14 / 20
第二部 雨と、僕たちの終わり
たったふたりの部活動に、筆談を添えて。
しおりを挟む
「いままで見ていた景色が、それまでと違って見える。小説の魅力って、色々あると思うんだけど、私は小説のそういうところに惹かれたのかもしれない」
文芸部に僕が入ったばかりの頃、葉瑠がそう言ったことがある。言葉の内容それ自体よりも、楽しそうに話す彼女の表情のほうが記憶に残っている。
高校の図書室にはじめて入ったのも、文芸部の一員になってからのことだった。一員、という言葉に僕自身が違和感を抱いてしまうのは、部員が三人しかいなくて、その中でもうひとりの部員の傘原が、幽霊部員を公言していたからだ。だからこの文芸部には、僕と葉瑠のふたりしかいなくて、目的とするコンテストみたいなものがあるわけでもなかったので、僕たちの趣味の延長線上みたいなものだった。
一週間に二冊の本を読んで、感想を言い合う。あるいはその作品をきっかけに、小説に関する雑談をする。活動内容はそれに尽きる。他の学校の文芸部では、実際に小説を書いて、部員たちを前に発表するみたいなこともしているらしいのだけれど、僕たちはそんなこともしなかった。お互いに、読むほうに興味のベクトルが向いていて、書くほうにはあまり気持ちが向かなかったのだ。
活動をはじめたのは、一年生の冬頃だった。
僕はその日の放課後、図書室にいて、〈自由図書〉を選んでいた。
僕たちの間で取り決めたルールとして、一週間に読む二冊の本のうち、片方は自分で読みたい本を選び、もうひとつはふたりで話し合って選ぶ。それを僕たちは読書感想文のコンクールのように、〈課題図書〉と〈自由図書〉と呼んでいた。
〈課題図書〉が、スティーヴン・キングの『キャリー』だった時の週だ。小説を読むうちに、僕はミステリやSF、ホラーといったジャンルが好きだ、と気付き、それを知った彼女が、〈課題図書〉は僕に合わせてくれていたところがある。
超能力、いじめ、血塗られた光景……、『キャリー』は中々にヘビーな小説だったこともあり、比較的、穏やかな作品を選ぼう、と思って、僕は新たに読む本を探していた。
「何に、するの?」
書架におさめられた本の背表紙を眺めていると、背後から声がして、驚いて振り返ると、そこに葉瑠が立っていた。
「……びっくりした」
「ごめん、ごめん。何を選んでいるのか、気になって」
「というか、葉瑠。きょうは傘原と用事がある、って言ってなかった?」
同じ部活に所属することになった時、葉瑠に下の名前で読んで欲しい、と言われた。文芸部の慣習として、下の名前で呼び合う、というものがあったらしい。その言葉に、ふと亜美の顔が浮かんだ。亜美も似たようなことを言っていた。僕たちふたりだけしかいないのだから、そこまで踏襲する必要ないのに、というのが、僕の本音だ。葉瑠も、僕のことを下の名前で呼ぼうとしたのだけど、それはなくなった。まだ、そういう関係ではないし、純粋に恥ずかしかったからだ。この片方が名前で呼ぶ感じも、亜美の時と同じだな、と思って、僕はちいさな罪悪感を抱いた。いまを、まるで過去の恋と重ねているような気がして。
「そう、〈ラ・テリア〉の期間限定メニューが食べたい、って約束してたんだけど」葉瑠の言葉の、歯切れが悪くなった。「急に、予定が入った、って」
〈ラ・テリア〉は岐阜市内にある地元チェーンのコーヒーショップで、その時期に一ヶ月間限定のケーキが販売されていたそうだ。
傘原とは、一応同じ部員になってから、何度か話している。最初の頃は、明らかに僕に対して好感を持っていなくて、その理由を聞いたのは、関わり合うようになって、だいぶ経ってからだ。僕と葉瑠が付き合っていると勘違いしていて、そのことをあまりこころよく思っていなかったから、らしい。
私、もし男に生まれてたら、葉瑠と結婚したかった。そのくらい、好きだったから。
そう傘原は言っていた。だから、悪い虫、だった僕に信用が置けなかったみたいだ。
「ドタキャン?」
「まぁ、そうだね。未希ちゃん、好きな男の子がいるんだけど、私との約束破って、そっち、優先したんだ」葉瑠がちいさくほおを膨らませる。「ひどいと思わない?」
「それは、ひどいね」
「言葉に感情が、ひとつもこもってないよ」
「いや、あんまり残念そうじゃなかったから」
