出さなかった。
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