悪役令嬢は婚約破棄を待っていた!

ちゃっぴー

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「ユーミア・ベルンシュタイン! 貴様のような性根の腐った女とは、これ以上一緒にいられない!」

王宮の豪華絢爛な大広間。

数多のシャンデリアが煌めくその中心で、この国の王太子ギルバート殿下の絶叫が響き渡った。

音楽は止まり、踊っていた貴族たちは凍りついたように動きを止める。

誰もが息を呑み、憐れみと軽蔑の視線を私――ユーミアに向けた。

「……」

私はゆっくりと扇子を閉じ、王太子を見据える。

周囲はさぞかし、私が絶望に打ちひしがれていると思っていることだろう。

あるいは、悲しみのあまり言葉を失っていると。

だが、違う。

私の頭の中を占めていたのは、まったく別の思考だった。

(……長い。前置きが長すぎるわ、ギルバート殿下!)

私は扇子で隠した口元で、チッと思い切り舌打ちをした。

(今の叫び声だけで五秒。その前の「皆の者、聞け!」で十秒。この断罪劇が始まってから、すでに三分四十秒も経過しているのよ?)

私の体内時計は、原子時計並みに正確だ。

この無駄な時間は、私にとって苦痛以外のなにものでもない。

(ああ、早く帰りたい。今夜は『自動追尾型お掃除ゴーレム三号機』の演算プログラムを修正する予定だったのに。このままでは徹夜コース確定じゃないの)

私は内心で地団駄を踏みながら、表面上は冷ややかな微笑みを浮かべた。

生まれつき目つきが悪く、黙っているだけで「何か良からぬことを企んでいる」と誤解され続けてきたこの顔面。

世間では「悪役顔」などと呼ばれているが、今日ほどこの顔に感謝したことはない。

なにせ、ただボーッとしているだけで、相手が勝手に「不敵な笑み」だと解釈してくれるのだから。

「おい、聞いているのかユーミア! 貴様がミナにした数々の仕打ち、もはや弁解の余地はないぞ!」

ギルバート殿下が、隣に寄り添う小柄な少女の肩を抱き寄せながら吠える。

男爵令嬢ミナ。

ふわふわとしたピンクブロンドの髪に、潤んだ瞳。

いかにも「守ってあげたくなる」を具現化したような少女だ。

彼女は私の顔を見ると、ひっ、と大げさに怯えて殿下の背後に隠れた。

「こ、怖い……ギルバート様ぁ……ユーミア様が、目で殺そうとしてきますぅ……」

「大丈夫だミナ! 僕がついている!」

(……殺す? いいえ、私はただ、あなたのドレスの裾に付着している発光ゴケの粉末が気になっているだけよ。あれ、地下水路にしか生息しない品種よね? なんでそんなものが付いているのかしら。まさか王城の排水溝で遊んできたわけ?)

職業病とも言うべき観察眼が働いてしまうが、それを口にするほど私は野暮ではない。

今は一刻も早く、この茶番を終わらせることが最優先事項だ。

「……それで、殿下。私への処分は?」

私はあえて低い声を出した。

これも、長年の「猫かぶり生活」で培った技術だ。

威圧感を出すことで、相手の話を早回しさせる効果がある。

ギルバート殿下は一瞬たじろいだようだが、すぐに気を取り直して胸を張った。

「ふん、開き直りおって……いいだろう! これ言い渡す!」

彼は大きく息を吸い込み、会場の隅々まで聞こえるような大声で宣言した。

「ユーミア・ベルンシュタイン! 貴様との婚約を、今ここで破棄する!!」

きた。

その言葉を、待っていた。

私は扇子をパチンと音を立てて閉じた。

十年。

長い長い十年間だった。

五歳の時に「魔力量が多いから」という理由だけで決められた、この不毛な婚約。

「王太子の婚約者らしくあれ」と矯正され、大好きな魔導具の研究を禁止され、実験室を封鎖され、私の人生は灰色の牢獄だった。

だが、今。

その鎖が、断ち切られたのだ。

「――承知いたしました!!!!」

私の口から飛び出したのは、悲鳴でも命乞いでもなく、歓喜の咆哮だった。

声量が大きすぎたのか、ギルバート殿下がビクッと肩を震わせる。

「は……?」

「婚約破棄ですね!? 確かに承りました! いやあ、ありがとうございます! まさか殿下の方からおっしゃっていただけるとは! 手間が省けました!」

私は満面の笑みで、殿下に歩み寄った。

そして、その手を取り、ぶんぶんと激しく上下に振る。

「感謝します、殿下! これで私は自由! 研究し放題! 爆発させ放題! 徹夜し放題ですわ!」

「え、あ、いや、待て……ユーミア? 泣いて詫びるのでは……」

「詫び? なぜ私が? あ、もしかして慰謝料のことですか? いりませんいりません! この『自由』こそが最高の対価ですから! むしろ私がお支払いしたいくらいです!」

私は殿下の手を放すと、ドレスのスカートを豪快にまくり上げた。

会場から悲鳴が上がる。

「キャアアア! ユーミア様、なんてはしたない!」

「ご乱心か!?」

うるさい外野だ。

私は太ももに装着していた革製のガーターベルトから、一本の巻物を取り出した。

これこそが、私が五年の歳月をかけて(隠れて)開発した、極秘アイテム。

『緊急離脱用・超長距離転移スクロール(試作品ver.9.8)』である。

「お父様、お母様! そういうわけですので、私は今日限りで家を出ます! 勘当の手続きは郵送で結構です! 探さないでくださいね、どうせ結界張って引きこもるので見つけられませんけど!」

