夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

サトウ・レン

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夏風夏鈴がそこにいない場所で

十八を過ぎても、まだ惰性にはならない

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 その時、僕は二十一歳。大学の三回生になっていて、つまり同い年の五十嵐も同様に二十一歳になっていた。十八の時、死を仄めかしていた彼がまだしっかりとこの世界の地面を歩いている。僕はその姿を見て、泣きそうになった。お盆の時期だったが、間違いなく足のある彼は、幽霊なんかではなかった。

「こっちに久し振りに帰ってきたんだ」
 と五十嵐が言う。僕たちは今、彼の通っていた桜花高校近くのファミレスにいる。そう、最後に彼と話した場所だ。

「もうはっきり言ってしまうけど、死んだ、と思っていた」
「本当にストレートに言ってくるなぁ。でも確かに、俺は死ぬために家出をしたわけだからな」

 あれから何があったのか、緩やかに五十嵐は語っていく。

 十八歳、高校三年生の夏。五十嵐は明日香さんとふたりで消息を絶った。家出をしたのだ。実は夏が終わって、秋に入った頃に、僕は中学時代の同級生からその話を聞かされていた。

『あいつ、すごい奴だったけど、変わった奴だったから。危険な目に遭ってなきゃいいけど』
 とその同級生は心配そうに言った。犯罪に巻き込まれたんじゃないか、と思っているようだった。でも最初に心配するのは、それだろう。僕は五十嵐の口から死を仄めかされていたから、死んだのかもしれない、としか思うことができなかったのだが、何も聞いていなかったら、同じ心配をしたはずだ。

 電車に乗って、あてもない旅に出たらしい。ゴールには福井県にある自殺の名所を考えていたそうだ。だけどその場所にふたりがたどり着くことはなかったらしい。

「事故に遭ったんだ。途中で、明日香が」
「事故?」
「うん。轢き逃げだよ。明日香を轢いた車は止まることなく、そのまま逃げて行った。僕は慌てて、救急車を呼んだ。おかしいだろ」
「なんで?」
「だって僕たちは死ぬために、旅に出たのに、今にも死んでしまうかもしれない明日香の姿を見ながら、彼女の生を願った。僕はどうなってもいいから、彼女は、って。そんな気持ちで。だったら最初から明日香を連れて行くなよ、って話だよな。でも、それでも、僕はそう願ってしまったんだ。仕方ないだろ」
「うん。もちろん、仕方がない。五十嵐は何も間違っていない」
 僕の本心からの気持ちだった。

「明日香は一命を取り留めた。奇跡的に。病院に着くのが、もうすこし遅かったら、間違いなく死んでいたそうだ。だけどすべてが元通り、というわけにはいかなかった」そこで一度、五十嵐は言葉を切った。そして話題を逸らすようにして、続けた。「そして俺たちの旅は終わりを告げた。彼女の両親からは殺されるんじゃないか、ってくらいに憎まれたよ。まぁ当然と言えば当然なのかもしれないけど。結局、俺はもう帰ることもない、と思っていた家に帰ることになった。家に帰った瞬間、母親には思いっきり殴られて、父親には抱きしめられた。普通、逆だよな」

 五十嵐が笑った。

「うん」と僕は頷く。でもそれも生きているから起きることだ。僕はそう思ったが、口にはしなかった。死なないで良かった、という言葉をおざなりに使いたくはなかった。そんな感情は、僕の心の中にしまっておこう、と思っている。
「俺は人生の惰性の部分に入ったはずなのに、まったく惰性のような感じがしないよ。……っと俺の話が長くなりすぎた。日比野は今、どこで、何を?」
「僕はただの大学生だよ」と僕は通っている大学の名前を告げる。「バイトして、たまに学校に行って、そんなどうしようもない大学生だよ」
「そうか。でも驚くことは急にやってくるよ。人生は」
 惰性だの、死ぬだの、言っていた奴に言われたくない、と思ったが、会えて嬉しいので、許してあげることにした。

「そうかな」
「そうだよ。実際、俺はそんな体験をしたわけだから。彼女の両親は僕を許してはくれなかったけど、彼女と定期的に会うことは許してくれた。いつか叶うなら、結婚もしたい、とは思っている。だけどまずそのためには大学を卒業して、ある程度、ちゃんとしたところに就職もしないと、って。そんなこと自体には何の興味もないんだけど、明日香の両親を説得するためにも材料は多いほうがいい」
 彼は今、九州にある国立の大学に通っているそうだ。
「三年前とは別人に見えるよ」
「いや、本質はたぶん何も変わってないよ。ただ進む道を変えただけで」
「それを言えるところも含めて、そう思うんだ」
「じゃあ変わったのかもしれない。変えてくれたのかもしれない。彼女の存在が」そう言って、五十嵐が一枚の写真を見せてくれた。「最近、彼女と撮ったものなんだけど」

