上 下
18 / 36

第18話 命日の皆さん (Fase 6)

しおりを挟む
 二人が押し問答をしている間に、リュックサックの男はイベント会場から姿を消していた。
「あれっ、いなくなっちゃったよ!」
 男の姿が見えなくなったことに気づいた龍生が焦りながら茶々に教えた。
「やっべー、見失っちまったよ」
 茶々も焦燥感をにじませた。
 この人混みの中で見失ってしまった男をもう一度見つけるのは至難だ。
 しかし、探さなくてはならない。
 探し出して何とかテロを抑え込まなければ、大量の死傷者が出る。
「探そう」
「そうだな」
 二人は、人混みをかき分けながらイベント会場を一回りした。
「いねえな」
 イベント会場で男を見つけることはできなかった。
「アウトレットモールに行ってみよう」
「よし」
 イベント会場に隣接するアウトレットモールも人があふれていた。
 二人は、買い物客にぶつかりながら、一件ずつ店の中を覗いて男を探した。
 1階を全部見たが男はいなかった。
 2階にもいない。
「どこいっちまったんだよ」
 茶々が龍生の背中を殴った。
「いてっ、イライラするのも無理ないけど、落ち着いて探そう」
 龍生が茶々をたしなめた。
「すまん」
「次は港を探そう」
 龍生が茶々の手を引いて、小走りに港に向かった。
 茶々は、龍生に引きずられているようだった。
「ちょっと広いから、分かれて探そう。またここで落ち合おう」
「おう」
 二人は、手分けして港を走り回った。
「どうだった?」
 龍生が息を切らしながら先に戻っていた茶々に訊いた。
「いねえ」
 茶々が不機嫌に答えた。
 龍生は、手分けをしたものの、やはり気になって港全体を走って探し回ってきていた。
「あと、奴がいそうなところってどこだよ」
 茶々が苛立った。
 茶々が苛立ったのには理由がある。
 ニクシロンの残党が見つからないことが一つ。
 もう一つはヤニが切れたからだ。
 煙草を吸いたかったが、そんなことを言っている場合ではない。
「あそこ!」
 龍生がマリンタワーを指さした。
「あそこか。ありだな」
 二人は、港からマリンタワーに向かった。
 マリンタワーに向かう途中も行き交う人の中から例の男を探そうとした。
 急いでマリンタワーに向かいたかったが、人が多すぎて思うように進めない。
 人の流れができていれば、それに乗って進むことができる。
 しかし、その日は人の流れがなく、周囲一帯が停滞しているような状況だった。
「すいません、すいません」
 二人は、人混みをかき分けながらマリンタワーを目指した。
 すぐ目の前にあるのになかなか近づけない。
 苛立つ茶々を龍生がたしなめ続けた。
 やっとの思いでマリンタワーの入り口にたどり着いた。
 そこまでの間、例のリュックサック男を見つけることはできなかった。
 マリンタワーの1階も買い物客で立錐りっすいの余地もない混み具合だ。
 龍生が店内をぐるっと見回したところ、男の姿は見当たらなかった。
 茶々は、人に埋もれて何も見えていない。
「トイレを探そう」
 龍生がトイレの表示を見つけて茶々を引っ張っていった。
 男女のトイレを手分けして探した。
「いなかった」
「こっちもいねえ。って、あいつ男だから女子トイレにはいねえよな、普通」
 茶々が笑った。
 笑ったことで少し気持ちに余裕ができた。
「あと上か」
 茶々があごで龍生に展望室の案内を示した。
「そうだね。カフェと展望室があるみたいだよ。どっちから行く?」
「そうだなあ、じゃんけんで決めるか」
「分かった。じゃあ、俺が勝ったらカフェから、ちゃーちゃんが勝ったら展望室からね」
「よし」
「せーの、じゃんけんぽん!」
 茶々がチョキ。
 龍生がパー。
 茶々が勝った。
「よし、展望室からだな」
「うん」