「実は、あんまり甘い物、好きじゃないんだ。行きたくなかったわけじゃないけど、別に無理して何がなんでもいきたい、って気持ちじゃなかったから。……それで、どんな小説を、今回は選ぶ気?」
「うーん、まだ決めてないけど……。でも、ほら、今回の『キャリー』が結構暗い感じの話だから、そうじゃないのにしたいかな」
「じゃあ、恋愛小説にしてみる? 私は、これとか、好きだよ」
葉瑠が棚から抜き出した一冊の文庫本は、川上弘美の『センセイの鞄』だった。
「恋愛小説、かぁ……。どうなんだろう……、いままでまったく読んでこなかったジャンルだから」
「だったら、今回は敢えて、選んでみたら」
言葉を重ねるようになるけれど、僕たちの活動は趣味の延長線上にある、というか、ほとんど趣味みたいなもので、教育の一環でもなんでもない。だから読む本を決める時なんて、いつもこんなような感じだ。
「じゃあ、そうしようかな……、いやでも、恋愛小説かぁ」
「嫌?」
「読まず嫌いは良くない、とは思うけどね」
「いいじゃない。恋愛、恋愛」
やけに恋愛小説を推してくる葉瑠は、どこかいつもと違う感じがした。僕たちは図書室の四人掛けの対面式の机に、隣り合って座る。机の前に、先ほど葉瑠に薦められた『センセイの鞄』の文庫本を置く。
「で、何かあった?」
「何か、って?」
「いや、やけに、恋愛、を強調するなぁ、って思って」
「気付いてた?」
うちの高校の図書室は、おそらく他の高校に比べてちいさく、あまり利用者も多くない。運動部に力を入れているから、そのぶんのしわ寄せがこういう部分に来ているのではないか、と僕は勝手に思っているのだけれど、実際のところはどうか分からない。ただ蔵書が充実しているとはお世辞にも言えない。その代わり図書室に蔵書する本を選定したひとは、自由奔放に決めたのか、どこの図書室に置いてありそうなものがなくて、反対にどこの図書室にもなさそうなものがあった。
葉瑠は何かを言おうとして、だけどちらり、とすこし離れた机で勉強している生徒に目を向けた。
「ひとに聞かれたくない話?」
「聞かれてもいいけど……」
その言いよどみは、どう考えても、周りに聞かれたくないひとのものだった。
かばんから大学ノートを取り出して、一枚、破り取ることにした。葉瑠が、僕の行動を不思議そうに眺めている。紙の上に、シャープペンで、僕は文字を綴る。ちょっと崩れた字は、よく読みにくい、と言われる。ただできる限り、丁寧な文字を心掛けた。
『じゃあさ、筆談で話そうか?』
その言葉を読んだ葉瑠が、笑った。
『分かった。いいよ。ある男子から、告白された、とかじゃないんだけど、ちょっと興味がある、みたいなこと言われたんだ』
ちりり、とした胸の痛みには気付かないふりをする。
『ちょっと興味がある、ってなんか嫌味な言い方だね』
葉瑠が苦笑いを浮かべる。
『私がいま勝手に言い回しを変えただけで、実際の言葉はもっと違うものだよ』
『ちなみに、誰か聞いても?』
誰の、言と隹が離れて、まるで別の文字のように見える。そんなどうでもいいことをわざわざ考えてしまうのは、不安のせいだろうか。彼女は誰の名前を書くのだろう、という。
『結城くんと同じクラスの、城阪くん。仲、良い?』
城阪と聞いて、僕は以前の彼との会話を思い出していた。言葉を綴る指先は、かすかに震えている。気付かないでくれ、と願っていた。
『仲、どうだろう。悪くはないよ。嫌いじゃない。だけど城阪は誰とも仲が良いから、特別な友達、って関係じゃないかな。葉瑠が話しているところなんて見たことないけど』
『うん。私も、前に何かで一言、二言話したくらいで、ほとんど話したことはなかったよ。だからすごくびっくりした。どう思う?』
『どう思う、って?』
『私が、城阪くんと付き合ったら、あなたは、どう思う?』
『葉瑠が付き合いたいなら、僕の気持ちは関係ないだろ。応援するよ』
応援するよ。その言葉は本心を隠すように、やけに丁寧な文字になった。
葉瑠の僕を見る眼差しは、どこか寂し気に感じられた。気のせいだろうか。
『そっか。まぁ城阪くん、イケメンだからね』
そう書くと、彼女は立ち上がった。
「この話は、ここまで。じゃあ私、行くね。ゆっくりとその本でも読んで、また感想聞かせてね」
