雨、晴れる時

サトウ・レン

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第二部 雨と、僕たちの終わり

深夜の海に、一本の線が引かれて。

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 草木も眠る丑三つ時、という言葉がある。しん、と静まりかえった真夜中のことだ。

 いま思い返せば、ちょっと危険なことをしてしまった自覚はあるけれど、深夜の海水浴場に、僕と葉瑠は訪れていた。

 民宿に来て、三日目の深夜の話で、翌朝には岐阜に帰ることになっていた。
 夜、寝ている僕の部屋に、葉瑠が起こしに来たのだ。葉瑠にしても、前日の傘原にしても、何故こうも相手を驚かせてくるのだろう、とすこし不満に思う気持ちもあった。

「ねぇ、いま晴れてるよ」
 と、悪いことに誘うような表情を浮かべて、葉瑠が言った。要は、どうしても海に行きたい、ということだ。

 葉瑠の気持ちも分かる。
 一日目、僕たちが雨を理由に、海岸へ行くことを諦めた時、どうせ三日もいるし、この時期なんだから、他の日は晴れているだろう、と楽観的だった。

 さすが雨女、なんて言ったら、きっと葉瑠は怒ってしまうだろうから口には出さない。
 二日目は初日よりも雨が降り、そして三日目は、もっと強くなった。日が進むにつれて、葉瑠の表情は暗くなり、僕と傘原が気を遣う形になった。

 海岸へ行くと、汀に寄せる波音が聞こえてきた。事前に怖そうな集団がいたら帰ろう、と話していたのだが、僕たち以外、誰もいなかった。水平線の上に、月がある。その明かりが、海面を照らしていた。

「静か、だね」
「夜の海なんて、そんなもんだよ。きっと」
 海岸に来るなんてはじめてのくせに、僕は知ったふうなことを言った。言葉の嘘を察したのか、彼女が、くすり、と笑う。

「嘘つき。嘘は、小説の中だけにしておかないと嫌われるよ。それにしても……。あんまり綺麗じゃないね」
「そう? 綺麗な景色だ、と思うけど」
「うん、夜空の景色は、ね。ただ」と葉瑠は、視線を下に向けた。「ゴミ、結構残ってるんだ」
 ペットボトルや空き缶のビール、花火の残骸。確かに、月明かりに照らされた夜景の美しさには似合わない。

「夜の海なんて、そんなもんだよ。きっと」
 同じ言葉を重ねる僕に、彼女が笑う。

「そんな嘘はいいから。そう言えば、未希ちゃんと、何、話してたの?」
「何、って?」
 どの話のことを言っているのか分からず、僕は困惑していた。

「ほら、ここに来たばっかりの時、私が散歩から帰ってきたら、仲良さそうに話してたから。最近、ふたりよく楽しそうだね」
「まぁ会ったばかりの頃が、ひどかったし、いまはだいぶ、ましになったと思うよ」
 葉瑠が海へと向かって歩いていく、すこし離れれば夜の闇に混じって見えなくなってしまいそうなその背中を、僕は追った。

「いつも喧嘩してたよね。そんなに会う回数も多くないのに」
「喧嘩じゃなくて、僕が一方的に言われてただけのような気もするけど……」
「きっと、言いやすかったんだよ」

 それだけじゃないだろう。

 私、もし男に生まれてたら、葉瑠と結婚したかった。そのくらい、好きだったから。
 僕にそう言った時の、傘原の表情は、冗談、と呼べるようなものではなかった。傘原が、葉瑠に向ける感情が、恋愛のそれだったのかどうかは分からないが、特別な存在だったことは間違いない。

 波打ち際の手前で、葉瑠が足を止める。
「言われるほうは、つらいけど」
「それがいまじゃあんなに。……で、何、話してたの?」
「いや、たいした話じゃないよ。どうでもいい雑談」

 さすがに、葉瑠について話していた、とは言えない。
 気になる噂、と傘原が僕に話したのは、予想通り、城阪のことだった。野球部のエースで、人気者の城阪に、最近恋人ができた、と女子たちの間で噂になっている、と。傘原も別にそれだけなら、ただのよくある噂だと聞き流していただろう。

 だけど……。

「うーん。なんか、悔しいな。ふたりだけで秘密を共有している感じが」
「傘原を取られた、みたいなこと?」
「もちろんそれもあるけどね。逆も、あるかな。……ごめん、いまの忘れて。ちょっと言ってみたくなっただけだから」
 また歩き出した葉瑠がサンダルを履いたまま、寄せる波を踏む。海水を足首まで浸して、僕を見る。

「結城くん、って、好きな子いる?」
「いや、……どうだろう」
「何、その曖昧な言い方。もしかして、やっぱり未希ちゃんのこと?」
「違うよ」
「じゃあ、私?」
 葉瑠が、自分自身を、指差す。