 二人は、人混みをかき分けながら窓口で入館料を支払い、チケットを受け取った。
「エレベーターに乗るのも時間がかかりそうだな」
 茶々がうんざりしたような表情を浮かべた。
「そうだね。人が多いけどエレベーターがひとつしかないからどうしても溜まっちゃう」
「しゃあねえ、順番を待つしかねえか」
「うん」
 エレベーターの順番を待っている間も、1階のフロアにリュックサック男が現れる可能性がある。
 龍生は、ときおり店内を見渡して男の姿を探した。
 茶々は、役に立たなかった。
「わりいな、あたしちっこいから見えねえんだよ」
 茶々が詫びた。
「いいんだよ。ちっちゃいちゃーちゃん、かわいいよ」
 龍生がさらっと言った。
「お前、こんなときに言うことじゃねえだろ」
 茶々が顔を赤くしながら龍生の学ランを引っ張った。
 5分くらい待ってようやくエレベーターに乗ることができた。
 エレベーター内は、満員電車のようだった。
 身動きもとれないほどだ。
 エレベーターは、茶々たちの焦りなど関係ないかのように、ゆっくりと上昇した。
「おっせーな」
 茶々が文句を言った。
 エレベーターが2階に到着して止まった。
 エレベーターのドアが開くと、すぐ目の前まで客が迫っている。
 カフェの利用客が順番待ちをしているのだった。
 そして、開いたエレベーターのドアから、カフェ店内の空気が流れ込んできた。
「ん、なんだこの臭い。嗅いだことがない臭いがする」
 茶々が顔をしかめた。
 汗のような何とも形容しがたい臭いが漂っていた。
「早くドア閉まれ」
 茶々がつぶやいた。
 カフェの利用客が降りると、エレベーターの箱の中は少し余裕ができた。
 エレベーターのドアが閉まって3階に昇った。
 展望室もやはり人がたくさんいた。
 二人は、エレベーターから押し出されるように展望室に入った。
 展望室は、周囲がガラス張りになっている。
 海側から陸側まで、ぐるっと一周見渡すことができる。
「おい、ところでお前、なんでずっと着いてきてんだよ。帰れって言ったじゃねえか」
 龍生が着いてきていることに気づいた茶々が不機嫌そうに言った。
「え、今さら?」
 龍生が苦笑した。
「今さらもなにもねえよ。さっさと降りて帰れって」
「わかったよ、じゃあ先に降りてるよ」
「ああ、そうしろ。あたしが死んだら線香の一本もあげに来いよな」
「うん」
 龍生が茶々の手を一度強く握って離れていった。
「とは言うものの、あたしのタッパじゃなんにも見えねえぞっと」
 周囲に埋没している茶々は苦笑するしかなかった。
「ま、龍生を帰したからもう慌てることもねえな。とりあえず景色でも眺めるか」
 龍生の安全さえ確保できればそれでよかった。
 あとは自分の寿命だ。
 人の寿命なんていつ尽きるか分からない。
 もし今日死んだとしても、それは寿命が尽きただけのこと。
 そう思って死ぬことを受け入れた。
 死ぬことを受け入れてしまえば気も楽になる。
「萌」
〝なに?〟
「私、ここで死ぬかもしれない。そうなったら萌も死んじゃう?」
〝そうね。宿主殿が死んだら私も死ぬことになると思うわ〟
「そうなんだ。なんかごめんね、訳分からない死に方になりそうで」
〝別にいいわよ。宿主殿と一緒に死ねるなら私は幸せ。どうせ何の役にも立たない寄生虫だし〟
「そんなこと言わないでよ。役に立ってるよ。私と龍生君の仲を進めてくれたのは萌じゃん。感謝してるよ」
〝そう。それならよかった〟
 萌が喜んだ。
 茶々は、人の隙間を縫いながら窓際に出ようとした。
「痛っ」
 少し進んだところで海側の窓に近いところから女性の声が聞こえた。
「あの、リュックサックがぶつかります。お体の後ろにもお気をつけください」
 若干の間をおいて別の女性の声が聞こえた。
 どうやらほかの客のリュックサックがぶつかったようだ。
「すんません」