僕はこの時の葉瑠の感情をよく分かっていなかった。……いや、いまになって客観的に考えてみれば、たぶん僕は、分からないふりをしていたのだ。その自覚もなく、ほとんど無意識に。
葉瑠は手を差し出していた。僕が手を伸ばさなかっただけで。
それから数日経って、放課後、家に帰ろうとしていた僕を呼び止めて、城阪が、
「一緒に帰らないか? きょう練習、休みなんだ」
と言った。
先日の葉瑠との会話があったから、その件だ、ということは予想がついた。だけど彼からどんな言葉が飛び出すか分からなくて、みょうにどきどきしたのを覚えている。
僕の隣で、城阪は自転車を引きながら歩く。
一緒に帰る、と言っても、彼は自転車通学だったから、駅までだ。それほどの距離ではない。勾配のゆるやかな下り坂で、冬だからか、もう夕暮れの陽が辺りを染めていた。
「なぁ、最近、永瀬と話した?」
「まぁ、同じ部活だし」
「なんで、同じ部に入ったんだ? やっぱり――」
「部の存続の危機だから、って誘われたんだ」
先を制するように、僕は言った。
「でも、誘う相手として、真っ先に選んだのが、結城だったわけだ」
「小学校から知ってる関係だったし、誘いやすかったんじゃないかな」
「まぁ、そうなんだろうな……」
その言葉は僕に、というよりは、虚空に向けてつぶやくような感じだった。そして城阪には似合わない、嫌な言い方だった。
強く吹く寒風が、道路の両脇に生える木々の、枝葉を揺らしている。
「変な関係じゃないよ。疑うような。彼女とは」
僕の言葉は、どこか言い訳のようにも、僕自身、感じていた。
「この間、彼女と話してみたんだ。友達から、って言われた。これって、期待したほうがいいのかな。それとも駄目だって、諦めたほうがいいのかな?」
「それは、僕には分からない」
「そう、だよな」
話しているうちに、駅につき、僕たちは別れた。その直前、彼は何かを言いかけて、やめた。
「実は、俺、もっと……あ、いや、なんでもない、と」
葉瑠のことになると、彼は、いつもの彼らしくなくなった。それが、恋、なのかもしれないし、もしかしたら僕も、普段の僕ではなかったのかもしれない。
夜の景色に消えていく彼の背中に、僕は悲しみを見ていた。理由は分からない。
文芸部に僕が入ったばかりの頃、葉瑠がそう言ったことがある。言葉の内容それ自体よりも、楽しそうに話す彼女の表情のほうが記憶に残っている。
高校の図書室にはじめて入ったのも、文芸部の一員になってからのことだった。一員、という言葉に僕自身が違和感を抱いてしまうのは、部員が三人しかいなくて、その中でもうひとりの部員の傘原が、幽霊部員を公言していたからだ。だからこの文芸部には、僕と葉瑠のふたりしかいなくて、目的とするコンテストみたいなものがあるわけでもなかったので、僕たちの趣味の延長線上みたいなものだった。
一週間に二冊の本を読んで、感想を言い合う。あるいはその作品をきっかけに、小説に関する雑談をする。活動内容はそれに尽きる。他の学校の文芸部では、実際に小説を書いて、部員たちを前に発表するみたいなこともしているらしいのだけれど、僕たちはそんなこともしなかった。お互いに、読むほうに興味のベクトルが向いていて、書くほうにはあまり気持ちが向かなかったのだ。
活動をはじめたのは、一年生の冬頃だった。
僕はその日の放課後、図書室にいて、〈自由図書〉を選んでいた。
僕たちの間で取り決めたルールとして、一週間に読む二冊の本のうち、片方は自分で読みたい本を選び、もうひとつはふたりで話し合って選ぶ。それを僕たちは読書感想文のコンクールのように、〈課題図書〉と〈自由図書〉と呼んでいた。
〈課題図書〉が、スティーヴン・キングの『キャリー』だった時の週だ。小説を読むうちに、僕はミステリやSF、ホラーといったジャンルが好きだ、と気付き、それを知った彼女が、〈課題図書〉は僕に合わせてくれていたところがある。
超能力、いじめ、血塗られた光景……、『キャリー』は中々にヘビーな小説だったこともあり、比較的、穏やかな作品を選ぼう、と思って、僕は新たに読む本を探していた。
「何に、するの?」
書架におさめられた本の背表紙を眺めていると、背後から声がして、驚いて振り返ると、そこに葉瑠が立っていた。
「……びっくりした」
「ごめん、ごめん。何を選んでいるのか、気になって」