 そこには五十嵐と明日香さんが写っている。明日香さんは車椅子に座り、彼に寄り添うように、にこやかにほほ笑んでいる。

「いつか結婚しようと思っているんだ」
「そうか」
「たぶん彼女は頷いてはくれない気がする」
「どうして?」
「俺は俺のせいで、明日香の足は動かなくなったと思っているが、明日香は明日香で、自分のせいで、俺が苦しい人生を送っている、と考えているから」
「苦しい人生なの?」
「惰性だと思ったことはあっても、苦しいなんて考えたこと一度もないよ。もしあるとしたら、明日香がいなくなった時かな。まだまだ時間が掛かりそうな気はするけれど、結婚したら、きみに報告するよ」

 彼がそう言って、僕たちは連絡先を交換することになった。
 五十嵐と会ったあと、僕はもうひとりの友人に会いたくなった。高校時代の友人だ。五十嵐と別れたあと、連絡してみると、『タイミング悪すぎる。俺が今、用事で関西に来ているよ』と言われた。詳しくは聞かなかったが、仕事関係の知り合いの誘いで、関西にいるらしい。国崎の帰ってくる日を聞くと、残念ながら僕と重なることはなさそうだ。国崎なら時間を作りそうな気もしたが、忙しそうなのに、向こうで会うのは気が咎める。

『せっかくだし、水野と会ったらどうだ?』
 と国崎が言う。連絡しておくから、と僕の返事を待たずに電話を切ってしまった。三十分後くらいに、水野から電話が来て、僕は水野の家に行くことになった。水野は今、新潟市内で一人暮らしをしているらしい。インターフォンを鳴らすと、水野が玄関のドアを開けた。

「久し振り。なんで帰ってきたなら、すぐに連絡してくれないの」
 と怒ったように言われた。

「それはまぁ、なんとなく」
「とりあえず入って」
 リビングに入ると、キャビネットの上に写真立てで飾られた写真が目に入った。そこには親密そうな国崎と水野のふたりが写っていた。

「さて、関西に逃げた日比野くん」
「なんだよ、それ」
「違う?」と水野がちいさく笑う。表情に責めている雰囲気はない。「私たち……私と親友に連絡しなかったのは、そういうことじゃないの」
 親友って……。国崎と一緒に過ごして、影響でも受けたのだろうか。

「違うよ」
「言い方に強がりを感じるけどね。もちろん恋だの愛だの、って、他人が口を挟むことでもないとは思うんだけどね。どうしてもお節介を焼きたくなる気持ちもあって。いや復縁しろ、って言いたいわけじゃないよ。もしかしたら新しい恋人だっているかもしれないし、いや、いるでしょ」
 鋭いのは、彼女が僕の幼馴染だから、だろうか。

「うん、一応、ね」
「そっか。まぁそれはそれとして、私は、あなたたちふたりに話し合って欲しい、と思っている。率直なあの時の気持ちを、ふたりきりで。私は日比野くん、あなたの幼馴染で長い付き合いで、彼女とは決して付き合いが長いわけではないけれど、親友だと思っている。だからそれなりにあなたたちの性格を把握できている自信がある。大事な時に、大事なことを言えない性格だ、ってね。仮に本当の訣別になったとしても」
 まるで僕たちがまだ訣別していないかのような言い方だ。

「もう遅いよ。僕にはもう恋人もいるし、彼女だって新しい人生を歩き出している。今さら話し合うことは、お互いの歩みを止めることだよ」
「果たして、そうかな」
「そうだよ」
「とりあえず連絡してみなよ。まだ連絡先、残ってるでしょ」
「もう消した、かな」
「相変わらず、嘘が下手だね」
 水野がため息をつく。

「分かった。考えておくよ」
 と僕はそれしか答えられなかった。水野の家を出て、僕は懐かしい書店に向かった。リニューアルして店内は以前よりも賑やかになっていた。地味で静かな雰囲気の時のほうが好きだったのだが、これは仕方のないことだろう。ただ新潮文庫コーナーの前に立つと、『野菊の墓』はそこにしっかり収まっていて、嬉しくなる。

 あぁ、ここが僕と夏風のはじまりだったんだ。改めて自覚する。

 水野に言われた言葉を思い出しながら、携帯を取り出す。
 電話をしようかどうか迷って、結局、やめた。それは冬華に、今の恋人に失礼だ、と自分に言い聞かせて。ただの言い訳だ、と僕自身が一番分かっている。

 そして僕は新潟をあとにした。
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