会場の端で青ざめている両親に向かって、明るく手を振る。

そして、呆然としているギルバート殿下に向き直った。

「それでは殿下、ミナ様とお幸せに! 国政が滞っても私のせいにはしないでくださいね! 私が裏で処理していた書類の山、明日から全部ご自分でどうぞ!」

「は? 書類? なんの話だ?」

「あ、それと! 王城のセキュリティシステム、私がメンテナンスしてましたけど、あと三日でパスワードの期限切れるんで気をつけてください! 更新しないと城中のトイレが逆流しますよ!」

「ト、トイレだと!?」

「では、さらばです!!」

私は高らかに叫び、スクロールを一気に展開した。

「起動! 座標指定、北の果て! 対象、私と私の荷物一式!」

スクロールから眩い幾何学模様の光が溢れ出す。

床に描かれた魔法陣が、激しい風を巻き起こした。

「な、なんだこれは!? 魔法!? 貴様、魔導具の使用は禁止されていたはずじゃ……!」

ギルバート殿下が慌てて後ずさる。

風圧でミナのピンクブロンドのカツラが一瞬浮き上がった気がしたが、今はどうでもいい。

「禁止? もう婚約者じゃありませんから! 今の私はただの市民、そして偉大なる魔導具師ユーミアです!」

光が視界を埋め尽くす。

体が浮遊感に包まれる。

これだ。

この感覚。

私が求めていたのは、誰かの飾り人形としての人生じゃない。

自分の手で理(ことわり)を組み替え、未知を既知に変える、この創造の興奮だ。

「ヒャッハー!! 自由だあああああああ!!」

私の品のない絶叫とともに、王宮のホールは光に飲み込まれた。

***

「……ふう」

光が収まると、そこは静寂に包まれていた。

先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。

肌を刺すような冷たい風。

見上げれば、満天の星空。

そして目の前には、朽ち果てた石造りの建物が鎮座している。

ここは王都から遠く離れた北の辺境。

かつて私の祖父が研究所として使っていた、忘れ去られた廃墟だ。

「座標ズレなし。転移酔いなし。魔力消費量も想定の範囲内。……完璧ね」

私はドレスの土埃を払いながら、ニヤリと笑った。

成功だ。

あの大勢の目撃者の前で、堂々と婚約破棄を成立させ、しかも物理的に逃亡することに成功したのだ。

これで王家も実家も、世間体がある以上、私を無理やり連れ戻すことはできないだろう。

「さてと」

私は虚空に手をかざした。

『亜空間収納庫、開錠』

空間がぐにゃりと歪み、そこから巨大なトランクケースが三つ、ドサドサと落ちてきた。

中身は着替えや生活用品ではない。

すべて、貴重な魔導素材と実験器具だ。

ドレスなんてかさばるものは、着ているこれ一着しかない。

「まずは拠点の確保ね。発電ゴーレムを設置して、結界を張り直して……ああ、忙しい! なんて楽しいのかしら!」

私はトランクを引きずりながら、廃墟の入り口へと向かった。

鼻歌交じりに、錆びついた鉄の扉に手をかける。

「お邪魔しまーす。今日からここが私の城……」

ギィィィ……。

重い音を立てて扉が開く。

中は埃っぽく、蜘蛛の巣が張っていたが、構造自体はしっかりしているようだ。

「誰だ」

突然、闇の奥から低い声が響いた。

「っ!?」

私は驚いて身構える。

ここは無人の廃墟のはずだ。

祖父が亡くなってから十年、誰も立ち入っていないと聞いていたのに。

「誰だと聞いている。……不法侵入者か?」

カツ、カツ、と軍靴の音が近づいてくる。

月明かりに照らし出されたのは、長身の男だった。

銀色の髪に、氷のように冷ややかな青い瞳。

仕立ての良い騎士服を身にまとい、その手には抜身の剣が握られている。

その顔には見覚えがあった。

いや、見覚えどころの話ではない。

「……アレクセイ様?」

辺境伯にして、王国の騎士団長。

そして、かつて祖父の弟子として、私の奇行……もとい、実験に付き合わされていた幼馴染。

「氷の魔術師」アレクセイ・ヴォルフその人が、なぜかそこに立っていた。

彼は私を見ると、大きく目を見開き、そして呆れたようにため息をついた。

「……空から魔力反応があったと思えば。やはりお前か、ユーミア」

「え、あ、はい。お久しぶりです?」

「『お久しぶり』ではない。王都での夜会はどうした。今日は婚約発表の記念パーティーだったはずだろう」

彼は剣を収め、腕を組んで私を見下ろす。

その視線は冷たいが、どこか懐かしい響きがあった。

私はニカっと笑って、親指を立てた。

「ふふん、聞いて驚いてくださいアレクセイ様! 私、たった今、婚約破棄されてきました!」

「……は?」

「というわけで、今日からここに住みます! 家賃は出世払いで!」

「……」

アレクセイ様はこめかみを押さえ、天を仰いだ。

「頭が痛い……。相変わらずだな、お前は」

「褒め言葉として受け取っておきます! さあ、そうと決まればリフォームですよ! アレクセイ様、そこの壁邪魔なんで壊していいですか?」

「駄目に決まっているだろう!」

私の第二の人生は、こうして賑やかに幕を開けたのだった。
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