 男の声がした。
 リュックサックをぶつけた男が謝ったのだろう。
 茶々がなかなか進めないでいると、窓際の方から人をかき分けて男が歩いてきた。
 その男は、帽子を目深に被りリュックサックを背負っている。
「あ、あいつだ」
 そう思うと同時に男が茶々にぶつかってきた。
 帽子を目深に被っていることと、下を向いて歩いていることで茶々の存在に気づかなかったようだ。
「うおっ、おい、気をつけろよ」
 茶々が文句を言った。
「あ、すんません」
 男が顔を上げて謝った。
 次の瞬間、男の表情が凍り付いた。
 唇がわなわなと震えている。
「よっ、久しぶり」
 茶々が片手を上げて笑った。
「お前、ヌルデバ……」
 男が茶々のハンドルネームを言った。
「そうだ、ヌルデバだ。ヌルデブじゃねえから気をつけろよ」
 茶々が不敵な笑みを浮かべた。
 茶々は丸腰だったが勝算がないわけではなかった。
 目の前にいるニクシロンの残党を見つけたとき、スマホで県警にエマージェンシーの信号を送っていた。
 これを送れば県警の特殊部隊が駆けつける。
 それまでこの男にテロを起こさせないように時間を稼ぐ。
 そうすればテロの計画は潰せる。
 この男が何かのアクションを起こすのと特殊部隊が到着するので、どちらが先か時間との勝負だった。
「お前、あたしを探してたんじゃねえのか? ニクシロンの仇だからな」
 茶々が男に告げた。
「仇? 小さいな」
 男がニヤニヤと笑いながら答えた。
「どうせ背が低いよ。ぶっ殺すぞ」
 茶々が男を睨んだ。
「誰がお前の身長の話をした。ぶっ殺すのは俺だ。そしてぶっ殺されるのは、お前とここにいる全員だ」
 顔を上げた男の目は、完全に狂っている人間のそれだった。
「どういうことだよ」
 茶々が男に迫った。
「それ以上近づくな」
 男が茶々を手で制した。
 その手が茶々の乳房に当たっていた。
「おい、お前、どさくさに紛れてあたしのおっぱい触ってんじゃねえよ」
 茶々が憤った。
「ははは、どうせ死ぬんだ。冥土の土産にお前の巨乳くらい触らせろ」
 そう言って男は茶々の乳房を揉みしだいた。
「やめろ変態野郎!」
 茶々が怒鳴った。
「なんでみんなあたしのおっぱい揉むんだよ」
  茶々が不思議に思った。
  男というのは、そういう生き物なのだ。
「今日が命日になる皆さーん!」
 茶々の怒りを相手にせず、男が大声で怒鳴った。
 男の声は、それほど広くない展望室に響き渡った。
 展望室内中の視線が一斉に男に注がれた。
 男は、着ていた迷彩柄のジャケットの前を開けた。
 ジャケットの中から腹巻きのようなものが出てきた。
 その腹巻きには、四角い粘土のような物がいくつも括りつけられている。
 そして、粘土のような物からリード線が出ている。
「プラスチック爆弾ですよ」
 男がニヤッと笑った。
「きゃーっ!」
「爆弾だ!」
「逃げろ!」
 展望室内がパニックになった。
 狭い展望室内は逃げ場などない。
 エレベーターで下に降りるか、非常階段を使うしかない。
 客が一斉にエレベーターホールに向かった。
 しかし、1階でも大勢の客がエレベーターを待っている。
 なかなかエレベーターは来ない。
 もしエレベーターが来ても、その中にはすでに乗客がいる。
 新たに乗れたとしてもごく少数に限られる。
 あとは非常階段で逃げるしかない。
 非常階段に人が殺到した。
 そこで将棋倒しが起きた。
 人が人の上に重なり、悲鳴とうめき声が起こる。
 倒れ込んだ人が非常階段の入り口を塞いでしまった。
 もはや逃げることが不可能な空間ができあがった。
「さて、起爆装置は俺が持ってる」
 男はポケットからリモコンのスイッチを取り出した。
「皆さんのご冥福をお祈りします」
 男が笑いながらスイッチを高く掲げた。
しおりを挟む

処理中です...