「というか、葉瑠。きょうは傘原と用事がある、って言ってなかった?」
同じ部活に所属することになった時、葉瑠に下の名前で読んで欲しい、と言われた。文芸部の慣習として、下の名前で呼び合う、というものがあったらしい。その言葉に、ふと亜美の顔が浮かんだ。亜美も似たようなことを言っていた。僕たちふたりだけしかいないのだから、そこまで踏襲する必要ないのに、というのが、僕の本音だ。葉瑠も、僕のことを下の名前で呼ぼうとしたのだけど、それはなくなった。まだ、そういう関係ではないし、純粋に恥ずかしかったからだ。この片方が名前で呼ぶ感じも、亜美の時と同じだな、と思って、僕はちいさな罪悪感を抱いた。いまを、まるで過去の恋と重ねているような気がして。
「そう、〈ラ・テリア〉の期間限定メニューが食べたい、って約束してたんだけど」葉瑠の言葉の、歯切れが悪くなった。「急に、予定が入った、って」
〈ラ・テリア〉は岐阜市内にある地元チェーンのコーヒーショップで、その時期に一ヶ月間限定のケーキが販売されていたそうだ。
傘原とは、一応同じ部員になってから、何度か話している。最初の頃は、明らかに僕に対して好感を持っていなくて、その理由を聞いたのは、関わり合うようになって、だいぶ経ってからだ。僕と葉瑠が付き合っていると勘違いしていて、そのことをあまりこころよく思っていなかったから、らしい。
私、もし男に生まれてたら、葉瑠と結婚したかった。そのくらい、好きだったから。
そう傘原は言っていた。だから、悪い虫、だった僕に信用が置けなかったみたいだ。
「ドタキャン?」
「まぁ、そうだね。未希ちゃん、好きな男の子がいるんだけど、私との約束破って、そっち、優先したんだ」葉瑠がちいさくほおを膨らませる。「ひどいと思わない?」
「それは、ひどいね」
「言葉に感情が、ひとつもこもってないよ」
「いや、あんまり残念そうじゃなかったから」
「実は、あんまり甘い物、好きじゃないんだ。行きたくなかったわけじゃないけど、別に無理して何がなんでもいきたい、って気持ちじゃなかったから。……それで、どんな小説を、今回は選ぶ気?」
「うーん、まだ決めてないけど……。でも、ほら、今回の『キャリー』が結構暗い感じの話だから、そうじゃないのにしたいかな」
「じゃあ、恋愛小説にしてみる? 私は、これとか、好きだよ」
葉瑠が棚から抜き出した一冊の文庫本は、川上弘美の『センセイの鞄』だった。
「恋愛小説、かぁ……。どうなんだろう……、いままでまったく読んでこなかったジャンルだから」
「だったら、今回は敢えて、選んでみたら」
言葉を重ねるようになるけれど、僕たちの活動は趣味の延長線上にある、というか、ほとんど趣味みたいなもので、教育の一環でもなんでもない。だから読む本を決める時なんて、いつもこんなような感じだ。
「じゃあ、そうしようかな……、いやでも、恋愛小説かぁ」
「嫌?」
「読まず嫌いは良くない、とは思うけどね」
「いいじゃない。恋愛、恋愛」
やけに恋愛小説を推してくる葉瑠は、どこかいつもと違う感じがした。僕たちは図書室の四人掛けの対面式の机に、隣り合って座る。机の前に、先ほど葉瑠に薦められた『センセイの鞄』の文庫本を置く。
「で、何かあった?」
「何か、って?」
「いや、やけに、恋愛、を強調するなぁ、って思って」
「気付いてた?」
うちの高校の図書室は、おそらく他の高校に比べてちいさく、あまり利用者も多くない。運動部に力を入れているから、そのぶんのしわ寄せがこういう部分に来ているのではないか、と僕は勝手に思っているのだけれど、実際のところはどうか分からない。ただ蔵書が充実しているとはお世辞にも言えない。その代わり図書室に蔵書する本を選定したひとは、自由奔放に決めたのか、どこの図書室に置いてありそうなものがなくて、反対にどこの図書室にもなさそうなものがあった。
葉瑠は何かを言おうとして、だけどちらり、とすこし離れた机で勉強している生徒に目を向けた。
「ひとに聞かれたくない話?」
「聞かれてもいいけど……」
その言いよどみは、どう考えても、周りに聞かれたくないひとのものだった。
かばんから大学ノートを取り出して、一枚、破り取ることにした。葉瑠が、僕の行動を不思議そうに眺めている。紙の上に、シャープペンで、僕は文字を綴る。ちょっと崩れた字は、よく読みにくい、と言われる。ただできる限り、丁寧な文字を心掛けた。