 波打ち際をへだてて一本の線を引くように、僕と葉瑠の間には距離がある。どのくらいの距離があったのかは分からない。手を伸ばせば、もしかしたら届く距離だったかもしれないのに、僕が手を伸ばそうともしなかったからだ。

「違う、よ」
「……そっか。ねぇ、小学校の時のこと、覚えてる? ほらっ、清水さんが私の未来を占ってくれた時のこと」
「なんだった、っけ?」

 覚えていてとぼける僕の表情の癖を見抜いた葉瑠が、もうっ、と言った。

「分かってるくせに。ねっ、みりゃいの恋人さん」
 と、からかうように彼女が笑う。ただ、未来、を、みりゃい、と噛んだのは、彼女自身も恥ずかしかったからだろう。

「噛んでるよ」
「似合わないこと、言うもんじゃないな」と葉瑠が、ほおを指でかく。「まぁそんなことはどうでもいいんだよ。話を本題に戻すよ。そう清水さん、清水さんの占いで、私、まぁ将来、結城くんと付き合う、って言われたわけだけど、あれ、実はずっと信じてたんだ。さすがに中学に入ってからは、もう会わない、って思ってたから、気付けば忘れてたんだけど、でも……、高校に入って、久し振りに結城くんに会って、私、最初に思い出したの、あの占いの結果だったんだ。運命の再会かな、って。あっ、ロマンチストすぎる、って笑わないでね。私にとっては、そのくらいのことだったから」

「笑わないけど、恥ずかしい」
 きっと僕の顔は真っ赤になっていたはずだ。

「さっきは、好きな子いるか、って聞き方したけど、本当に聞きたいのは、これじゃない、ね。……結城くん、私のこと、どう思ってる」

 葉瑠に告白する、と言った城阪の言葉が頭に浮かぶ。

「葉瑠……?」
 すこしだけ悲しそうな表情を浮かべて、彼女が言った。まだ僕が何を答えたわけでもないのに。

「あ、やっぱり、やめた」表情の翳りを消し、葉瑠が、いつも、を振る舞おうとするのが分かった。「どっちの答えが返ってきても、結城くんの性格だったら、逆の可能性があるから。結局また悩みそうになる。……清水さん、って言えば、実は前に一度、会ったんだ。高校に入ってすぐの頃だったかな。アルエーで。あの口の軽い感じ、とか、全然変わってなかったね。でも、かわいくなってた」
 アルエーは県内に数軒建つ、ショッピングモールだ。

「変なこと、言ってなかった?」
 清水さんは同じ部活だったから、関わりは多かった。葉瑠に何を話したのか、はどうしても気になる。

「言われて困ることでも?」
「困ることはないけど、恥ずかしいことなら、あるかな?」
「彼女がいた、って聞いたよ。かわいい子だった?」一瞬、葉瑠の隣に、亜美のイメージが浮かんで、消える。「モテるね。羨ましい限り」
「怒ってる?」
「別に、怒ってないよ」

 葉瑠の言い方には、どこか怒りを感じる。理不尽だ、と思った。僕は現在進行形で、僕以外の誰かから好意を寄せられている葉瑠を見ているのだから。噂のことは、葉瑠も知っているだろう。城阪が、葉瑠と付き合っている。そんな根も葉もありそうな噂まで出ているのに、こっちに気のある態度を取る。こっちのほうが、怒りたいくらいだ。

 僕は思い切って、聞くことにした。
「葉瑠こそ、城阪と付き合ってるんじゃないのか?」
 葉瑠がひとつ、大きく息を吐いた。彼女の表情に驚きの色はなかった。僕からこんな言葉が来る、とすでに想像していたのだろう。

「……さぁ、どうかな」
 夏の夜気が、葉瑠の髪を揺らした。

「それなのに――」
「もうすぐ、雨が降りそう」
 言いかけた僕の言葉をさえぎるように、葉瑠が言った。はぐらかしているのだ、と思った。

「そんな気配なんて、ひとつもないけど」
「雨女の予知を舐めないで、ね」と、彼女が笑う。「だから、もうきょうは帰ろう。ずっと行きたかった海に来れたし、とりあえずは満足」
「帰ろうか……」
 僕も葉瑠の言葉に、頷くことにした。別に無理やり聞き出したいことではなかった。本当に僕に言う必要がある、と感じているなら、彼女はみずから言うはずだ。

「でも今度は、もうちょっと明るい時間が良いな。またいつか行こうよ」
「……そうだね」
 僕たちは民宿に戻った。

 話を逸らそうとしたのか、それとも本当に雨を察知できるのか。実際のところは分からない。ただひとつ確かなことがあるとすれば、三十分後、この三泊四日の間で、一番の大雨が降った。

 そして僕たちの短い旅行が終わった。
 一週間後、ふたりで市立図書館に行った時、葉瑠がノートの端に言葉を綴った。その姿を見ながら、学校の図書室で交わしたやり取りを思い出していた。

 葉瑠が、にこり、とほほ笑む。

『城阪くんと、付き合いはじめました』
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