倒錯神天女

ぬるでば

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第11話 慟哭 (Fase 7)

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 悠生ゆみにリュックサックをぶつけた男が人混みの中に消えた。
 悠生と天女あまねは、外の景色に目を移した。
「うおっ、おい、気をつけろよ」
 二人が磯前神社と海岸線の鳥居を見ていると、若い女性の声が聞こえた。
 その声は、誰かに文句を言っているようだった。
「先ほどのようにリュックサックを誰かに当てたのでしょうか」
 天女が苦笑した。
「そうかもしれませんね」
 あの陰湿な感じだったらまたやるかもしれない。
 悠生は、根拠のない仮説を立てた。
 そのあと、二人の後ろの方で二言三言会話があったようだが、声が小さくて聞き取れなかった。
「おい、お前、どさくさに紛れてあたしのおっぱい触ってんじゃねえよ」
 突然、怒ったような女の声が響いた。
「おっぱいを触ったということは痴漢でしょうか?」
 天女が首をひねった。
「混んでますからね。そういう人がいてもおかしくないですね」
 悠生も同意した。
 次の瞬間。
「やめろ変態野郎!」
 女性が怒鳴った。
「やっぱり痴漢みたいです」
 天女が心配そうに人混みの先を見ようとした。
 悠生も後ろを振り返ってはみたものの、人の壁で何も見えない。
「今日が命日になる皆さーん!」
 今度は男が声を張り上げた。
「命日になるってどういうこと?」
 悠生は恐ろしさを感じた。
 展望室にいる客は、全員声の主である男を見つめている。
 しかし、悠生からは見えない。
「プラスチック爆弾ですよ」
 半分笑ったような男の声がした。
「きゃーっ!」
「爆弾だ!」
「逃げろ!」
 声の主である男の周りから一斉に人がいなくなった。
 男と褐色に日焼けした女性の二人を客が取り囲むような形になった。
 男の腹には腹巻きのようなものが巻き付けられ、何本かのリード線が見えた。
 逃げようとした客がエレベーターホールへとなだれ込んだ。
 一番最初にエレベーターホールに入った男性がエレベーターを呼ぶボタンを激しく連打している。
「非常階段から逃げろ」
 誰かが叫ぶと非常階段に入り口に人が殺到した。
 非常階段入り口前で一人の人が転んだ。
 それに続く人が次から次へと折り重なるように転び、将棋倒しとなった。
 人の下敷きになった人がうめき声を上げる。
 エレベーターが到着したが、下から乗ってきた客でほぼ満員状態だった。
「爆弾だよ! 乗せろ!」
 エレベーターホールにいる客が怒鳴った。
 しかし、物理的に乗れないものは乗れない。
 エレベーターに乗ってきた客はドアを閉めようとしたが、無理に乗り込もうとした人が挟まってドアが閉まらない。
    エレベーターは、ブザー音を鳴らしたまま動かなくなった。
 もう逃げ場はない。
 展望室内は悲鳴とうめき声でパニックに陥った。
 窓の近くでプラスチック爆弾を腹に括りつけている男と黒ギャルが対峙している。
 悠生と天女は、窓際にいたため完全に逃げ遅れた。
 かろうじて爆弾男たちより展望室の中央側には回り込めたが、二、三メートルしか離れていない。
「ちょっと待って。ここで爆弾が爆発したら、間違いなく私たち死んじゃう」
 悠生が焦った。
 焦ったが逃げ場はない。
 爆弾男と黒ギャルの動きを注視するしかない。
「あれ、あの子、常磐線で一緒だった子ですよね」
 悠生が天女に言った。
「本当ですね。こんなところで再会するのも何かのご縁かもしれません」
 天女がのんびり答えた。
「さて、起爆装置は俺が持ってる」
 男はポケットからリモコンのスイッチを取りだした。
「皆さんのご冥福をお祈りします」
 男が笑いながらスイッチを高く掲げた。
「悠生さん、爆弾というのは爆発するもののことですね」
 天女は、あまり慌てた様子がない。
「そうです。あれが爆発したら、私たち死にます」
 為す術がなくなった悠生は、諦めモードに入っていた。

ジャキン

 金属的な音が響いた。
 爆弾男の顔が一瞬引きつった。
 爆弾男と黒ギャルを取り囲んだ群衆の中から黒い詰め襟の学生服を着た男が進み出た。
 学生服は前がはだけられ、その手には黒く重厚な金属でできた拳銃が握られている。
「あっ、あの男の子も一緒でした」
 天女が喜んだ。
「喜んでいる場合じゃないです」
 悠生は苦笑した。
 学生服の男は両手で拳銃を構え、じりじりと爆弾男に近づいている。
 そして、黒ギャルの横に並んだ。
 黒ギャルは、驚いたような顔で学生服の男を見ていた。
 学生服の男と黒ギャルは、小声でなにかを話していた。
「撃てるもんなら撃ってみな。そのときは、この起爆装置が働いてお前らみんな天国だ」
 爆弾男がふてぶてしい態度で言い放った。
「おい、ちょっと話を聞かせろ」
 黒ギャルが爆弾男に言った。
「なんだよ」
 爆弾男は、頭上に掲げた起爆装置を下ろした。
 そして、手に握ったままジャケットのポケットに突っ込んだ。
「お前、ニクシロンの仇をうちたいんじゃねえのかよ」
「だからさっきも言っただろ。仇なんて小さいと」
「じゃあ、何が目的なんだよ」
「これから死ぬのにそんなこと聞いてどうするんだ?」
「訳わかんねえまま死にたくねえだろ。だから教えてくれよ」
 黒ギャルは、下手に出るような話し方でテロの理由を聞き出そうとした。
「そうか。じゃあ教えてやる」
 爆弾男が話し始めた。
「ニクシロン様は、ただのクラッカーなんかじゃない。もっと大きな目的をお持ちだった。いいか、今、世界を牛耳っているのは大資本とそれに結託した政治だ。その仕組みを実現可能にしたのがインターネットだ」
「お前ら愚民は、自由を謳歌しているつもりかもしれないが、所詮大資本の手のひらの上で踊らされているに過ぎない。お前たちは自由なのではない。管理されることに慣らされ、それを自由と思うように洗脳されている豚だ」
「そして最も重要なことは、本当の自由などというものはこの世に存在しない。幻想ということだ。真に自由な状態は弱肉強食の暗黒の世。そんな世界にお前たちは住みたいか? 否、住みたくないはずだ」
「だからニクシロン様は、お前たちを管理というくびきから解放させようとした。ニクシロン様という絶対的な支配者の力により、お前たちを大資本による管理と洗脳から解き放ち、理想の自由社会を築くことを目指したのだ」
「いいか、もう一度言う。真の自由など存在しない。絶対的な存在による絶対的な支配の下でのみ自由は存在し得るのだ。そのためにニクシロン様は、絶対的な神となるべきお人だったのだ」
「しかし、ニクシロン様の全人類的な大戦略が理解できない大資本と政治は、警察力を使って、インターネット破壊という些末な戦術を取り上げてニクシロン様を弾圧した」
「だから、我々ニクシロン様の意志を継ぐ者は、その目的を妨害する大資本を打倒しなければならない。そして、大資本に踊らされ、金銭を消費し大資本に奉仕する家畜となっているお前たち愚民を粛正しなければならないのだ」
「ニクシロン様は神なのだ。神となって万物を、そして人類を支配する。それが理想郷創造への道程なのだ」
 爆弾男が演説をぶった。
「神は……」
 天女が拳を握りしめた。
 怒髪天を衝くという形容がぴったり当てはまる形相で髪を逆立てている。
「神は人間を支配などしません!!」
 天女が怒鳴った。
 悠生が今まで聞いたこともないような、魂を揺さぶられるような怒声だった。
 天女は泣いていた。
「神を……神を……」
 天女が大きく息を吸い込んだ。
「神を人間の支配に使わないでください!!」
 悠生には天女の身体から炎のような熱が発せられているように感じた。
「悠生さん、またお会いできたら光栄です」
 天女は、泣きながら悠生に笑顔を作って見せた。
「天女さん……」
 悠生は、かける言葉が見つからなかった。
「うるさいお嬢さんだな。もう演説は終わりだ」
 爆弾男のポケットに入れている手に力が入った。
「お兄さん、10時の方向、外に敵! 撃ってください!」
 天女が叫んだ。
 その言葉に反応した学生服の男が左斜め前のガラスに向かって拳銃を発砲した。
 乾いた爆発音に続いてガラスが割れる大きな音がした。
 割れたガラスは、天女と爆弾男を結んだ直線の延長線上にあった。
 つまり、天女と爆弾男、割れたガラスが一直線に並んでいる。

だっ

 天女が全力で爆弾男に向かって走り出した。
 体勢を低くして男の腰のあたりに肩を当てた。
 タックルのような姿勢だ。
 天女のタックルを受けた男は、驚愕の表情を浮かべた。
 天女は、そのまま男とともに割れたガラスに向かって走った。
「天女さん!」
 悠生が叫んだ。

がしゃん!

 天女と男がガラスを突き破って展望室の外に飛び出した。
 二人の姿が展望室から見えなくなった直後、展望室の下の方で大音響とともに爆発が起きた。
 爆風で展望室が揺れ、何枚もガラスが割れた。
 割れなかったガラスには、爆風で吹き上げられた血液や肉片が飛び散った。
 展望室内は絶叫で詰め尽くされた。
「天女さん!」
 悠生が叫びながら割れた窓の際まで走り寄り、窓枠につかまって恐る恐る外を見た。
 展望室から地上を見ると、広い範囲に血が飛び散っていた。
 天女と爆弾男の原形を思わせるものは一欠片もない。
 木っ端みじんに肉片と化したようだった。
 突然爆発が起こり空から血と肉片が降ってきた地上もパニックとなった。
「天女さーん!!」
 悠生は窓から地上に向かって叫び続けた。
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