夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

サトウ・レン

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エピローグ

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

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 風鈴の音が、ちりん、ともう一度、音を立てた。

 妻に風鈴をプレゼントしたのは、泳だ。さすがにいつまでも水野と呼ぶわけにもいかないし、国崎と呼ぶと夫婦のどちらの話だとごっちゃになるので、そう呼ぶようになった。いまだにすこし慣れないところもあり、そんなに頻繁に会うわけでもないので、いまでも時折、水野と呼んでしまう。別に泳のほうは気にしている感じではないので、僕の気持ち的な問題だ。

 花火大会を終えて、浴衣姿だった妻はすでにTシャツに着替えている。慣れない格好をして疲れた、とすこし文句まで言っている。自分から行こう、と言ったものの、やっぱり人混みはあまり好きになれないみたいだ。まぁ僕も同じタイプなので、ひとのことは何も言えないのだが。

 妻がリビングのソファに座って、足を投げ出している。

『夏の夜風に光を落として』は国崎が書いた小説だ。最初それを知った時は、結構びっくりした。五年くらい前から新人賞の一次選考には通るようになっていたので、入選したこと自体に驚きはないのだが、それでもさすがに僕たちの過去を題材にした作品とは思わなかったし、しかも確かに一度、「今度は、『夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと』っていうタイトルで小説でも書こうかな」と言っていたことがあった。さすがにそのままのタイトルでは応募はしてこなかったが、これが明らかにその時に話していた作品だろう。いや、やっぱり今度会った時に、おめでとうついでに、文句も言ってやろう。

 この五年間に色々なことがあった。国崎のデビューもそうだが、僕自身にも大きな変化があった。

 五年前、僕は夏風と会話した翌日から、新しい仕事先を探しはじめた。そして中途採用で、東京にある中規模の歴史のある出版社の営業になった。最初は新潟県内で探していたはずなのに、なんでこんなことになったのか、と自分でもびっくりしている。妻と一緒に関東で暮らしはじめたのも、そのあとすぐのことだ。

「さっきの電話の話だけど……」
 と僕は妻に言う。

『ごめんね。なんだか急に不安になったんだ。結婚はしたけど、もしかしたらあなたは私以外の誰かを見ている。時々、怖くて仕方なくなる。ほら、私たちが結婚するまでの過程でも色々とあったし。結婚して五年も経つのに、何を言ってるんだろうね』

 花火大会に行く前、妻があんなことを言っていたから、すこしでも安心させたくて。きみが心配するようなことは何もないのだ、と伝えたくて。

「うん」
「五十嵐、って昔、きみにも一度だけ話したことがある奴なんだけど。電話は彼からだったんだ。結婚したら、僕に伝えてくれる、ってそんな約束をしてくれて。もう覚えてないかもしれないけれど」
「あっ、その話」
「『時間が経ったけど、ようやく』って、そんなふうに言ってた」軽く一言で彼は済ませていたが、そこに行くまでに、多くのことがあったはずだ。「だから僕も、きみと結婚したことを伝えて。本当にそれだけ、だよ」
「ごめんね。なんか不安になって。たぶん、私たちには空白の期間があったから」

 僕はリビングにある、僕たちが共有する本棚に目を向ける。僕の癖で、本の並びは出版社順になっているのだが、一箇所だけ出版社がバラバラになっているところがある。『野菊の墓』『うたかたの日々』『風立ちぬ』『いちご同盟』『世界の中心で、愛をさけぶ』『君の膵臓をたべたい』の六冊だ。唯一、『ノルウェイの森』だけは別の場所に置いてある。もちろん僕の物語を語るうえで外すことのできない大切な一冊ではあるのだが、僕たちの物語を語るうえでは、やはり置くのは避けたい、という僕の個人的判断だ。

「『野菊の墓』ってあるだろ」
「えっ」
「で、『君の膵臓をたべたい』があるだろ」
「何を言ってるの」
「あの二作品には百年以上の開きがあるんだ。死別の青春が辿った百年と比べれば、そんな空白の期間なんて、あってないようなものだよ」
「変な答え」と妻が笑う。「私たちらしい答えなのかもしれないね。うん、確かに。その百年に比べれば。でも、そっか」
「んっ?」
「ヒロインの死ぬ物語が私たちを繋いでくれたわけだけど、私は結局、生き残ってしまったね」
「自分がヒロインだという点は疑わないんだね」
「不満?」
「いや」
「まぁ、いつかは死ぬんだろうけど、今、そんなことを考えても仕方ないからね。さっきは不安になっちゃったけど、先の分からない未来に怯えていても」

 僕は妻を抱きしめる。気付けば、抱きしめていたのだ。

「先が不安になる時、最近、僕はいつも考えることがあるんだ。不確かな未来だからこそ、出会える景色がある、って。予定調和のような確かさは、物語の中に置いておこう」

 夏風夏鈴がもういなくなってしまった世界で、だけどきみが確かに存在する世界で。

「それを、きみと夏が、教えてくれたから」
 僕は、妻に伝える。妻の、日比野夏鈴に。

 あの日の面影がぴたりと重なるように、夏もたまにはいいのかもね、と夏鈴がほほ笑んだ。
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