『じゃあさ、筆談で話そうか?』
その言葉を読んだ葉瑠が、笑った。
『分かった。いいよ。ある男子から、告白された、とかじゃないんだけど、ちょっと興味がある、みたいなこと言われたんだ』
ちりり、とした胸の痛みには気付かないふりをする。
『ちょっと興味がある、ってなんか嫌味な言い方だね』
葉瑠が苦笑いを浮かべる。
『私がいま勝手に言い回しを変えただけで、実際の言葉はもっと違うものだよ』
『ちなみに、誰か聞いても?』
誰の、言と隹が離れて、まるで別の文字のように見える。そんなどうでもいいことをわざわざ考えてしまうのは、不安のせいだろうか。彼女は誰の名前を書くのだろう、という。
『結城くんと同じクラスの、城阪くん。仲、良い?』
城阪と聞いて、僕は以前の彼との会話を思い出していた。言葉を綴る指先は、かすかに震えている。気付かないでくれ、と願っていた。
『仲、どうだろう。悪くはないよ。嫌いじゃない。だけど城阪は誰とも仲が良いから、特別な友達、って関係じゃないかな。葉瑠が話しているところなんて見たことないけど』
『うん。私も、前に何かで一言、二言話したくらいで、ほとんど話したことはなかったよ。だからすごくびっくりした。どう思う?』
『どう思う、って?』
『私が、城阪くんと付き合ったら、あなたは、どう思う?』
『葉瑠が付き合いたいなら、僕の気持ちは関係ないだろ。応援するよ』
応援するよ。その言葉は本心を隠すように、やけに丁寧な文字になった。
葉瑠の僕を見る眼差しは、どこか寂し気に感じられた。気のせいだろうか。
『そっか。まぁ城阪くん、イケメンだからね』
そう書くと、彼女は立ち上がった。
「この話は、ここまで。じゃあ私、行くね。ゆっくりとその本でも読んで、また感想聞かせてね」
僕はこの時の葉瑠の感情をよく分かっていなかった。……いや、いまになって客観的に考えてみれば、たぶん僕は、分からないふりをしていたのだ。その自覚もなく、ほとんど無意識に。
葉瑠は手を差し出していた。僕が手を伸ばさなかっただけで。
それから数日経って、放課後、家に帰ろうとしていた僕を呼び止めて、城阪が、
「一緒に帰らないか? きょう練習、休みなんだ」
と言った。
先日の葉瑠との会話があったから、その件だ、ということは予想がついた。だけど彼からどんな言葉が飛び出すか分からなくて、みょうにどきどきしたのを覚えている。
僕の隣で、城阪は自転車を引きながら歩く。
一緒に帰る、と言っても、彼は自転車通学だったから、駅までだ。それほどの距離ではない。勾配のゆるやかな下り坂で、冬だからか、もう夕暮れの陽が辺りを染めていた。
「なぁ、最近、永瀬と話した?」
「まぁ、同じ部活だし」
「なんで、同じ部に入ったんだ? やっぱり――」
「部の存続の危機だから、って誘われたんだ」
先を制するように、僕は言った。
「でも、誘う相手として、真っ先に選んだのが、結城だったわけだ」
「小学校から知ってる関係だったし、誘いやすかったんじゃないかな」
「まぁ、そうなんだろうな……」
その言葉は僕に、というよりは、虚空に向けてつぶやくような感じだった。そして城阪には似合わない、嫌な言い方だった。
強く吹く寒風が、道路の両脇に生える木々の、枝葉を揺らしている。
「変な関係じゃないよ。疑うような。彼女とは」
僕の言葉は、どこか言い訳のようにも、僕自身、感じていた。
「この間、彼女と話してみたんだ。友達から、って言われた。これって、期待したほうがいいのかな。それとも駄目だって、諦めたほうがいいのかな?」
「それは、僕には分からない」
「そう、だよな」
話しているうちに、駅につき、僕たちは別れた。その直前、彼は何かを言いかけて、やめた。
「実は、俺、もっと……あ、いや、なんでもない、と」
葉瑠のことになると、彼は、いつもの彼らしくなくなった。それが、恋、なのかもしれないし、もしかしたら僕も、普段の僕ではなかったのかもしれない。
夜の景色に消えていく彼の背中に、僕は悲しみを見ていた。理由は分からない。
0
あなたにおすすめの小説
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる